五話㉑
「忙しい理由が仮にアルバイトだとして、そんな毎日毎日ずっとアルバイトして息抜きは一月に一度じゃなくちゃならないか?」
「…………。健介は、連続的に遊べないと不満を抱きますか?例えば僕がいくら二人と遊びたいと思っていたとしても僕の体は一つですので、そんなに同時にキャッチボールはできません。慌てて転がっているボール拾って投げ返した時、もしも誰もいなかったとして、それは僕が悪いのだけれども……。片方から飛んでくるのが爆弾であればそっちを優先して返球しなくてはならない。忙しいので一カ月遊べませんというのはたとえ話でいうのならそういうことです」
本当に困っているようにも見えたし、俺にとっては脅し文句のようにも聞こえた。
『無理、言わないでください。待っててくれないのなら仕方ないので諦めます』、俺が聞いた言葉はどこかしらそういう意味合いを含んでしまっている。
要するにミナコはその一カ月くらいの空白を一歩として譲るつもりがないことだけは分かった。一日や二日、たまたまかみ合わないだけの予定なら俺は何も気にしなかっただろう。次が約束されているも同然の仕方のないミスマッチに特にむきになるようなことはなかっただろう。
だが、こう続く。ミナコは、その台詞の後に、こう続けた。
「健介、陽太。言葉の揚げ足を取るわけではありませんが、あれはなかったことにしましょう。何かしら事情と理由があって、何かしら経緯と過程があって、それぞれ結果となる出来事があります。健介や陽太が僕とこれからも仲良くしてくれる事情と理由が、あの時遅刻したからや僕の悪口を言ったからでは不満足です。罰ゲームだからでは不満足です」
どういう意味で言葉が繋げられているのかを受け取るまでに時間が掛かったにも拘らず、俺はその続きを聞く前から、陽気な内容ではないことだけはしっかり分かった。声の調子や、その表情が、先に苦みを知らせている。
「そうするに足る十分な理屈がないのなら、それまでは反省や余興でも構わないかも知れない。が、けれどもしかし、その程度のことは僕がやむを得ず遅刻してゲームに負けたら終わりである上、……もっと、こう、言い方が分からない。遅刻もせずに罰ゲームでもないのに仲良くしてくれるなら、そちらの方が良い」
「元から……、俺が約束をすっぽかす前も、罰ゲーム云々の前も、何も今と変わらないだろう。別に罰ゲームだから仲良くしようなんて話じゃない。あってもなくても一緒なら、わざわざなかったことにする必要なんてない」
「はあ……、極端なことを言うと、法律で決まっているからという理由で異性と結婚しなくちゃならないけれども、それは法律で決まっていなかった場合から考えると妥協のように見えてしまいます。本当に好き同士で結婚するにも拘らず他人からは『法律で決まっているからあの二人は仕方なく結婚したんだ』と後ろ指を差されます。そして、当人同士も『法律で決まっているから女性、あるいは男性の中から選ばなくてはならなかった。もしかすると同性でより結婚したい人間がいたにも拘らず自分は妥協したのではないか』と葛藤します。この場合、そういう法律はない方が良いのではないかということです」
「ほとんどの人間が当てはまらない状況を例に出されてもな……。どこに共感すれば良いのか分からんぞ」
「まあ、峰岸。なんならそこら辺は別のに変えて約束し直しても良いのだ。とりあえず会える時言っておいてくれたら予定合わせるしな」
陽太の方が大人の対応なんだろうな。ここでゴネても困らせるばかりなんだろうし、実際、こんな不穏なやり取りは俺が余計なことを言わなければしなくて済んだ。別れ際に後味の悪い言葉を吐かせたことを反省すべきだろう。
「はい、それでは。また今度」
「ああ、またな」
微妙な表情を極力だけは取り繕って別れの挨拶を交わした。トントントンと早足で駆け去るミナコはすぐに曲がり角で見えなくなり、俺と陽太は無言で並んでその方角を眺める。
「彼氏でもできたのかもな」
「忙しい忙しいと言い始めた頃に一応それも聞いたのだが、その時は峰岸、健介が彼氏だと言ってたのだが?」
「それはおかしいな。俺は彼氏ではないな」
気の利いたジョークも思い浮かばなかった。このまま陽太の部屋に戻るとして、その後何をしてれば良いのか分からなかったし、かといって、帰るにせよ出掛けるにせよそれも気が進まない。
「あ、そうだ健介。健介がポニョを買いたくなる魔法の映像があるのだ。とりあえずそれを見てポニョ買うかどうか決めてくれ。ちょっと探すのは面倒なのだが、とりあえず見たらポニョ買いたくなるという、そういう映像なのだが」
