二話②
「…………健介は何か悩んでる?」
「俺の台詞だ。お前らが何か悩んでるんじゃないのか?」
「悩んでる?私たちが?」
と、アンミは少し驚いたように言った。まるで思い当たるところがないかのように、ちょっと首を上げて、なんなら考える素振りをしてみせて、そうしてから首を傾げた。続けてカップに口をつけてお茶を飲んでいた。
俺からの踏み込んだ質問に対して動揺した様子もないし、少しのぎこちなさも感じない。
別に悪いとはいわないが、アンミはアンミで図太くはある。あまりに自然にやって見せるからツッコミどころがないように錯覚してしまうが、他人の家で家主にお茶を出して悩みを聞くなど普通あり得ない馴れ馴れしさだろう。昨日出会って今日の振る舞いとは思えない。
「蒸し返して悪いが……、住まわせてくれというのは、……何かしらこう、今までのお前らの生活に、なんだ、問題があってということじゃないのか?」
「別に大したことじゃないと言ったでしょう。引っ越しする人全員に理由があるわけじゃないでしょう」
「いや、引っ越しじゃないだろう。仮に引っ越しにせよ、大概理由はあるだろう。大したことかどうかは聞いてみなきゃ分からん」
「聞かなくても分かるように教えてあげるわ。大したことじゃないのよ。住まわせてくれると言ったでしょう?それだけはっきりしてたらこっちもそれ以上のことお願いしたりしないわ」
「そりゃまあ、住めりゃいいという話なんだろうが……、お前らにとってもこれが最良というわけじゃないだろう。俺が間に立って解決してやれる話なら」
「ううん、違う」
俺がまだ言い掛けているところで、アンミがぴしゃりと言葉を切った。何が違うのかも分からんし、何故そうして俺の話しているところで割って入ったのかも謎だった。
俺が解決できる話じゃないというつもりなのかと思って恐る恐る、「何が違うんだ?」と尋ねる。軽く気圧されるくらいにははっきりとした口調だったし、何かしら意思を秘めての言葉のようにも思われた。
「私、住めれば良いなんて言ってない。ミーシー、私、ね?仲良くしてくれる人を探してって言った」
「……?」
俺に向けてというより、アンミは首を捻ってミーシーを見つめてそう言った。俺もその視線を追うが、ミーシーは特にアンミの方を向き直るでもなくそのまままっすぐを見たまま、「そうね」とだけ答えた。その確認に、俺だけは置いてけぼりのままだ。
多分だが要するに、アンミは寝泊まり先について追加的な注文をしていたということなんだろう。なんなら俺に期待するところは、口うるさく事情を問い質そうとしない寛容な姿勢だったりするのかも知れない。と、思っていたところに、アンミはこちらへ向き直って「だからね」と言葉を続けた。
「だからね、どこでも良くはない。健介が優しくて良い人だからここに住みたい、それに、あと……」
「それはまあ、そう言われると……、なかなか強いプレッシャーだな……。あと、なんだ?」
ここまでで結構、有無を言わせない強引さというのがあった。戦略的なものだとは信じたくないが、アンミは家出の事情などまるで些事だと言わんばかりに話題を変えてしまっている。本筋以外で揚げ足を取るようにして、まるで俺を選んだのだというような説得に掛かっている。
何も俺は泊め置かない理由を挙げようとしたわけじゃないのに、……事情を軽く尋ねようと思っただけなのに、俺が間違っていると指摘を受けてしまった。加えてそれは、おっとりさを感じさせない強い姿勢での発言だった。
「あとね。あの……、ずっとこの家にいるのじゃなくても、いつまでも仲良くして欲しい。ここが一番良い」
……話をすり替えるなと、言いたいところではある。実際のところ、これがミーシーからの要望であったり、あるいは気心の知れた人間同士のやり取りだったなら、俺はある程度思慮を心掛けながらも、『そういった話題じゃなかっただろう』と告げられたはずだ。
ただし、ことアンミに限って、そんなふうにまっすぐに俺を見て、縋るように要望を述べられて、論点ずらしだと言えるほど、冷酷になれない。
「それはこっちとしても、そうだな。お願いしたいところだな。仲良くというところは……」
