四話⑨
『どうであれば、自然だったろう』
俺が一人でこの観覧車に乗り込んだとすれば、それは一体どうしてだったろう。でもそうするとどうして、三人でここにいなければおかしいなんて思うんだろう。いくらでも辻褄を合わせることはできるだろうに、俺の中にたった一つ、触れて良いものか悩ましい塊が残されている。
二人が観覧車を嫌がったのかも知れないし、俺が観覧車以外を嫌がったのかも知れない。でもそれは大して重要なことじゃない。何故なら俺は三人で観覧車に乗り込んだと思い込んでいる。
一人で、じゃない。三人で、一緒に、観覧車に乗り込んだ。それは俺の記憶では確かなことに違いなかった。でも一つ前提を覆すと、全てが常識の範囲内に納まるような気がしてならない。
もしかして俺は、魔法使いとなんて出会わなかったんじゃないだろうか。魔法使いと出会ったというような、突拍子もない夢を見ていたんじゃないだろうか。先の三日は、俺の頭の中に描かれただけの幻想だったりしないだろうか。
俺は今ここでこそ、目が覚めたのかも知れない。植物は操ることなんてできないし、猫はおしゃべりなんてできない。未来を予知することなんてできない。それがほんの数日前までは当たり前の世界だった。揺らぎようのない世界だった。
もしも俺の頭が狂っていたとすれば、その世界というのは俺の認識に関わらず常に当たり前に続けられていて、俺もやはりどう感じていたかは別として、魔法のない世界に、生きていたはずだ。
さて、その前提で考えてみるとどうなるんだろう。俺の頭が狂っていたとすれば、一体何がどうなっていたんだろう。俺は、何をどう、錯覚していただろう。
「ああ」
俺は何かを諦めたかのように、一息をついて、観覧車の座席に座り込んだ。もしかしてもしかすると、アンミとミーシーという二人の存在さえ、朧げなものになりかねない。
魔法使いが、いたんだ、俺の目の前に。でも、そんなことを今となっては証明できたりはしない。今、俺の目の前には誰一人いないんだから。どうしてかもう、あの二人は、俺の目の前に現れてくれることなんてないように思う。
元々、そもそも、二人がちゃんと現実に存在していたことすら俺には確かめようがない。……確かめようがないというより、むしろ、『いなかった』ことを証明することの方が容易いんじゃないだろうか。
どうせ俺しか、……頭の狂っていた俺しか、二人を観測していないんだから。
「…………」
せめて、じっくりと現実に足を浸そうと思った。ぼんやりと夢見心地のまま、急に現実に飛び込むことはそれこそ心臓に悪いだろうから、一つずつ、納得のいくように、自分に答えを与えていけば良い。
俺は多分、店長の夜逃げ騒動に心を痛めていただろう。ここでもう正常な判断力というのを失い掛けていた可能性がある。道路に飛び出して頭を打ったようにも思う。そうして都合の良さそうな、夢を見るのに至った。
果たして魔法なんてものはこの世の中、どこを探しても見つかるものじゃない。俺は、いもしない二人を相手に、魔法ごっこをしていた。それが、矛盾のない答えなのかも知れない。一人で傘を差して買い物に出掛けて、偶然にも遊園地のチケットを手に入れた。
それがファミリーパスなんてものだったから、一人で出掛けるのが物寂しく感じられた。一人でバスに乗り込んだ奴が三人分のバス料金を支払うことを、バスの運転手は気味悪がったかも知れないし、後部の座席を一人で陣取る男を見て乗客は怪訝な顔もするだろう。
遊園地の入場の際には、誰もいない空間に話し掛けて係員を困惑させていたのかも知れない。どこまで俺の認識が正しくて、どこからが妄想の入り交じった世界だったのか、全く判然としない。どこまでも全て現実感が伴っているように思えるのに、どこもかしこも夢のように都合が良い。
