五話④
「そもそも健介は変人が好きだったりするニャ?」
「……いや。挙げだせばきりがないくらいにズレてるが……、だが、補足説明を入れれば別にそこまでおかしいわけじゃ、ない、と思う。そんな気はしてるんだ。例えば、な。思いやりがある。何の講義かは知らんが陽太が童話の感想を集めなくてはならないと言い出して、俺とミナコに昔話シリーズを読ませたことがあった。その時のミナコの担当は桃太郎とわらしべ長者で、俺なんかだったらスカっとするサクセスストーリーとかそんな感想しか持たないはずのものだった。あいつは桃太郎のお供のキジが可哀相だと言い出した。キジはおそらく食料だろうからだ。動物を哀れむ心を持っている。わらしべ長者は意地悪だと言い出した。フェアじゃないトレードを持ちかけて富を築くからだ。不要品なら無料で分け与える心を持っている。結局ミナコの担当はその二本だけにされて、他作品は全て俺があらすじと感想を作ることにさせられたが……。着眼点が普通と違うというだけでおよそ人間らしい感受性を持っていることが窺える。すごい不謹慎なことを言った後だったが、募金箱に持ってる小銭を全部入れたこともあった。まあ、余計なことを言ったのは確かだが、本来は、……優しい奴、に違いない。俺は希望を述べてるか?正当な判断をできる材料がない」
「まあ、……なんか、健介が新鮮だというようなことを言う理由はそれとなくは分かったニャ。仲良くできるなら良かったと思うニャ」
この思いというのが、この記憶というのが、ミーコに正確に伝われば良い。だが、言葉に変換して口に出して俺と同じ感想を抱くようには仕向けられない。
当の俺がかなりひいきして物事を評価しているのは間違いないし、異議ありと唱えられたらそれに反論も用意できそうにない。俺は客観的に見て、ミナコに対して狂った評価をしている。
いわばこれは、『子供のしたことだから』という問答無用のフォローに近いようには思われる。『ミナコのしたことだ』という理屈は俺の中でのみ、大体の世の道理を飛び越して納得させる力を持っている。
「…………。きっと、俺が必死に伝えようとしたところで伝わる部分はその程度だろう。もう一人事情を知らない俺がいたとして、付き合う人間を選ぶべきだと言うかも知れない。おそらく結構な確率でそういうことを言う。ただ、これはな、俺にしか分からん感覚だろう。実際に会って話して声を聞いて表情を見て、そして俺は何が何なのか分からないまま心地よかったあいつのお蔭だと思ったりする。条件反射的な部分があるということだろう。ミナコの説明に則って言うなら、脳みそに、……この場合は『ミナコちゃん受容体』とかができてるんだろうな。恐ろしく気持ち悪い表現方法だが。健介受容体とか陽太受容体というのがあるらしい」
「ミーコちゃん受容体とかもあるニャ?」
「そうだな。お前に会うとテンションが上がる人間には備わっているんだろう。ミーコ成分が切れるとイライラしたりするかも分からん。薬物依存症みたいに」
「健介楽しいならそれで良いニャ。でも具体的にどんなところが良いニャ?」
「具体的に……、か。中々それも難しい質問だな。ニコニコしてる。それは見てるだけで楽しいものだ。あと、たまに、ムスっとしてる。珍しいなと思って何が不満なのか考えたりしてみる。そこそこに難易度が高いクイズ製造機みたいなもので、ある日『これだ!』と気づいた時のもやもやからの解放感?みたいなのがマイブームだ。『なんか不満なのか?』と聞いても『不満じゃないです』とあいつは答えるから……」
「健介どんなことに気づくニャ?」
「何に気づいたろう……。気づいてないことの方が多いと思う。気づいたとして的外れだったりするかも分からんしな」
「じゃあ、何に気づけてないニャ?」
