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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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三話⑳


「そりゃまた随分小さい頃からやってるんだな。英才教育か?それともアンミの趣味が料理なのか?」


「趣味、はいっつも料理してるから料理が趣味?」


 料理を始めるというのが、どの程度のことを指しているのかは分からん。手伝いをすることだって料理には違いないし、なんならお湯を沸かしたりするのも料理の一環とはいえる。俺が初めてお湯を沸かしたのが一体何歳の頃だったのかなんて覚えてもいないが、とにかく随分と小さい頃からをキャリアに含めるんだなと意外に思った。


 俺の個人的な感想ではあるが、才能というのは割と短期間で開花するものだ。だからアンミが、去年からとか一昨年からと言っても不思議じゃなかったし、なんとなくそうであれば良いなと思っていた。


 というのも、俺が例えば十年前から料理をしていたとしても、あるいは今後十年間料理をしたとしても、色々な面でやはりアンミの作る料理に及ぶ気がしない。だからなんならここでばっさり、料理は才能だと断言されてしまった方が良かった。


「料理を始めるようなきっかけはあったのか?」


 なんとなく始めたのであれば、そんな昔のことを覚えていたりはしないだろう。ただ、アンミはおおよその料理を始めた年代を推測できるようだった。興味本位できっかけを尋ねてみたが、それが悪かったのか、アンミは少し顔を逸らして困った表情を浮かべていた。


 余計な詮索だったか。まあ『覚えてないから構わない』と言おうとしたところで、アンミは表情を変えずにこちらへ目線だけ戻して「えっとね」と小さく呟いた。


「セラおじいちゃんと、スイラお父さんに、美味しいって食べて欲しくて料理し始めた。その時は上手にできてなかったと思うけど」


「ああ……、なるほどな」


 喜んで欲しくてとか、誉めて欲しくてとか、小学校低学年くらいであれば、まあそういうのが動機だったんだろう。立派な答えに違いないのに、アンミはどうもおどおどとそれについて語っている。


「今はミーシーと健介がね、美味しいって食べてくれると良いなと思ってる」


「ありがたい話だ。とても美味しく食べさせて貰ってる」


「うん、でも。……えっと、不味かったり嫌いなものがあったら言って?私そういうのもね、本当だったら調べないといけない」


 少し引きつった笑みだった。気を使ってのことなんだろうか。


「俺は好き嫌いというのもないな」


「うん。それ前にも聞いた。ちょっとそれは困ってる」


「言ったっけか?すまんな」


「あ、……ええっと、……言ってないのかも。ミーシーから聞いたのかも知れない」


「ああそっか。ただ考えてみてもやっぱり変わらんな。メニューやら食材やらで好き嫌いはない。こういっちゃなんだが、大概料理は、料理人のスキル依存だろう。アンミが作ればなんでも美味いんじゃないのか?」


「うん、まあ……、それなら良かった」


「ちょっと気になったんだが、不味いとか言われたことがあるのか?今の料理からは想像できないんだが、小さい頃とかに」


「うん。あるよ」


「……じゃあそのせいで余計な気を使ってたりしないか?少なくとも俺はアンミが作った飯が不味いと思ったことは一度もない。美味しくなかったことがない。誰だ、不味いなんて言った奴は……」


「うん?ミーシーが言ってた」


「そんな気はしてたがまさか本当に言ってたとは……」


「でも実際その時私も不味いなって思ってた。今は良くなってきたから、健介がそれで良いなら良かった」


 この時にはアンミに自然な笑顔が戻っていた。後ろ暗そうというか、ばつの悪そうな表情は、一体何に引っ掛かりを感じてのことだったんだろう。今の会話で復帰してしまうところから考えると、『俺が気に入っていればセーフ』みたいに捉えているように思われる。


「一応言っておきたいんだが、……俺は料理にいちゃもんつけたりしないぞ?」


「?ううん。美味しくなかったら言って?健介がそういうの言ってくれないと意味がない」


「そう言われても現状満点だからな。気負わずやってくれると助かるんだが……」


「じゃあ満点じゃない時言って。ちょっとは良くなるかも知れない」


「ああ、分かった。ごめんな、邪魔しただろう。準備続けてくれ。俺は見てるだけだから」


 変なトラウマで完璧主義者になってしまっていないか心配ではある。ミーシーが不味いと言ったのが原因だったとしたら、それはちゃんと和解できてるんだろうか。小さい頃のことをアンミも別にうじうじ気にした様子で話したりはしなかった。


