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カムバック・ホーム  作者: 扇谷 純
錆びた弦にさよならを
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第17話

「俺のこと探してるって聞いたから、会いに来たよ」


 藤沢の隣に並びながら、彼はスタッフに飲み物を注文している。


 中条というその男は、色白で血色が悪く、目つきの悪い一重瞼をしていた。緩慢な動きには覇気が感じられず、気怠さが体内から滲み出たような空気を纏っていたが、それとは同時に、彼の瞳の奥底には狂気にも近い何かが蠢いている。


 ひと目見た瞬間から、彼はまるで尖ったナイフを布一枚で覆い隠したような危うい存在に思えた。


「そんなこと言って、またステージ前に一杯引っ掛けに来ただけでしょ」


「秋ちゃんにはお見通しか」


 中条は目を細めて笑いながら、カウンター越しに飲み物を受け取っている。


「本番前にお酒なんて飲んで、ちゃんと弾けるんですか?」


 純粋な好奇心から僕がそう尋ねると、カウンターに凭れた中条は物を見るように無機質な瞳で僕を見つめ返した。


「あ、こいつは夏目で、俺の友達っす」


 藤沢は慌てて僕のことを紹介し、「ばか、中条さんは酒入ってるくらいの方が音に迫力があるんだよ」と言った。


「ふうん。音楽って奥が深いんだ」


「ただの飲んだくれだよ」と彼はまた目を細め、「秋ちゃんは俺のこと買い被り過ぎなんだよなぁ」と言って今度は困った表情を浮かべながら肩を揉み始めた。


「ほんとのことっすから」と藤沢は自慢げに答えると、飲み物を受け取った彼と静かにグラスを交わした。


「夏目くんも一緒に飲もうよ。あんなの見ててもつまらないだろ?」


 僕は彼に誘われるままカウンターに凭れ、追加で飲み物を注文した。隣に立つ藤沢の横顔を見ると、どうにも表情が優れないように思えた。


 やはり、以前所属していたバンドが悪く言われることを気に病んでいるのだろうか。


「秋ちゃんは、新しいバンドを探す気がないんだって?」


「探す気がないっていうか、俺は――」


「あいつらに遠慮してんだろ」と中条は彼の言葉を遮るように続け、「今はあれでも、何年か前は良い調子のバンドだったしね」


「前のバンド知ってる奴なんて、もういないですけどね」と藤沢は苦笑いを浮かべ、「気がかりっていうほど、大事な存在でもないっすよ。単にギター弾くのが面倒なんです。最近は聴く方が専門って感じ」


「そうかい? 秋ちゃんがそれで良いなら、俺も良いんだけど」


 中条は飲み物を豪快に飲み干すと新たに同じものを注文し、「最近良くない噂を聞くからさ」と言った。


「あいつらのですか?」


 これ以上のどんな悪さをするというのだろうか、と僕は口に出しそうになったが、そこは堪えて中条の続きを待ちながら舞台を眺めた。


 それにしても、彼らの音楽は完全に破綻している。耳に響く個々の音色はそれほどひどいわけでもなく、ボーカルの彼だって悪い声じゃない。けれどそれらすべてが組み合わさると、何故だか不協和音のようなものに陥ってしまう。


「眼前の風景が影響しているのでは?」と問われれば、やはりそれは拭いきれないだろう。ライブとは、奏でる楽曲のみを純粋に披露する場ではないのだから。


 僕がそのようなことを考える間に、中条は不吉な言葉を口にしていた。


「ドラッグですか」と藤沢が小声で尋ね返したことで、やはりその言葉が聞こえてきたのだと僕は確信した。


「あいつらがやってる、――とは聞いてないんだけどね」


 中条は煙草に火をつけながら、「最近その辺で売り捌く奴がいるって噂を耳にするんだ。まぁ、実際に被害が出たって話も聞かないから、ガセかもしれないけど」


「でも言い換えれば、《《本当かも》》知れない」


「物は言いようだな」と中条は肩を竦め、「一応あいつらも気をつけるよう、秋ちゃんの方から助言した方が良いかと思ってね。ほら、最近の奴らは、ちょっぴり飛び越え過ぎちまうところがあるだろ?」


「ちょっぴりなら良いんすけど」と俯いて答えた藤沢はすぐに顔を上げ、「あいつはきっとやらないです。……それに、今の俺には関係ないですから」


「そうかい? まぁ、俺も無理強いするつもりはないよ」


 中条は余った飲み物を手に歩き出し、「時間だから、俺は行くね」と気怠そうに肩を揉みながら、入口の方へ去っていった。


「何だか、現実味のない話だね」


 彼の姿が見えなくなった後、僕は煙草に火をつける藤沢に向かってそう言った。舞台上に見えるバンドもまた、相当に現実離れした存在であることは確かだが。


 中条と会話するうちに彼らの曲調は変化し、今では鼓膜が破れそうなほどの爆音が響いている。それらが隔離された空間内で打ち上げ花火のように舞い散ると、景色が微かに歪むように感じられた。


 藤沢のつけた炎の揺らめきも、観客たちの心も、そして、この空間さえも。


 それはどこか、この街を思わせる。


 彼らの音楽は、この街そのものを具象化したような利己主義的な要素と、迂闊さ、それに軟弱さを秘めているように思えた。


「人には広めない方が良い話だよな」


 藤沢は大きく煙を吐き出し、「夏目もこの事は、誰にも言わないでおいてくれ」


「誰に言うのさ?」と僕は冗談めかしく言ったつもりだったが、藤沢は思わず申し訳ない表情を浮かべた。


 ……やめてくれよ、そんな顔。


 やはり、この場所が良くない。全てがちょっぴり歪んでいるんだ。

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