五話㉒
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「お前も俺と同じツッコミしてるだろうが。パックパックチュギュはともかく、出だしがポーニョポーニョなことくらい、俺でも知っている。しかも、その後にポニョもパックパックチュギュも、すらすらよどみなく発しているこの人物と、歌を歌っていた人物は別人か?ミナコだよな、どっちも」
「まあ、そうなのだがな。俺もなんか替え歌だと思ったのだが……。後から考えると、これは多分、健介に対する峰岸なりの優しさだとも思うのだ。台詞をまともに覚えられなくて落ち込んでいた健介に気を使ってのことだと思うのだ。人は誰でもうろ覚えだったり忘れたりすることもありますから大丈夫ですよという、そういう優しさなんだろうな。峰岸はわざと歌詞を間違ってな、恥をかいてやってるのだぞ。ゴメスとか言ってた健介と同じところまで下りていって手を差し伸べてるのだ。ポニョごっこしたくなったろ?健介も」
「……歌詞を、わざと間違ったらああなったのか。そんなにそこまで大規模に間違える必要あるか?意味不明な替え歌になってるよな?」
「健介のプライドを傷つけないためにわざわざ、全部間違えたのだな、峰岸は。本当はちゃんと覚えてるのだぞ」
「……だろうな、リズムは取れてるしな。それほど無様だったか、俺のラピュタごっこは……。いらぬ気遣いをさせてしまうほどに」
映像を見せられても全然ポニョごっこしたくはならなかったが、なるほど、全員で揃って見ましょうというのもミナコなりの配慮だったのかも知れない。元よりポニョごっこをしたいと言い出した理由は、俺と陽太が共に見たことなければイーブンなスタートラインだから、なのかも知れない。
俺の無様な演技の汚名を返上させる舞台のつもりで、次はポニョがやりたいと言った可能性はある。であれば確かに、俺にも責任の一端があるのか。下手をするとミナコが今日陽太が言い出すまでポニョの話題を俺に振らなかったことさえ、下手な気遣いのように思われる。
「健介の無様さに合わせてやったのだな」
「なんだろう……。とても切ない気持ちになった。まあじゃあ、ポニョを、俺なりに精一杯に演じられるよう努力しよう。ポニョがそもそも演じるような役どころなのかはちょっと俺も定かじゃないが、……魚の妖精みたいな奴だと思ってるんだが、でもまあ、そうだな。俺に責任があるなら俺が買うべきかも知れんな」
「そうか、そうか。楽しみにしているのだ。それまでには峰岸も少し暇ができると良いな」
「そうだな、でどうする?今日まだ時間あるが買い物でも行くか?」
「ええ、それはちょっともう面倒くさいし金がないのだ。歩いてってことだろ?ポニョ屋さんとかこの辺にはないだろ」
「ポニョ屋さんはないけど、商店街まで行けばポニョ売ってるだろうし、抱き枕とかも売ってるかも知れん」
「そんな焦って買っても仕方ないな。俺の方は製作期間があるから取り掛かりは早いに越したことないのだが……。もしかして健介はポニョを予習したいのか?」
「……なるほど、そういう手もあるな。だが一緒に見た時に一人だけ感動が薄いのも嫌だ。当初の要望通り、全員で見るまで開封しないことにしよう。枕どれくらいでできるつもりでいるんだ?」
「どうだろうな。材料揃ってからしか検討できないとは思うのだが、せいぜい一週間かそこらじゃないのか。良いのだぞ健介は、そっちはどっしり構えていて。俺のノルマではあるからな」
「まあ一応そうだが、実質罰ゲーム免除状態だった上にそれを取り消しされてしまったからな。とりあえずポニョの件は俺に任せろ。でもって、必要ならそっちにも加勢してやれる」
「じゃあ買い物してきてくれると助かるな。金はある時に渡すのだが、とりあえず今月はちょっと色々あって厳しかったりするのだ」
「貸しといてやっても良いけどな。俺は備忘録つけたりしないぞ」
「まあ半ば店長のせいだからな。来月は材料費くらい捻出できるつもりでいるのだがその辺は健介から俺への信用度みたいなものを基準にして貰うしかないな」
「ミナコとは金のやり取りを嫌がってたろう」
「…………。まあそうだな。健介はさすがにその辺分かるだろ?金の貸し借りくらいなら全然不安感ないのだが、俺が住所貸したくなかった理由も今回はっきり健介にも伝わったと思うのだが。携帯貸した瞬間にブラックリスト行きになったぞ。峰岸リスクは想像を超越してくるからな」
確かに。
「…………じゃあ、ポニョ買ってくるついでに、もし見つかったらな、材料らしきものを買ってきてやる。裁縫道具あるのか?」
