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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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一話③




「どういう、ことなんだろう」


 俺はどうやらベッドの上にいるようだ。ここは紛れもなく自分の部屋であるはずなのに、薄暗いせいなのか、今の今まで見ていた夢のせいなのか、どこか現実感が薄い。というよりも、先までの夢が、今もまだ続いているように思えてならなかった。


 窓の外に明るさもなさそうで、不思議なことに時計は夜七時を示している。


「…………。意味が、分からんな。二度寝で、こんな時間になるか?」


 時計が狂ってるのかも知れんと思って携帯を探すことにした。逆に早めに目が覚めて外が薄暗いという可能性もないことはない。が、いつも置く場所に携帯は見当たらなかった。続けてポケットをまさぐってみる。両側のポケットにもない。布団を持ち上げてみたがどうやらベッドにもなさそうだ。


「あれ……。いつ着替えたんだ、俺は」


 まあ、じゃあ、……他の時計を確認するか。台所の時計を確認して固定電話から自分の携帯に発信してみればおよそ問題は解決する。仮に本当に夜七時で俺が無断欠勤をしでかしていたなら、店長に謝罪の電話も入れたら良い。


 夜……、ということもないとは思うんだが、寝不足なのか寝過ぎなのかははっきりと分からなかった。妙に頭はぼんやりしているし、どこか体もぎこちなく動く。少なくとも昨日の段階では寝込むような風邪の予兆もなかったはずだが、一応これも体調不良の一種だろう。もし早朝だったら、今日はちょっと大事をとって寝てることにしようかな。体は熱っぽいし、それはともかくとしても……、嫌な空気が俺にまとわりついているように感じる。とりあえず部屋から出て階段に足を踏み出した。


「ん……」


 まず、どうしてか、階下が明るいことに気づいた。消し忘れだろうと、……思い込もうとしたが、照明はともかくテレビを消し忘れて部屋に戻ることなんてあるだろうか。小さく話し声が聞こえる気がする。テレビを、消し忘れることなんて、まずない、はずだが。


 じゃあなんだ、声が聞こえてないか。外から聞こえてるんじゃないかとか、誰かが勝手にこの家に上がり込んでるんじゃないかとか、色々と可能性を考えてみた。外からとは思えない。頭がぼんやりしてるせいか反響してる加減のせいか、声はこもって聞こえてくる。


 だが一つ断言できることに、俺はその声に、聞き覚えのある特徴を見出すことはできなかった。女の声だ。声の質も、言葉の区切りも、ミナコと似通う部分がない。気づかぬ間に足を止めて聞き入っていたが、努めて静かに、一歩足を下ろした。来客ならばせめて上がり込んでも玄関までだろう。階段をまっすぐ下りた先の台所から声が聞こえてくるなんてことはあり得ない。


 若いぞ。親戚とかですらない。仮に親戚だったとしても合い鍵なんて持ってるだろうか。昨日は、鍵を掛けた、掛けるはずだ。記憶はないが、トイレの鍵と同じレベルで習慣化している。玄関のドアを閉じた瞬間に振り返ることもなく指で弾いて鍵を掛ける。


 ……また一歩進む。自分でも寝ぼけていると思う。でも確かに、話し声は聞こえていた。いっそカツンとかギィとか、パタパタと、物音も伴っている。俺以外の誰かがこの家にいるのはまず間違いなくて、俺はどうかそれが気のせいであってくれと願う。誰かが、いるとすれば、少なくとも家主に無許可で上がり込んでいる。鍵をこじ開けるか窓をぶち割っている。若い女の泥棒だろうか。


 話し相手がいるということは、女だけじゃないのかも知れない。それに泥棒だとすればだ、武装している可能性だってある。


「…………」


 部屋へ戻って息を殺しながら携帯を探すべきかとも思った。玄関へ抜けられる保証というのもない。階下へ下りれば確実に発見はされるだろうし、見張り役の大男でもいれば、ドアを開ける一つのアクションですら致命的な遅延になるだろう。だが、俺は引き返さなかった。また一歩、足を下ろす。腰を屈めて台所の様子を覗けないか試みた。