「それも……、何だろうな。色々と話していて食い違ってることが多くて、例えばな、俺は最初に会って自己紹介した時から……、俺はあいつと、程度の差はあれ知り合いか、もしかして友達になったと思ってた。自己紹介して、話はしてたからな。その後も何度か声を掛けたり勉強を教えて貰ったりしてた。だがある時、『お友達になったのはもっとずっと後』だと説明された。おかしな話だと思ってそこで若干言い争いになった。なんか、少なくとも最初に会った時のことはなかったことにされててな。最初会った時に、変な……、物理方程式、的な、数理論理式か何か、文字を含む数式とかを指さして、それが解けるかと聞かれた。俺はそんなやり取りがあったことを覚えてるんだが、ミナコは『そんなことしてません』の一点張りだった。嘘ついてる様子もなく俺が間違っていると言い張ってた」
「記憶力の良いミナコちゃんの方がきっと正解ニャ」
「……と、思うだろう。小さなことなら俺の記憶違いを疑う。だがな、これに関してだけは、まあ、あいつと最初に会った時のことだから、というのもあるが……、俺もよく覚えてる。覚え間違いが挟まる余地がないくらいにしっかり覚えてる。俺はだって、……それが全く理解不能だったことが悔しくて調べ物をしてるぞ。さすがに記憶間違いではないし、その時に峰岸ミナコと名乗ったんだ。同姓同名の人物などいないだろう。仮にいたとして姿までそっくりなんてことはあり得ない」
記憶など不確かなものだというのは分かっている。最初に会った時のことが何日前の何時何分何秒で地球が何回回った時のことか俺は思い出しようがない。
ただ、金髪の女の子は俺のお気に入りの席を陣取って分厚い本を読んでいた。ミナコは本を揺さぶって除けて、数式を机に書いた。それも覚えている。
普通の人間と普通に出会っていればそこまで細かい情景など浮かぶことはなかっただろう。この時のことはかなり印象強く覚えていた。
ミナコは俺のことを馬鹿だと言ったし、俺も内心では常識的振る舞いを知らないミナコのことを少なからず脳の病人だと思っていた。
そして、……例の数式だ。さぞや頭が良いんだろうなと俺が挑発したからか、ミナコはごちゃごちゃ文字と数字がごちゃ混ぜの、目茶苦茶長い式をマーカーで机に書き殴った。『答えは?』と問うその表情をよく覚えている。結構な、期待を含んだ笑顔だった。
俺は後々、若干悔しかったのもあって覚えていた部分を知り合いに聞いて回ったし、インターネットで調べたりもした。ああ、あとマーカー、そのマーカーは教室に落ちていたのを拾ったもので、ミナコは最初俺に対して忘れ物はこれじゃないかと聞いた。
俺の記憶はその辺り十分な繋がりを持っている。大体のあらすじを矛盾なく挙げることができる。これが記憶違いだなんてことはないだろう。
その後もミーコからの助言を期待して過去に出された問題を説明してみせたが、別にミーコもさすがに万能猫というわけじゃないらしく何一つ活路は見出せなかった。
当たり前のことだったろう。俺だって考えても分からなかったことを挙げて説明をしている。奇妙な出来事を体験した人間が語る体験談というのは客観性に欠けてると言われればそうだろうし、当の俺がここまで分析的視点を目指しても答えの出ない難問だ。ちょっと聞きかじって答えが出たらそれこそ俺が阿呆だという証明が先に成り立つ。
俺もいくつかは推測を立てたが、どれ一つとしてしっくりこなかった。
実は俺が初対面だと思っているよりも前にミナコと会っていた、可能性というのは完全なゼロじゃない。
俺側がミナコを認識していなかっただけで、ミナコは俺の顔を覚えていたということもあり得る話だ。だが当時もそれを踏まえての追加質問をしていないわけじゃない。
結局のところミナコは、何度目に会ったかなど関係なく一度として俺を馬鹿にするための難しい数式など書いていないと断言した。
せいぜいあるとすれば俺が勉強を教えてくれとねだった時に数式を書いたくらいのことだと。
で、あれば、別人説も浮かび上がるが、……さすがにあいつを他と取り違えることはないだろう。俺が初対面だとほぼ断定していたのも、外見的な特徴を考慮してのことだ。金髪碧眼、ポニーテール、赤い髪留め、そしておよそ茶色の上着……。
俺にとって別人説というのはクローン説か、はたまた量産ロボット説と同じくらい現実味がない。双子というのはまあ現実世界であり得るにせよ、そんな話をミナコから聞いたことがないし、双子に同じ名前をつけるような親がいるとも思えない。とすると、隠されている双子がわざわざミナコの服装などを真似て名前を偽って俺と接触したなんていう、やはり現実味の薄い出来事になってしまう。
