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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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六話⑮


「……じゃあ、俺はどうすれば」


「んん……。連れてってやってくれる?」


「え、ええ。なんか、あれですね。ちょっとご面倒なことになっちゃいましたね。まあ、まあ、よっぽど……、心配はしてないんだけど、……ごめんね。約束はさ、それこそほら、なんなら警察官に捜査協力を求められたなんて、そんなことにしといてくれたら良いしさ。もし、必要なら後日その約束した人ここに連れてきて貰えば、私もそれ証言してあげるし、今回はちょっと悪いんだけど、ね?なんとか、ほら、……こちらのお願い聞いてくれないかな?」


「お願いというのもあるけど、……君の立場からするとそれが一番良いとは思うよ。まあ災難だったなあと思って、ちょっとね、時間くれると後で余計な心配しなくて済むからさ」


 話しぶりから考えると、強制的な拘束でもなければ、傷害罪だのでしょっぴくつもりでもない、ようには聞こえる。真意のほどは定かじゃないにせよ、俺に対して同情的であるとすら感じられる。


 ここで無理に立ち去ればケガをした犯人の言い分だけが記録に残ることになってしまう上に、それがどれほど荒唐無稽なものであったとして、現場にいなかった警察官がそれを間違っているとは断じられない、だから、俺はそれに反論をしなくちゃならない。弁明をしなくてはならない。


 たとえ犯人が完全に真実を語っていたとして、俺はそれをなんとかこちらに非がない形に訂正する必要がある。こうして話を聞く前であれば俺は素早く立ち去るのが正解だと決められたはずだ。


 だがこうして話が進んでしまうと、別段警察が異常な要求をしているようには思えなかった。ここで逃げるのか、言い訳を続けるのか、実に微妙な判断を求められている。


 逃げる、という選択肢を最後まで手放さずにいながら、……どうやら俺の体は心に正直なようで、……もう何が正しいのかを決めているようで、俺は無意識の内に両手を揃えて、「じゃあ、お願いします」と、小さく震えた声を出した。


 その動きをギャグだと思ったのか若い警官は吹き出すように笑顔を浮かべて「逮捕じゃないよ」と言って、続けて「さあどうぞ」と俺の目の前へ手のひらを差し出した。


 それはさながら国賓を美術館などの入り口へ誘導するかのような優雅な振る舞いだったが当然、俺の目の前に美術館の入り口などはなく、パトカーがだ、一台、停められている。


『さあどうぞ』も何も、『逮捕じゃない』も何も、俺はともあれ、パトカーで護送されるというあまり嬉しくもない希少体験をすることになるようだ。


 車中においても、若い警官は気を使ってなのか元々の気質なのか、やたらと俺を励まし続け、当の俺は何かこう、論理的には正しいとしていまいち納得感のないクイズを考え込むように、パトカーに乗せられる俺と、その過程とに考えを巡らせて、やはりいまいち納得感など生まれないまま茫然自失に、警察署まで護送されることになった。


 どうやら同席して事情を説明してくれるというふうではなく、普通に、駐車場で降ろされてしまった。


「受付があるからそこで案内して貰ってね。じゃあ」


「え、いや、…………」


「?何かある?正直、こっちで話して貰うよりも担当の人に話して貰った方がちゃんと伝わるから。じゃあね」


「…………ああ、そうですね。はい」


「大丈夫だよ、こっちからも連絡してるからさ」


 最後の最後まで、ここに降ろされて風が吹いているのを感じてもまだ、俺の中にわだかまりは消えなかった。まずもって車中においてさえ、こっちより、向こうの方が良いところだと、若い警官は俺を洗脳するために連呼していたようにさえ思う。


 邪推をするなら交番なんかであれこれ言われても手間なだけだという主張にだった。そして、これは俺が勝手に期待をしていたに過ぎないとはいえ、……迎えについての言及がなかった。


 どうやらパトカーがそのまま交番へ帰ってしまうようで、俺が「はい」と呟いた瞬間にはパワーウィンドウが言葉を挟むのに不向きな速度で持ち上がっていた。


 供述内容を固めることに注力していた俺などは迎えの要望を口に出すこともできないまま、走る去るパトカーを目で追うことだけが精一杯で、ああ、なるほど、だから、長くなるのか。


 これもミーシーの予知通り、俺がバスなり、最悪徒歩で帰ることになれば、もうそれだけで時間は掛かる。昼飯は……、似非容疑者の俺などにカツ丼を用意してくれることもないだろうから、帰りにどこかで飯を食うか、あるいは夕食まで我慢ということになりそうではある。


 どうだろう、こうなってみると、俺の力でどうにかさっと済ませるというのは難しい。深呼吸をして最短を考えてみたところで、結局根拠のあるスケジュールは立てられそうになかった。