一旦はアンミの話に付き合ってそう結論付けざるを得なかった。咀嚼してみたところで、別段アンミの話にノーを突き付ける理由は見当たらない。確かに、……何かしらの問題が解決して、俺の家から二人が出て行くことになったとして、その後も仲良くしてくれた方が良い。もう用済みだから無関係だと言われるのはつらいかも分からん。今、現状は単なる都合の良い宿屋だとして、仲良くしてくれるならその方が良い。俺も別に、ビジネスライクなクールな関係を望んでいるわけではないだろう。
「うん、良かった」
「…………」
ということで、話に一区切りがついた後、『それはそれとして』とか『だからといって』と言葉を繋げるのは難しかった。それをまた言い出すのは野暮だろうとか、ついさっきそれで険悪になり掛けただろうとか、そんな注意を受けておかしくない空気になってしまっている。俺がそう感じるだけだろうか。
「お茶もっといる?」
「ん、いや、大丈夫だ。ありがとう」
「じゃあ片付けてくる」
「ああ頼む」と言ってカップを渡した。アンミはミーシーからもカップを回収して台所の方へと歩いていく。
「そう気にしないで、良い家政婦が来たとでも思ってなさい」
「……お前の方がむしろ取り繕わず話せるのかもな。俺はつい昨日まで平穏な、特に不自由もない大学生活のレールにいたんだ。何も考えなくてもとりあえず卒業まではできそうな……、そういうレールに乗ってたはずだ。いきなり俺のレールに石が積まれ始めてないか?家出少女を二人も受け入れてしまった。しかもだ、魔法少女をだ」
「魔法少女とかいうダサイ言い方やめなさい」
「じゃあ、……魔女っ子か?ちょっとはこっちの方がポップな言い方か?お前からすると」
「どこら辺がポップなのよ。普通に魔法使いで良いでしょう。それに普段生活してる分には単なる女の子でしょう」
「……単なる女の子でも十分大事なんだ、俺にとっては」
「平常運転してなさい。私は厄介事に巻き込んでるつもりはないのよ。あなたのつまらないレールの上に石が積んであったとしても、なんなら魔法でほら、きらきらのダイヤとかにしてあげられるわ」
「レールの上のをか?障害物をダイヤに変えて貰ったところで俺の人生が脱線事故しないか?」
「しないわ」
「…………そうか」
「何かしら見返りが欲しいというなら、考えときましょう。ダイヤは今すぐは無理だけど、お金に困ってるならしばらく援助してあげるし、ダイヤ出せる子もその内ここに置いてあげるわ」
「なんだ、増やすな。お金に困ってるわけじゃないし、ダイヤもいらない」
「でも無職になってしまったでしょう?お金の問題なら解決してあげられるわ。それ以外の問題もまあしばらく待ちなさい。そんなに心配することはないのよ」
「…………。お前らの家出問題は、俺と同じように、時間が解決してくれるということか?」
お金を援助してくれるなんて申し出があった。家出の原因は借金取り問題じゃないのか。
「というより、考え過ぎたり心配し過ぎると損するわと言ってるのよ。あなたは心配性で言い聞かせても聞く耳も持たなくて無駄に落ち込みがちなところがあるでしょう。悪い癖だからちょっと時間を掛けてよく考えてみなさい。修行をしなさい。落ち着いてゆっくりと考えてどうにかできることとできないことをちゃんと切り分けて、必要だと確認できたことに取り組みなさい。うじうじ悩んでくよくよしてグチグチ言ったところで何も良くなったりしないわ。なんで叱られてるか分かってないでしょう?人のこと気にする前にまずしゃんとしなさい。それだけよ、私が言いたいのは」
「…………。なんで叱られてるのか分からない」
分からないながら、俺の性質を見透かしたような叱咤だった。実のところ、確かにおろおろ取り乱している。努めて平静を保とうとはしているものの、一刻も早く不安の種を取り除こうと内心必死だったりはする。問題の当事者がこうも堂々と構えている隣で、俺はヒントの一つもないままに気苦労を背負っている。
「健介……、猫ちゃんどこにいるか知ってる?」
「ん、……俺は知らんぞ。いないのか?」
「いないかも。ミーシー知ってる?」
「そういえば家出中だったわ。ちょっとしたら捕獲しにいきましょう。公園で木登りしてるとこでしょう」
「えっ、猫の話か?外にいるのか?」
