四話③
「七時半にはバスに乗りましょう。三回も乗り換えが必要になるわ。物置にあなたが使いもしない帽子がいくつもあるでしょう。それとウエストポーチと。それ貸してちょうだい。お出掛けには必要でしょう」
張り切ってまではないにしろ、こういう段取りはよくやってくれる。バス三回の乗り換えで行けるとは思ってなかった。普通に電車かタクシーを使うものだと思い込んでいたが、まあミーシーが推薦するバスというならまず大きな問題は起こらないだろう。
「すごい便利だな。大抵の災いは回避できそうだ。それ、その予知というのは、こう、コツとか修行とかでできるようになったりはしないのか?」
「コツとかは分からないわ。修行はしてなさい。多分真の力というのはもう後には引けないような追い詰められた状況じゃないと発揮されないのよ。何かと自分をそういう状況に追い詰めてそれでも自分を信じ続ける強い子になりなさい」
「真の力が発揮されずに、自分で自分を追い詰めておろおろするだけの奴になりそうだ。今回バスのことは事前に見てるのか?」
「そうね。近場だけだけど二十回は見聞きしてるわ」
軽口を叩くこの様子だとさすがに信憑性も薄いものだが、単なるバス選びで二十回も予知を重ねるか。
「趣味なのか?それともそれくらい検証を重ねないと確定的じゃないのか?」
俺の質問にミーシーは一度箸を止め、「はぁ」と小さくため息をついた。
「…………。それはもっと雑魚っぽい馬鹿な敵に聞きなさい。ほいほいと能力について教えたら弱点がバレるでしょう」
「漫画なんかではそうかも知れんが、そもそも俺は敵対してないだろう。前に、予知でミーコ探したりとか、福引を当てたりとか、俺が気づいてないだけで他にもあったのかも知れないが、お前がどれくらい苦労してるのかというのはあまり考えてなかった。そんな何回も予知しなきゃならんのなら……」
「馬鹿でしょう。そして失礼でしょう。舐めないで欲しいわ。確定一回で出るわ。私が予知通り動いてる限り九割九分九厘間違えないに決まってるでしょう。実際には動いてないのだから体力も使わないしあなたとの会話は基本的に早送りしてるわ。だったら予知で疲れる要素もないでしょう」
「俺との会話は早送りされてるのか。だとしても、何回か試行してその内のアタリを探すまでは繰り返すわけだろう。体が疲れなくても頭とかは疲れそうなものだ」
「まあ飽きることもあるわ。でも、別に予知は私が必要だと思う以上はやらないのが当たり前でしょう。面倒でも予知で良くなると思うなら何とかしましょう。あなたから強制されたり制限されたりしたくないわ」
そう、なるんだろうな。ミーコの言っていた通り、ミーシーの魔法は当たりを探す能力ではなく、純粋にこうした時こうなるという予知でしかない。大層な力ではあるが、望む結果が得られるまである程度の試行回数は必要になる。
福引を当てるまで何回試したのか。そもそも福引の場合、やり方を変えて出る球が確実に変わるというものでもない気がする。膨大なシミュレーションが必要になりそうだ。
「うん、だからミーシーは何でもできる。すごいなぁって健介も思う?」
「ああ、思うな。能力云々も去ることながら精神力というか、根気がすごいな」
「…………?挙げ句美人で清楚でしょう。そんな誉められても困るわ。でも、結局おっぱいの大きさで人のことを判断するんでしょう。なら準優勝で良いわ。謙虚でしょう。とにかく私が予知したりしなかったりで文句言わないでちょうだい。多分今日はもう店じまいよ」
「……おう、そうか。ご苦労様」
朝食を終え、アンミは後片付けを始め、ミーシーはまた居間の方へと歩いていった。俺はあくびをかみ殺しながら自室まで戻り時計を確認した。まだ一応時間はある。財布の中身だけちゃんと確認しておいた。
「ミーコ、すまんが留守番は任せた。多分晩には帰ってくると思う。おやつにツナ缶が用意されているらしい」
「健介、できるだけ、アンミもミーシーも、楽しめるように、してあげて欲しいニャ」
「ああ、まあ」