 何度か呼吸をして、諦めて、指示された通り警察署の建物に入ることにした。一階でどこに行けば良いか尋ね、階段を上って三階の端にあった椅子に腰掛ける。


 まるで夜の病院のような薄暗い雰囲気が俺の心をざわつかせて、ただ待っているだけの一秒一秒が俺のゆとりを奪っていく。


 せめてそれが数分であればまだ良かった。


 何故かどうやら、この平和だと思っていた町でも色々と何事かは起こっているようで、憂うべきことなんだろう。警察署もそこそこに、繁盛しているようだ。


 いつまで経っても、呼ばれない。


 もう何も考えずに無心で椅子に座っていようと決めてから何分が過ぎたのか。


 縮こまって座っていたからなのか体が休まることもなかった。せめて待ち時間の表示でもあれば歩き回って時間を潰すこともできたのかも知れないが、いつ呼ばれるのかが分からない以上、控えめに体を倒してストレッチすることしかできない。


 やがてようやく一人若い男性が現れて「君がわざわざ証言しに来てくれた子?こっち。ここ通って」と目の前のドアを開いた。


 俺は無言のままそこを通って、指さされた椅子へと歩く。多分だが取調室とは違う場所のようで、パイプ椅子でもないし、ライトは用意されてないし、仰々しい鉄の扉も窓の鉄格子もない。


 二枚の仕切り板で区切られた場所が並ぶように配置していて、……扉のないトイレ、をちょっと広くしたような場所だった。


 小さな机が一つと、向かい合うような形で椅子が二つあるだけだ。中途半端に開放的な作りをしているせいで、周りから怒声やら泣き声やらが丸聞こえなんだが……、もしかするとここは相談室のような、そういう場所なのかも知れない。


 なんにせよ心落ち着く場所でもなければ驚くような発見があったりもしない。と、思ったら「私はやってない!」という大声が聞こえてきた。であれば、やはり取調室だったのか……。


 時計を確認するともうここに到着してから二時間近くが経過していた。待ち時間などが余計に不安をつのらせただろう。


 一人の職員が目の前の椅子に座り、俺の名前や連絡先を確認した。俺はもうとりあえずミーシーのことだけはぼかして全部俺がやりました、すみませんでしたと言うくらいの覚悟をしていたが、その職員は思っていたよりも軽いノリで会話を始め、一通りの現場状況の説明を勝手に済ませてしまった。


「最初に足を蹴られて引っぱり合いになったところで女の子は腹をこう、押すように蹴ったと。女の子だからね、蹴られたというか足で引き離そうとしたんでしょう。それで、その後、……その後がよく分からないんだけど、高橋君が、こうやって、……はは、こう、手のひらをね、男に向けて、波動拳っ、波動拳だっけ?そう、かめはめ波。ベジータとかが使う技だ。それをこう放ってきて、……はは、放って?それのせいで吹っ飛んだ、っという、そういう話を、向こうはしてるんだよ。面白いね。いや、気持ちは分かるよ?多分引っ張り合いになってて、向こうが力一杯引っ張った時に、ビニール袋だし破れてすっ転んで頭打ったんだとは思うんだけど」


 一人で資料を捲って一人で喋って、一人で笑っている。


 俺の意見どころか俺のことを見る素振りもない。それはともかくかなり幸運なことに、おそらくその資料の中に俺が犯人を殴ったとか投げ飛ばしたとかそういったことは記されていないようだった。


 ああ、……そういうことか。あの犯人はミーシーに投げられたところまではしっかり分かってなくて、『ヤバイと思いながら手を伸ばし掛けだった』だけの俺が吹っ飛ばした、と、そう思い込んでる。


 気功か何かの達人と勘違いされているようだ。ミーシーに投げられたという証言が出てたらその子も呼び出してくれなんてことになってたかも分からんが、危ういところで助かった。良いところで記憶が混濁してくれている。


「いや……、俺も夢中で、手を伸ばした時には、あの男はもう転んでたような、感じだった気が、そんな気がするん、ですよね。俺もほら、普通に考えたら女の子が向かっていっちゃって危ないと思って」


「まあ、そうだよね。もし君が何か格闘技をやってるとかだともしかしてってことになるんだけど、さぁすがに、こう、波ァ!ってならないよぉ、ねぇ?『あの男は俺のことを触れずに倒したっ』て、言ってるんだけど、ちょっとここだけの話、これはおかしいこと言ってるとしか思えないなあ。いやあ、災難でした。ご苦労さまです。ちゃんと向こうで自分で転びましたって調書書いて貰うから全然なんにも心配しなくて良いでしょう。大したケガなわけじゃないしねえ、かめはめ波受けたわけじゃあるまいし……。かめはめ波、はは……、受けてたらもっと、服とか、破れるでしょう?はははっ」


