四話⑥
「帽子取っておきなさい、一応。ケツで踏んでおくと良いわ」
「うん。分かった」
俺もポケットとウエストポーチだけ気をつけて座席に座り直し、ゆっくりと下りてきた安全バーがカチリと音を立てるまで姿勢を正して待つ。
高速で移動するアトラクションであれば、帽子なども吹き飛ぶだろう。そんな案内は見つけられなかったが、普通に考えれば吹き飛ぶ危険性は高い。
普段から帽子や眼鏡を身につけている人などはやはり押さえながら乗ることになるんだろうか。載せてるだけのヅラの人など、大層難儀しそうなものだ。吹き飛ばされたヅラがレールに絡まり車輪に巻き込まれ後続車両で事故が発生する可能性もある。
そういう意味でつけたら乗るな、乗るなら外せと警告表示があってもおかしくなかった。どうしても乗りたい場合は強力にくっつけておくなりしないとならないだろう。そういう案内あったのかな。
そんなことを考えている間に出発のブザーが鳴り響き、どうやらトロッコに備えつけられたスピーカーから今回の冒険のナレーションなどが流れるらしいことが分かった。そうであればやはりスピードは出ないだろう。
鉱山に眠る財宝を見つけ出すことが冒険の目的だと告げられる。洞窟を模して作られた屋内の装飾は多分プラスチックなんだろうが薄暗い中で移動する分には十分にリアルに感じられる。一層暗くなった直後には『レールがないぞブレーキダメだ間に合わない』などと音声案内がなされた。
目を凝らすと黒く塗られたレールがかろうじで見える。一度目はビビったがそう何度も同じ手で騙されたりはしない。財宝を見つけて爆発、脱出というストーリー構成のようだった。
アンミはナレーションに対して逐一反応をして示された方向へ必死に体を捻っていた。くねくねとレール上を移動しているのはそうまで体を捻らずとも全ての演出が見えるように工夫されているということだと思うが、まあ、後方から眺める分にはアンミのリアクションもアトラクションの一部として楽しむことができる。
ミーシーも、予知していないのが幸いして、俺と同じように、分析的な視点でアトラクションを楽しんではいるようだった。レールが塗りつぶされている場面では前方を覗き込んで「へぇ」と言ったし、後方で爆発音が響けば、「ああ」と言った。
慌てふためいて大仰なリアクションを取ることはしなかったが、一つ一つには相応に反応していて、それぞれに感心しているように見える。ガタンゴトンガタンゴトンキキィーグワングワン、ガタンガタン。多分対象年齢はちょうど俺くらいに設定されているんだろう。特に心拍が乱れることもなく程よいスリルを味わうことができた。
「アンミ、どうだった?」
「すごい面白かった。レールが途中なくなってた」
「そうだな。ミーシーはどうだ。楽しめそうか?」
「思ってたよりもずっと良かったわ。でも多分これが最高速度というわけじゃないでしょう。もっと速いのも探しましょう」
トロッコを降りた時点からまたミーシーはきょろきょろとアトラクションの物色を始めている。発言内容から察するに、トロッコではまだスリル不足だったんだろう。絶叫系が好きそうだというのもなんとなく分かる。そうなるとこれから先、アトラクションが小物かどうかという判断は最高速度が基準になりそうだ。
ミーシーの視線は高所へ伸びていくレールに留まっている。あれに乗りたいと、言い出すのかな。
「あっちの新幹線は、あそこで一回転してるわ」
ひどく、物欲しそうに、羨ましそうに、そんなことを言った。
「乗りたいのか?もうちょっと準備運動期間があった方が良くないか?」
「はあ、……ちょっと心配だからトイレ行ってきなさい。一回あなたが乗るところ見てから乗るかどうか決めるわ」
「俺が乗るところを見て決めるというのは不公平だろう。乗るなら乗るで三人で乗れば良い。そうじゃないなら他のアトラクションから回れば良い」
「私とかは勝手が分からないでしょう?どの辺りでぶらり途中下車するのか見てるわ。安全性の確認もしないとならないでしょう。そういうのは任せろと言うかと思ってたわ」
「途中下車などできないようになってる。わざと天国行きの列車などを走らせる遊園地は存在しない。ちゃんと安全バーを掴んでれば、きっと死ぬことはない。あとな、やっぱり三人で来て別行動というのもどうかと思う。はぐれたら恥ずかしいアナウンスが掛かるだろう。乗るなら、三人で一緒に乗ろう」
何人で乗ろうが危険度など変わるわけじゃないが、俺が高所で高速に振り回されてうろたえているのを楽しむという遊びはして欲しくないし、それに、たった一人でというのはちょっと心細い。
「うんうん。一緒に乗ろう。ミーシーも、健介も」
「まあ良いわ。安全バー?」
「シートベルトみたいなものだ。落下防止用の。さっきもあったろう。ガチャンて前に下りてくるやつだ」
