五話㉕
特に深く考えて答えているわけではなさそうだが、とりあえずなんとなくの気分の話でなら、アンミは新しく服を買うつもりはなさそうだった。
別に今は寒くもないし、今着ている服がお気に入りなら、……新しい服はいらなさそうだが。
「洗濯してて乾かないことがあるとしよう。もちろんアンミの服だけじゃなくてミーシーの服も乾かないことはあるだろう。不意に汚れるということもある。こういう時に替えの分がないとその間は寒いまま過ごすしかなくなるよな」
それでもまあ、実際のところ暖房器具の前にいるなり、そもそも温かい日を見つけて洗濯するなりで解決されてしまう。
「服の話?あ、そうそう。健介、それでね、聞いて?この服ね、あったかいし、すごく、機能性がね、高い。見てて」
アンミはそう言って、トトトと小走りで居間へ進んでソファの前に立った。アンミは俺の言いたいことを汲み取ってくれなさそうだ。多分、服がどうこうじゃなく、単なる気候の話だと思っている。なんなら今着ている服の自慢をされることになってしまった。
今単刀直入に買い物に行かないかと誘ったところでアンミを連れ出すのは難しいかも分からん。別にいらんけど、ミーシーへのプレゼントだというなら買ってあげると良いと思う、なんてことを言い出しかねない。
まあ、ところで、アンミが一体何を自慢するつもりなのかは少し興味があった。必要な服の条件というのが分かるかも知れないし、俺も別に服飾には詳しくないながらも、それと似たようなやつとか、あるいはなんならもっと良いものが売っているぞと案内してやることができるかも知れない。
アンミの今着てる服も、確かに、ポケットもあるし、フードもついてるから、それを機能性が高いと評することもできるかも知れないが、見た目はそうオシャレではない。高価なブランド品というのでもなさそうに見える。
生地も大して分厚いようには思えないが、何かしら、あったかくなるような特別な仕組みでもあるんだろうか。撥水加工されてるとすれば、……ただそれなら居間へ歩いていく理由などが見つからない。
「健介、この服ね、マジックができる」
「服が?……いや、お前が魔法を使える」
アンミは俺のツッコミなどまるでお構いなしという様子でソファに転がっていたテレビのリモコンを片手で拾い上げ、続けてそれを両手で包んだ。
「リモコンがどうかしたのか?」
「リモコンはどうかしないけど、この服を着てるとマジックができる」
「……?魔法使いが?着てた服には魔力が貯まってたりするのか?どんなマジックだ?」
「…………。うん。えっとね。私は今、右手でテレビのリモコンを持ってて、右のポケットにリモコンを入れる」
「ああ、入れたな」
「えっと、ちょっと待ってね」
アンミは突然「よいしょよいしょ」とぴょんぴょん垂直跳びを始め、……こういうのもなんだが、俺の邪な気持ちが目を背けさせたわけだが、胸がよく揺れた。
「健介、こっち見てて。あんまり別のところ見てたらマジックにならない。ね?」
「そうなのか、ああ、すまん。終わったか」
二人を気分転換させる目的で買い物に連れ出して好きに買い物をさせてやる。一応、それだけでも目的は達成できる。何も別に、買い物の題目を服に限定する必要もないだろう。
でも、どういった流れで話を持ち出すのが良いだろうか。二人が気に入るかどうかも分からんお土産を俺が買ってきても二人の行き違いが改善するようには思えない。できるなら、二人きりで、和気藹々と、お互いに何が似合うと、笑い合ってくれると良い。
必ずしもその楽しい空気の中で、あれをこうしたいなんてことは言い出さなくても良い。ただこれから二人がどう過ごすかという話し合いをする時に、手を重ねられる場所があると良い。そういう思い出があると良い。だから、服が良いのかなとは思っていた。
「えっと、ほらっ、はいっ」と、アンミは、何気なく、俺がぼうと見つめている中で、左の、ポケットから、テレビのリモコンを、取り出した。
「えっ、あれっ……」
「こういうマジックができる」
どういう、マジックだそれは。
アンミは間違いなく右手でリモコンを持って、右のポケットにリモコンを入れた。その後、ぴょんぴょん跳ねていた。するとどうしたことか、左のポケットからリモコンが出てくる。
