二話①
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白い閃光に包まれ、銃撃から逃れる夢を見た。走っても走っても焦っても焦っても足がもつれてちっとも前に進まないというような夢だ。
疲れ果てて瞼を開けると、なるほど、どうやら、……そんな夢を見る材料というのが揃っているようには思われる。眩い光は居間の照明で、耳をつんざく爆撃音や悲鳴はテレビの方から聞こえていた。
「うぅ……」
テレビと逆側に頭を転がすと一人女の子がソファで足を組んでいるのが見えた。
「なんだ……。ああ、そうか。戦争が起きたのかと思った。何故一般市民でしかない俺を執拗に爆撃してくるのかと思ったら、……夢だったのか。そしてお前は、夢じゃないんだな」
「おはよう。起きるのが遅いわ。そろそろ起こしてあげた方が良いかと思ったのよ」
「そうか。起こしてくれても良かったが……、折角の厚意に甘えることなく目が覚めてしまったな。戦争に巻き込まれる悪夢を見たんだ。ところで、こんな田舎で一体どんな工事をやってるんだろうな。それがまさしく、マシンガンで撃たれる夢を見る原因になったと思うんだが」
ぼやけた視界で天井を見つめながら、そんな皮肉を口にしてみる。この爆撃音や悲鳴が、どこか遠くから聞こえてくる工事の音だったら良い。それなら別に文句を言うようなことじゃない。目を瞑ってしばらくテレビの方向から聞こえてくる音に耳を傾けた。テレビ放送じゃないだろう。こんなバッチバチの戦争映画が朝から放送してたりしないはずだ。
「…………工事してるなあ」
寝ている俺のすぐ目の前で戦争映画を大音量で再生するのは単に、ミーシーがちょっと考え足らずだったということであれば良い。朝、急に、映画が見たくなっただけなら良い。それならば俺が軽く注意を促せば、音量を下げてくれる。俺を悪夢へ引きずり込んだことを謝ってくれる。
「…………」
「…………」
「さっさと起きなさい。わざわざ目覚まし役をしてあげてるのよ」
「なんで優しく揺すって起こしてくれないんだ……。お前が嫌がらせをするから寝起きが悪いんだぞ」
「寝起きが良い子は何もしなくてもちゃんとぱっちり朝に目が覚めるのよ。そうじゃないみたいだから仕方なく起こしてるのよ。踏んじゃうでしょう。そんなところにいつまでもいたら」
「踏んじゃわないと思うんだよな……。狭い通路で寝てるわけじゃあるまいし……」
ぐいいと体を押し上げて布団から這いずって出る。ただ、別にそんな動きをする必要もなかったようで、俺が布団から出るとミーシーはリモコンを使ってテレビの音量を下げ、映画の再生を一時停止した。
「映画を……、見てたらどうだ。なんなら俺は他の場所に移住して丸まってることにするから」
「起こしてあげたのよ。まず起きなさい。なんなら感謝の一言くらいあっても良いと思うわ」
「なんなら、乱暴に起こしたことを謝るなり、事故だったと弁解してくれる方が良かった。起きなきゃならんのか……?何か用か?」
さりげなく聞けば何気なく答えてくれたりしないだろうか。見たところ、忙しなくしている様子もなければ、ましてや憔悴しているわけでもなさそうだ。
逆にいえば、思い悩んでいる素振りというのもやはり見出せなかった。家出の事情などなかなか語りたくないものだろうが、ふと零れる愚痴などでもあれば、相槌をして気を紛らわせてやることもできなくはないだろう。こちらから水を向けてヒントを集める努力は必要なようだ。
「なんにも用はないわ。メダカを飼ってる人がいるとするでしょう。習慣的にメダカの様子見にいったりエサあげたりするけど、別にメダカに用があるわけじゃないのよ。メダカがあんまりに動かなかったら水槽揺すったりもするでしょう。でも、メダカに用があるわけじゃないわ」
「メダカが動かなくて水槽揺するのは死んでる可能性があるからだろう」
「まあ、大体そういう感じよ」
死んでるメダカと同じ扱いを受けてしまった。寝てるからちょっと気になって突ついてみたくなったということなんだろう。
ちょっとした悪戯心でついやっちゃったと言うならかわいいもんだろうに、ミーシーは反論があるならなんなりとどうぞと言わんばかりにふてぶてしく座ったままだ。言い返してみたところで表情の一つも変えないだろうな。俺が意地を張ってまた布団に潜ったら、今度は俺をアリにでも見立てて踏みにくるかも分からん。頭を……。やりかねん……。
「どういう趣味してるのよ。銃撃戦ばかりでクソつまらないでしょう」
「気が合うな……。友達が貸してくれたんだが、途中で見るのをやめて放置されてた映画だ。見終わってから返してくれたら良いと言われてもう五年くらい経つ。返してくれとももう言われんだろう。捨てるに捨てられず十年後もそこにあるかも知れん」
