三話⑭
「うん。そうそう。それなんだけど健ちゃんの携帯の方さ、電話しても繋がらないんだよ。着信拒否みたいなのしてたりする?」
「いや、携帯壊れたんですよ。て、店長こそこっちから電話掛けても繋がらなかったし……、それよりのんびり電話してて大丈夫なんですか?」
「うん、大丈夫だよ。そうそう。店をね、こう、残念なんだけど、閉店ってことになったでしょ?」
「そう、ですね。なのに?何でそんな落ち着いて……、大丈夫ですか、本当に」
「うんうん。大丈夫大丈夫。僕って元から割とのんびりしてる方じゃない?」
「そりゃ、元は……、そうでしょうけど。今、でも、のんびり電話してる場合じゃない、んじゃないですか?」
「まあそうだよね。健ちゃんにさあ、一生のお願いというか、これ陽ちゃんにもよろしく言っといてくれると助かるんだけど……、あのねえ」
「一生の……、お願い?」
「うん、そう。ちょっと真剣な話」
「……?……?遺言?あの、もしかして、ヤクザに捕まってるとか、そういう……、状態だったりしますか?……最後だから、家族と話せとか電話渡されて、間違って俺に電話掛けたとか……?」
「ん……?どういうこと?お店がさ、潰れたのは知ってるでしょ?」
「そうなんですよ。それさっきも言いましたよ」
「でね、僕はちょっと用事でフランスに行って、ああ、えっとね、健ちゃんには言ってないと思うんだけど、友達の結婚式がそこであってさ、それに出てたんだよね」
この要領を得ない話しぶりに懐かしさを感じつつも、焦りと驚きは消えていない。それも手伝ってか俺の中に上手く店長の状況を組み立てられないでいる。このおっさんは何を言ってるんだと話せば話すほど、俺の中で疑問符が増殖していく。
「店が潰れて、海外に逃亡したんですか?いや、確かに店が潰れたからってその友達の結婚式がめでたくないわけじゃないですけど、そんなの出てる場合じゃなかったでしょう」
「僕もほら、忙しいのにね?」
「忙し、忙しくは……、まあ、忙し、どうだろう、忙しいんですか?」
「誘われたら断れないじゃない?でもその間はお店も閉めなくちゃいけないしどうしようかなって思ったんだけど、よく考えたらどうせお客さん来ないでしょ?ウチの店って」
「…………。ん、どうせ、確かに。来ないですね」
「まあそれでね。僕はあのお店、もうお客さん来ないなっての分かってるわけ。残念だけどさ」
「それは、分かってたんですか……。分かってないのかなと思ってました」
「うん、分かってたよ。陽ちゃんとかは多分分かってないよね」
「まあ、陽太は、どうだろう。じゃあ、それは置いといて、とりあえず店長は無事なんですね?」
「え、全然無事だよ。話続けるけど、でね、フランス行きの飛行機乗る前々日の夕方までどうしようかなあって悩んでたんだけどさあ。僕良いこと思いついちゃったわけ。一旦、お店が潰れて、僕はフランスに行くんだけど、そこでさあ……」
「一旦?」
「うん、そこでね、フランスでさ。オシャレなテーブルとかチェアを買って、それを日本に送るでしょ?」
「…………?何で日本に送るんですか?テーブル?」
「なんでって……、え、どういうこと?まあまあ、とりあえず送るでしょ?で、僕が帰ってから……」
「かえっ、ん?店長は帰ってくるんですか?」
「えっ、そりゃ帰ってくるよ。何?帰ってこないって?おかしいでしょ?フランス行って帰ってこない人とかいないでしょ?」
「いや?店長借金とかは……、してないんですか?」
「してないんじゃないかなあ。多分してないと思うけど」
「…………。なるほど、じゃあ、借金取りとかは、いない」
「いないと思うよ、借金してないしね」
ちょっとこれは雲行きが……。
釈然とはしないがもしかして、店長は海外に?遊びにいってただけ?だったりするのか。そうまで考えられるようになってから部品を集めて組み立ててみる。
一旦……、一旦廃業?一旦とかあるのか。意味は分からん。
「なんで借金の話になったの?」
「いや、急に廃業してるから……」
「うん。そうそう。それをね、今説明しようと思ってさ。友達の結婚式があったからさ。だからフランスに行くことになったんだよね」