「は?まさか、そういう、物質移動系の魔法を、……いや、信じられないんだが、まさかその服を着てるだけでできるようになるのか?それを、……すごく小さいスケールでやってるからなんか大したことなさそうに見えるが、……もしかして、その、例えばそのリモコンをブラジルに、ブラジルに飛ばせたり、そういうこともできたりするのか?」
「……ううん。それは、できない。健介そんなに驚くと思わなかった。そんなにすごい?これ」
「すごいだろ、それは。その服を着てればどこでも誰でもできるのか?」
「多分。どこでも誰でもできる」
「ということは、四次元、ポケットか?」
「あ、健介よく分かったね。これね、このポケットすごい一杯入るようになってる」
であれば、新しい服など絶対いらない。むしろ俺がアンミの今着ている服に憧れを禁じ得ない。
俺がアンミの服の恐るべき高機能具合にビビっていると、ミーシーが階段を下りてきた。呆然としたまま振り返ると、ミーシーは俺たち二人を少し眺めた後、ため息を一つ吐いた。
「アンミ……。それ、まあ、良いけど。あんまり放っておくとご飯冷めるわ」
「ミーシー。お前は知ってたわけだよな。あれはなんだ?木がにょきにょき伸びたり、お前の予知は聞いたが、アンミのあの服、右側のポケットに入れた物を、左側のポケットから取り出した。あれは俺でもできるのか?あの服着てるだけで」
「できるでしょうけど……」
「ということは、もしかしてお前の服も何かしら魔法アイテム的な機能があるのか?」
「アンミ、……可哀相でしょう。可哀相なことしたでしょう。謝った方が良いわ」
「え、そう、そうなの?ごめん、健介。そのね」
アンミはリモコンを左側のポケットに入れて、またぴょんぴょんと跳ねた。俺はもう胸など見ていない。そして体を右に傾けながらやはり、右側のポケットからテレビのリモコンを取り出した。
ポケットに入れたふりをして背中に隠していたりしない。右側のポケットをまさぐっている間、左のポケットには全く触れていなかった。
「これ、その……。ポケットの底が両方とも破れてて……、ね?背中の部分で繋がってる」
「…………」
俺は少し沈黙して、左手の人差し指だけゆっくりと立て、アンミのポケットの辺りを指さして、右手をパーにし、左手の小指側でぽんと小さく手のひらを叩いた。
「あ、ごめんね、健介。がっかり?」
「がっかり……。なるほど。そういうことか。ポケットの容積越えて一杯ものが入るわけだな……。それをこう、便利だと」
「うん、これ便利」
俺はアンミのその、小さい子供がやりそうなマジックに完全に騙された。先入観というのがいかに視野を狭めるかがよく分かる。普通ならマジックだと宣言されて種や仕掛けを探そうとしないなんてことはない。
夢の四次元ポケットが単なるマジックだったことにもがっかりだが、何よりも、俺の頭の純真さに落胆せざるを得ない。
「便利か、それは。いや、便利かも知れないが、破れてるということは新しいのあった方が……、良いだろう。ああ、そういう話なんだ。服を、買おう。アンミ、服、お前の服、破れてるし、……ポケットだから見えない部分といえばまあそうだが、でも破れてるから新しい服を買おう」
「あら、良かったわね。アンミ。良いの買って貰いなさい」
「ミーシー、一緒に行ってくれ。そして、お前も足が寒そうだから、なんか買ってくれ。遊園地に連れていって貰ったお礼だ。俺からのプレゼントとして栄一さん渡すから明日な、一緒に出掛けて二人でお互い似合いそうなのを選んでくれ」
「いいえ……、結構よ。欲しいなら一人で行って買ってきなさい」
「えっ、今健介ミーシーの服の話してる?」
「いや、お前とミーシーの服の話をしてる。お前の服の話は少し前からしてる。なんならその時にミーシーの服の話もしてる」
自分の服の話の時は完全に聞き流していたのに、ミーシーの服となるとどうやら様子が違うようだった。アンミは夕食の準備へ向かってからぴたりと手を止めてこちらとミーシーを交互に注意深く観察してそわそわ落ち着きなさそうに動いた。