「じゃあ、そうね。そしたらスリルが減るでしょう。係員の人に説明して輪ゴムか何かに替えて貰いましょう」
「俺は、全然さっきのトロッコで十分にスリルを味わえる人間だ。曲芸するために遊園地に来たわけでもない。輪ゴムなんかに命を託すつもりはない」
「輪ゴムでもぎり大丈夫かも知れないでしょう」
「お前は何か勘違いしてるのかも分からんが、遊園地というのはな、せめて安全性が担保されている中でスリルを楽しむものだ。ぎり大丈夫とか、かも知れないとかなら、誰もそんなアトラクションに乗ったりしない」
「なら、安全バーがあれば良いわけでしょう。分かったわ。じゃあ安全バーありで乗りましょう」
『乗りましょう』とまで言われてしまって初めて巧みな心理誘導を疑う。より悪い状況例を挙げて俺を渋々同行させるためだったりしないかこれは。
三人一緒で、安全バーありで乗ってあげるからついてきなさいという結論になってしまった。一人だけ乗らせるのは不公平だと発言させられてしまった。その後となっては留守番を宣言しづらい。
まあ俺も、勇気さえ出せば、乗れなくはない。その後体調不良を引き起こす可能性はないことないが、その時は正直に体調が悪くなったと言えば良い。なんとかなるだろう。また少し歩いて今度は正真正銘のジェットコースターの乗り場へ入る。
もうこの時点で心拍が乱れていないか不安になって首に指を当てて確認してみた。ミーシーはやはりジェットコースターの一番最前列の右側に乗り込んだ。
俺はそれとなくミーシーの後ろへ入ろうとしたが、何故かアンミにちょっと制止を求められた。
「健介、ミーシーの隣に乗って?」
「えっ、……ああ」
ちょっと思考停止に陥ってアンミに言われるまま、ミーシーの隣に腰掛けると、アンミはその一列後ろへと座った。……何故、俺が、席を指定されたのかは全く分からない。アンミが俺と同じように最前列を恐れているのなら、俺とアンミが二列目に仲良く腰掛ければ済むはずだ。
そう提案しようかと思って半身でおろおろしている内に、安全バーが下りてきて、出発のブザーが鳴ってしまった。ガタガタキリキリカコンカコンと坂道を上っていく最中、少しでも気を紛らわせようとミーシーの方へ首を振ってみた。
ミーシーはどうやらずっとこちらを向いていたようで、おそらくだが、俺が落下直前の恐怖におののいて引きつった表情を湛えるのを、……少し嬉しそうに見ていた。普通、それどころじゃないはずだ。今にも目の前の線路が、ああ、落ち……。
「ふぅあっ、……んんぅ」
腸とか胃とか、そういう内臓的なものが肺を圧迫するくらいにまでせり上がってきて、挙げ句ものすごく勢いで風が前方から迫ってくる。俺は必死に息を止めて目を瞑りムチウチにならないように首を竦ませて歯を食いしばる。
が、そんなことをしてるのは俺一人のようで、アンミもミーシーもまるで平気な様子で「やっほー」「やっほー」とやまびこごっこをして遊んでいた。意味が分からなかった。高く登った時に山が見えたのか?
あっ、しゃっくりが出る。しゃっくりが出るからちょっと待ってくれ。
「ふぐぅっ」
これは寿命が縮む。内臓に絶対良くない。血液にもGが掛かって虚弱体質だったら失神する。必死に耐えていると、このアトラクションはもしかして永遠に終わらないのかと思えるほどに長かった。
頭の中で『健康に悪い健康に悪い』と何度も叫びながら、それでも隣と後ろでやっているように『わあ』とか『やあ』とか声も出せないまま、右に振り回され左に振り回され逆さ吊りにされ振り回されて、時計を見る余裕もないままなされるままに絞られて、ようやく、……終わったようだ。
……生きてるが、健康を損なった気がする。座席から解放されて出口側へ足を出して体重を支えて、呼吸を整える。
「……ダメだった。絶叫系はダメだ。大人になれば、こういうものも怖くなくなるものだと思っていたのに、結局大人になってもダメだった。よく平気でいられるな、あんなの。口を空けてたら空気が抜けて肺がペシャンコになるだろう」
「ああ、面白かったわ。予想以上に面白かったわ」
「アンミもか?お前も平気だったのか」
「うん。風がすごい吹いてて浮いてるみたいだった。山とか飛び越えてた。空とか飛べたら多分こんな感じ」
思い浮かべる感想の種類がまるで違うみたいだ。俺など椅子に鎖で縛りつけられて巨人に振り回されたような印象しかない。それをまさか空を飛んでいるようだなどと言えるほど、心に余裕は生まれなかった。もしも空を飛ぶのがこんな恐怖体験だとするなら、空を飛びたいという気持ちさえ失せる。
「そうか……。スーパーマンとかも苦労してるな。急いで飛んでる時などはこんな感じなのか」
