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カムバック・ホーム  作者: 扇谷 純
籠の中の少女
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第31話

「お待たせしてすまない。僕はワインを頂くことにするよ」


 僕らは向かい合って座り、彼の意向で互いのグラスを交わしてから食事を摂り始めた。食卓を隙間なく埋め尽くした料理は、どれも大したものだった。特に盛りつけに関しては並々ならぬこだわりが感じられる。


「お口に合えば良いんだがね」


「とても美味しいです。お店みたい」と僕が思ったことを素直に口にすると、彼は嬉しそうに微笑み、「時々ホームパーティーを開くことがあるから、料理には慣れているんだよ」と言った。


「パーティーにはどんな方が来られるんですか?」


「色々さ。基本的には、僕が過去に看た患者さんが多いかな」


「カウンセリングをされた方たちですか?」


「まさか」と巻島は笑い声を上げ、「まだ話していなかったね。僕は以前、美容外科医をしていたんだよ」と答えた。


「精神科医には途中で転向したんだ。もともと手先が器用で、自分で言うのもなんだが美意識は高い方だった。だから初めは美容系に興味を持った。評判も良かったんだよ。あの頃は忙しい生活を送っていたな」


 彼はワイングラスを傾けて微笑み、「精神科医になってからは、あまり仕事を多く受けないようにしているんだ。なぜだか分かるかい?」と僕に問いかけた。


「報酬が良いからですか?」


「ははっ。報酬面で言えば、美容外科医の方が遥かに上さ」


 笑ってそう答えた彼はグラスの中に浮かぶ赤い液体を眺め、「この仕事は徹底したマンツーマンを必要とするしね。流れ作業のようにはいかないから」と答えた。


「以前の仕事も、意識は高く持つ必要があったけれど」


「収入面に問題はないんですか?」


 僕はよく冷えたトマトを口に運び、「単価も安くて、数も少なくちゃ」と言った。


 すると一度短く手を叩いた彼は前のめりになり、「それはね、僕が今でも美容アドバイザーとしてワークショップを開くことがあるからだよ」と答えた。


「そういった関係のお客さんがここへ来て、パーティーを開く。意見の交換会のようなものだね。そこでいくらか、相談料も頂戴しているよ」


 それを聞いた僕は、ふとリビングを眺めながら、そこに集った香水臭い連中がシャンパンを片手に屯する光景を想像していた。


 鼻筋の通った者、顎のシャープな者、サイボーグのように全身をいじり倒した者。そんな自然とはほど遠い者たちが美意識について語り合う。それはどこか矛盾に満ちた世界に思えた。


 彼が僕に良い待遇を施すのは、厚意ではなく余裕から生み出される責務なのかもしれない。それも半分は自慢が目的か。藤沢とは似ても似つかない歪んだ八方美人というやつだろう。


「どうして、精神科医に転職を?」


 ふと気になってそんな質問を投げかけながら、僕は遠慮なく冷蔵庫からもう一本ビールを取り出した。


 巻島は妙に改まった表情を浮かべ、「僕はね、この仕事に憧れを持っていたんだよ」と言ってワインを流し込んだ。


「憧れですか」


「そう。真に人が救われるのは、容姿を整えることではなく内に抱えた問題を解決する事なんだよ。美容手術で手軽に治せてしまう悩みに僕は飽き飽きしていた。


 もっと深い部分で患者と関わり、その人を知ることで救いの手を差し伸べられれば、それはもう医者冥利に尽きるってもんだ。そうだろ?」


「そうですね」


 悩みの深さは個人の受け取り方次第だと思うが。


 巻島は薄ら笑いを浮かべてこちらを見つめ、「君にはどこか、僕と似たものを感じるんだよ」と言った。


「だから、この感覚を君にも分かってもらえると嬉しい」


「買いかぶり過ぎです」


 食卓に戻った僕は左右に首を振り、「僕にはそんな立派な志はないですから」と答えた。


 彼にとってその返答はあまり好ましくないものだったのか、こちらの顔をじっと覗き込み、「君がどう思っているにせよ、僕は僕の感性で君に惹かれているんだ」と静かに言った。


「それだけは、分かってくれるかな?」


 仕方なく僕が相槌を打つと、彼は納得したように深く頷き、「よろしい。君とはこれからも仲良くやっていきたいね」と言って再びグラスを交わしてきた。

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