 何故だろうか。風に押されるようにふらりと一歩を踏み出した。どうしてかというと多分だが、ようやく聞き取れるほどの小さな声が、これっぽっちも野蛮さを含んでいなかったからだ。薄く慈愛を込めて撫でるような声が、少しばかり恐れを遠ざけるようだった。だが俺はまだ忍び足を続けているし、呼吸も小さく抑えている。まずは一人、視認できた。


「…………誰だ?」


 台所の机に向かって、話している女の子がいる。当然見覚えなどもないし、俺が予想した以上に、若い。顔立ちや表情までは窺えないが、どうやらとても穏やかに、ゆったりと話しているようだった。悠長にと、いった方が良いんだろうか。慌てている様子もないし、何かを探しているというわけでもなさそうだ。ただ、うろうろしている。


「…………うん。……、最初からね、………………、それで良かったと思う……」


 ギィと、椅子を引きずるような音がした。そして誰かが立ち上がったんだろう。とても小さく、足をつく音が聞こえた。大男の体重移動という感じはしないなと思っていると、もう一人少女が、こちらへと顔を見せた。最初から俺がいることを知っていたかのように、すっとまっすぐ視線をこちらへ向けて、じぃと、俺のことを見つめている。


「……ど、ういうことだ?なんだお前らは」


「おはよう、何を縮こまってるのよ。そんなとこでふらふらしてたら危ないでしょう。下りるなら下りなさい。戻るなら戻りなさい」


「…………」


 俺が言葉に詰まったのは、その声と、なんとなくの体型というか服装やらに、覚えがある気がしてならなかったからだ。頬に手を添えてみる。分からん。腕も膝も、布地のほつれはない。見覚えが、ある気がしてならない。いやそもそも、見覚えがあろうがなかろうが、どの道不審者には違いないんだろうが、どうして、俺が、その女の子のことを知ってるのかが、引っ掛かっている。


 ついでに頬を少しつねってみた。それは古来より伝わる夢と現実の判別手段だが、はっきりいって全然役には立たなかった。痛いかと聞かれても正直まるで分からない。そんなことしなくても、これは夢に決まっている。


 現実だとすると、まず見覚えがあるわけない。妖怪カバン娘の正体を知りたいと、俺が願ったから、……多分だが夢の中で願ったから、それがとりあえずこうして夢の中で解決したんだろう。こういう顔立ちを、していたのか。だとして一体、そんなことを知って何になる。早く目を覚ましたいんだが、どうやれば良いんだろう。


「起きた?あ、健介……。えっと、はじめまして?」


「ああ……」


 何故俺の名前を知ってるんだと、口から出そうになった。ぞわりと悪寒が走ったわけだが、とりあえず害意はないようだ。俺の名前を知ってる理由というのはおそらく、そうだ、夢だから、だろう、多分。


「私、名前はね、アンミ」


 多少緊張を含んだ声色ではあった。表情は、困り顔というのか、俺のことを心配そうに見ているんだろうか。簡単な自己紹介に、一体何を返して良いのか俺には分からない。


「アンミ、……アンミという名前なんだな。それでまあ、……何か、用か?」


 焦りというのもある。話しながら俺はつねれるところを一通りつねってみた。見回せる場所を一通り眺めてみた。できるだけ子細まで、眺めてみるが、今これが夢の中だと断じられる材料がない。全てしっかりとそれらしい質感がある。女の子の声の調子を区切ってなんとなく感情というのを見つけ出すことができる。赤み掛かった髪が首の動きに追従して、肩の辺りで揺れていた。


「用……?えっと、ミーシー、どうしよう。どうなるんだっけ?」


「はあ……。まず下りてきなさい。そんなビビるような風貌してないでしょう」


「まあ?確かにそうだが……」


 アンミという女の子が首を回してくれたお蔭で見つめ合うような格好からは逃れることができた。促されて階段を下りると、ありがたいことに、俺と距離を取ってアンミは台所の方へと引っ込んだ。