「ああ、まあそれは分かったんですけど、で、フランスに行ってテーブルとチェアを?買って、日本に送って、で、店長は帰ってくると」
「そういうこと。要するにね、お店のインテリアが新しくなるってこと。ああそれと、新装開店のリニューアルオープンでね、お客さん来るんじゃないかなあと思って」
首を上げて天井をじっくりと眺めて、深い呼吸を何度か繰り返す。というのはつまりだ、俺はまあ随分と滑稽に、一人相撲をしていたということになるんだろうか。
店長の思考というのがなんとなく分かってきた。フランスにいる間、店を閉めなくてはならない。元より経営状態が芳しくない。折角だからインテリアを新しくフランスで買おう。これをリニューアルオープンと称せば店が休業状態であることにも言い訳ができるし、新しくお客さんが来るかも知れない。
それが論理的に繋がっているかはともかくとして、俺はこの件の連絡不足で、甚大な心労を与えられている。うきうきと話す様子から察するに、店長は加害者意識などもなさそうだ。おそらく悪意もないんだろう。
「じゃあ、店はまたあの場所で再開する予定ってことなんですよね?」
「うん、そうだよ。そう、それでさ」
「いや、ちょっと、待って貰って良いですか?その件って陽太は知ってますか?俺もいきなり廃業の貼り紙見つけただけで何が何やら分からなかったんですが」
「ごめんね、健ちゃん……。言っといた方が良いかなあって迷ったんだけどさ、海外旅行って言うと、健ちゃんも陽ちゃんも行きたいとかって言うかもって思ってさ。ほんとごめんね」
「ああ……。割とちっちゃい理由で秘密にされていた……。断ったら良いでしょう。行きたいとか言い出すのがいたら……」
「うぅん、まあ、そうなんだけど……。言い出しづらくて……」
陽太がぽろっと行きたいなんて言うかも知れんが、そこは別に断ったら良いだろうに……。結果として余計な心配させて周りに迷惑を掛けている。
「じゃあ……。今後は、もしまた仮に、同じようなことがあったらなんですけど、俺には言っておいて貰って良いですか。本当に心配したし、もう店長と会えないかと思ってた」
「うん、そう。ごめん。いやほんと悩んで悩んで、最後まで決めかねてさ。健ちゃんならさ、言っても大丈夫かなとは思ったんだけど、なんかそれもひいきしてるみたいに見えるとやだし。それも含めて『ごめん』って、貼ったんだけど」
「大体、まあ、分かりました。それで、いつ帰ってくるんですか?陽太には連絡してますか?」
「今日帰ってきたとこだよ。陽ちゃんにはこの後電話する予定。健ちゃんもしかして怒ってる?」
怒ってるかと聞かれて、今俺の中にある気持ちがどういう分類になるのか考えてみる。怒っていないわけじゃないんだろう。嫌な気持ちになっていないわけじゃない。
でも総じて述べるに、複雑な気持ちとしか、形容しようがない。怒るに怒れず喜ぶに喜べず、どんな感想があるものなのかもはっきりと分からない。
「いや……、本当に、夜逃げだと思ってた。良かった、のかな。笑い話といえば笑い話か」
「ええ、そんなに心配させてるとは思ってなかった。いっつも僕がいなくても気づかなかったりするじゃない?」
「そんなことはないですよ」
「夜逃げとかだったら逆にちゃんと挨拶しにいくよ、お世話になってるんだからさ」
俺が店長の思考を読み解けなかったのがいけなかったのかも知れない。
それこそ探偵のように証拠を探せば、店長の行動を推測することはできたんじゃないだろうか。店長の自宅の電話番号から住所を調べて、なんなら窓ガラスを割って家宅捜索をしても良かった。
結果として店長に非があるわけだからおそらくそこまでやっても許してくれただろう。それは最終手段にしておくとしても、俺や陽太に予定を知らせなかったとはいえ、仕入れ先の業者にまで嘘をついたり隠したりはしてないはずだ。証言を集めてすり合わせたら、ぼんやりとでも輪郭というのは浮かび上がったに違いない。
……そんなふうに、今になって思う。