「その友達と疎遠ならもう捨てなさい。別に慌ただしくない私ですら時間が勿体ないと思うくらいつまらないわ」
「そう言うなよ。俺も別に慌ただしかったりはしないし、映画一本見る時間くらいいつでも作れるつもりだ。いつか見ることだろう。十年後とかに」
居間の隅まで移動して布団を畳む。そのタイミングで時計を見たが、なるほど、他人の寝坊でも十時を回る頃になれば気になるのかも分からん。早く寝た割に結局眠りが浅かったのか、逆に疲れてぐっすり眠ってたのか、とにかく普段よりは随分と遅い起床になってしまった。
「お前らは何か予定があるのか?俺も暇だから手伝ってやっても良いぞ」
「用はないと言ったでしょう。じゃあ顔洗って歯を磨いて、ラジオ体操でもしてなさい」
俺が暇つぶしのアイデアを貰ったところで台所の引き戸がゆっくりと開かれて、アンミがそこから顔を覗かせた。顔洗って歯を磨くのは予定に入れるとして、一人でラジオ体操をする気にはならんな。
「おはよう、アンミ」
「うん、おはよう。健介」
「俺が寝てるから気を使って閉めておいてくれたのか?起きたから、開けといてくれ。普段からそこは開けてる」
「うん分かった。健介まだ眠い?」
「アンミ、こういうのは甘やかすと永眠してしまうのよ。夜に寝て、朝に起きるようにできてるでしょう、人間は」
「人間失格か、俺は。そんな厳しいことを言うな。一応、朝の時間ではあるだろう」
「朝より昼の方が近いでしょう。そういうのはもう繰り上げで昼なのよ」
「それはお前の基準でだろう。たまたまだ。こんな時間に起きることの方が稀だ。ちょっと慣れないところで寝たから。なんだ、いいだろう別に寝てても。なんならお前らだって寝たかったらもっと寝てたら良いんだ。早起きな人間はこれだから困る」
「慣れない環境で寝たら普通逆に目が覚めるでしょう。なんなら私とアンミは昨日あなたの汗臭いベッドに二人で寝たのよ。そっちの方が過酷でしょう。体力回復しなさそうでしょう」
「……厚意で明け渡した部屋にまで文句が出るか。悪かったな汗臭くて」
「感想を言っただけよ。あなたの落ち度じゃないわ。臭かったから死ねと言ったら文句でしょうけど、単に臭かったと言ってるのよ」
「良かった。死ねと言われなくて……。臭かったか、善処しよう」
「アンミが善処してくれてるわ。あなたはもうどう頑張っても仕方ないでしょう。あなたも多分女が寝た後のシーツなんて女くさいと思うに違いないわ」
「そうかなあ……。んなことはないと思うが。アンミが何を善処してくれてるんだ?」
「……私?シーツ洗ってた。今干してる」
「すまんな、余計な仕事を増やして」
「健介とミーシーは、仲良く映画見てた?」
「仲良く……、できてたように思うか?映画は俺を起こすために嫌がらせで鑑賞してただけだろう」
アンミは引き戸を片側ずつ開けて俺とミーシーの顔を交互に見つめた。
「私は仲良くしてあげようとしてるのに、この子は恥ずかしがってもうこんな調子なのよ」
「良い子ぶる意味あるか?俺よりよほどアンミの方がお前のことはよく知ってるだろう。アンミ、こんな調子だ。あんまり仲良くして貰えてない。朝からちょっと意地悪されたんだ」
「…………。そうなの?仲良くするにはどうしたら良い?」
アンミの台詞は俺への問い掛けなのかミーシーへの問い掛けなのか、俺に落ち度がないことを悟ってミーシーをいさめてくれることを期待していたが、どうやら結局アンミもどちらが悪いとは言いづらいようだった。
「普通に、接してくれることを期待する。俺を邪魔者扱いしないでくれ。悪口は言わないでくれ。不満があるならそれについてのみ話してくれ」
「私への注文のつもりなら一応言っておくけど、元からそうしてるでしょう」
「そうだったか?笑顔がないとなんでも辛辣に聞こえるものだ。贅沢な注文だが、ちょっとは愛想良くしてくれ。一緒に暮らすことになったろう。仲良くできるに越したことはない」
「意味もなく笑顔でいるのはちょっと信条に反するのよ」
そう言われてしまえば、まあそうなんだろう。無理にニコニコして、内心どう思っているのか分からんよりは、多少ツンケンしてても正直であった方が良い。
ということで俺も一応納得はした。だが、俺が返事しなかったせいなのか、アンミはまだ心配そうにこちらを見ている。
「ええっと、じゃあどうすれば良いと思う?」
「……譲歩はないという結論だろう。まあいいんだ。気にしないでくれ。そんなに険悪な雰囲気というわけじゃない。嫌いなわけじゃないんだ。ちょっと嫌われてるんだろうなというだけで……」
「アドバイスをあげましょう。ちょっとはメンタル強化しなさい。そんな静電気で感電死するような動物とは付き合いようがないわ。ちょっと撫でただけで死んでしまうわけでしょう?」