ミーシーは平然と答えたが俺は一拍二拍、思考が理屈に追いつくまで時間が掛かった。拾った猫が行方不明で、どうやら家の外に出てしまっている。そこまでは分かる。どうやら家の中にいないようだから探しにいきましょうというのならすぐ分かる。
ミーシーは、猫の行方を、知っているかのように話した。そして事実、知ってはいるんだろう。猫が家出して公園にいることを。……予知か。どうして未然に止めないものなのか。俺の思考がもつれたのはそこだった。猫が脱走するのを事前に知っていたのなら当然、それを止めるだろう。ミーシーが親切な人間ならではあるが……。
「そうよ。暇だし付き合ってあげるわ」
「アンミが気づいてくれて良かった。言われるまで気づかんもんだな」
ミーシーが脱走を食い止めなかった理由について、触れるべきなのかは悩んだ。未来を見通すのに途方もないエネルギーを消耗するから普段は使わないというものなのかも知れないし、たまたま偶然、猫が逃げ出すのを予知していながらうっかり忘れていた可能性もある。でなくとも、猫が脱出したタイミングが悪くて予知をかいくぐってしまったというのもまああり得ない話じゃないだろう。なんにせよ、ミーシーに文句言っても仕方ないな。俺とアンミでだったら予見どころか発見すら困難だったはずだ。
「じゃあ探しにいく?」
「そうね、行きましょうか」
「公園で良いのか?予知で知ってるということで良いんだよな?」
「ちょっとしたら見て分かること聞かなくても良いでしょう……。昨日の夜からお出掛けして公園辺りを彷徨って、何考えてるのかは知らないけど木登りして下りられなくなってるところよ」
「そ、……そうか」
「冷酷無情な人間だと思ったでしょう。躾の一環よ。口で言っても聞かない子は失敗してちゃんと学ばないと序列も分からないでしょう。猫相手でもちょっとくらい恩を売っておくのも悪くはないと思うわ、一緒に暮らすなら」
よく考えると俺の交通事故も未然に防がれてはいないな……。まあそのお蔭で猫の命は助かったということにはなるんだろうが、邪推しようと思えば邪推できてしまう。
「……そうか。まあ、じゃあ、探しにいこう。助かる。お前の能力がなかったら行方不明のままだったのかも分からん」
「心のこもってないお礼は結構よ。ふらふら無駄に出歩く時間短縮してあげただけよ」
確かに釈然としない部分というのがあった。心を込めたお礼ではなかったように、自分でも感じた。こういうところが嫌われる原因だったりするんだろう。今後はちょっと気をつけるか。
俺とアンミはしばらく居間をうろうろ歩いてミーシーが立ち上がるのを待った。公園にいるということなら、先に出掛けても構わないはずだが、少なくともアンミはミーシーからの号令なしに出発する様子はない。俺もそれに倣ってミーシーを眺めて棒立ちしたり、体を捻って準備運動をしてみたり、一度階段の方まで巡って玄関を抜け、また居間へと戻った。
ミーシーもおそらくそのうろちょろ具合が鬱陶しくなったんだろう。仕方なさそうにソファから立ち上がり、無言を保って玄関の方へと歩いていった。
俺とアンミはその後ろへとつき外へ出る。ミーシーはピンと背筋を立てて歩いてはいるものの、特段急ぐ様子もない。当然のように最短の道順で公園を目指して先を進んでいく。先頭を歩くミーシーはまるで考える素振りがない。アンミも道中きょろきょろと首を振るわけでもなくミーシーの後ろについたままだ。
冷静に考えてみて、これは大いに不自然な行進だろう。俺はまだ予知の正答率を百パーセントだとは思っていない。草むらにトラ柄が紛れていないか視線を彷徨わせてみる。もしかすると、公園は候補地であって、猫のいそうな場所であって、必ずしも猫がいると断言されるはずもないわけだから、予知というのはこう……、占いやそういった種類のものだったりしないだろうか。
よしんば、昨日は的中率百パーセントを誇ったものの、日によって精度にばらつきが出るもんじゃないだろうか。それはまあ、俺の願望でもある。むしろ外してくれたら、俺は今まで生きてきた世界の常識が少しばかり守られたような気がして、安心するのかも知れない。
途中、猫の行方の手掛かりらしきものは見つけられなかった。そうこうして公園に辿り着いたが、ミーシーはフェンスの外側を巡るつもりのようだった。そして……、またほんの少し歩くと、『ニャー……』とか細い間抜けな猫の声がどこからか聞こえてきた。