「ちゃんとミシンとかあるぞ。俺はこう見えてもなんか創造的なことをやりたいと思ってる人間だからな。今の時代ミシンとか目茶苦茶安いのもあるのだが、変に奮発してしまってな。折角だし元は取りたいと思ってたところにこういうことになったのだ。心配いらないぞ」
「じゃあ、ミシンが、有効に活用されることを願う」
別にミシンのあるなしを疑っていたわけじゃないが、陽太はわざわざミシンを取り出して見せ、『でも材料はない』と言った。それから、大抵の場合、一家に一台はミシンがあるものだと言った。
転んでズボンを破る小さい子のいる家庭などでは必要だったりするかも分からん。どうなんだろう。それこそ今の時代、服など新しく買った方が簡単ではあるだろうが。ふむふむと相槌だけ打っていたせいか、陽太は「眠いのか」と俺に聞いた。
「いや、どうだろうな。ちょっと眠いかも知れん。食後で、ミナコが離脱すると眠くはなる」
「じゃあ横になってアニメの続きでも見てると良いのだ。その間に俺は俺の考えた最強の抱き枕のアイデアをノートにまとめて構想練るから」
「邪魔なら帰るぞ。お菓子食べながらごろごろ寝てアニメ見てるだけというのも、なんかちょっとなあ」
「なんだかんだ見始めたら面白いと思うぞ。さすがに二人でばば抜きとかしりとりとかする気にはならないだろ?」
「いや、アイデア考えてる最中にうるさくないかなと思ったんだが……」
「俺は一回見てるからな。流し見みたいなので十分だし、逆に全くの静寂だとアイデア出なかったりするもんだぞ」
「そういうもんか?じゃあお言葉に甘えてアニメ鑑賞してる」
陽太が机にノートを広げて鉛筆で書き込みを始めるのを見届けて、俺はポニョプロモディスクを元通りケースに納めた。そして前回見せて貰ったアニメの二期を鑑賞することにした。
なんだかんだ陽太に言われた通り、見始めたら面白い。
国を離れて山に籠もり、誰も振らない剣を嘆く伝説の刀鍛冶フィルトと剣の達人ガンドーの友情を描くワンシーンに、胸がきゅっと締めつけられた。
『お前えの家、斬って良いか?』
『ああ、良いとも。良いとも。お前えの技が見たかった。誰も振らねえ俺の剣が、生きてる技が見たかった』
自分の家を粉々に切り刻まれて、フィルトは歓喜のあまり泣き叫ぶ。その見すぼらしい小屋は、引きこもって不貞腐れるフィルトの檻だったろう。派手に崩れ落ちる山小屋をフィルトは涙を流して、そして笑顔を湛えて見つめていた。ガンドーはなおも、とても流麗に、活き活きと、剣を振るっていた。その途中で、剣の縁を辿るように夕陽が赤く反射する。
なるほど、確かに思い返してみると、これまでに登場していた剣というのは、フィクションとしては不自然なほどに折れていた。けれどもフィルトの剣は、こうまで振るわれても欠けることさえない。
俺がアニメを見ている最中、陽太はノートに色々書き込みながらも、エンディング曲が流れている間だけは、補足的な解説をしてくれていた。この作品の楽しみ方などのアドバイスもくれる。
陽太はもう、かれこれ一時間以上はノートと向き合ってることになるわけだが、抱き枕は凝った仕上がりになるんだろうか。
「解説は楽しいな。将来はアニメ解説家みたいな仕事に就きたいとこなのだが」
アニメはもちろん面白くて、陽太も上手いことネタバレ抜きで解説をしてくれるから、俺はかなりキャラクターの心情を掘り下げることができた。ただ画面を眺めているだけではなくて、複雑な政治の話やら、それに巻き込まれる人々の気持ちやらを考察しながら鑑賞を続けている。
が、ある時ふと気づくことに、……なんだろう小さな罪悪感のようなものが俺の心に芽生えている。それがどうしてなのかと言われると思い当たることは一つもないが、一応、例えば、ミナコが今、どこかで何かの仕事を忙しくこなしていて、陽太は抱き枕の構想を頑張って練っているから、というのが、あるのかないのか、俺だけが夢中でアニメを見ているというのが少し引っ掛かったりはする。
俺の家でももう少しすればアンミが料理を始めるだろうし、こうなると確かに、……アニメに感化された挙げ句に一周巡って、もっと現実に目を向けて、必要なことをこなさなくてはならない気がし始めた。
エンディングのクレジットが流れ終え、次回予告が終わった後、俺は陽太へ「今日はこのくらいにしておいて、また今度見せてくれ」と言った。
「よくそんな中途半端なとこで切ろうと思えるな。まあ別に良いのだが。もう帰るのか?」
「夕食が……、あるからな。こう、ほら、本音を言えば見てたいが、そわそわ他のことを気にしながら見るのもアニメに失礼だろう?」
