三話⑲
「意外と熱中してるニャ?」
「意外とな。すんなり読了できそうだ。この段階ではまだ推測だが、読後感もそう悪くならない気がしてる」
面白いか面白くないかで考えると、面白くない寄りではある。このおじさんの能力というのがかなり限定的なせいもあって、見栄えするような派手なアクションなんてのはないし、あんまり客観性もなく自己申告で世界を救ったとしているから、共感したりカタルシスがあったりもしない。
著者は多分ノンフィクションのつもりで書いてるから、さすがにあっと驚く伏線やトリックがあったりしないし、魅力にあふれたキャラクターが登場したりもしない。そういう意味では面白くなる要素というのもないわけだが、変に壮大な物語よりは気楽に読み進められるし、押しつけがましくない文体も好印象だった。
「やはり変にどんでん返しがあることを期待してるとブレーキが掛かったりするんだろう。これはそういうのがないからな」
黙々と読み進めて、なんの引っ掛かりもなく読了した。全編通して癖もなく、盛り上がりもない。特に印象に残るような場面というのがこれといって思い出せない。
普段であれば、余韻もなく読了済の本棚に突っ込んで終わるところだが、今回感想を聞かれる可能性も加味して、読書感想文を書くとしたら、というのを少しだけシミュレーションしてみることにした。
およそストーリーの展開は把握できた。このおじさんの原動力というのもまあ、超人類の宇宙へ開かれた感覚によるものだ。地球温暖化とか海洋汚染とかとはちょっと種類は違うにせよ、そういうのに取り組む姿勢と、志や使命感の崇高さは似ているのかも分からん。
科学的な根拠のないところで奮闘しているということを抜きにすれば、素直に立派な人物なのだろうと思う。また最初からパラパラとページを捲って引用できそうな一文がないかを探していく。
読書感想文の課題図書などであれば、課題足る所以を大人が先に見つけてくれてて探せばどこかに答えがあるんだろうが、超人類の場合、着眼点をどこに置くべきなのかも難しい。
無理に美化すると嘘くさいし、テーマに乗っかるには宇宙軸の崩壊に危機感を抱いていなくてはならない。哲学なのか宗教なのか自己啓発なのか、あるいはもっと実際的に環境問題の話なのか区別もつかない。
「健介、二回目かニャ?」
「ああ……」
「二回も読むほどのものかニャ?」
「いや……」
「律儀なことニャ。感想考えてあげてるのかニャ?」
「あんまり人から本とか貰わないからな。今までこれ以外貰った覚えとかがない。ちょっと扱いに困る部分というのはあるな」
「ミーシーはその本読んでないと思うニャ」
「そりゃそうだ。俺もプレッシャーがなかったら読まない。いらぬ先入観を植えつけてくるからな、この表紙だと」
「ミーシー読んでないなら、感想教えてあげても意味なくないかニャ?」
「…………。もしもな、これがオススメの本だとか、面白いから読んでみてとか、そういう話でプレゼントされてたらな、お互い感想を言い合ったりとか、なんなら俺からもオススメの本を見繕ってやったりとかできたんだろうなあと、そういうふうに思ったりはするんだ」
「?でも、ミーシーはそういうつもりでプレゼントしてないのニャ?」
「言うな……。そうだったら良かったなと夢見ただけだ。そうじゃないことくらいは分かってる。というか、感想も聞かれないだろう。俺が一方的に感想を伝えるだけだし、ふぅんという程度で流されるだろう。お前の言う通り律儀なことをやってるんだ、俺は。放っておいてくれ、プレゼントを貰ったんだぞ。良いところを探したくもなる」
「なんか勿体ない話ニャ。ミーシーもちゃんとしたのをあげたら良かったのにニャ」
「そんなちゃんとしたもの貰っても困っただろう。この本はな、俺が気に入るか気に入らないかで考えると極めて微妙で中途半端な代物だが、俺への好感度で考えると極めて妥当な選出な気がする。雑に選んだ感じがよく出てて、何をお返ししても許されそうな雰囲気がある。今回の場合なら読後の感想でも呟いておけば良さそうだ」
そんなことを頑張ったところでミーシーに実利があるわけでもない。あくまで主目的としては暇つぶし以外の何ものでもないが、挨拶程度には言葉を返しておくのが礼儀だろう。話題の一つにでもなれば儲け物だ。
とりあえず流し読みの二周目を終えてみて、やはり特に意図なしに買ってこられたんだろうと結論付けた。わざわざ購入するほど大層な情報というのは見つけられないし、俺への意思伝達を目指したような暗号などもない。まさか本気で啓蒙するつもりでもないだろう。