二人とも満足して喜んでいる中で、俺がこうまでへこたれている。本来なら、嫌がるミーシーと怖がるアンミに気を使いながら『あれなら大丈夫そうだぞ』とか、『ほら、これなら面白そうだろう』とか、そういう、俺も危険区域をそれとなく回避しながら進めるような、遊園地遊びを想定していたのに……、三つ目のアトラクションでもうギブアップをしたい。
むしろこれと比較するなら、いっそ可愛らしいメリーゴーラウンドに延々乗り続ける変な人と指さされていた方が気楽で良いかも分からん。少なくとも健康的な心拍を保っていられる。
「次はあれが良いわ。あのなんか川に落下してく丸太に乗りましょう」
「あ、でも、健介大丈夫?乗り物嫌じゃない?」
「いや、まあ、大丈夫だ。降りれば落ち着く。そんな楽しんでるところに水を差すわけにはいかない。俺がな、お前やミーシーを気遣うようなシチュエーションを想定していた。俺はそんな小さなプライドを持っている男だ。ただ、そりゃ、……場合によっては休憩を提案するかも知れない。乗らないこともあるかも知れない」
「あらまあ、別に無理して乗らなくても良いでしょう。苦手なら苦手で言ってくれたら良いわ」
「意外だな。お前からそんな言葉が出ることも想定していなかった。横で俺の顔をニヤニヤ見ていたのは気のせいだったか?」
「ほら、こう、あれは、上から丸太が出て滑っていって、最後プールっぽいところに流れ着くでしょう?」
「一回転よりはマシだろうな。絶叫系には違いないが」
「だったら乗らなくても楽しめるでしょう。二対一で勝負しましょう。私とアンミで丸太に乗るから、着水前に止められたらあなたの勝ちにしましょう」
「そういう遊びをすると死者が出ると思うんだよな。仲良くしよう。敵対せずに三人で着水しよう。なあ、アンミ。お前もそう思うだろう。恐ろしいことを言うな」
「うん。ミーシーと健介が一緒にいると楽しい」
「あっちのあれとか垂直落下でしょう?乗らなくても良いわ。ガリガリくんのあの実験しましょう。あなたと乗り物とどっちが早く落ちるか見たいわ」
「……偉大なガリレオさんを安いアイスみたいに呼ぶな。一緒に乗ろう。俺だけ一人でシートもなしに自由落下してたら心配にならないか。乗り物に乗せてくれ。文句は言わない。ただし、休憩は、提案するかも知れない」
絶叫系の危険区域は、点在している様子だ。二人は俺とは逆に益々元気盛んなご様子のままあっちこっちへと早足で移動して「良いのがあった」「良いのがあった」と俺に言って聞かせる。
飽きる様子も疲れる様子も、まだ微塵もない。今の時点ではまだ休憩など言い出せる空気じゃない。縮こまった肺と心臓を少しでも休ませようと深呼吸を繰り返すしかなかった。
歩いていく途中、ミーシーに言わせれば『細かい』アトラクションがいくつも並んでいる。飛行機の形をした乗り物が上空でゆっくりと回っているのを見つけて、あれなら平気だろうなと見つめてみる。
ミーシーなどは一切俺のその様子を気にもしていないようだった。アンミはちょうど俺とミーシーの中間辺りで俺が遅れないように見張る役を引き受けているようで、早足のミーシーを引き止めたり、俺を引っ張ったりという仕事をこなしていた。
「トロッコはせめてコンセプトがあっただろう。危険な洞窟だが財宝が眠っていて、そこから脱出するというストーリーだった。これは一体どういう理屈で滝壺に丸太で突入しなくちゃいけないんだ。理由を説明してくれなきゃ納得のしようがない」
「文句言うならあなた一人で待ってなさい」
「そういう冷たいことを言われるからついていかざるを得ないんだろう」
「どの道、滝壺に落ちるなんてどういう理由でも納得できたりしないでしょう。そんな無理に理由をでっちあげられてもやっぱり意味は分からないのよ」
「まあそうだな。結論として、意味などないが。……滝壺に落ちるのが楽しい人間が二人いるだけだ」
「水がこう、バッシャーンってなるでしょう?」
「なるな」
「そしたらこう、気持ち良いでしょう」
「…………。うん、そうだな」
言わんとしてることは分からなくはない。少なくともそういうのが楽しいという感性が実在している以上、否定もできない。
なんとか気分を切り換えてそっちの人種に混ざれないかと内心では努力している。言葉で解説されたように、水しぶきが大きく上がる爽快感などはあるだろう。綺麗だったりもするだろう。
だが……、やはり、といって良いのか、いざ、落下直前になると、自分が落ちなきゃならない理屈が分からない。
いっそ自分と無関係なものが水中に落下して大きく水しぶきを上げていたら爽快感などを感じられたのかも知れないが、完全に心臓へのダメージと相殺されてしまってそんなものを楽しむ余裕がない。俺はここまで絶叫マシンに不向きな人間だったのかと落胆さえ浮かぶ。