 ミーシーは現在、美味しそうにご飯を食べている。単にアンミが強い向上心の持ち主というだけのことかも知れない。お客様評価シートみたいなものを逐一確認したがるプロのシェフのような考え方をしている。


 アンミはこくりと頷いてまた準備へと戻った。


 アンミから視線を外して一つ息を吐こうとしたところで、体が跳ねて椅子からずり落ちそうになった。


「ミーシー……。音もなく近寄るな。気配を殺すな」


「殺してないわ。勝手に死んでるんでしょう」


「なら、蘇生させてくれ、びっくりするだろう」


「一回死んだらもう中々生き返らないのよ。わざと足音立てて歩くのも変でしょう?」


「まあそうなんだけどな。そんなわざわざ音立ててくれなくても良いが……。なんか用か?」


「早寝するならお風呂も早めに入ったらどう?話したいことがあるなら明日以降でも構わないでしょう?」


「ああ。そうだな。そうしよう」


 怒るでもなく優しく諭されてしまった。アンミの邪魔してたのは間違いないし、咎められる前に退散するのが良さそうだ。よいしょと立ち上がってちらりとアンミとミーシーを見て、風呂場へと向かった。


 いっそ風呂から出たらすぐにベッドに入って横になっていようか。シャワーを浴びて頭を洗って、湯船に浸かってゆっくりと呼吸を繰り返す。特にやらなきゃならないことがあるわけでもないし、湯冷めしない内にベッドへ直行が正解のようだな。


 あくびが一つ出た。歯を磨いて風呂から出て、一応ミーシーに出たことだけ伝えておいた。階段上って、自室へ入って、ドアは少し隙間を空けておく。目覚まし時計だけちゃんとセットして確認をして、電気も消した。


 変な時間に起きなきゃ良いが、少なくとも時間的な余裕は随分ある。目を閉じて眠気が訪れるのを待とう。


「ミーコ、おやすみ」


「おやすみニャ、健介」


「…………」


 まあ、そんなにすぐに眠れるもんでもなさそうだな。





 そろそろ一時間が過ぎただろうか。それともまだせいぜい三十分が過ぎた頃だろうか。


 こうして時間の感覚も朧げになっていく。いつ眠りに落ちてもおかしくない。呼吸だけは続けながらも、体の感覚はもう残っていない。そんなふうに頭がぼんやりとし始めると、予期せず回路が繋がって、何かどうでもいいことにはっと気づいたりする。


 それは脳が休眠への切り替えを上手くできずに引き起こす誤作動なのかも知れないし、夢の世界へ溶け込む狭間に見える別次元の何かに影響を受けてのことなのかも知れない。


 とにかく俺は何かに気づき掛けていて、それなのにそれが何なのかを、はっきりとはイメージできないでいる。


 目を覚ませばあっと言う間に霞んで消えてしまうだろう。この絶妙な感覚の中でのみ、俺はそれに気づいていられる。


 ……俺の耳元で、ヒソヒソと囁く気味の悪い声が響いていた。何を話しているのかは全く聞き取れない。ともすれば日本語ですらないように思われる。ただずぅっと、耳元で囁き続けている。


 ヒソヒソ、ヒソヒソと。


 そんなことをされたら当然寝心地も悪いわけで、頭を掻きむしって声を振り払ってしまいたかった。唇が耳たぶに触れるほどに、生暖かく吐息が鼓膜に届くほどに、その声が近くにある。


 冷静に考えてみれば、それはかなりの恐怖体験ではある。お約束のように、俺の体は指先一つを一ミリ動かすことさえできないまま横たわっている。離れろと心の中で精一杯に念じてみた。それくらいしかできなかった。


 幸いなことといって良いのか、その気味の悪い声の主は意外に聞き分けが良いらしく、俺の心の叫びを察してなのか、申し訳なさそうに一歩下がった。途端にその形に空気が流れ込むような奇妙な感覚があった。


 部屋の空気が、女の形に揺れていた。


 すらりと長い手足が俺から離れていくのが分かる。それでもまだ、ヒソヒソ、ヒソヒソと、声は俺の頭の周りを飛び回っていた。


『気づいて』


 ぞわりとする。それは今の今まで、単なる雑音に過ぎなかったはずだ。


『気づかないで』


 微かな声が枕に吸い込まれていく。布団や俺の服にも、粘りついてくる。それが少しずつ重みを増していくのが分かった。


 やめてくれ、やめてくれと、俺は心の中で叫んでいる。女はただただ申し訳なさそうに、ヒソヒソと続けながら部屋をうろうろと歩き回っていた。砂のような声の欠片が俺の肌を這い回り汗を舐めている。


