五話⑫
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『ミナコはナゾナゾが苦手だった』
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『パンはパンでも食べられないパンってなーんだ』というのは順当に、誰でも聞き覚えのあるナゾナゾだろう。
少なくとも俺はこの世の中でもっともポピュラーで難易度イージーなナゾナゾだと思っている。だがそれがもしも、初めて聞くナゾナゾであったのなら、どの程度難しいものなのか。
フライパンというのは確かに食べ物ではない。あんパンやフランスパンが食べ物であるなら、フライパンというのも揚げパンのような名前付けがなされている可能性は捨てきれない。でも食べ物じゃない。
答えはフライパンなのだと、論理的な思考の基、答えに辿り着くことができるものなんだろうか。俺は単にそのナゾナゾの答えをどこかで聞いたことがあるだけで、あらかじめ答えを知っているだけで、……解いた覚えというのはない。
だがどうしてか『その日』までは、そのナゾナゾがこの世で一番簡単なナゾナゾだと信じていた。
帰り道に町立の図書館で涼んでいこうとミナコを誘って、俺は冷風がよく届く場所を探しながら適当な雑誌を手に取って席に腰掛けた。
しばらくするとミナコは低年齢向けといって差し支えない、表紙に動物のキャラクターなんかが印刷されている本を持ってきて俺の隣で表紙を捲る。俺は別にミナコのことをずっと観察していたわけじゃなく雑誌をパラパラ捲っていた。
俺がペラリと捲って、また俺がペラリと捲って、それを何度も繰り返している間一向に、ミナコの方からページを捲る音というのが聞こえてこなかった。そのことが気になってミナコの方へ視線を向けると、ミナコは他ごとをしてるわけじゃなくずっと、本の一ページとにらめっこを続けていた。
しばらくすると同じ姿勢に疲れたようで、ミナコは本を机に置いて、こう、呟く。
「パンはパンでも、食べられない……。られない?」
何気なく首を持ち上げて、机に広げられた本を覗き込むと、そんな文章が大きな文字で書かれていた。俺は少し考えてそのまま自分の読書に戻ったが、頭の中では必死にフライパン以外の答えを探し始めている。
だが、どうしてもフライパン以外が思いつかないままだった。五分経って、十分経って、「……そんなものはない、という何かこう、哲学」と、ミナコはぼそりと首を傾けながら言った。
「…………。哲学なわけないだろう、お前はなんだ?さっきからずーっとそのページのままだと思ったらそれの……、そのナゾナゾが分からなくて次のページに行けないのか?」
「この本の著者は明らかに僕に対して挑発的なので、じっくり考えなければならない」
この本のタイトルは、『おうちのいろいろ』とか大体そんな名前だったはずだ。そして、見開きの左側がナゾナゾの一文で、右側にはフライパンに腕と足を生やした奇妙な生物が『ぼくだよー』と元気一杯に吹き出しでヒントを出してくれていた。
「ミナコ……、パンはパンでも……、食べられない、パンだ」
「衛生的にですか?」
「衛生面は関係ない。衛生的には何も問題はない」
「『毒が入っています』と書いてあるか、あるいは他人の所有するパンです」
「そりゃ、食べられないが……、毒は入っていないし、自分が所有していても食べられないものだ」
「……その時食欲がなかった」
「食欲があっても、好き嫌いがない人でも、食べられないパンだ」
「食べようとしている時になんかすごい、周りの貧しい人にじっと見られていたりする」
「あのな、どんなリラックスしていようが食べられない。食べる側の人間の問題じゃない。ナゾナゾなんだ、これは。硬くて、かつ、食べられない、何とかパン。ちなみに古くなったパンでもない。新品でも食べられないものは食べられない。硬い。硬くて、食べられないパンだ」
「パン自体が硬い?入れ物が硬くて食べられない?乾パンやフランスパンはおそらく硬いけれど食べることはできる」
「その何とかパンというのはそもそも硬いものなんだ。ええとな……、実は食べ物、じゃない。単になんとかパンと、最後にパンがついているだけのそういう名前のものが何かという問題だ。金属製の、何とか、パン。あるだろう?」
