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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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五話⑧


 ダッと駆け出すのかと思ったが別にそこまでぎりぎりというわけでもなかったようだ。ちょっとピョンピョン跳ねる小走りを続けている。先に行ったのに追いついてしまうのも何か気まずいだろうと思ってペースを落として歩くことにした。それでも結局せいぜい信号一回分の待ち時間くらいしか短縮されなかったんだろう。


 ミナコが店に入るまでの間、ずっと俺の視界にミナコの姿が映っていて、その間に……、久々にミナコと会ったからだろうか、やはり完全に、ミナコちゃん受容体というものの存在を体感していた。


 幸せそうなやつだ。幸せそうに見える。


 それは見てるだけで、俺の心を落ち着かせてくれる。でもどうして、俺はそれを心地よく思うんだろう。店の角にすっとミナコの姿が隠れた瞬間などはより顕著に、俺の幸福バロメーターが目減りした。


 そうするとそれはどうやら言動によってもたらされるものじゃない。それを立証するかのように数々の思い出の、どこに大切な要素があったのかを、ほとんどの場合、これだと決められずにいる。


 ともすれば『いてくれるだけで良いんだ』というようなロマンティックな結論に辿り着くのかも知れない。そんな投げやりな答えの方が辻褄が合いやすいのかも知れない。


 ただし、実際の、この仕組みというのはおそらくもっと複雑なものなんだろう。完成された庭園や名画の統一性を、部品ごとにバラして誉め称えることがないように、いくつもの何かと何かが相互に際立って価値を決める。


 その絶妙な色合いや配置が、俺の心を落ち着かせているように思える。それをどうにか言葉で説明できれば良い。そうすればきっと俺はその何かと何かのバランスを、お世辞抜きで誉めてやることができる。


 横断歩道を渡って駐車場を抜け店に入ると、トイレの前でミナコが一人で待っていた。先に物色しててくれても良かったが、まあ探す手間を考えて待機してくれたのかも分からん。


「ロボいないか見て回ってても良かったんだぞ?いないんだけどな」


「ロボはもう諦めています。ですがですね、もうこれはかなりワクワクしている。お菓子を買うということだったのでお腹を空かせてきました。缶ジュースが一本およそ百円です。十万円もあれば……、相当なお菓子を手に入れられると思っています。ふふ、ふふふ」


 大層幸せそうな思考をしていて、大層幸せそうに見える。


 だが何故そう見えるのかが、俺には分からない。わざわざ何度も持ち出してあれこれ言う必要はないにせよ、せめて一度は、俺に対して冗談めかしてでも良いから、怒ってくれるべきだった。


 俺が約束をすっぽかして待ちぼうけを食らったんだから、意地の悪い皮肉の一つでも聞かせてくれたら良い。そうしないことがとても不自然に思えてならないし、逆にいえばこうして、常に貼りついたようなわざとらしい笑顔が、作り物なのではないかと疑いが芽生える。


 楽しくても悲しくても笑っているのなら、理由もなく笑っているのなら、俺はその笑顔をどう喜んで良いものか。当のミナコにはそんなつもりはないだろう。楽しいから笑っていますと答えるはずだ。でも見慣れた笑顔に、俺のお蔭だと胸を張れるようなことがない。


「十万円も持ってきたのか?お菓子買うだけなのにか?」


「ここから見える光景から察するに商品ごとに値段が書いてあります。見て回って順番を決めて割り算をします。僕の予算は十万円だけれども健介が好きなように見積もりを貰ってください。問題があれば何個かは諦めるかも知れません」


「……十万円持っていってお菓子の値段交渉するのか?俺が?俺の役割になるのか?見積もりを貰うのは。じゃあまず聞いてくれ。一般消費者はよほど高価な家電を購入する時であっても滅多なことで見積もりなんかを出させたりしない。そして、お菓子買うのに万円という単位は滅多に使われない」


「とりあえずお店に入りませんか?」


「そうだな」と呟いて自動ドアを抜けてお菓子コーナーを目指して歩き始めるが、やはり物珍しいのか惣菜コーナーやら青果コーナーを興味深そうに見ている。やむなく足を止めてミナコの後ろについた。


 これが商品の最終値段であるから値引き交渉などはできないものだと教えるべきかも知れないし、野菜がこの値段だからやはりお菓子にせよ何万円も使うような買い物にならないと言うべきなんだろう。