「アニメに失礼とかそんなシビアな発想でアニメ見てる奴の方が少ないと思うのだが。それはともかく帰るならお菓子残ってる分せめて半分は持って帰ってくれると助かるな」
「そうか?良いんだぞ別に。食べてくれたら」
「ご飯食べずにお菓子食べるようになると不健康に太るからな。健介の家保管庫にしてくれ。もういっそ全部持って帰ってちょくちょく持ってきてくれる方がありがたいのだ。せめて半分は持って帰ってくれ」
「ああ、じゃあ、そうする。またな」
レジ袋をとりあえず二つ押しつけられてそれを持って帰ることになった。まあ二人へのお土産にはなるか。俺はもう食べ飽きてたが、普通に喜んでくれたりするかも分からん。
陽太の家を出て階段を下りて少し歩くと、道路のど真ん中で散歩中のミーコを見掛けた。近場でうろうろして戻ってくるのかと思っていたが、意外と歩き回るんだな。さすがに朝からずっと出掛けっぱなしということもないだろうし、日に何度もお散歩に出るのか。
公園周りくらいまでなら俺の付き添いなしでも散歩コースになるようだった。
「健介、奇遇ニャ。今帰りかニャ?」
「奇遇、奇遇だな、まあ。……猫は道覚えてたりするのか?」
「このくらいの距離なら覚えてるというか適当に歩いてても戻れると思うニャ」
「迷子にならんというのはどういう仕組みなんだろうな。GPSが搭載されてたりするか?」
「GPS的な不思議な力で帰ることはできるニャ」
「磁場とかか?」
「超能力的なアレニャ」
まあ、方向音痴の人から見れば超能力的なアレなんだろうな。噂に聞くような猫の帰巣本能というのはそういう不思議なものだったりはする。
「健介、ミナコちゃんと遊んでたニャ?」
ミーコには事前にそういった説明をしているが、……今の今までそうしていたわけじゃないことを見透かしたかのような質問にちょっとぎょっとして視線を地面に落とした。別に嘘をついているわけでもなければ後ろめたく思うこともないわけだが、隠す前から言い当てられて説明にまごつく。
「前半は、な。後半は、またアニメを見ていた。すごく、面白かった」
「前半だけ?なんでニャ?」
当然そういった類の追加質問が来るであろうことは想定していた。一言で完結させられる良い答えというのが思い浮かばないから、いくつかを順序立てて解説することにはなる。そこで更に追加質問になるであろう中核部分の詳細を俺はまるで知らないでいる。
分からない知らないことは、正直に知らないと言うしかない。
「細かい事情は分からんが、ミナコはとても忙しいそうだ。それでも時間を作ってくれて午前中は一緒に遊んでた。とても楽しかった。午後は俺はアニメを見ていた」
「はあ。健介も午後から暇だったなら家戻ったら良かったニャ?」
「暇つぶしみたいに聞こえるだろうが、別に損した気はしてないな。陽太が解説してくれるし、良いアニメだった」
「健介がそれで良いなら良いけどニャ。なんというか、ミーシー放りっぱなしにしておくとアンミががっかりするニャ?」
「それもあるんだよな……。そう、アニメ見てた時にな。なんか急に時計が気になった。アニメ見てて大丈夫か俺は……、と思った。夕食作ってるくらいの時間だと思うが、……家帰って、もしいなくなってたらヤバイな。何がヤバイかは分からんが、ヤバイ気はしてる」
「お友達との時間も大事にすべきニャけど、アンミもミーシーもお家で待ってるから、そこも気にしてあげると良いニャ」
どうやらミーコはアンミやミーシーを気に掛けてやれと、それとなく俺に苦言を呈している。ましてアニメ見てぼうっとしているのなら、アンミやミーシーの方を心配してやるべきだ。やんわりとした忠告ではあったが、そこまで言われてようやく俺の中にあった焦りの正体が浮かび上がった気がした。
「そうだな」とだけ、返事をして、歩き続ける。
家の様子を聞いてみたりしたが、ミーコはせいぜい昼過ぎくらいまでの様子しか知らないようだった。それについてもミーコ的にはなんら感想もないようで、俺がいなくて二人が寂しそうだったなんてお世辞みたいなことしか言わない。
二人きりでの空気感とか、どんな話をしていたかとか、そういうのは判然としなかった。
少なくともミーコが見ていた限りでは、二人ともがほとんど部屋に引きこもったままで、昼御飯を食べる時くらいにしか言葉を交わしていなかったらしい。じゃあ、その昼御飯の時はどんな話をしていたのかと聞けば、そこでも楽しげな様子というのは知らされない。
ただ一つ気掛かりなことに、アンミの調子が悪そうだったと、告げられた。じゃあ、ついててやったらどうだったんだと言い掛けて、俺にはそんなこと言える資格がないことに気づく。