一つ、正直なことをいうと、……俺が夢を見ていたんだろうと思う根拠として一つ挙げるのなら、俺はきっと、多分、自分が思っていたよりもずっとずっと、今になって気づくことに、……寂しかったんだろう。
独りぼっちが寂しくて、頭が狂っていたら、そんなふうに夢を見ることだってあるんだろう。それくらいに、ああ、悪くなかった。夢だと気づきたくないくらいには。
夢が夢のまま、このままずっと続いてくれたらどれだけ良いかと思うくらいには、幸せだったのかも知れない。
「…………」
ただし……?俺はやっぱり眠っていた?徐々にぼんやりとした思考がパチパチと電気を灯し始めている。俺の、頭が、狂っていたとすれば、それは確かにその可能性を否めないとはいえ、相当な重症具合だったことが想像される。
一人の頭で三人分四人分の会話をしでかけていたとすれば、むしろ俺の頭は通常よりも強い負荷が掛かっていたんじゃないだろうか。俺ははっきりと二人の姿というのを思い起こすことができる。
二人の性格やら、なんなら、一挙一動の例を挙げることだって難しくない。それが例えば確かに突飛だったとして、……アンミの存在感というのが性格的な部分に起因して若干薄かったとはいえ、俺は造作なく、二人がこんな人間だったとブレることのない意見を述べられる。
いなかったんだろうか。本当に、いもしない人間だったんだろうか。その人間のモデルとなる人間がいもしなくて、こんなに具体的な特徴を記憶に残せるもんなんだろうか。
いや、探すべきだ。俺の中には、確かに二人がいる。俺は観覧車から降りたらすぐに二人を、探すべきだろう?いる、いないは別としても、俺は探さなくちゃならない。仮に現実でなかったとしても探すべきだ。その希望はまだ残されている。
『この観覧車から、いなくなったというだけで』
『最初から存在しなかったとは限らない』
また立ち上がって顎を引っ掻くように手のひらで持ち上げ、うろうろぐるぐると観覧車の中を歩き回っていた。歩き回っている最中も何度も外の遊園地を覗き込んでいて、…………。今更、こういうのも、ひどく滑稽だが……。
「…………」
何故か、二人は、原因は全くもって不明だが、観覧車の降り場に、……二人とも立っていた。俺が一周回って下りてくるのを、どうやら待っているようだった。
「俺は、あれか?……それともあれも幻覚か?二人揃って俺を待っているように見える」
二人は一歩も動こうとせず、上空から下りてくる俺の様子を観察しているようだった。目が合うような距離ではないにしろ、首を上に持ち上げたままこちらの方を眺めている。
俺は二人の姿を確認してから一旦座席に戻り、この珍妙な出来事についてもう一度考えてみることにした。上っていく観覧車、から脱出して、あいつらは、何がしたいんだ。
降りてから聞けば済むことだが、あまりに、不思議な出来事だった。
「……ん、二人とも」
俺が降り場に足をつけた時、二人ともいやに複雑そうな顔をしていた。ミーシーに関してはため息をついて顔を背けながら舌打ちをした。アンミは俺と目を合わせようとしないし、ミーシーの背中を眺めて、何か怒られた後のような不安そうな顔をしていた。
何にしろ今何があったのか説明を求めようと口を開き掛けた、が、ミーシーは降り場から乗り場へと数歩移動し、今降りてきたばかりの、俺が乗っていた観覧車に、乗り込んだ。アンミもおろおろしながらその後ろをついていき、俺もわけが分からないまま、また、乗り込む。
ドアがガチャンと閉まって、観覧車はゆっくりと上昇を始めた。
「いきなり……、お前らがいなくなった、んだよな?何が起きたんだ?ちょっと待ってくれ。触って良いか」
「疲れてたんでしょう。早起きしたものだから眠かったんでしょう。寝てたのよ、あなたは」
寝てた、のか、俺は。寝てた?