本を閉じてぼんやりと椅子に座ってしばらくすると、階段の軋む音が聞こえてきた。コンコンとノックに続けて「晩御飯できたよ」とアンミの声が届く。結構長いこと検討会をやってたことになるわけだな。
「ああ、ありがとう」
ミーコも引き連れて階下を下り、席に着いた。
「ミーシー、お前がプレゼントしてくれた本な、ちゃんと読んだぞ」
「読まなくて良かったでしょう。表紙とにらめっこして読むか読まないか永遠に迷ってたら良かったわ」
俺が読むことをそもそも期待していなかったわけか。まあそんな気はしていた。別に損した気分になったりもしない。
「中身は割と読みやすかったし、面白かった」
「?そこじゃないでしょう。表紙が一番面白いのよ?あと表紙に一番奥深さがあるのよ。こうはなりたくないし頑張ろうという気持ちになるでしょう?ちゃんと読んでもためになったりしないわ」
「ためになったりはしないが、……エンタメ小説は大抵ためになったりしないだろう」
アンミから茶碗を受け取って箸を取る。「いただきます」をしてから簡単なあらすじと感想を呟いて読了報告とした。
「植林してる場合じゃないでしょう、ハゲてるのに……」
「ハゲてたけど、別に植林したって良いだろう」
「そうね。むしろハゲの方が植林したくはなるかも知れないわ」
「ハゲてるかどうかは関係なく宇宙を救うために植林してたんだ、あのおじさんはな」
「…………。そんな話を本気で信じてるとしたら少しヤバイと思うわ」
ミーシーは一旦食事を止めて、俺の目を覗き込むように首を傾けた。一刀両断だな。そこを突かれたら何も言えない。まあ読んだという証明さえしておけば十分だろう。話題を変えよう。
「遊園地はどうする予定になったんだ?」
「…………」
「私はいつでも良い。健介は都合が悪い日とかがある?用事があるかも知れないって言ってた」
「そうだな。明後日とかはちょっと都合が悪い」
「早めの日程の方が良いとは思ってるわ」
「じゃあ明日とかか?」
「そうね。先延ばしにしても仕方ないし、明日にしましょうか」
「俺はそれで良いが、アンミは大丈夫か?」
「まあ大丈夫でしょう」
「そうか。…………。ミーコ、お前は、どうしよう。どうするんだ?」
「…………」
ミーコへ首を向けてみたが、ミーコは黙ったまま何も返さなかった。事前にそういうことを相談してやるべきだったかも知れん。一日一食で良いならそう困ることもないとは思うが、一匹留守番させるとなるとちょっと気を使うところだ。
「ミーコ?」
「元から晩御飯しか食べないニャ。家でゆっくりしたり気ままに散歩したりするニャ」
「おやつにツナ缶くらい置いといてあげましょう。晩御飯までに帰ってこれば問題ないでしょう」
「ミーコそれで良いか?」
「なんならそれくらい何も言わずに出掛けてても大丈夫ニャ」
「猫に気を使い過ぎでしょう。私たちがいない方が気楽に過ごしてるわ」
ミーコ本人が納得してるなら良いか。心配が必要な猫というわけでもないだろう。アンミは「そっか」と呟いてミーコの方を見た。俺も若干申し訳なさは感じるが、猫が誘われても楽しいところではないだろうしな。何をどう考えても留守番ということには変わりない。
ミーコは別に寂しがるでもなく、まして駄々をこねたりはしなかった。
「じゃあすまんが留守番は任せた」
「あなたも留守番にならないように気をつけなさい。寝坊犯罪人でしょう。生活リズム整えなさい。じゃないと猫とツナ缶分け合うことになるわ」
「確かに……。気をつけないとならないな。リベンジのチャンスをくれ。明日こそはなんとかしよう」
「アンミもよ。ちょっと早めに寝ることにしなさい」
「うん、分かった」
ミーコの心配よりも自分の心配をすべきか。二人からすれば寝坊常習犯なのは間違いない。朝から出掛けるというのなら、足を引っ張って予定を崩さないように気をつけなくちゃならん。言われた通り、今日も早めにお布団に入ることにはしよう。
その後もミーシーはアンミに大体の予定と注意事項を告げていた。具体的な時間こそ明言されなかったが、やはり朝御飯を食べて少ししたら遊園地へ出掛けて晩御飯の時間の前に戻ってくる予定とのことだ。アンミは明日のことも考えて仕事をしなくてはならないようで、朝御飯も昼御飯も、なんなら晩御飯の下ごしらえまでしておこうかどうしようかと悩んでいた。
ミーシーは別にそれを要請したりはしなかったが、アンミは事前準備として今日少しだけでもやっておくことに決めたようだ。割とスムーズに日程はまとめられた。まずミーコが一番に晩御飯を食べ終えて階段を上っていく。