「ありがたいアドバイスだな。俺もそんなに気にしてるわけじゃない。各々に補正を掛けて話を聞いてやれる」
俺に対してはおよそこんなふうに振る舞うのが普通なんだろう。ミーシー側から特に俺と距離を置くような素振りもないから、結局言われた通り、叩かれたのを撫でられたくらいの感覚で話をするのが良さそうだ。
「会話はできてるでしょう。じゃあ及第点よ」
「俺の点数がか?」
「あなたと私との関係よ。あなたもあんまりちょろい女の子相手だと攻略しがいがないでしょう。幼なじみのキャラの攻略は後回しにしたりするでしょう」
「恋愛ゲームならな。まあただRPGだったら、レベルの低い勇者は魔王の城へは近づいたりしないだろう。一般人は攻略のしがいなど求めず付き合いやすい人間との絆を深めるものだ。難易度は極力下げてくれ」
「ミーシー。ミーシーは仲良くできそう?できなさそう?話し合いする?」
「話し合いは落とし所が見つけられそうな話題でしましょう。私が卑屈に媚びて好かれる生き方してたらアンミだって嫌でしょう?」
「媚びて……?どういうこと?」
「ねえアンミ。例えばアンミが意地悪で、私のご飯に死ぬほど砂糖を入れるとするでしょう?」
「うん。私が意地悪を?うん、意地悪したらね」
「私は美味しいご飯が食べたくて、一生懸命アンミに気を使ってアンミの言いつけを守って、過ごすわ。アンミに気に入られるために顔色を窺って嘘をついたりするわ。今、アンミと私がそうだと思う?」
「?そんなことはない?」
「じゃあどっちが良いと思う?」
「今の方が良いと思う」
「…………。不満があったらお互い正直に言い合いましょう。でもお互い、無理して合わせてニコニコしてたりしなくて良いわ。あなたに言ってるのよ。あなたに合わせようとも思ってないし、あなたも別に私のご機嫌取りなんてしようとしないで欲しいのよ。そういうのは嫌でしょう?あなたも」
「まあ……。言いくるめられてしまった。愛想良くしてくれというのは撤回した方が良いのか?俺はそんな人格的な面にまで踏み込んで性格を矯正してくれと言ったつもりじゃないんだが」
「キツく聞こえるという苦情なわけでしょう?慣れるわ、その内」
「だろうな、そんな気はする」
結局、性格など言ったところで直るものでもないだろう。これが自然体だと宣言してくれるのは潔いし、ストレスを溜め込んでないか心配することもない。元より別に俺に合わせろと主張したかったわけでもない。
幸いなことというのか、身なりが小ぶりであるから、ふてぶてしくはあっても威圧的だとは思わない。
「健介、お茶飲む?ミーシーと仲良くしてあげてね?」
「ああ、じゃあ、頼んで良いか?とりあえず顔洗って歯を磨いてくる」
……俺が贅沢を、言い過ぎているという可能性もある。というのも、アンミがこうしてフレンドリーで気配りできる様を見せると、どうしたって相対的に、ミーシーが攻撃的で人間嫌いに見えてしまう。二人揃って素っ気なければ、そんな年頃なんだろうと決めつけて気にしないふりもできるが、あまりに明瞭に差が浮き立てば何かしら理由があってのことだろうという気はした。
それが性格なのか、俺への好感度なのか、おそらく前者なんだろうとは思うものの、俺の過去を思い返して当てはまるような対人サンプルがない。絶対評価の基準をずらして、アンミが際立って良い子で、ミーシーは気難しい年頃の普通の女の子、なのかも知れん。
まあ、もっと厄介でややこしい人間や理解不能な超越人種もいないことはないだろう。会話もできるし、極端に距離を置かれているという感想もない。打ち解けるのは難しいにせよ、……見た目で得する人種だな。かわいらしい子は駄々こねてもなかなか嫌悪感には結びつかない。
洗面所へ歩いて顔を洗って歯を磨いて、指を組んで上半身をぐいと伸ばした。
続けて深呼吸を一つして居間へと戻った。ミーシーからはちょっと離れた隅の方で、畳み掛けの布団に腰を下ろすと、アンミはわざわざこちらの方へと歩いてきてカップを手渡してくれた。
三人こうして居間に集って茶を飲んでみると、まあやはり、違和感というか、妙な雰囲気というのも強く感じる。きちんと目が覚めると、俺が今置かれている状況が論理の抜け落ちた不自然なものに思えてならなかった。家出少女を引き込んで犯罪にならないのかも不安だし、百歩譲って犯罪にならないとして、身元やら事情やらが不透明なままで見通しもない。
俺の命の恩人ではあろうが、……そもそも身元も何も、魔法使いと関わるということそのものが、俺の今までの世界と大きな隔たりを感じさせている。改めて考えてみて、ここはもう百歩どころか地球一周分譲っても理解に苦しむ。いっそ現実逃避してその辺りは知らないことにしてしまいたい。