四話⑧
「さて、どうだ。そろそろ昼の時間だろう。昼御飯食べられる場所を探さないか」
「そうね」と意外にすんなりとその提案は受け入れられた。
「あっちの方に芝生の広場があったわ。そこで食べましょう」
場所の視察も高所から済ませていたようで、ぐるぐる回っていた直後にも拘らず迷う様子もなく遊園地の奥の方を指さした。特に反対する理由もなく言われるままに後ろについて歩き始めた。
俺はこの時点でようやくウエストポーチの中身が食べ物だったことを思い出したわけだが、幸運なことにペチャンコに潰れていたりはしなさそうだった。アンミがおにぎりをチョイスしてくれていたことも幸いだった。偶然だったのかも知れないし、ミーシーから先に注意を受けていたのかも知れないが、これが普通のお弁当でおかずを綺麗に詰めたものだったら今頃中身はごちゃ混ぜになっていたに違いない。
「潰してなかったとは……。俺はどうやら無意識の内にお弁当を守っていたんだな」
「無意識だった時点であんまり配慮してたりしないでしょう」
「まあでも幸いなことに潰れてない。潰れててもおかしくなかったこと考えるとこれは俺の成果ともいえる」
「じゃあ誇ってなさい。ついでにあっためてといてやったぜくらいのこと言いなさい」
「……あったまってるかも知れんな。俺のお蔭で」
人肌で温められた食事など気色悪いと突っぱねられても不思議じゃなかったが、そこまで冷たいことは言わないでいてくれるようだった。多分遊園地の敷地のちょうど中央辺りだと思うが、そこが公園のようになっていて、正午近いからなのか、元々そうなるように配慮されたアトラクションの配置なのか、日陰一つなく芝生が広がっていた。
ミーシーなどは服が汚れる心配などもまるでしていないように頭から突っ込んでぐるんと転がってドンと寝そべった。小さい子らしい無邪気さではある。まあ、まるで無人の広場だから本人の体の丈夫さだけ心配していれば良いんだろうが、マットが敷いてあるかのような飛び出し方だった。俺とアンミも近寄ってその場に腰を下ろした。
これでようやくお弁当当番からも解放される。ウエストポーチを外してチャックを開けると、球状のと三角形のアルミホイルで包まれたおにぎりがやはりぎちぎちに詰め込まれていた。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
パクパクモグモグ、太陽の下、芝生の上でおにぎりを食べた。
「昼からは残ってるのゆったり乗りましょう。食べた直後にああいうのは多分あんまり良くないわ」
「じゃあ安心して食えるな」
「ちょっと一杯作り過ぎたかも。こんな食べれる?」
「残らないように食べてくれると助かるな。ゆっくり食えば良いんだ。ゆっくりな。お茶でも買ってこようか」
「じゃあお願い。小さいので良いわ」
「私、買ってくるよ」
「いや、良い。待っててくれ。ゆっくり食って待っててくれたら良い」
おにぎりを一つ食べ終えてから立ち上がり、近くにあった自販機で小さいお茶を三つ買う。また元の場所に戻って茶を一つずつ配る。俺が茶を買っている間におにぎりの分配を済ませてくれたようだった。二つ目のおにぎりを口に運ぶ。ああ、形状で具材が違うんだな。
「美味い。体力使っていたのかな。食事が美味い。日当たりも良いし、なんならもうここでぐっすり寝たいくらいだ」
「別にそれは遊園地じゃなくても地面でやったら良いでしょう。折角遊園地来たら乗り物乗りましょう」
「地面、……地面とはちょっと違うんだけどな。ああ、ちゃんと誘ってくれるのは嬉しい。内心放っておかれるだろうと思っていた」
「そんなに滅多にないでしょう?遊園地に来ることなんて」
「まあな。覚えてないだけかも知れんが、中学生の頃が最後だったように思う。高校生になってからは中々遊園地行こうという話にはならない気もするしな」
「でも健介楽しい?」
と、聞かれた。これをわざわざ楽しくないなんて言うほどあまのじゃくだったりもしない。「ああ楽しいな」と答えた。続けてアンミはミーシーにも同じように「ミーシーも楽しい?」と聞いた。午前中の動きを見ている分には聞くまでもない質問だろう。ミーシーも「ええそうね」とだけ短く答えた。