「金属、の内、硬い材質。食べ物じゃない。なんとかパン。んん?最後にパンがつくということか?んむ、いまいち納得はいかないけれども答えは分かりました」
「なら、良かった。ナゾナゾというのは言葉遊びみたいなものだ。発想力を求める問題だ。とにかく良かったな。答えはこの、」
「……鉄板」
「…………。この、次のページの」
「鉄板」
「鉄板、か。鉄板。……なんか、いや、合ってる?てっぱん?このな?お前から見て右側のページのぼくだよーと言ってるこれは何に見える?これはヒントだと思うな俺は。文章だけの問題なら鉄板でも合ってるかも分からんが、この右側の奴はフライパンに似てると思ったんだが、その」
「あー……。ふぅん……。鉄板でも条件は満たしているというのに。…………。くそぉ、……こいつさえいなければ。じゃあ、フライパンですけども」
「そうだな……」
何もわざわざ、口出ししてやる必要はなかったのかも知れない。ミナコが一生懸命考えているんだから、横からごちゃごちゃとヒントだなんだと口を出すなんて真似は『すべきじゃなかった』。
俺はまだこの時は、ギャグだと思ってたんだろうな。ギャグでやってるんだと、思い込んでいたんだろうな。
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「お風呂っ!」
「即答だ……。陽太は頭が柔らかいな。じゃあ、……じゃあですね、……名字はオオハシ、名前はタケシ。だーれだ……」
「オオハシタケシだろ……。誰か知らんが」
「即答だ……。パターンが変わっているというのに今度は健介が即答だ……。理解できない。コツとか訓練とかがありますか?」
「子供向けのナゾナゾの本でも読んでおけば良い。昔ながらのナゾナゾは子供時代とかにもう答えを知っているものだ。ナゾナゾ解くのが難しいのは最初の一回だけだろうから、なんならチャレンジしてみても良い」
「そして俺は詩人のように感性豊かだからな。詩的な表現を嗜むものだから、大体そういうのはぱっと分かるな」
「はあ、なるほどなるほど。健介のはなるほど。陽太のはよく分からん。陽太が抽象度の高いカテゴリの分類が目茶苦茶な文章を書いているのを見たことがある。陽太は出題者としては向いているのかも知れませんが、他人の心象まで相互に変換できるわけではない。それが生まれながらの感性だというなら品のない比喩表現に精通しているとはいえる。すっきり爽快爽やかレモンスカッシュで一踏ん張りというのがそれである。言ってる意味が分からなくて困ることはありますが、それで陽太がナゾナゾが得意で詩的な表現に長けているという証明にはなりません」
「おしっこ一杯出たー気持ち良いーというよりはオブラートに包んだ表現してるのだが。中にはそういう下品なのもあったかも知れないのだがそれは水に流して欲しいのだ、トイレだけにな」
「……トイレだけにな」
下品な話題だなどと言い出すと、じゃあ上品な表現例を挙げろなどと返される。余計なことを言わなきゃ良いと言えば、発言するななどとはあまりにひどいと返される。
この集団においては、さすがに耐性もあってよほどのことでない限りツッコミなどもないが、他のコミュニティでも二人はこんな感じなんだろうか。二人と話す俺以外の誰かはどう感じるものなんだろうか。
トイレに行きたい時は黙って行けば良いし、トイレの後の感想などを聞かせる意味がないと、そう思うのはここでだけは、俺一人のようで、つまりは少数派意見ということになる。咎めようもないし、議論を深めるつもりもない。
「ではもっともっと難易度を高めます。ペンとメモ用紙を借ります。陽太へ出題です。どうですか?分かりますか?」
メモ用紙に書き綴られた内容はこうだった。
『よるうるたるはるばるかるでるする』
それだけではまだ問題として未完成ということなのかミナコはぐにゃりと潰れた宇宙人の顔らしきものを隣に描き「ヒントはこれです」と指さした。ご丁寧なことに、矢印で『ヒント』と説明されている。
むしろヒントの方がより一層に難度が高い。一体こいつの正体はなんなのか、何を表そうとして失敗したのか、目か耳から飛び出ている毛はなんなのか、口らしきところにある丸い物体は歯なのかそれともその小さい丸が口で、大きな丸は模様なのか、全てが謎に包まれている。
