六話④
……俺が中学生の頃、ニンジンを紫色に塗った同級生がいたことを思い出す。
本人は一貫して色相対比だと主張していたが美術の先生を始め他の先生なんかが飾られた絵画を見て色覚異常を疑い出して何やら検査とかで呼び出しを食らっていた。
当時の俺は何も気にしなかったが、折角だから俺もついでにその検査を受けさせて貰えば良かったかも知れない。視力が悪くなったように感じたのはそれよりも随分後だが、俺の色彩感覚というのが一般人と同じだと断言できる証拠がない。
光に透かすと赤っぽく見える髪に、白い肌、青みがかった髪に、白い肌。オシャレ上級者などはどういう感覚で、どういう基準で、これを足せば良くなると決められるんだろう。とりあえず俺には、そんな才能が欠片もない。
「なあミーコ、希望の色とかはあるか?」
「別にないニャ?」
「そう……、言うなよ。そうか。確かに猫も、あんまり色覚は良くはなかったな。赤色が見えないんだったか?」
「そう言われても正直見えないことはないニャから、分かるつもりでいるニャけど、そういうことじゃなくて健介が気に入るように選んでくれたらそれで嬉しいニャ。アンミがミーシーに服選ぶみたいに。ミーシーがアンミに服選ぶみたいに。健介が私に似合うのを用意してくれると、それをずっと大切にするのニャ」
「俺は自信がなくてお前に聞いてるんだ。俺が自信満々でお前に似合う色合いを決められたら相談なんてせず勝手に選んで自己満足していられる」
「色がどうとかじゃなくて、プレゼントはその気持ちをニャ、大切にしたいと思うものなのニャ。それが思い出の色だったなら、その色が好きになるニャ?だから健介の好きな色を選んでくれたらそれが私の好きな色ニャ」
「……それは少し重苦しいな。俺の好きな色だと?俺は何色が好きに見える?それは割と場合によるからな。風景なら緑が良いし電子機器なら黒が良い。壁紙などは今は真っ白だが、茶色で木目調だったら、オシャレだなあとは思う。だがな、それがお前に似合うかどうか気に入るかどうかは全くの別問題だろう。お前の首輪が木目調だったらどうだ?すごく微妙だと、俺は思う。多分そんなものはあまりの需要のなさに淘汰されて存在さえしていないと思う」
「いや、あるかも知れないニャ普通に。別に悪くないと思うニャ」
「仮にあっても、……そうだな、例えば、青……、か。色相環的に目立つ色というのは。なんか消去法でしか決められないというもどかしさがあるが、お前の色からだと青か紫だ。青だろう、せめて……。試着とか多分できんから、もうなんなら日によって変えるか?七色というのは、曜日ごとの目安になって分かりやすい。カレンダー役までできて一石二鳥な気もする」
「曜日分かんない時はカレンダー見れば良いニャ」
「そうだな。いちいちお前を呼び出したり首輪取り替えたりするのも手間だし、ズレ始めるともう曜日感覚を狂わせる元凶になり得る。しかも似合う色というのを選べなかったという戒めのモニュメントになってしまう」
「健介はちょっと考え過ぎなのニャ」
そうであろうとは思う。誰がどう考えても、首輪の色でここまで悩むのは馬鹿らしい。それこそ何も考えずに手に取って値札だけ見て買う代物のようには思う。
「青だな、青だ。妥当だろう。空のような、あまりテカテカしてない青色が好きだ。文句があれば検討しよう」
多分ミーコも今、俺との買い物が面倒くさいことに気づいただろう。どうやら俺のこの真剣な相談事が、ミーコの買い物に行きたいという気持ちゲージを目減りさせているようではある。
なるほどこう押せば、そう引くのか。目茶苦茶面倒くさいことを言い始めて買い物に行く気力を失せさせるという作戦に取り組むこともできたのかも知れない。
「文句はないニャ」
「しかし、文句を言ってくれないと……、お前の気持ちを汲んでやったことにはならない。それはともかく、どうだ、こんな奴と買い物行きたくないだろう?留守番したいと言い出しても良いんだぞ?」
「買い物にはついていくニャ」
「そうか。……一応ミーシーも良いって言ってた」
「なら良かったニャ」
安心するようでもなく淡々と事実を受け取って、俺の唐突な裏切りもないと思ってなのかまたベッドの下へと戻っていった。
せいぜい持ち物など財布くらいのものだし、買い物の内容については頭に入っている。わざわざ音声録音したりなんてことはしなくて良い。ポニョと抱き枕の原料と、いくらかの本を買う。
困るとすれば服の感想やアドバイスを求められた時くらいだ。何にせよ、備えられるようなことでもない。結局何をするでもなく椅子とベッドを往復したり、部屋の掃除や片づけをして過ごした。
ティッシュで机を拭う段階にまで至るとさすがに時間の進みもスムーズになって時計を気にしなくて済むようになる。