「ミーシー……、私の名前ってミって上がる?アンミ?」


 俺の発音に対する物言いなんだろうか。俺は用件を尋ねたのに、俺が階段から下りきる間に話題が変わってしまった。ミが上がろうが下がろうが割とどうでもいい。意図的に話を逸らしてる、ようには見えないが、俺が抱えている緊迫感というのはまるで伝わっていないようだ。念のため、夢ではないと、仮定しなくてはならないだろうか。


 だとするとどこからどこまでが、夢じゃなかったのかを考えなくちゃならない。台所の時計を見た。七時過ぎを、指している。そしてそれが正確な時刻だとするなら、午後の、七時過ぎだ。昨日の夜十一時にベッドに入ったとして、そのまま気づかず二十時間も眠っていられるとは思えない。少なくとも一度は目を覚ますはずだ。


 目を覚ました記憶があるのかないのか。

 ……なければ良い、聞き覚えのある声でなければ良い。


「まあ好きなように呼ばせてあげなさい。別に困りもしないでしょう」


 よく思い返してみる。ありふれた声の響きじゃない。特徴的でよく耳に残る。これを、取り違えたりするだろうか。同じ高さに並んでみるとより一層に、『朝見た通り』のように感じられる。でもそれはそれでおかしい。俺がだ、朝普通に目を覚ましていたとして、店が廃業していて失意の中歩いていたとして……、この女の子と会った時、少なくとも俺は血を流していた。着てる服にも手のひらにも、血の汚れはない。痛みを感じるような箇所もない。


「…………」


「今日の朝、どうしてたか分かる?」


「……俺に、聞いてるのか?……今日の朝」


「ええ、あなたに聞いてるのよ。覚えてるとこだけで良いわ」


「まさかとは思うんだが、お前と会ったか?もし夢じゃなければの話だが、俺は交通事故というか……」


「じゃあ、そうね……。分かったわ。ええ、猫助けようとして車にぶつかりにいったでしょう」


「いや、ぶつかりにいったわけじゃないが……。というより、なあ、それは、こんなこと聞くのもなんだが、本当に起きたことか?辻褄が合わないだろう。俺は多分その時、瀕死の重症だった」


「なるほど。じゃあ、感謝しなさい。瀕死の重症だったところを拾ってきて治してあげたのよ」


「…………。適当なことを言わないでくれ。本当に困ってるんだ俺は。どういうことだ。お前はその時鞄を被って俺を引きずった奴と同一人物か?病院で治療を受けたりしたのか?おい、……アンミとやら。お前はお前で今何をしようとしてるんだ」


「え?健介起きてきたから晩御飯もう作った方が良いかなって思った」


「今はちょっと待ってくれ。問題を増やさないでくれ。一旦止まってくれると助かる」


「じゃあ、そうする」


 アンミは冷蔵庫を閉じてまたこちらへと戻ってきた。どうして、料理をするつもりでいるんだろう。どういう経緯でこの家にいるんだろう。普通せめて、俺がわざわざ聞かなくても簡単にその辺りの事情を説明しようとしないもんだろうか。


 それだけ済めば茶くらい出せるが、まさか俺だけなんだろうか、これを異常事態だと認識してるのは。


「どうして私たちがこの家にいるのか説明しろということでしょう。アンミ、じゃあ簡単に説明してあげなさい……」


「え私……、ええと、だから、まず……、健介が倒れてて?違ったっけ。健介がまず倒れてて……」


「拾って治してあげたということになってるでしょう。まあいいわ。どうせ証拠を出せとかしょうもないことを言うでしょう、実演してあげましょう。正直もうこの男待ちでお腹も減ってるのよ、アンミは歌でも歌ってなさい」


「俺が倒れてたというのはベッドにという話か?そりゃ、さっきまでベッドには倒れてた。倒れてたがそれは寝てただけだ。それとも俺が道に倒れてたのを介抱してたということか?アンミ?何故そんなにおどおどするんだ。もしそれが本当なら堂々とそう言えば良い。ちょっと記憶が定かじゃないが、……ん、だがどうやって運ぶんだそもそも。まさか担いで運ぶなんてのも無理だろう」