「寝てて、そのまま起こされもせず、何周もしてたということか?」
「ごめん、……健介」
「いや、謝らなくてもいいというか、むしろ俺が悪かったなそれは。会話できてるよな、俺はまた幻覚を相手に話してたりしないよな」
「ちょっとゆっくり休みなさい。私からも謝るわ。ごめんなさい。私がもっとちゃんと見ておけば良かったのよ」
「どうした……?触って良いか?寝てたと言われたら確かにそうだ、それで納得かも分からん。でもな、そんな急に寝落ちするような体調でもなかったつもりだ。お前らが降りた時の記憶とかが全然ない。まだ下手をすると夢を見てるのかも知れない」
「どうぞ」
どうぞ、とミーシーは手のひらを上に向けて差し出してこちらを見ていた。いざそうなるとちょっと気恥ずかしいが、それにおずおずと手を重ねてみる。俺の方が体温が高いようで、微かにひんやりとしている。
軽く握ってみると骨の感触は確かにあって、これが幻覚だとは到底思えなかった。親指と人差し指とでミーシーの手をつまんでみるが、ちゃんとそれらしい弾力がある。
「ああ、ありがとう。言い訳をさせてくれ。なんか妙な感じがしてて、夢だったんじゃないかと思った。お前ら二人と出会ってからのことが、全部、夢だったんじゃないかって、そんなふうに思って」
「結論だけいうと夢じゃないわ」
「そうだよな。良かった」
腕時計を見ると、寝てて二周か三周してれば、……それなら確かに四時半くらいにはなるのかも分からん。そんなものだろう。言われてみれば多分それで間違いない。
「突如消えたかと思ってたんだ。ついでに全部夢かと思った」
「……ごめんね、健介」
「別にアンミが謝ることないだろう。寝てるなら残しとけと言われても仕方ない。俺はな、違うんだ。多分、勘違いされてるだろう。良かったと思ってるんだ。出会ったのが、夢じゃなくて良かった」
「アンミはちょっと反省しなさい。本当にごめんなさいね。あなたが寝てる間に見て回ってきたけど大したもの残ってなかったから降りたら帰りましょう。楽しかったわ。ありがとう」
柔らかく、落ち着いた声だった。言葉の上では楽しかったと。お礼まで言われている。予想に反してだが、この言いぶりから考えると寝てるなら放っておこうと言い出したのはアンミだったのかも知れないな。疲れてる俺に対して気を使ってのことだったんだろう。
「…………。そうか。いや、寝てる俺に気を使ったってことなんだろう。楽しかったなら何よりだ。最初は嫌がってたからな。今回はそれだけでも上手くいったことにはなる。お前が楽しめたのなら俺ももう満足だ」
「ミーシー、健介。また、ここ来れると良いね。また来ようね」
「ああ、機会があったらな。他の遊園地を巡るというのも悪くない。遊びに出るのなんて久々だったから、結構良い気分転換にはなった。そうだ、お礼を言わなきゃな。ミーシー、ほら、お前がスポンサーのようなものだろう。今日みたいなイベントに参加できたのはお前のお蔭だ。ありがとう。アンミも、よく誘ってくれた。俺もな、ミーシーが最初嫌がってるように見えたし、俺一人で子供っぽい場所に行くのは抵抗があった。アンミが楽しみにしてるみたいだったから、俺も行きたくなったんだ。ありがとう」
アンミは困ったように小さく微笑んでいた。俺が寝ていたことで変に罪悪感を被せてしまったのかも知れない。ミーシーは座席から立ち上がって外の風景を眺めていた。丁度良く遠い空は赤く染まり、俺も後ろから風景を見つめる。
「他にもまだ乗りたいものとかあるか?」
「いいえ、もう十分よ」
「アンミはどうだ?」
「うん、健介とミーシーが乗りたいものないなら、もう大丈夫」
「そうか。……俺は、まあ、俺は、もう満喫したというか」
満喫したというよりかは、ホッと安堵して、今日一日がそれこそ十分に目的を達していることを嬉しく思っていた。
ミーシーの様子だけはちょっと気掛かりだったが、表情は読みづらい。時間的なことを考えても十分に満喫した後なんだろうとは思う。アンミは若干疲れが見え始めている。俺が寝ている間は少し過酷な乗り物が多かった可能性もあるな。
俺は俺で何もそこからまだ乗っていないアトラクションがあるなどと言い出すつもりもなかった。二人が何か乗りたいというのならそれに付き合うのもやぶさかじゃないが、二人が満足しているのならそれ以上望むこともない。
ともあれ、二人ともほどよく疲れを感じる程度にはアトラクションを巡ってきたということにはなるんだろう。であれば、俺もこの至福の時を、ゆったりと噛みしめながら外を眺めるのが良い。
そうして、今日の、遊園地イベントは終わった。
観覧車の降り場から足を踏み出してステップを下り、再び三人退場することに異議がないことだけ確認して遊園地の出口へと向かって歩いていく。