「アンミはどうだ。楽しいか」
「うん満足。来て良かった」
偽りのない笑顔だろう。おそらく俺とミーシーの中間くらいの楽しみ具合だろうとは推測している。まずミーシーが一番楽しんでいて、俺が一番体力を削られている。アンミはほどほどに楽しんでいる。
◆
前半に過酷な乗り物を制覇したのが良かったのか、飯を食った後のアトラクションは、例えばボートか何かで海辺に浮かんでいるような緩いものが多かった。
本当にただ腰掛けているだけで移動していくものであったり、せいぜい、移動していく途中にドラゴンの作り物がひょこひょこ出てくる程度のものであったり、そもそも移動すらせずスクリーンを眺めてボタンを押すだけのアトラクションも存在した。
きっと、こういうのが、遊園地らしいアトラクションなんだろう。低めの年齢設定と、遅めの音楽と、満腹感なんかも相まってウトウトするような、俺はこういった平和なのを求めていた。
二人とも大して好き嫌いが激しいわけでもないらしく、先の過酷な乗り物も楽しんでいたし、ゆったりアトラクションはゆったりと楽しめるようだった。が、当然、午前中に乗り残した絶叫アトラクションもあった。
見た目大したことのなさそうな前後に揺れるだけの船ですら結構な内臓への圧迫感がある。それに加えてやはりミーシーのお気に入りはジェットコースターだったようで、俺もそれに再戦することにはさせられた。当然慣れることもなく、多分同じ場所で目を瞑って下手をすると同じ場所でしゃっくりが出た。
「…………。じゃあ次は、観覧車に乗ろう。お前は退屈だと言うかも知れないが、風景をな、見るのも楽しみの一つだったりするだろう」
「良いわ。観覧車乗って他の乗り物探りましょう。アンミも多分観覧車好きでしょう」
「うん、多分好き」
良かった、全員の合意を得た上で観覧車に乗ることができる。
「なんであんな……。あんなふうにぐるぐる回されて何で二人は目が回らないんだ?俺が何か間違った乗り方をしてるのか?」
「目、回るの?」
「さあ……?そんな目回るほどぐるぐるしてたりしないでしょう。ぐるぐる具合でいうならあの観覧車の方がよっぽどぐるぐるしてるわ。あれすら危ないでしょう。ぐるぐるが嫌なら無理に乗らないで観覧車の前でエグザイルしてたら良いと思うわ」
「……コラボさせるな観覧車さんと。観覧車だったら休憩がてら乗れる。観覧車とエグザイルするだけだったらそれこそチケット要らなかっただろう。折角だから乗り物に乗りたいという、気持ちはあるんだ」
「ええ、別に私も乗りたいなら止めたりしないわ」
乗り物の待ち時間が全くなかったお蔭で、効率良く急いで回れば一日で二週ずつ各アトラクションに乗れるかも知れない。それは遊園地を二百パーセント楽しんだということになるのかも知れないが、多分遊園地側もそうした密度での楽しみ方を想定していたりはしないだろう。
それこそ一日掛けて順路通りに心拍の上下をコントロールしながら楽しむように作られているはずだ。下手をすれば十回連続でジェットコースターに、乗ろうと思えば乗れてしまう。
そんなことをやろうと言い出さないように乗っていないアトラクションを指さし続けたが、一巡を終えた後どうなるか分からなかった。まあ観覧車に乗って、残りのアトラクションを探して、気に入った乗り物でもあればそれを巡る、遊び尽くして遊園地を去ることはできそうだ。
ミーシーは伸びをしながら前を歩いていった。俺とアンミもその後に続いて巨大な観覧車の前まで進む。そして観覧車も、わざわざ係員が出てくることはなかった。引き開けるようなドアにはバネがついていて、俺たちが乗り込むと勝手に閉まり、勝手にロックが掛かった。
「どういうシステムなんだろうな。開けっ放しだとマズイ。仮にドアが電動で閉まるような安全策だとして、挟まれたら余計危険だろう。そういう場合は全部止まることになるのか。下手なことするなよ、ミーシー」
「……しないでしょう。全然しようともしてないし、元からするような子じゃないでしょう」
のんびり上昇していく観覧車の窓に手を置いて、アンミとミーシーは外の景色を熱心に眺めていた。座っていても見えないことはないが、俺も一度立ち上がり二人の後ろから景色を望む。