もしも俺が、必死に、一生懸命に、店長の捜索をしていたら、これほどあっけない答えが見つけられて全て解決していたんだろうに。置き去りにされた俺は、何も探そうとしなかった。ただ出来事だけを受け取って、それが全てなんだと動くのをやめた。立ち向かうのをやめた。
そんな俺の性分というのを恨めしくは思う。……心配ばかりして、他には何もしなかった。
「…………」
「健ちゃん?お土産もあるしさ。今日ってお店来れない?」
「昼御飯食べ終わってからなら大丈夫です」
「うん。じゃあ、来てね。陽ちゃんも呼ぶしさ。今日は多分夜までずっとお店にいるから別に急がなくても大丈夫だから。じゃあバイバイ」
通話を終えて一つため息が出た。魂までそのまま出て行きかねない。結果を考えれば完全に俺の取り越し苦労で、悪いことなどそもそも一つも起こっていないということなんだろう。
胸にあったもやもやは一つ消えたことにはなる。店長の連絡能力と俺の問題解決力は今後の課題として気の向いた時に話し合いの場を設けることにしよう。
通話中もそうだったのか、俺が振り返るとアンミは直立の姿勢でこちらへ視線を向けていた。今日ちょうど少し前、俺もアンミに間違った説明をしてしまったことになるわけだから、店が潰れたのは勘違いだったとちゃんと訂正しておく義理があるようには思う。アンミにとってはどうでもいい話ではあるんだろうが、説明するなら今が良いタイミングだろう。
「アンミ……」
「うん」
「ちょっと前に俺は、自分が勤めてた店が潰れてしまったというようなことをアンミに説明しただろう?」
「うん」とだけ返して、アンミは少し目線を泳がせた。思い出す時にそうやって瞳が動くのかも知れないし、気まずい話題に触れる時にそうなのかも知れない。ただし、こう近場にいたわけだから、大体の会話の内容は聞こえていただろうし、『もしかして』なんてふうに推理はしてくれているようには思う。
「それが実は、潰れてなかったという、……潰れてはいたのか。まあどちらにせよ、それをすぐまた再開する予定だというような連絡が今来た」
「ええっと……。おめでとう?」
「そ、……ああ、そうだな。おめでたい話なのかな。ちょっと俺も釈然としないし、俺が想像してたのと全然違った説明だったからすんなり受け入れられなかったが、まあ、良かった。おめでたい知らせだ」
「良かった。健介はまたそこで仕事できるってこと?」
「そうなるんだろうな。俺からは退職する意思はないし、クビにされない限りは」
「そうなんだ……。へえ……。…………。良かったね」
アンミからすれば、もう良かったねくらいのコメントしかないのが当たり前だ。一応なんかしら気の利いたコメントを返そうと考えてみてくれたようだが、俺も多分知りもしない店がどうなったと言われてもそれくらいの感想しかないだろう。
「ご飯できたよ、ミーシー起こしてくれる?」
「ああ。いや、いるぞ、起きてる」
首だけ動かしてミーシーの様子を確認したが、もうミーシーはこちらへと歩いてきていて、そのまま椅子へと腰掛けた。
一度首を後ろへのけ反らせて箸を取り「いただきます」と手を合わせる。俺もアンミもそれに合わせようと席について手を合わせて「いただきます」を唱えた。
昼食はミーシー要望であろう魚料理ではあったんだが、別段ミーシーがそれに対して喜びを見せるということもない。俺はなるほど美味いなと思ったんだが、レシピをメモしたミーシーを誉めるべきなのかに悩んで、結局何かしら感想を口にすることはしなかった。
「飯を食い終わったら少し出掛けてくることにする。多分そんなに遅くはならないと思うが……、遅くなりそうだったら連絡するようにする」
「うん、……どこに?」
「ちょっと店に顔を出すことになった。さっき話した廃業してた店の今後について、ちょっと話し合いが必要だったりするんだろう」
「ミーシーと私は留守番?」
「まあ割と俺個人の事情だからな。ゆっくりおやすみしててくれ」
「そういう個人的な話で出掛ける場合はいちいち言わなくても大丈夫よ。なんならアンミに聞かれた時でも私が代わりに答えてあげられるわ」