第一双子にせよ、何かしら見分けがつきそうなものだ。
そうして考えていくと単に、普通であれば、ミナコが忘れているだけだと結論付けて良いはずだった。だが実際のところ、多分それもない。
記憶力おばけのミナコと話して俺の方が詳細に説明できるなんてことは不自然を周回遅れにした違和感丸出しの結論になる。
で、散々考えた暫定の結論は、『ミナコはその件をとぼけている』はずだ。
こういってはなんだが、初対面でなんか難しい問題を出して相手の無知を嘲るというのは趣味が悪い。出会い方としてはあんまり行儀の良いものじゃない。だから、『なかったことにしたかった』だけなんじゃないだろうか。
そんなことあったっけ覚えてないですと誤魔化したつもりになっているのかも知れない。当然俺側は確かに、あいつと違って覚えていない可能性だってあったわけだし、ミナコが常に完全に正直者だという保証があるわけでもない。
後々思い返して自省してちょっと気まずくて誤魔化したという、……ふうに受け取っても良い。
だがなあ、それすらしっくりこない。
何故ならあいつは真正面から俺を見て、しっかりと瞳を逸らさず、はっきりとした口調で、『そんなことはしていません』と断言したからだ。そこには後ろめたさのかけらもなかった。口ごもったり語尾が消えゆく様子もなかった。こちらが気圧されるくらいには確信を持った発言に思われた。
だから、そこには俺とミナコの捉えた現実の隙間というのがあるような気がしている。お互いが誤解の上で現実を見ていた。そうして話したのが初めて会った時のことじゃなかったのかも知れないし、落ち着いて解説まで用意して貰えば解けない難問というわけじゃなかったのかも知れない。俺はその時寝起きだった。探し物があった。寝ぼけていて慌てていて、あと、ミナコの字も汚かった。熟考した末に分からないと答えたわけじゃなく、流し見程度で諦めた。ナゾナゾやクイズ程度のつもりで質問をしていたのなら、難しい問題を出して俺を馬鹿にしたなんてつもりはなかったわけだ。
まあ、とにかく、考えてみたところで、論理的に解けるようなものでもないんだろう。ミーコがお手上げということなら、頭の善し悪しじゃなく、推論材料か俺の説明に問題があるに違いない。これだけでは、解けないということだ。
「意外と良い時間潰しになるな。お前は退屈だったりしないか?俺はこの実りのない謎解きに嫌気が差してないか心配だが」
「健介寝ないように話してるだけニャから、健介が話したいこと話してくれたら良いニャ」
「ありがたいな。その点お前を話し相手に選んで良かった。つまらん話するなと言われてたら俺は布団でうずくまってただろう」
「そんなこと誰も言わないニャから安心して話をすると良いニャ」
「…………。だと良いな」
「健介は今日、早めに出掛けるつもりなのかニャ?」
「目茶苦茶早くても、良い気がしてる。約束は十時だ。だが前回の反省を踏まえて誠意を見せなくてはならない。今から出掛けると八時半には到着するだろうが、なんやかんやもうそれでも良いかも分からん、防寒対策さえしっかりしてれば」
「また寝ちゃうよりかは散歩がてら歩いて約束の場所向かっても良いニャ。散歩も私が途中まで付き合って良いニャし」
「そうか、そうだな。さすがに早いが……、まあ、朝の散歩と言われたら別に家を出るのも変だったりはしないか。……問題があるとすれば、まあ、実際のところ可能性は低いながら、直前で連絡が入る可能性がないこともない。携帯持ってないんだよな」
「別にこっちからミナコに連絡するか、ミーシーに連絡来るか聞いたら良いニャ」
「確かに。賢い解決策だ。ただし、ミナコにはこう、俺はな?サプライズ的に反省を伝えたい。そしてつまらないことだが、ミーシーからちょっと避けられてしまったんだ。まあ……、そもそも陽太の家が近いから連絡役ならそちらに任せられる。出掛けない理由がなくなってしまったな。今から行っても変な奴だったりしないか?お前も途中まで散歩に付き合ってくれるということだよな?」
「どっちも問題ないから健介準備すると良いニャ」