「あなたはとりあえず黙りなさい。アンミは歌ってちょうだい」


「何歌ったら良い?」


「別にラーラーとかでいいわ」


 この場には俺を含めてたった三人しかいないのに、まるで話し合いの形にならない。場は混沌の限りを尽くしている。


 アンミは言われるまま「ラーラー」と声を出した。加減を決めかねてなのか、「ラーラー」、少し高く、少し低く、それが歌声と呼べるのかは絶妙なところだが、とりあえずすぐにやめてしまうということもなく、律儀に「ラーラー」を作り続けていた。


 で、その指示を出した張本人は何を思ってなのか引っ掛けてあったフライパンを一つ外してそれをテニスのラケットのように軽く振って遊んでいた。何かを、俺に伝えようとしているんだろうか。そんなジェスチャーがどこの文化で通用するのかは興味はある。


「あのな……?」


「避けようとしない方が良いわ。下手に動くとものが壊れたりするかも知れないでしょう?一応、そこにいるのが、一番良いわ」


「どういうことだ。俺はフライパンで遊んでくれなんて頼……、んっ!待っ!」


 小さな女の子の肩から先が、そこにあったはずのフライパンが、消えた。俺の視点からでは確認できなくなった。と、それくらいに小さな女の子の体は捻り込まれていた。


 そんなふうに肩を回したら靱帯を痛めそうなものだがと、悠長に考えた一瞬後に、それが一体何のための準備なのかを知る。俺の左の顎先辺りで、フライパンよりも先に、追い詰められた空気が逃げ出す感触があった。


 当然俺はその気配に反射的に回避行動を取ろうとする。フライパンが向かってくる方向と逆側に体を傾けて、躱すのは無理にせよ、せめてダメージを軽減しようと、動いた、はずだ。だが動かそうとした腰の辺りに何かがつっかえて、押し返される。アンミか?いや、俺とアンミでは距離がある。何か障害物が偶然にも、こんな悪いタイミングで俺の腰を押し返すのか。ああ、ダメだ。俺の腕が持ち上がるのは一つ遅れるだろう。仮に手のひらを差し込むことが間に合ったとしても到底勢いを止められるものじゃない。


 ガコンと、割合に高く、金属のぶつかる音がした。続けて頬が押しつぶされて、普通まずこんなことはあり得ないはずだが、俺の体が不自然に中空に浮いた。足先の感覚で床を探そうにも、爪先に触れるものがない。ドガシャンと、食器棚の皿が揺れる音がした。


 俺は左の肩口から床に落ちて、勢いそのまま後方にぐるりと一回転することになった。体半分をシンクに寄り掛かる体勢で寝そべっている。女の子に、いきなりフライパンでぶん殴られた。俺の体が浮き上がるほどの力が、顎を貫いたわけだ。であれば、顎の骨など砕けて陥没してるんじゃないかと思った。


「えっ、あ、健介、だい、……大丈夫?」


 大丈夫なわけ、ないだろうと言いたかった。これで無事な人間などいるわけがないだろうと言いたかった。なんなら死んでてもおかしくないほどの、勢いだった。なのに……、なら、どうして俺は、痛みを感じていないのか。


「アンミはラーラー言ってなさい。丈夫な体してるわね。無事でしょう?さっと立ちなさい。私が無闇に暴力振るったみたいに見えちゃうでしょう」


 恐る恐る顎に手を当ててみるが、ちゃんと骨の感触がある。骨は砕けていないようだ。あれ、逆側だったかなと思って逆側も確認してみるが、特に問題はない。何よりも、あるはずの激痛が、俺に襲い掛かってくる気配がなかった。


「…………落ち着いてくれ。まずその、フライパンを置いてくれ。俺を殺す気か?何故俺を殺そうとするんだ」


「……あなたが落ち着きなさいな。殺すつもりだったらあなたはもう死んでるでしょうが。生きてるでしょう?」


「ああ、まあ?生きてるみたいだが?」


「どこも痛くないでしょう?」


「え……。そうかな。顎は、そうだな。砕かれたと思ったが、痛くないし喋れるということは多分、大丈夫、なのかも分からん。いやでも、麻痺してるだけという、可能性もないことはない」