「ポニョ。まあ、そんな大して構わないというか、俺が買うのが一番安全な気はしてるが」
「ここではむしろ渋ってくれた方が良かったのだがな。まずは映像を見てから決めてくれ」
「言っとくがCMとかなら俺も見たことあるぞ。あと主題歌も知っている。買うぞ、別に何か見せてくれんくても。それ見なきゃ買っちゃダメか?お前もお前で、俺の心配する前に抱き枕案件があるだろう。そっちの準備も必要なら手伝ってやる」
二人で歩いて陽太の部屋まで戻った。陽太は引き出しやら本棚やらから何枚ものディスクを開いて盤面の裏を眺め、これも違うあれも違うとうろうろ彷徨った後、「多分これかこれだと思うのだ」と二枚を机に用意した。
「そんな長くないと思うから多分こっちだな。パソコンで整理しておけば良かったのだがきっとこれだ。さあ、健介、ディスクを渡そう。リモコンを渡そう。再生してみてくれ」
「え……。ああ、ポニョ関係なんだよな。事前の説明はないのか?」
「いるか?事前の説明?結構前に俺がビデオカメラ買ったと健介と峰岸呼んで遊んだことあっただろ?その時の映像だな」
「ビデオカメラを買った?ああ、買ったけど、撮影はしなかっただろう。お前の撮影した映像なのか?」
「実は健介が帰った後にちょっとだけ撮影してたのだ。試運転的な感じでな。さあ、見てくれ」
手渡されたディスクのラベルは真っ白で、今のところ陽太が個人的に撮影したものということ以外何一つ分からない。そうなると、ポニョは関係ないと思うんだが、まあ特に身構えるものでもないだろう。
陽太がテレビを点けてくれたから、俺は再生機の方にディスクを挿入して、リモコンのボタンを押した。
「これで、再生、で良いんだよな?」
「ああ、チャプターとか作っておけば良かったな。ま、いいか。再生してくれ」
リモコンを少し持ち上げて、再生ボタンを押す。すると、テレビの画面が切り替わり見覚えのある公園が手ブレ全開で映し出された。一瞬だけ人影が映る。陽太がカメラを手にしていて、ミナコがその周りをぴょこぴょこ跳ねている場面なんだろう。
陽太がビデオカメラを買ったところまでは知ってるが、実際使ってるところを見た覚えはない。劇をやりたいとか映像作品を作りたいとかそういうことを言ってたが、結局全て頓挫している。頓挫している、……というよりは、俺の場合、その場限りのジョークだったんだろうと割り切っている。
少しすると空が映されて陽太がミナコからカメラを遠ざけようと上へ掲げたことが分かる。同時にゴォゴォと風の音が響いた。
◆
「まあ、落ち着いてくれ。別に峰岸が撮影するのは構わないのだが、撮影するなら健介がいる時に健介を撮って欲しいのだ。俺の思い出シリーズに俺が映っていてもなんにも面白くないだろ?」
「はあ、だがしかし、今健介はこの場にいません」
「あれ、撮れたら良かったな……。健介が……、うずくまって……、小声でバルスって言い直したシーンとか。あれは見る人によっては結構な感動シーンだと思うのだ」
「…………。ゴメスでも多分ラピュタは崩壊してたと思いますので、健介はそんなに落ち込まずとも良かったのではないでしょうか?」
「ははは、ゴメスじゃ崩壊しないだろ、峰岸。ゴメスでっ」
◆
「あ、健介、何故止めるのだ?まだ全然プロローグにすら入ってないのだが」
「これ、……そうか。カメラ買ったと言ってた時、それがあの……、ラピュタごっこの時か」
「健介が帰った後の後日談みたいな映像になるな。けどそこはまだ全然始まってないのだ」
「後日談を改めて見るとつらいな。お前が俺を騙したんだぞ、ゴメスだと言い出したのはお前だ」
◆
「ゴメ……っ、ぷっふふ、はは、ゴメス……っ」
◆
「あ、ちょっと健介。何で一々止めるのだ。すぐ本編入るから少しは我慢して欲しいのだが」
「お前に騙されたからだ、ゴメスと言ったのは。ちなみに言っておくが俺は用事があって先に帰っただけでゴメスが恥ずかしくて逃げ帰ったわけじゃない。その辺はお前も分かってるよな?」
「よく覚えてるな、健介。まあ、しかし当時の俺に全く悪気はないのだ。ちょっと健介のマジ顔ゴメスがツボに入ってしまっただけで、決して馬鹿にしているわけじゃないのだぞ。ちょっと、ふっ、ゴメスが、っ、ぶふっ」
「……分かった。悪気はなかったんだな」
◆
