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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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二話③

「今、猫っぽい声が聞こえたんだが……」


「あそこよ、逃げられないから慌てなくて良いわ」


「ニャー……」


 ミーシーが腕を上げてふらふらと指を樹上に向ける。目を凝らして示された場所を見ると確かに……、猫の尾が見えた。


 ……やはり、当たるんだなあ。受け入れざるを得ないか。猫は木の上で尻を振ってもぞもぞと動いてはいるが、前にも後ろにも移動できなくなっているようだった。腰は引けていて、後ろ足を少しずらして足場がないことを確認してまた枝に足を置くという……、涙ぐましい努力を試みている。要するに、下りられなくなっているようだ。


「下りられなく……、なってたのか。何故登ったんだ」


「まあ下りられないわけじゃないでしょう。ただ、頭から下りたら死ぬわ。足から下りたら骨折るわ」


「えっ、それは可哀相……」


「それは下りてるわけじゃないだろう。落ちてるだろう。大丈夫か、あれは。自暴自棄になって飛び降りかねんぞ」


「ちょっととりあえず注意引いてなさい。その間にとっ捕まえるわ」


「……俺が登って良いのか?アドバイスはあるか?」


「正直あなたは役立たずだと思うのよ。結果より過程を大事にしなさい、挑戦することに意味があるから胸を張って失敗しなさいと、……死んだおじいちゃんが言ってたわ」


「おじいちゃんは良いこと言ってるんだろうが、……俺と猫の安否はどうなるんだ?そこら辺は予知してアドバイスをしてくれたりしないのか?失敗することを前提にされていないか?」


「挑戦することの大切さを説いているのよ」


「仮にだが……、ケガしたら治してくれるんだよな?」


「えっ……。ええと……」


 そうか。怪我を治してくれるのはアンミの方だったか。それはともかく、『治してくれるんだよな』に対してだと思うんだが、アンミが途端におどおどし始めた。俺とミーシーとを伏目がちにきょろきょろと交互に見て、「あのその」と何か言いたげに口をパクつかせている。


「…………。まあ、心配しなくて良いわ。仮に最悪の事態になってもお供え物を作ってあげるわ」


「意味が分からんことを言うな。お供え物じゃなくてアドバイスを用意してくれ」


「ほら、さっさと行きなさい。登ってるふうにしてるだけで良いのよ。私やアンミが行くと逃げちゃうでしょう。囮みたいなものよ。せいぜいガサガサ枝揺すって注意引いてなさい。私は後から行くから」


「健介、心配なら私行くよ?あれくらいなら多分私でも登れそう」


「いや……」


「アンミ。向き不向きというのがあるのよ。アンミもアンミで仕事があるからここで一旦待ってなさい。ほら、あなたはさっさとフェンス回って木登り遊びしてきてちょうだい」


「……ああ、分かった」


 高所作業をアンミに委託するというのも情けない話ではある。最悪、落下したとして死ぬような高さじゃないだろう。落ち方次第だが、悪くしても骨折程度で済みそうだとは思う。できれば骨折もしたくはないから、慎重に……、登るか。


 フェンスを回り込んで目的の木の前に立った。アンミとミーシーはまだフェンスの向こう側で二人話しているようだ。特に合図も掛け声もないようであるから、仕方なくまず太い幹に飛びついて懸垂の要領で体を持ち上げていく。上半身を幹に擦りつけて重心を預け、バランスを崩さないように足を上げ跨がる。


 俺が登り始めて猫も俺の存在に気づいたようで、ニャーニャーの声が途切れた。目線を上げると相手もこちらを見ようと体を丸めて、じりじりと移動を試みようとしているところだった。まあほとんど動けずにいるようではある。幸いなのは、俺に気づいて枝の先へ逃げようとしなかったことだ。どちらかといえば捕獲しやすい場所の方へ……、移動しようと、している、ようには見える。動いてはいないが。


「まあ、待ってろ……。なんならお前はもう動くな」


 救出者の体重で枝が折れるということも、マンガなどではお約束としてよく見掛けるが、今立ち上がるこの幹は思っていたより頑丈でちょっとやそっと跳ねたところ折れそうにない。だが、あと、二段階かそこら上がると、枝はもう俺の体重を支えるのはおよそ無理であろう細さになる。