「俺が高校生の時にアルバイトをして初めて給料を貰った時、自分でも後で思い返して恥ずかしくなるテンションで……、買い物カゴ二つ分山盛りにお菓子を買った。だがそれでも結果、一万円にまで到達しなかった。そしてだ、俺はそのお菓子の在庫を三カ月以上掛けて消費することになった」


「へぇ。なるほど。分かった。分かったけれども、足りないよりは余った方が良いと思うので最終的には実際見て多めに買います。僕もそんなお菓子食べないし健介もどうやらそんなお菓子食べないようだ。ただし、陽太が相当に予想を上回ってお菓子を食べるかも知れない」


「まあ……、実際見れば分かるだろうな。百円で五十グラムのチョコだとするだろう?そしたらな、えぇと、十万?十万割る百円掛ける五十グラムだ。何グラムのお菓子が買える?」


「五十キロ。ごじゅっ、きろぐらむー♪」


 五十キロか。なるほど持ち運びすら困難だな。重量的にミナコと大差ないんじゃないだろうか。そしてそれをどうやって運ぶのかをまるで考えていなさそうな元気の良い返事だった。


 諫めるためにはどうするものか検討しながら惣菜を見て回る。


「ああ、五十キロな。それはどれくらいだ?身の回りのものに置き換えて考えてみろ」


「身長百五十後半から百六十センチの成人女性の平均体重に匹敵する。ということは百万円だったらその十人分に匹敵する。そこまでいくともはやどちらが食べられる側か分からない状況である。取り囲まれたら相当にヤバイ」


 深刻な状況例を挙げる割にミナコはとても嬉しそうな顔をしていた。金の使い方を知らない金持ちのやることは庶民には理解できない暗黒領域ではある。お腹が空いて肉が食べたいので牛を買いますというくらいの飛躍構造であろうに、チョコを五十キロ、あるいは五百キロというのに大したヤバさを感じていないようにさえ思える。


 本当に買いそうになったらさすがに止めるがとりあえずちらりと横を見て買い物カゴを取り、ミナコに手渡した。それに入る分を買うものだと牽制しておく。


 そもそもつい一月前には、『チョコは買わない』とミナコ自身が明言してたこと、を俺は指摘しても良いのかも知れない。とりあえずは、楽しそうで、何より、ではあるから、これもまた止める際の最後手段として手元に置いたままにしておくが、いざ使うべき時が来れば容赦なく使う材料は準備しておきたい。


 まあ実際のチョコの重量やら値段やらというのを目の当たりにすれば諦めてくれることにはなるだろう、きっと。諦め切れないようなら、荷車か、軽トラックで運搬して貰うことになる……、少なくとも今の段階でミナコはチョコレート五十キログラムを特段不自然に感じていないようだった。


「チョコレート五十キロというのが相当ヤバイというのは分かるよな?」


「少し前にですね。陽太がコーラを飲んでいる時に、『これにはどれくらいの砂糖が入っているか』と僕に聞いたことがあります。それで調べたところそのコーラ一本に約六十五グラムの砂糖が含まれているということが分かりました。僕がそれを陽太に伝えると、陽太は新たな疑問を抱えます。『それってサトウキビ何本分だよ……』」


「何本分だろうな。結構多いんだろうな」


「それも調べました。調べて貰いました。おおよそサトウキビの重量の一割が粗糖になるそうです。ということは、サトウキビ何本分かという問いに対しては、長さと太さによりますとしか答えようがありません。重量で言うと約十倍くらいだと思われます。けれどですね、砂糖というのは砂糖です。確かにサトウキビに置き換えて考えれば十倍で、まるで大変な量のように思われるかも知れませんが、コーラ一本に含まれる砂糖の量をサトウキビで換算すると実は直径三センチで長さ二メートルのサトウキビが生えていて、その重量が三キロ弱だとして、せいぜいその四分の一かその程度です。砂糖と比べてすごく多いように思われて、実は本数で考えると一本ですらありません」


「何故、そんなことを調べようと思うんだ……。で、どういうことだ」


「つまりどういうことかというとですね、このようにコーラを砂糖で換算して、砂糖をサトウキビで換算して、そうするともうどういった尺度で物事を測るべきなのかが非常に曖昧になります。とても多いように思われたり、とても少なく感じられたりします。これを僕は独自に、サトウキビ効果と呼んでいます。そして今まさに、健介は身近なものに置き換えてみるよう促しましたが、チョコはチョコであって、人型で襲い掛かってくるようなことはありません。なので安心してくださいという話をしようと思いました」