「は……、はは。俺、そしたらこれで帰れますか?」


「はい、これがっ。一応今回君の証言ということになるんで、もう作っておきました。ハンコはないと思うから指印で良いです」


「指印?」


「うん?ああ、単なるハンコの代わりだし、変なこと書いてないから。読んでみてくれたら分かるけど。あと、犯人だったら全部の指取るから、そういうのじゃないよ」


 時間帯やら場所やらは形式張って記されているが、俺の証言、とされている部分は結局はすごく簡単なもので、要するに、男が転んだのを見てました、という内容だった。


 ……電話で、十秒掛からず、伝え終わる内容だ。いや、これが重要といえばその通りなんだが、あれやこれやで結局三時を過ぎている。念のため足を運んだ意味があったのかどうかもすごく微妙ではあった。


 元々、相手はケガをして、おかしな証言をしている。おそらく大半の人間は俺の証言などなくても犯人の言葉を真面目に受け取ったりしなかった。ミーシーの捻挫損に俺のくたびれ儲けのように感じられた。


「はい、ご協力ありがとう」


 拇印を押すともう俺はその時点で用済みのようで、職員の男性は書類を持って席を立った。


 ここで俺は勇気を振り絞って元いた場所に送り届けてくれたりしませんかと尋ねたわけだが、「無理だなあ、忙しいからほら」と、そんな感じでくるりと手のひらをかざして俺の要望を却下した。


 まあ、……確かに。そもそも忙しくなければ俺の待ち時間は一体なんだったんだという話にはなる。当然送り迎えなどしてくれるサービスなどもない。この騒々しい中、俺が駄々をこねて業務妨害できるような空気ではない。


 仮に駄々をこねても単にはっきりと拒否されるだけだろう。まあ一安心ではあるんだ。大きな事件にならなかった。前科にもならなかった。それは一応、不幸中の幸いといえるだろう。


 おまけとして、相手も大きなケガをしたわけでもないらしい。一つずつを並べて整理していくと、まあおおよそ、問題になりそうな部分は全て解決された、かなりポジティブな考え方をするなら、俺が警察署に出向いて話をすることによって、変な不安感や罪悪感を消し去ることはできた。


 後ろめたさを引きずって追われているのではないかと不安に苛まれることもなくなった。これを俺の成果として掲げることもできなくはない。


 とはいえ、相当に疲弊していることは自覚していて、道順も何も考えずになんとなく自宅方面であろう方向を目指して歩くことが精一杯だった。しばらく歩いてようやく、せめて警察署で電話を借りて自宅へ連絡を入れるべきだったことに気づく。


 普段携帯電話を持っている現代人は連絡を試みる際、ポケットをまさぐる癖があるが、俺の場合、文明的なアイテムが手に触れることはなかった。まず、……商店街の方面へ向かって、俺の荷物を探さなくちゃならない。


 やるべきことの順序もしっかりと考えられないまま、ふらふらと歩いた。


 電話を借りれば良かった。なんなら交番でも電話を借りられただろう。さすがにそれくらいを拒まれることもないはずだ。もうここまで遅くなっては昼飯もないだろうな。


 商店街方面から戻れば公衆電話もあったはずだし、そこで家に電話してアンミがちゃんと帰ったか確認して、俺は今から歩いて帰ることを伝える。コンビニ行って、パンをかじって商店街に戻って、荷物を探して帰りに陽太に荷物渡して、そして家に到着だな。


 開き直ってウォーキングと再ショッピングを楽しんで有意義な時間密度を高めることに取り組んでみても良い。そうすればこの三時間損した気持ちを少しは埋めてくれるかも知れん。


「…………」


 歩いても歩いても、公衆電話というのは見当たらなかった。ビルが建ち並んでいるものの人通りもほとんどなく、コンビニも見つからない。田んぼが広がっているよりは発展しているということにはなるんだろうが、いっそビルなど見通しが悪くなるだけだった。


 そもそも俺が正しい方角に歩いているのかすら確信がない。ビル群を抜けて交差点の向こう側にコンビニを見つけた時、ようやく一息をつく。信号を待ってコンビニへ入って、惣菜パンは結局気に入るものがなかったから飲み物だけレジに持っていき、小銭を支払って一応方角が合ってるか店員に尋ねた。


 方角は間違っていないが、まだなんだかんだ距離はありそうだ。店を出て、すぐに飲み物を半分ほど飲み下し、キャップを締めてポケットに詰め込み、また歩く。歩いて歩いて、歩いて歩いて、ようやく商店街へ続く道まで辿り着いて、俺はもう路上であれどこであれ座り込みたい気持ちで一杯になっていた。


 探したことなど今まで一度もなかったから、俺は今日初めて、あの商店街以降休憩スペース的なベンチが用意されていないことを知った。


 とりあえず公衆電話は見つけたが、携帯電話はいざという時のために持っておいた方が良いな。持ってないことの、デメリットが大き過ぎる。持ってれば、家にすぐ連絡を入れられただろうし、近くのコンビニを探すことができたろうし、そこでタクシーを呼ぶこともできた。


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