しばらくそんなことに熱中していると一時間なんてのは簡単に過ぎてしまったんだろう。八時半になって、アンミが俺の部屋をノックした。ノックされなくても足音には気づいてはいたし、なんなら普通に開けて顔を覗かせてくれたって構わないわけだが、ノックを済ませて静かにその場で待つようだった。
「ああ、今行く。ミーコ?それから財布はあるし、携帯はなかったな。お小遣いはちゃんと入れた。よし行こう」
「持ち物チェックにまとめられたニャ……」
「健介?もうちょっとしたら出発する予定」
「ああ、こっちは準備できてる。なんなら早めに出てゆっくり散歩気分で歩いても良い。ミーシーは準備できてるか?準備ができてないと駄々をこね続けてたりしないか?」
「多分?大丈夫だと思う」
「まあ、下手すると俺より暇だろうからな」
俺とアンミをするりと避けてミーコは一番乗りに階段を下っていった。俺視点では早速の監督義務違反のアラートが点滅しているわけだが、当人は全然気にしてない。
俺もアンミに続いて階段を抜けて居間を抜けて、玄関の前にまで来た。ミーコは一旦そこで待っている。
ミーシーは既に外に出ていて、俺が玄関を開けると、何も言わずに歩き出してしまった。まずは少しばかり早足でそこに追いつく。俺たちが追いついたかというのも特に気にしている様子はなさそうだった。
ほんの少し歩いて坂を下った時点で、先導役のミーシーが俺の想像とは真逆方向に進路を向けた。どこへ向かうつもりなのかと思ったが、その後更にしばらく歩いていくとどうやらやはり商店街方面に向かっている、ようではある。
方角的には向かっている気はするんだが、もしかして商店街に辿り着くより前に買い物できるような場所があったりするんだろうか。もしそんな場所があるならそこで俺と二人は別行動ということになるが、近所にそんなスポットも思い当たらないし、この先は住宅密集地だ。そんなところで営業する店があるとも思えない。
ついでに散歩をする予定だったか。
「ああ、そういえば、散歩もするのか。こんな道、すごい小さい頃しか入らなかったが」
無計画に家を建てて塀を作って、その余りの部分をとりあえず道にしてみた、というような、狭い場所を歩いている。小学生の頃に鬼ごっこをしていて迷い込んだことはあるが、商店街へ向かう順路には向いてない。
明らかに、遠回りをすることになる。迷子になりかねないし、これがそもそも道なのか、それとも誰かの家の敷地を突っ切って歩いているのか、それすらよく分からない。ちょっとずつ不安になってくる。
「ここは……、井上さん家の庭じゃないのか?さっき表札と門があったし、今ここ、砂利敷きつめられててさっきまでの道と違うだろう?」
「それはその井上さんが、道が砂利になってるから庭の方を合わせたんでしょう。ここは道だと思うわ」
「そうか……。まあ、通ってるだけで怒られたりしないだろうが、なんか落ち着かないな。あ、おい、そこ畑なんだが……、な、なんで、あっちにほら、あっちの方が道が広いぞ。なんで畑を、野菜泥棒と間違われないか?」
「健介心配し過ぎニャ……」
「なんかすごい。迷路みたいになってる。私一人とかだったら絶対迷子になってる」
「確かに、道順はお前が決めて口出ししないことになってたが、……商店街じゃないのか?俺は順当な商店街への道順を知ってるぞ?正直、今ここで置いてかれたら俺も家まで帰れる自信がない。携帯もないんだ。広い道出ないか?」
「…………。確かに、道順は私が決めて口出ししないことになってたでしょうが。置いてかれても道聞けば帰れるでしょう。それに置いてかないわ」
散歩がしたいのならもっと落ち着いたコースがあるはずだし、こんなところに見るべきものがあるとも思えない。入り組んだ道、道と敷地の境界さえあやふやな場所に連れ出されてしまった。
かくれんぼや鬼ごっこなどには向いた地形かも知れない。だが仮に、他人に道を説明する場合であったなら、多少遠回りであってもここは絶対に避ける。大人になって余計に狭く感じるのか、あるいは元から狭かったところに排水溝を作ったり塀を作ったりした結果なのか、ともかく、人が二人横に並ぶだけで道は塞がれてしまう。バイクですらすれ違い困難だろう。
道と呼ぶよりも、家と家の、隙間だ、これは。
「ちなみに、ゾーンサーティーというのがあるでしょう?生活道路で車が三十キロ以上出してはならない地域というのがあるのよ。そしてそれを上回るほどに……、この道は、物理的に車とかがそもそも通れないという珍しい未整備地域なのよ。ワクワクそわそわするでしょう?」
「ああそうなのか。とにかく置いてかないでくれ。そういえば、ちなみに、これ?ほら、言ってたろう?服買うためのお金だ。先に渡しておこう。行き先は商店街で良いのか?」
「ありがとう、遠慮なく頂いておくわ」
「健介、なんて微妙なタイミングで渡すのニャ……。置いてかれたくなくて必死の人がご機嫌取ろうとしてお金渡してるみたいに見えるニャ……」