ミーシーからは何も注文が出なかったが、俺も自室をうろうろして何かしら必要になりそうなものがないかは探してみた。結局のところ、わざわざ荷物を増やす必要もない。もし雨が降ったらとか、せいぜいその程度の心配しか浮かばなかったし、それはミーシーの領分だろう。
で、そう大して時間を潰せるわけでもなくまた階下へと戻った。帽子が必要だという話だったから、そこら辺を引っ張り出す手伝いなんかをしてやるのが良いのかも分からん。
がだ、俺が自室にいた間にそれらは用意してしまっていたらしい。今回のお出掛け用品が台所の机に並べられているのが目に入った。
おそらく、俺たちの昼御飯のお弁当はおにぎり的なものなんだろう。物置から引っ張り出してきたんだろうが、俺が小学生か中学生か、そんな頃に使っていた古ぼけたウエストポーチがぱんぱんに膨らんでいて、「今日のお弁当だから潰さないように気をつけなさい」と、ミーシーが俺にそれを手渡した。
当然、俺はダサイウエストポーチを身につけて外出することに強く反対したわけだが、手荷物があると不便だなんだと説得され、やむなく……、本当にやむなく、了承させられた。
流石にお弁当を用意された後になって遊園地のレストランで食事を済ませようなどとは提案できない。
何とか目立たないよう腰の後ろに荷物を回してみるが、椅子に腰掛ける時潰れるだのなんだのと文句を言われて、やむなく、……本当にやむなく、ダサイウエストポーチにぱんぱんに詰め込まれたお弁当を、お腹辺りで揺らす。
ダサイ……、ダサイな。ジョギングをしているおっさんが付けているウエストポーチの方がスマートだ。しかも、俺のはぱんぱんだ。それがより一層にダサさに拍車を掛けている。
「ダサくないか?なあ、ここで一つ相談なんだが、本当に俺に大事なお弁当を預けて大丈夫なのか?そんな大役を無事にこなせるような自信がなくなってきた。何故ならこのウエストポーチがこの上なくダサイからだ」
「……?それが古いから?」
「アンミ、古くても良いものは良い。けどな、これは古いだけじゃなくダサイんだ。ウエストポーチという時点でそこそこにはダサイのに、無駄に存在感を主張する色彩とか、そういうのがダサイ」
「なんか、青緑の動物」
「そうだ、よく気づいた。俺もそこはダサイと思っていた。きっとガチャピンのパチモノだ。ゲチョピョンとかそういう名前のキャラクターだ。なんだ、俺はガチャピンが欲しかったのに、本物は高くて買えなくて悔しい思いをしながら仕方なくゲチョピョンを買うのか?他人からはそんな切ない生い立ちまで邪推されるだろう」
「ここにね、ガチャピンだったら、歯が生えてるよ。あと、しましまの色が多分違うのかも」
「仕方ないから私が今度色を塗ってあげましょう。それなら文句ないんでしょう。まったく」
「お前は、……お前は俺が不当に文句を言っているように聞こえるのか?お前がこんなものをどこからか引っ張り出してきたからこんな惨めな格好をしているんだぞ。お前はウエストポーチした若者をテレビや雑誌で見たことがあるか、ないはずだ。それはあまりに外観を損ねてファッションとして成立しないからだ。仕方ないからお前がつけてくれ」
「仕方なくないわ。似合ってるわ。流行り始めてから追い掛けても二番煎じで物真似でしょう。ファッションとして二流でしょう。先取りしてなさい。来年パリで流行るわ、そういうのが」
「流行らん……、絶対流行らん。俺も大概だが、お前らのその帽子もどこから持ってきたんだ。似合ってないぞ」
「似合ってなくても私もアンミも我慢してあげてるでしょう。あなただけよ、そんなことでわがままを言ってるのは」
「別にお前らも我慢して帽子被る必要ないだろう」
「無難な帽子があって良かったわ。あなたのウエストポーチみたいなヤンチャなデザインだったらちょっと躊躇したけど、これくらいなら我慢するわ」
「ヤンチャなデザインの帽子などまず売ってないからな。このヤンチャなデザインのウエストポーチも本来売られちゃダメな代物だ。せめてガチャピンに似せれば良いのに……、なんなんだろう、これは。著作権に配慮したらこうなってしまったのか」