 軍手や網は必須だったかも分からんな。なんとか背を支えながら立ち上がり、枝を掴んで軽く揺すってみる。ここもまだ大丈夫そうだ。一つ深呼吸をして両手に力を込め、体をゆっくりと持ち上げ、先程と同じように腹を擦りつけながら跨がる。


 俺が一つ近づいたことでか、猫はまた『ニャーニャー……』と、俺に頑張れと応援を始めた。何故猫は、下りられるかどうかを考えずに登るんだろうか……。そもそも何故登ろうという発想に至るのかがさっぱり分からん。餌があるわけでもあるまいし、お遊びで登ったというのなら大層迷惑な猫だ。ここから先は俺もケガするリスクを負わなくちゃならない。屈んだ状態では次の足場に手が届かないし、角度やら太さやらはちょっと険しくなっている。


 よくよく考えてみると、これをどうやって、猫を抱えて下りるのか。片手懸垂など鉄棒でだってできる気がしない。下手をすると俺もそこで救出待ちになる可能性が十分にあり得る。


「え、……無理じゃないかこれは。猫は下でキャッチして貰うことになるのか?ミーシーは」


 猫から視線を回して下にいるはずの二人の姿を探した。先程よりは多少こちらへ近づいてはいるものの、まだフェンスの向こう側にいて、ミーシーは何やら指を彷徨わせてアンミと話しているようだった。


「あのぉ……、すまん。ちょっと無理かも分からん。なんか網とかないか?」


「そこ掴まってなさい。ちょっと揺れるわ」


「……?」


 そして、ミーシーは両手を組んで背をぐいっと伸ばして、ダッとこちらへ向かって……、というよりフェンスに向かって走り始めた。そのまま走り続ければ当然フェンスに激突することになる。


 何をするつもりなんだろうという疑問を浮かべたままそれを眺めていた。地面を蹴ってフェンスのちょうど真ん中辺りに手を引っ掛け、そこからふわりと、体を浮き上がらせたのが見えた。そして片足をフェンスの上に引っ掛けてぐるりと体を回した。


 ……爪先で、体を引き上げたのか?ミーシーがフェンスの上に立ち上がるまで、一体どこに重心があったのかさえ分からなかった。だって……、俺もそりゃ懸垂くらいはできるが、逆さに吊るされて足で同じようにやれと言われたら、そんなことができるとは思えない。人間はそもそもそういう動きができるように作られてないと思っていた。


 実は、……できるらしい。少なくとも助走があれば、ミーシーはできるようだ。まずその動きに驚愕したが、よく考えればフェンスの上に立ったところで今俺が登っている木にまではどうしたって届く距離じゃない。これはさすがに、幅跳びの世界記録でもなければ飛び移るなんてのは無理だろうと思った。


 ……思ったが、……思ってる間にもう、ミーシーは勢いそのままにフェンスを蹴ってこちらへ跳ねていた。


「フニ゛ャ゛ー」という猫の叫び声が響いた。そして、がぐんと突然木が地面にめり込むように揺れた。当然ミーシーが着地したからなはずがないし、猫が叫び声を上げたからというわけでもないはずだ。揺れはなおも続いていて、慌てて樹上を見ると猫はその揺れに耐えられず、爪を引っ掛けて残しただけの状態で枝にぶら下がっていた。


 危ないと、思った。あれは落ちるだろうと思った。なんとか揺れる中、反射的に腕を伸ばしてみるが、猫も猫であの体勢じゃ飛び移るどころか移動もままならない。そして猫が、ぶらん、ずるりと、空中に放り出されてしまった。


 その瞬間だ、視界の端を何かが横切った気がした。俺は体勢を崩して幹にしがみついてなんとか落下だけは回避した。その体勢で見上げてみると、……これはせいぜい一秒の間の出来事なんだろうか。空中で、ミーシーの姿が目に映った。伸身前宙、一回捻りで、猫を抱え込み、そして、それを追うように黒く細い物体が蠢いていた。