「陽太のカメラで撮影テストを行っています。いつもであれば健介もいます。健介は一時間程前に天空の城ラピュタごっこをしていた。しかし、台詞を間違えてしまい落ち込んで、三十分程前に帰宅しました。家に帰って大学のレポートをやるそうです。陽太と話したのですが、今度はポニョを陽太の家で一緒に見て、うろ覚えだったら何回か見て、そしてポニョごっこをしようということになりました」
「ん?なった、というよりだな、一応映像記録的に正しさを補足しておくと、健介この調子だとポニョごっこやろうと言っても付き合ってくれんだろうなという話を峰岸としてたのだ」
「はい。なので何回か見て、うろ覚えじゃなくなったらポニョごっこをしようということになりました、ということにします。もしかすると配役で揉めるかも知れないので、何度かその前に話し合いをしなければなりません」
「健介、駄々こねそうだな。ポニョ役させてやるか、仕方ない奴だな」
「うずうず……、ポニョごっこがやりたい。けれども、そもそも僕はポニョがなんなのかすら知りません。何がどの辺が見どころなのかさっぱり分かりません。正直ぽにょという柔らかそうな音の響きでポニョごっこやりたいと言っています。例えば妙雲如来とかも実際がなんなのかは知らないのですが……。その正体や魅力についてはまるで知らないものの、触ったら柔らかいだろうという程度のことは分かっている。そしてですね、僕は偶然にも主題歌を聞いたことがあります」
「どの道、ポニョの映画見るなりしてからじゃないと何が何やら分からないごっこ遊びになるしな。健介がポニョ買ってきてくれると良いのだが。じゃあ峰岸、ポニョのプロモを作って健介に興味を持たせるという作戦にしよう。カメラあるからな」
◆
「ここから、ようやく本編か……。こいつら二人はポニョ見たことない癖に、ポニョごっこの推薦プロモーションを作ろうとしてるのか?ツッコミが完全に不在だったな」
「いや、俺はCM見たことあったし、峰岸も主題歌は知ってたぞ。そして、柔らかいことは分かっていると言ってるのだ」
「語感だけでな。同じように語感だけで柔らかい扱いされてる妙雲如来は仏様だぞ。あと、ポニョの話題というのを俺は結局今日までお前らから聞いたことがない」
「まあ……、ある意味、ある意味というか大部分が、……先にオチを言うのもなんなのだが失敗作だからな。ポニョのプロモとしては成立してない部分あるからな」
◆
「曲は知っている。あー、あー、でもでも、うろ覚えである。うろ覚えだなあ。まあけれども別にうろ覚えで構いません。全然問題ありません。これは仕方のないことです。とぅーん♪とぅとぅとぅとぅ♪」
『ローボ、ローボロボ♪魚の目っ♪』
◆
「あっ、すまん。陽太。反射的に指が動いてしまった。気づいたら一時停止を押していた。だが、……一時停止押した後に、俺はいくつか聞きたいことができたんだが」
「健介、折角こう、歌入ったのにか?そこはさすがに続けて聞いて欲しかったのだ」
「ああ、すまん。だが、……だが、ミナコは、主題歌は知っている、と言ったんだよな?ポニョの、主題歌をだよな?」
「そうなのだが?」
「ロボ?ローボ、ロボ♪言ってなかったか?ロボ、じゃないよな登場するのは。……ポニョだよな?」
「もう……、一々止めてたらテンポ悪いだろ。それは後で解決されるから一通り見てから感想言って欲しいのだ。ほら、リモコン俺が持ってることにする。ほい、再生」
◆
『死んだー、魚のー♪濁ぉってる目っ♪』
『ローボローボロボ、ジャカランダっ♪熱帯っ地方のっ、木のなまっえ♪』
『るー、るーるー、るー』
『ふーらふら、よぉーぼよぼっ♪はしって良いか?だ、めぇだよぉ♪』
『びーくびく、おぉーどおどっ♪かじって良いか?ぁうん、だよね……♪』
『あの子にー触るーとぉー♪バイ菌うつるーよぉー♪』
『そぉんなことないやいっ♪そぉんなことないやいっ♪』
『ろぉーこぉーつーなーネ、ガ、キャンー♪』
『真っ赤っかーのぉ♪』
『ローボローボロボ♪魚の目っ♪死んだー魚のっ、濁ぉってる目っ♪』
『ローボローボロボ♪ジャカランダっ♪熱帯っ、地方のっ、木のなまっえ♪』
「以上。ポニョの主題歌でした。ポニョ見たくなることを期待します」
「…………俺も正直内容知らないのだが、ロボは登場しないよな?」
「うんうん。おそらくロボは登場しないです。しかし、ポニョもパっクパっクチュギュっも固有名詞ですので。意味の伴わない音の羅列は非常に覚えづらいものです。ものである、はずです。なので、この場合はうろ覚えでも仕方ありません」