ウエストポーチを腹の前で持ち上げてじっくりと眺めてみる。やはりやりたくもないギャグを強いられているようにしか感じられない。
「分かったわ。ちょっと右に回すくらいは許してあげましょう。それでお互い妥協点にしましょう」
「何故最良の解決を探そうとしないんだ。俺の、ジャケットが赤だろう。すごい……、目立つんだ、この緑の生き物は。アンミ……、なんとかお前の仕事にならないか、このお弁当係は」
「アンミに仕事を押しつけるのはやめなさい。おっぱいで隠れるとでも思ってるんでしょう。でも、おっぱいが四つもあったら普通に不気味でしょう」
「緑の服だから、ちょっと目立たないというだけだ。別にお前でも良い。小さい子がつけてる分にはそう大して違和感のあるデザインじゃない。俺も幼少期には似合っていたかも分からん」
「そうやって人に押しつけようとする人間の方がよっぽど小さいわ」
「……そう、言われたらそうかも知れないが。アンミ、お前はどうだ?これ……」
「ミーシーがね、健介にお願いしてるなら、健介がね、持っててくれたら良いなって思う」
「…………」
「そもそも何をそんなにオシャレな格好にこだわるのよ。ちょっとダサイからといって警察があなたのこと捕まえたりしないわ」
「俺の基準ではこれはもうオシャレ警察の取り締まり範疇だ。遠巻きからクスクス笑われるのは刑罰みたいなもんだろう。見ろ、これを。何故笑わないんだ、お前は」
「じゃあクスクス笑われたら私に言いなさい。私がちゃんと責任を持って、そのクスクス笑っている人に説明してあげるわ。それなら問題ないでしょう」
「どうやって……、説明するというんだ」
「場合によるけど、貧しくてゲチョピョンしか買えなかったと言っておけばもう笑わないでしょう。あなたに謝るようにも説得するわ。それで気も済むでしょう」
それが、……最大限の譲歩なんだろうか。やれやれ、面倒くさいと言わんばかりの表情を浮かべて俺のウエストポーチを少し左へ回して一歩下がり、俺の全身を確認し、「まあ良いでしょう」と言った。
俺はもうちゃんと、自分の意見を主張した。それでもアンミからもミーシーからも救いの手が伸びないことを悟っている。そうなるとこのウエストポーチをいかに目立たせないかに注力すべきなんだろう。ジャケットで覆うようにして前屈みに歩けば隠しきれなくはないかも分からん。
「一応、最後に聞いておきたいんだが、手提げ鞄やリュックじゃダメな理由はあるか?」
「遊園地に行くのよ?両手を自由にしておく必要があるでしょう。あと、背中に背負ってたら潰れるでしょう。さっきそう言ったでしょう」
「お前らがウエストポーチを代理してくれない理由はあるか?ダサイという理由以外で」
「……まあ、正直に言いましょう。目立ちたくないのよ。だからあんまり似合わない帽子も被るのよ。あんまり目につく奇天烈な格好はできないのよ、私もアンミも」
じゃあそのどちらかを妥協してくれたら良いだろうにとは思うが、これ以上は平行線だろう。遊園地を楽しむためにはウエストポーチが最適だと信じきっているようだ。そうするとこれは俺のための配慮でもある。俺などは多少その辺りは犠牲にしてもやむを得ないと思っているが、ホストに作法を指南されたらそれに従うのが礼儀かも知れない。
目立ちたくないという理由で帽子を被るのはよく分からんな。髪の色の具合なんかを気にしているということなんだろうか。まあ、元々の状態であれば遠目でも識別できる特異さではある。俺に奇抜なアイテムを仕込んで自分への注目を避けるという効果を期待している、ということになると……、少し詮索しづらい話題に絡んではいる。
「我慢……、するか、じゃあ。お前も我慢してるわけだし、……悪気がないなら、俺も我慢するか」
このゲチョピョンを両手で揺すりながら会話する痛い奴を演じて同情を誘おうか。…………『やあ』、……、やめよう。
「じゃあそろそろ出掛けましょう。何よそんなシケた顔しないでちょうだい。あなたも遊園地に行きたかったんでしょう」
「ゲチョピョンに話し掛けるな……。やめておいたんだ、俺は」