 俺にはそれが、その暗い色の物体が、一体何なのか分からなかった。というよりも、しっかりと凝視して目の当たりにしたところで、果たして俺の認識が正しいのか定かじゃない。トンと強く着地の音が聞こえた。


 ミーシーが地面で猫を抱えて立っている。それを囲うかのようにぞろぞろと、うぞうぞと、木の根っこらしきものが這っていた。


「なんじゃありゃ……」


 蠢く物体を辿っていくと、抉れた地面はどうやらこの木の方へ繋がっているようだった。ああ、もう、……感想というのすら浮かばない。そのまま脱力して地面に滑落してもおかしくなかった。根っこは不器用に地面に潜ろうとしていて、土は一層に割れ盛り上がり捲れ上がっていく。しゅんとスムーズに地面に戻っていくということはなかった。うぞうぞ、ごじごじ、もこもことようやくしばらくして地面に隠れ始めたが、どうやら完全に地中に戻ることは諦められてしまったようだった。


「…………」

「もう良いわよ。さっと下りなさい。あなたは助けてあげないわ」


「あ、……ああ」


ずるりと体を滑らせてゆっくりと地面へと下りた。


「俺は、……いらなかったんじゃないのか?なんだ、この……、根っこが動いてたぞ。そんなことあるかな。俺の見間違いかな?」


 俺が着地した瞬間に猫はもがいてミーシーの腕から抜け出して地面に足をつけた。……が、ほんの一瞬でがしと首根っこを掴み上げられてぶらんぶらんと揺られる身分となってしまった。


「アンミ、捕まえたわ。お利口さんにしてあげてちょうだい」


「ええっと、うん。ちょっと触ってみても良い?」


 猫はぶるんぶるんと体をよじって、なんとか反動で抜け出せないか頑張っているようだが、ミーシーは全く意に介さず首根っこを掴んだままアンミの方へ腕を差し出した。アンミは猫の頭を手のひらで覆うように掴んでいる。


「植物を……、なあ、植物を操る魔法か?」


「まあ、そういう認識で良いわ。あなたも悪いことして縛り上げられないように気をつけて生きなさい」


「……恐ろしいことを言うなよ。お前の?魔法か?」


「いいえ」


「じゃあ……、アンミか?どういう、これは、思った通りに動かせるのか?目茶苦茶地面が抉れてるんだが……」


 現場にいた俺としては、こんなふうに派手に魔法の痕跡を残して大丈夫なのか不安になる。盛り上がった地面をなんとか平らにできないかと足で均してみた。まあ、……地道にやれば違和感のない状態にまで戻すことはできるかも知れんが、根っこの一部がやはり不自然に地面に露出したままになっている。自由に操れるなら、これをもうちょっと、できるだけ元通りにして欲しい。


「操るのとかじゃないよ」


「操ってる?わけじゃないのか?じゃあ……、どうなんだ?根っこを生成してるのか?あるいは根っこっぽい足場を作る魔法だったりするのか?」


「うん、操ってるわけじゃない。えっと……、どう言ったら良い?」


 俺がこの魔法にビビっているせいというのもあるのかも知れないが、アンミは若干不服そうに解説を始めた。


「操ってるわけじゃなくて、こうやって育ってって?ね?」


「…………?ね、と言われてもな。それは操って……、違うのか、そうか」


「育ってって?ね?」


 まあ、説明を受けたところで理解できることなんてない。おそらくアンミは、話し掛けると植物の生育が少し良くなるみたいな、そんな感じのことが言いたいんだと思う。でも、そんなことないと思う。そういうレベルで語られることだったりしないと思う。


「うん、そうだな……」


「説明が分かりにくいとか思ってるでしょう」


「いや、説明してないんじゃないのか。説明をして貰っても多分分かったりしない。まあ、あれだろう。元気に育ってねと話し掛けると、よく育つということなんだろう」


「うん」


 猫はどうやらもう逃げ出すことも諦めたようで揺れは収まっていた。というよりも最後の体力を振り絞って体を揺すっていただけでもう疲れ果てているのかも知れない。樹上で一晩過ごすというのもそれなりに過酷だったろう。


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