この程度の高さではまだまだ何が見えるというわけでもなかった。乗り場が離れていくのを見ているのか、もしかすると乗っていないアトラクションを探しているのか、とりあえず俺だけは頂上付近に到着するまでゆっくり座ってぼうと外を眺めることにした。
「結構時間が掛かりそうだわ。一番上行くまで座って待ちましょう、アンミ」
「どれくらい掛かるかな。下りるのもこうゆうくらい?」
「多分、二十分くらいだろうな。一周回る間はずっとこのペースで動いてくれるはずだ」
二人は俺の目の前に隣り合って腰掛けて、俺はそれをちらりと見て再び外に視線を戻した。
◆
「…………」
◆
俺はだ、一瞬だけ、……目を瞑ったつもりだった。いや、もしかすると、目すら瞑らなかったのかも知れない。はっ、と首を持ち上げると……、おそらく観覧車は割と頂上付近を移動していて、もうしばらくもすれば、綺麗な夕焼けでも見えそうな、そんな景色が広がっていた。
「危ない……、寝る、と、こ」
俺は座っているん、……だから、いや?そうでなくとも、そんな窓一面に景色が望めてしまうことなど、おかしな……、話だ。頂上に着いたのなら、二人が俺を起こしてくれていても良かった。そりゃ、起こしてくれない可能性だってないわけでもないが。
「何、だ……、何でだ」
今この場で、俺を起こしてくれるはずの人間が、そもそもこの観覧車の中に、
見当たらない。
恐る恐る立ち上がって観覧車のドアを揺すり窓から下を眺める。もちろんロックは掛かっているし、下に人だかりなんかもないわけだから、落ちることなんてできない。出ることなんてできない。……当たり前だ。
「何、何が起きた?……いない?そんなはず、ないだろう」
落ち着け。落ち着いて、冷静に考えてみれば良い。ここから出ようがないのだから、二人は必ずこの中にいる。いやいないんだ。でなければこんなに焦っていない。いないから焦っている。
「じゃあ、透明に……、なってるとか、新技か……?おい、できるだけ気をつけるが、元はといえばイタズラをするお前らが、……悪い。変に当たったとしても」
腕を広げてぐるりと一周辺りを撫でてみるが、手のひらには空気の感触しかない。
透明、になっていたとして、気配まで消えてしまうものだろうか。僅かな息づかいであったり、空気の揺らぎに気づかないものだろうか。衣擦れの音は、靴の音は、もし誰かがこの狭い中を移動することがあれば、それを見つけることはおそらく容易い。俺の声は、明らか過ぎるほど、『この場に一人きり』であるように響いた。
「……おい、冗談は大概にしろ。俺が困っているのが見たいのならもう十分だろう。頼むから、出てきてくれないか?」
両側の窓を覗き込み、上下左右を見回して、どこにも二人の姿が見つからない。ふと、思いついて、手のひらをシートに載せた。温かいはずだ。俺の座っていた場所には体温が残っている。それが感じられる。
ああ、だが、他の場所に、それは見つけられない。まるで、この観覧車には最初から俺しか乗らなかったかのように、他の場所にはそれを見つけられない。
「いたんだ、確かに。確かにここにいただろう。……だから、座ってさえいればシートは温かいはずだ、ロックされた観覧車の中から出られたりしないはずだ」
おかしなことを言ってたりしない。なのに、俺はこんなところで、空中で、鉄のカゴの中、一人きりで、探している。出てきてくれと喚いている。
急に姿を消してしまうなんてことは、あり得ない。普通ならばあり得ない。であれば、それはやはり魔法か何かによるものなんだろう。とはいえ俺の中には妙な想像が広がっていく。
全ての出来事がうねうねぞわぞわと手を伸ばして繋がっていく。こんなにも急に、二人が姿を消してしまうことなんて、それが例えば魔法だったとしても、おかしなことには違いない。むしろ魔法なんてものがこの世に存在すること自体が、おかしなことに違いない。なら一体、何がどうであれば自然だったろう。
体の中の熱が急速に冷めていく。この状況に納得のいく理屈をいくつも用意して順に現実と照らし合わせて、矛盾のない形を探している。