『あの』とか『ええと』とかの形に唇が動いてはいるが、声は出ていない。
「俺は女物の服とか分からんから、そういうのは二人でな、仲良く選んでくれると良いな。俺も俺で買い物があるから、明日一緒に出掛けないかという誘いなんだが」
「別にあなたが買ってきてくれたらそれでも良いでしょう。サイズが分からないというなら、アンミが寝てる間にこっそり測れば良いわ」
「確かにサイズは分からないから困る、俺が選ばなきゃならない場合はな。だが、お前ら二人で選んでくれたら何一つ不自然な行いをしなくて済むだろう」
「あ、私の服はそんなにいらないけど、ミーシーに?プレゼント?そっか、ミーシー買い物行こう?でも、健介が選んでくれた方が良いかなとは思う」
きょろきょろしながらようやくアンミの意見が出た。自分の服はいらない、が、買い物に行くのは賛成か。その上、ミーシーの服は俺が選んだ方が良い……、というのは、俺にとってはかなり中途半端な要望だった。
俺はあくまで、自分の買い物をしている間に二人がお互いの服を選んでいてくれるという形を望んでいる。おそらくそれが最善だった。ミーシーは出掛けたくなさそうだが、……アンミを連れ出してミーシーの服を買わせるという妥協案は選びたくない。
「服選びは手伝ってくれ。だから、アンミは一緒に行かなきゃならん。そして、ミーシーもアンミの服を選んでくれ。俺は家の仕事をやって貰っているお礼をしなきゃならん。というか、アンミの服が破れてるぞ、どういうことだ、ミーシー」
「それは私のせいじゃないでしょう」
「確かにお前のせいじゃないけど……」
アンミは三人で行きたがる。俺は買い物の予定があるから服は二人で選んで欲しい。ミーシーは、……でも多分、アンミの服をどうにかしてやりたいと思うんだろう。調整は必要だが、断固として行きたくないとは言わないだろう。
「いただきます分かったわ。考えておきましょう。あと、ミーコ来てないでしょう。ご飯呼んであげなさい」
「通り道だったろう。ついでに連れてきてくれたら良かったのに」
階段を上り自室へ顔を覗かせてミーコに「買い物、考えてくれるそうだ」とだけ告げた。ミーコは「良かったニャ」と俺を追い越してあっと言う間に階段を下りていく。
俺もまた後へ続いた。ミーシーの返事は確約というわけじゃない。アンミも俺の要望に完全にマッチした返事をくれたわけじゃない。食事中も引き続き協議することにはなりそうだ。
階下へ戻って「いただきます」をして、再び二人の様子を窺ってみる。ミーシーはもうパクパクと食事を始めていて、対照的にアンミは俺からの言葉を待っているようだった。
「アンミは自分の服やミーシーの服が新しく必要だということは分かってくれてるんだよな?」
「新しいのが必要かは……、でも健介がそう言うなら必要だと思う」
「じゃあ、ミーシーの服を選んでやってくれるか?」
「選ぶ手伝いはできるかも。でも、健介が決めてくれた方が良い」
「私もアンミも、服選ぶセンスなんてないのよ」
「そう言われても……、それは俺にだってないだろう」
「あらそう」とだけ言って、モグモグ。モグモグ。モグモグ。
食事を止めて話し合おうとまでは言いづらいが、ミーシーにとっては優先度の高い議案ではないらしい。お茶を机に置く間の二秒くらいだけ発言して、積極的に意見を出したりしないようだった。加えて嬉しそうでもなければ怒り出すでもない。食べ終わった後も居残ってくれるかは定かじゃない。
「……アンミも食べながら話聞いてくれたら良いぞ。話を一旦整理しよう。まず俺は日頃二人にお世話になっている。だから、そのお礼をしようと思う」
「ええ、良い心掛けね。でも正直、私はあなたの世話係とかした覚えないわ」
「…………遊園地に連れていってくれただろう。それと今後の活躍に期待する。もしもお前が普段俺の世話などしていないというのなら、ここでこそ助けが必要だ。俺はアンミに似合う服を選べる自信がない。アンミの服を選んでやってくれ」
「んく、……。まあ私がファッションコーディネーターならそういう要望を受けても良いわ。でも、さっき言った通り、服を選ぶセンスなんてないのよ。見て分かるでしょう?」