『気づいていないのですか』


 空気は何度も肺を行き来しているはずなのに、そこから酸素だけが失われてしまったかのように息苦しさが続いている。


 女の影はもう俺の態度に嫌気が差してきたようで、また一歩、また一歩、俺に覆い被さるほどに近づいて声を吐き出す。それが果たして言葉のように成り立っているのか分からない。


 垂れたアイスのようにじっとりと俺にまとわりついている。もしかしてそれは口に含めば甘みを感じられるものなのかも知れない。だが、そんな得体の知れないものを受け入れる勇気がなかった。


 そんなものを体に取り込んで同化してしまうのが恐ろしい。


 台詞のないマンガのオチを考えさせられている。外国人のジェスチャーで道案内をされている。その影が何度も何度も繰り返す声が次第に白く積もっていく。





「……っ」


 手のひらがひどく汗ばんでいた。布団を押し上げて体を起こす。首を向けても人影などはない。目を凝らしてじっくりと、さっきまで女が立っていたはずの場所を見つめてみる。当然というべきか、その場にそれらしい痕跡などもない。


 変な時間に寝ようとして、悪夢を見たんだと、自分で自分に言い聞かせてみるが、でも、妙に生暖かい空気が今もまだ俺の周りに漂っているような気がしてならなかった。


「……ミーコ、ミーコ。起きてるか?」


「起きてるニャ」


「寒くないか?ちょっとまあ、とりあえず出てこないか?」


 ミーコはベッドの下から歩いて出て、こちらへ振り返った。それを掬い上げて枕元へと置く。


「どういうことかをちゃんと説明して欲しいニャ」


「今晩はここで寝てくれ」


「……まあ、良いニャ」


 単なる悪夢ならそれで良い。だがどうしてか、夢だったというよりは、俺が眠ろうとしているところへ何かが忍び寄ってきたという感覚が強かった。まだ眠っていない時点で、体の自由が失われつつある中で、俺へ襲い掛かろうとしていたように思えてならない。いわゆる悪霊の類が、俺の眠りを、ベッドの横で待ち構えて、延々と呪いの言葉を吐いていた。


「悪霊退散というのは、俺がペンで書いたものでも効果があると思うか?」


「多分、念とかこもってないとダメだと思うニャ。悪霊出たのかニャ?」


「ああ……。多分。もし見掛けたらちゃんと教えてくれ。人間よりも動物の方が霊感的なものは強いだろう。気配を感じたら教えてくれ」


「悪霊なんていないニャ、健介」


「悪霊……、じゃあ、悪霊じゃないかも知れん。普通の霊かも知れん」


「普通の霊もいないニャ。幽霊はわざわざこんな田舎まで来ないニャ」


「幽霊の考えることなんて分からんだろう。もう観光名所は回り終わって田舎巡りをしてる可能性だってないことない」


「分かったニャ。ニャーっ、ほら、今のニャーでいなくなったニャ?安心して寝ると良いニャ」


「…………。今のでか?」


「今のでいなくなったニャ」


「そうか……。まあ、待て。ここで寝てくれ。俺が魂を奪われそうになったら起こしてくれ。多分、予兆とかがあると思うんだ。寝てくれて構わないが、もしヤバイ気配に気づいたら起こしてくれ」


「うなされてたら起こしてあげるニャ」


「じゃあ、……頼んだぞ」


「頼まれましたニャ」


 枕にまた頭をつけて、しばらくの間はミーコを視界に捉えておくことにした。ミーコからすれば迷惑な話だろうが、こうでもしなくちゃ安眠できない。


 二秒、目を閉じてみる。


 薄く瞼を開けてミーコの輪郭が動かずいることを確認する。


 また目を閉じる。


 それを何度も何度も繰り返して、ああまた、眠気が俺を誘っている。明日は早起きしなくちゃならないんだ。だからできたら、今日はとりあえず俺の安眠を妨害しないでくれ。


 明日以降なら、もう少し落ち着いて話を聞いてやれるかも知れないから……。



第三話『誰があなたを思いやるのか、知っていますか?』

Only I am considerate of you.



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