「…………。ヒントがむしろ謎なのだが」
「ブブー時間切れです。ここにはこう書いてあります。『陽太は馬鹿です』、実はここに動物が描かれています。『るぬき』という動物です。たぬきの亜種です。いぬ科たぬき属るぬきです。なので、文章から『る』を抜いて読まなくてはなりません。そうすると陽太は馬鹿です」
「描かれているのがたぬきじゃないのは分かるんだが、本当にいるのか?るぬきという動物が、この世界に」
「るぬきという動物はオリジナルです。ですが、たぬきというのは昔から何か別のものや動物に化けたりすることができると信じられていました。それが例えば実在の動物であるとは限りません」
「峰岸の言うことも一理あるな……。文字化けという説もあるな」
「るぬきという動物はこんな感じなのか……」
「るぬきは置いといて、チョコ開封やって良いのか?折角だから無意味に机に積みたいのだ」
「楽しそうですね、意味がないなどということはありません。是非積みましょう。ポニョはどうなりますか、保留ですか?」
「峰岸に住所貸すとトラブルに巻き込まれかねないのだが。なんかまだどっかで買ってきてくれと言ってくれた方が全然安心だったりするのだ。峰岸が家の事情で買えないなら、俺と健介とで協議するからちょっと次まで待ってると良いぞなあ健介」
「結局俺も巻き込まれるのかそれ。宛先がお前の家になるというだけだろう?」
「クレジットカード貸すからという流れでだぞ?俺はそういうのは怖いからやりたくないのだが」
「……じゃあ、今現金持ってるぞ、ミナコは」
「十万円持っています」
「十万円持ち歩かせて大丈夫な人間なのか、峰岸は。金のやり取りするのも嫌なのだが、その上峰岸が現金持ち歩くとかろくなことにならないのだが。なんのために現金持ってるのだ、ああ、買い物行くからか?健介が買うだろ?どうだ健介、買い物してきてくれと言って十万円持ってくる奴なのだが金銭管理に関わりたくないと思うのが普通じゃないのか?」
「……そうだな、まあ、後で協議しよう。金で揉めるのも嫌だしな」
通常であれば貸した額が備忘録のミナコ付きで明らかなら、トラブルになったりなどしないはずだが、『じゃあ健介に貸します』などとやられると確かに何故だかものすごい不安が付きまとうことにはなる。
その不安の根拠が一体なんなのかをこの段階で言い当てることはできないが、どうしてかミナコから金を受け取るのは避けた方が無難だというのは納得せざるを得なかった。
これからも買ってきて貰うから持っておいてくれと十万円を渡すかも知れない。金銭を渡しているので、対価としてこれくらいが妥当だと思われることをやってくれと言い出すかも知れない。それ以外にも何か突拍子のないことを言い出してお金にまつわるトラブルの種を生み出す可能性が否定しきれない。
であればまだ、カード決裁をしてくれた方が良い。約款で縛ってカード会社がそのリスクを負ってくれるならそれに甘えるべきだ。
「トラブルになどなりませんが」
「まあ気持ちの問題というのもあるから」
騙す騙されるであったり損得というのとは別の、なんとなくの気分や心証の部分がネックになっている。僅かとはいえ言い争いになる可能性があるのなら、それは嫌だなと思うもんなんだろう。この件で陽太がケチくさかったり面倒くさがりだという感想はもはやない。
買っといてやるなり、レンタルしておいてやるなりした方が気が楽だ。
「とはいえ、健介は前回の待ち合わせすっぽかし事件のことがあるからな。そういうハンディを負っている以上、峰岸の言い分というのを聞いてやるべきだとは思うのだ。あと俺もな、峰岸に手伝って貰っていたレポートの三割程度がA評価で返ってきた。その内の七割は俺の実力だと思うのだが」
「どっちの七割でしょうか?」
「その件で峰岸にお礼をしなければならない。が、お金がないので、このお菓子で我慢してくれ、峰岸?」
「俺が買ってきたやつだ。自分のノルマを減らそうとするな」
「で、ポニョはまあ別途協議をすることにしよう。納得してくれると良いのだが」
「まあ協議してくれるなら一旦納得せざるを得ません。前向きに検討してください」
後でじゃんけんでもして担当者を決めることにはなるだろう。メジャータイトルだけあって探せばどこにでもありそうなものだ。