「感謝なさい。アンミの癒しの魔法がなかったら、あなたは脳挫傷とかで頭がちょっと悪くなってたわ」


「頭が……、悪くだと?何を言ってるんだお前は。脳挫傷だったら死んでるだろう」


「車とぶつかってケガしてたでしょう?介抱してあげたし、悪くなったところは魔法で治してあげたのよ、アンミが」


「……魔法、魔法って言ったか?まずもってお前、何故魔法なんて言うんだ。普通に介抱だけなら俺は……、待て、やめろ、二撃目を振り上げるのはやめろ。分かった、立てば良いんだな、ちょっと待ってくれ。俺は抵抗しない。お前のその言い分にケチをつけたりもしない。だからとりあえずほら、それをな、そっと置いてくれ」


 後ろに這いずりながら、慌てて手をついて立ち上がった。確かに言われた通り、頭蓋骨がひしゃげてない。歯ももげてないし、頸椎も無事だ。フライパンというのは意外と、……平面で打たれる分にはダメージは少ないもんなんだろうかとも思った。


 でもそんなことないだろう。死に得る、一撃だった。振り抜かれる瞬間の冷たい感触がまだ頬に残っている気がする。


「じゃあまあ置いておきましょう。それで?ありがとうくらい言いなさい。アンミに治して貰ったのよ」


 ミーシー、だったか。その女の子はフライパンを机に置いて椅子へと腰掛けた。なるほど、言いたいことは分かった。俺はじゃあ、交通事故に遭ったということなんだろう。それを引きずって連れ出して、魔法で治してくれたということになるんだろう。


 そうすると辻褄というのは合わせることもできなくないのかも知れん。ただ当然、そんな、魔法だなんだと言い出されて、すんなり納得できるものでもない。


「あり、がとう。じゃあ、……俺を助けてくれたという、話なんだな」


「まあそうね。どういたしまして」


「それで、俺はその、魔法で治して貰ったということになってしまうのか?今俺は一瞬顎が砕けてそれがまた一瞬で治ったと、そういうことなのか?」


「そういうことにしておいたらどう?」


 こちらに視線を向けたりはしないながら、言葉以上の重圧を感じる。もう一度生存チャレンジがしたいのならやってみてあげても良いと、言いそうだった。


「そういうことに、しとこう……」


 俺は今強力な洗脳状態にあって、殴られたと、錯覚しただけだったりしないだろうか。まだその方が、魔法というのよりは幾分マシな理屈のようには思われる。催眠術とかそういったものであれば、俺はまだその存在を受け入れられる。


 魔法だと説明されてしまって、その上俺は、それに対して否定的な意見を述べることさえ許されない。もうこれは、そういうことにしておいた方が安全で、簡単なんだろう。俺が信じるかどうかなどもここでは特に重要な部分じゃない。超常現象は起きて、魔法だという説明以上は与えられそうになくて、無闇に突つけば痛い目に遭う可能性がある。


 ああ……、魔法使いが、俺の家に現れてしまった。全ての話を鵜呑みにするとして、そうすると店はやはり潰れたんだろうか。猫はどうしたんだろう。夜七時過ぎだとすると、陽太も店の異変には気づいただろう。陽太は今どうしてるんだろう。


「まだ信じてないでしょう?」


「いや、……良いぞ。信じた。もう殴らなくても良い」


「予知ができるわ。それなら手間も掛からないしおまけして見せてあげましょう。今テレビで体操の中継やってるのよ。居間行きましょう。例えば点数とか言い当てたらちょっとすごいでしょう?」


「そう、だな。そりゃまあ、もし予知できるというのなら、それはすごいことだ」


「アンミは料理してたら良いわ」


「うん、分かった」


 ミーシーは立ち上がって居間へと歩いていった。俺も一応、それについていくことにはしたが、予知というのが本気なのか冗談なのか分からない。まあ、例えば、予言だの透視というのは、マジックなどでもありがちだ。ということで、俺はもしかするとそこでこそ、トリックを見破ることができるかも知れない。ミーシーは黙ってソファに座り込んでテレビのリモコンを操作した。チャンネルを変えて、確かに先に予言された通り体操の大会が中継されているようだった。