続けてミーシーが「ごちそうさま」と手を合わせて居間へと向かって歩いていく。どうやらまたテレビを見るつもりらしい。俺も食べ終わって手を合わせて食器を台所へ置いた。
早寝するとして、あと数時間をどうやって過ごしたものか。
「遊園地……」と、アンミは嬉しそうに呟いて、食器の片づけを始める。楽しみな予定がそうさせているのか、心なし体を揺らすようにして食器を運んでいた。
バイトの調理担当の件もあるし、ちょっとアンミを眺めていようかと思った。というわけでまた、椅子に腰掛けて首だけアンミの方へ向けておく。皿を擦ってジャバジャバと水を潜らせ、それをカチャカチャと重ねていく。
そこまではせいぜい手慣れているなという感想を抱く程度だった。が、その後だ、アンミはわざわざその洗った皿をふきんで一つ一つ拭っていた。
……そういうものだったのか。あんなもの放っておけば自然に乾くだろうに。それがまず一つ目の学びポイントだった。拭った方が、上品ではある。
「なるほど……」
アンミは続けて明日の下準備というのに取り掛かるようだった。冷蔵庫から野菜を取り出してそれを机へと並べていく。その時に俺がまだいることに気づいたようだが、別に邪魔者扱いはしなかった。
アンミが口を開く前に「見てて良いか?」と聞いてみる。少し不思議には思ったようだが、「うん」とだけ聞いた。
了承を得て、俺も椅子の角度を少しアンミに向けて腰掛けなおす。ザックザックと一つを切り、それを茶碗へと移してラップを掛ける。ザックザックと一つを切り、それを皿に載せラップを掛ける。俺は本来手元を見て学びを得るべきだが、アンミの表情に視線を奪われてしまっていた。
本当に穏やかに、楽しそうに、嬉しそうに、微笑んでいる。それが料理が楽しいからなのか、遊園地に思いを馳せてなのかは定かじゃない。
「ん……」
へえ……。まな板を、わざわざ洗うのか。野菜は別に、あれじゃないのか?汚れないような気がしていた。肉は確かに、雑菌とかが繁殖しそうだが、野菜はセーフだと思っていた。
そもそもまな板をスポンジで擦って洗うなんて発想が俺の中にはなかった。あれは汚れたと思ったら洗剤を塗りつけてお湯に浸けておくのが正しい除菌方法だと思っていた。
野菜を切る場合はセーフだと思ってたし、俺が料理する時など肉をわざわざ切ることは稀だ。こうして観察してみると、アンミと俺とでは片づけの文化水準ですら違う。見られているからかとも思ったが、別段アンミに気負った表情というのはない。先程から変わらず、微笑みを湛えている。
面倒くさくないんだろうか。面倒くさいはずだ。一人黙々とどうしてそう笑顔のままで作業を行うことができるんだろうか。俺にはその感性というのがよく分からない。俺もアンミくらいに料理をできれば、自信を持って楽しんで作業することができるようになるんだろうか。できるようになれば、できる才能があれば、料理を好きになったりするんだろうか。
アンミが振り返って次の野菜に手を伸ばした時に、声を落として聞いてみた。
「アンミは、料理が好きなのか?」
先にミーシーの意見に流されて『嫌いなのかも』と答えたアンミだったが、やはり嫌そうに作業をしてたりなんてしない。俺の質問にネガティブな答えが返ってくるなんてのは想像できなかった。
「?……好き?食べるのが?作るのが?」
「作る方だ。楽しそうに料理してるかなと思ったんだけどな」
「楽しそうにしてる?好きなのかな」
これはひどいな。先のミーシー意見に左右されたのと同じように、俺の発言をおうむ返しするように今度は『好きなのかな』とまるきり真逆の答えが戻ってくる。『かも』と『かな』だとどっちの意味が強くなるんだろう。反射的に相槌でそう返すだけなのかも分からん。
「そう見えたんだけどな……。嫌々料理してるというわけじゃないだろう?」
「うん。嫌じゃない。健介は料理するのは楽しいと思う?嫌だったりする?」
「どうだろう。上達していくなら楽しいだろうし、上手い料理ができて自信を持てたら楽しくもなるかも分からん。だが、ハードルは高いよな。俺は上達したとか感じたことがないし、達成感を味わったこともない」
「ふぅん……。ええっと、健介は上手にできるならやりたくなるってこと?」
「まあ、そういうことになるかもな。アンミはいつから料理してるんだ?」
「いつから……。うん、結構前から。何年前かな。そういうの数えるのがまだちょっと苦手。でも多分六年くらい前。もっとかも。七年かも」