「ミーコ、お前は余計なことを……、というか、それがアドバイスだったとしてもあんまり喋るな。ああ、あとアンミも、理解しておいて欲しいんだが、猫と喋ってるのは変な人だ、一般的には。だから、それを誰かに見られたりしないようにしなければならない」
「うん。健介なんか変な人。なんか一人で猫と喋ってる人みたい。ね、ミーちゃん?」
「ニャァー」
「おい、ミーコ。ほお、そうか。アンミも、よく分かってるな。なら良いんだが」
「元からあなただけでしょう。猫に向かってペラペラ喋ってるのは」
「そりゃ、俺が一番よく喋ってるかも分からんが……。そういえば、大概俺の部屋か散歩かで、お前ら二人はあんまりミーコと喋らんのか。仲良くしとけ、ミーコ、ほれ、アンミに抱っこされてろ。狭い道をお前が足元歩いてると踏みかねん」
隣を歩いていたミーコをすくい上げようと手を伸ばすと、ミーコはそれをひょいと避けて「ニャァー、ニャ、ニャー……」と情けない声を出した。
何を言ってるのか分からん。アンミが振り返って手を伸ばすとミーコは首を竦めて右前足だけ浮かした状態で動きを止め、そのまま大人しく胸元へ抱え上げられることになった。
「あ、あんまり、その……、ニャ。歩き、たいですニャ。私、散歩も、する、つもりだったニャ」
「よしよし。ミーちゃんすごく大人しい。歩くの疲れるし、足汚れるから」
「歩き……、私、そんな疲れないし、……足もう、むしろアンミの服汚れるから、私降り……」
「よしよし。ミーちゃん寒い?服の中入る?」
「いや……、入らないし、それ息苦しそうニャ……、も結構ニャ」
「そう?うん、よしよし」
あんまり、抱っこは好きじゃない猫だったか。まあ、若干アンミが強引にも思えるが、悪気があるわけでもないだろうし、散歩がしたいというならこいつの場合はいつでも好き勝手出掛けられる。ここは精々可愛がらせておけば良いだろう。
見ていた限りで言うとミーコの場合、俺とアンミとで遠慮の加減が違うというか、もしかするとあまり俺以外とは打ち解ける機会が少なかったのかも知れんな。
ミーシーが言うには俺以外と喋っていないらしい。単に、序列的な意味合いで態度を決めてる可能性も否めないが、ミーコは一応、二人を気に掛けてよく見ている方だろう。アンミが猫好きであるなら、これは良い機会になる。
ミーコが猫可愛がりされるのを察して避けてたとすればそれはそれで難しいところだがお互いその内、丁度いい距離感が掴めるようにはなるはずだ。
「ミーちゃん、な。たまには猫らしくなでなでされていろ」
「アンミ、今気づいたわ。なんか、この男のミーちゃんという発音がひどく不愉快なことに気づいたわ」
「別に……、お前のことじゃないだろう。そしてアンミは大丈夫で俺だけか。ミーコに言ったんだぞ、それは分かってるよな」
「もう、一度気づいたら無理でしょう。とにかくミーちゃんと言うのをやめなさい。あれだわ、そういうのは付き合ってからにしましょう」
「ああ、それは……。要するにクリア条件が厳し過ぎて俺は一生『ミーちゃん』と発音できないということになるのかな」
「だからもう寅吉にしなさいと言ったのに。でも絶対付き合わないとは言い切れないでしょう?平日の学校に爆弾を仕掛けたというなら人命優先で下校時間までは付き合うわ。ミーちゃん呼ばわりされて頭を撫でられても我慢するわ」
「人生を丸ごと刑務所に放り入れる覚悟しても、下校時間までしか付き合えないとは……」
「ねー、ミーちゃん。健介はミーシーと付き合いたいって」
「……一体どこを聞いてたらそうなった。爆弾を仕掛けないと付き合って貰えないんだ俺は」
そこからまだしばらく歩いて住宅街を抜けて、ようやく見通しの立つ舗装された道路へ足をつけることができた。変わらぬペースで先を進み続けたミーシーは、ここで一度振り返り、ここをずっとまっすぐ十五分くらい進んだら商店街に着くわ、と言った。
ちらりと時計を眺めてみるが、当然商店街までの道のりが短縮されたような感想はない。寄り道をしたり立ち止まったりしていたわけではないのにこれだけの時間が掛かるなら、やはり狭い路地裏や畑を通るより広い道を選んでいた方が正解だったろう。
道順としては、広い道を選ぶ方が正しいと思える、であれば、俺たちに知らせていないだけで、また何かしらにか、あるいは誰かしらにか配慮した結果ということにはなるのかも知れない。
田舎の寂れた住宅密集地など見つめたところで心踊ったりしないわけだが、商店街へ続く道路がいくつも工事中で通行止めだったりということはおそらくないわけだが、
予知する必要があるのなら予知をして、都合が悪ければ手順を変える、ということの、これもその一環のように思われる。
なにはともあれ、見覚えのある場所に辿り着けば俺にもある程度は土地勘が機能してくれる。およそ宣言通り十五分も歩けば商店街の入り口に到着した。