「俺が心配してるのはチョコが食べきれる量なのか運べる重量なのかというところだ。お前にはそれを分かりやすく想像して欲しかった。別に身の回りのものに置き換えてヤバさが増すかどうかはあまり関係ないんだ。チョコ五十キロの時点で俺にとってはもうヤバイ」


「そうでしたか。けれどもそれに加えて人型だったら更にヤバイなとは思っています」


 お菓子コーナーに辿り着くまでの間に野菜やら肉、魚なんかもついでに見ていくつもりのようで、ミナコはぐるりとゆっくり体ごと回して少し早足で店内を進んでいった。


 何か色々なことに合点がいった様子でぴたと立ち止まる度に「なるほどなるほど」と口にしている。俺はその後ろについて社会見学の小学生が問題行動を起こさないよう監視する先生役を担っている。


「ここはナニテンでしょう?」


「なに、てん……?お前が何言ってんだ」


「野菜も売っていて肉も売っていて米も売っていてお菓子も売っている。ナニヤと言いますか?」


「スーパーマーケット、で良いか?多分スーパーだろうが小規模な複合商業施設だと言われたらそうかも知れない」


「そうですか。これなどは健介は、意味が分かりますか?」


 これなどの意味が分かるかと指さされた野菜のパッケージには『私が育てました』という吹き出しと顔写真が印刷されていた。


 唐突に意味を問われると返答には困るが、おそらくどういう集客効果を期待しているのかという疑問だろう。顔を指さすところから察するにパッケージがどうしてこうなったのかということを聞いてるはずだ。


「これはな、生産者の顔が見えるパッケージというやつだ」


「顔で選べと言うのか……?私が?育てたと言われても……。それはまあ野菜は誰かが育てていますけども」


「いや、顔で選べというわけではない。どこの誰が育てたか分からないよりは誰が育てたかが分かる方が安心だろう」


「安心?僕はこの人がどこの誰とかいう個人情報は知らないのですが、有名な人ですか?私が育てましたというのはどういう返事を期待されていますか?そんなことを言われても次の瞬間にはそういえば天気があれですね。晴れですねと話題を変えます。何故そんなことを報告してくるのかよく分かりません」


「ほら、……人柄とかが、良さそうだろう?これがまあ、一生懸命育てて作られたもやしだとすると、こう付加価値が、つくだろう?」


「人柄?なんでしょうか。どうでもよい、こう、プログラムなどでですね。いちいち、内部の処理を報告してくるものなどは、不安にしかならない。プロというのは普通、淡々と必要なことを終えます。そんな、もやしを一生懸命育てるレベルの人が作っているのはむしろ心配なのでは?しかも、何か他の商品を選ばないか監視されているような気分にさえなります。こんなふうに並んで私が育てましたと連呼されては、ちょっと買わないことに罪悪感が生まれます。こういう商品は気の弱い人にしか売れないのでは?」


「……単に並べてあるから連呼してるように見えるだけだ。監視してるわけでもない。まあ、そうだな。好き嫌いはあるかも分からん。まあそんなに気にするな。一般人はそんなことはあんまり気にしない」


 にこやかさが足らないようにも思えるし、ロボットが育てた野菜と農家の人が育てた野菜とを比較してロボット側を選ぶ人間も一定数いそうではある。


 そうなると生産者の顔効果を普遍的な価値として語ることは難しい。それこそ個人の好き嫌いではあるだろうし、ミナコが嫌いというものを俺がわざわざフォローしなくちゃならないわけじゃない。


 とりあえずミナコの背中を軽く押して農家のおっさんとの永久凍土な引き分けにらめっこ合戦を中断させてやり、それとなくお菓子コーナーの方へと舵取りした。


 せめてお菓子のネーミングやらパッケージデザインについてなら話を聞いてやっても良いが、そもそも野菜など買うつもりもなかっただろう。目に留まる一つ一つ何かしら意見を述べ始めるかも分からん。


 何がどうしてなどと聞かれても俺にそんなことが分かるはずもないし、そもそも大した理由もなくそれはそういうものだ。さすがに物知り博士などでも律儀に付き合ったりしないだろう。


 とりあえずせめて、まずは買い物について建設的な話し合いをしたい。

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