 これはそうだな、新聞のテレビ欄をしっかりと確認してれば言い当てることはできるだろう。


「じゅうよんてんななれーれー」

「…………」


 数秒後に、テレビにも同じ数値が現れた。体操のことなど正直何一つ知らない俺にとっては、それがまず高いのか低いのかすら分からない。多分、高いんだろうとは思う。


 何故点数を言い当てられたかを論理的に推測するに、まず選手が大きなミスをしなかった。実況の解説を聞く分には技の難易度というのがあるようで、そうなるとおそらくある程度、どの難度の技が何点という基準があるんだろう。小数点以下三桁の内二つがれーれーでキリも良いし、だからこれは、体操に詳しい人間であれば、足し算をして言い当てることができる、可能性はある。


「着地はちょっと失敗するわ。じゅうよんてんはちろくろく」

「…………」


 それを、選手が着地する前に、言い当てた。そして今度は小数点以下三桁を完全に言い当ててしまった。この選手のファンとかであれば、着地に失敗しがちという情報を知っていたのかも知れんが、この小数点以下三桁というのは、一体どういう計算式で現れるのか見当もつかない。着地で一歩ずれると引かれる点数というのが決まってるんだろうか。さすがにそうじゃない。仮にこの女の子が体操に詳しいとしてもだ、詳しくて分かるのなら、テレビの実況者がそれに追いつけないわけがない。


「じゅうよんてんよんさんさん」


「待て、いや……、ビデオだったりしないか?チャンネル変えてるのは見てたが、じゃあ録画放送という可能性もある。インターネットで先に結果を暗記しておけば言い当てられないこともないだろう」


「文句あるなら別の番組でも良いわ。わざわざ生中継っぽいのを選んであげたのよ?」


 リモコンを、差し出された。正直もう嫌な予感というか、ちょっぴり諦めの感情というのは芽生えてきている。


「じゃあ、これとかはどうだ?クイズ番組だ。次の問題の答えとか、そういうのは分かるか?」


「ナサニエル・ホーソーン」


「……なにそれ」


「さあ?文学の人らしいわ。あれでしょう、多分。なせば成るの人でしょう。成せばなる、……成さねばナサヌ?ナサニエル、という、俳句はあるでしょう?」


 解説はおそらくまるで間違っているんだろうが、答えだけはきっちりと当ててきた。問題が出る前にだ。ここまでくるともうテレビ局の内情に詳しい人とかそういうレベルでの疑いしか向けられない。そしてそのレベルの疑いというのは、魔法使いの実在の危うさとほとんど変わらない。


「アメリカ人、らしいぞ。俳句は作らんだろう。まして文学の巨人が、自分の名前でダジャレみたいな俳句は作らんだろう」


「そんなことは知らないわ。答えは合ってたでしょう」


「合ってたけど……、俺の気持ちというのもちょっとは分かってくれないか?お前、例えばサンタクロースとか信じてるか?」


「まあどっかにはいるでしょう?というか仮にいないと思ってても出てきちゃったもんは仕方ないでしょう」


「確かに……」


 河童とかが、目の前を泳いでいたら、もうそれは存在を議論する段階にない。


「クイズ嫌いなのよ。リモコン返してちょうだい」と言われた。俺は自分では、大した説明を受けていないように思っているが、この魔法使いは、もう説明すべきことを済ませたつもりでいるんだろうか。魔法使いの中で当たり前のことなんかはわざわざ説明するつもりがないんだろうか。


「流れは……、大体分かったのかな。ということは俺は朝、目を覚まして、バイト先に出掛けて、そこが廃業してることに気づいてとぼとぼ歩いて帰る途中で、交通事故に、遭ったわけだ。それを、お前らが魔法で治してくれたと、そういうことなんだな。ちょっと信じ難い話ではあるんだが」


「…………」


「なあ無視しないでくれ。そういう話だったな。俺はさっきそれをちゃんと聞いて納得してるはずだったな。だが魔法使いなんてそんななかなか……、俺は見たことないし、信じてなかったというか……。他にも、何か魔法を使えたりするのか?物珍しさで質問して悪いが」


「そういうことを何度も聞くでしょう?正直面倒くさいのよ。ほら、ちょっと離れてるのにテレビを点けたり消したりできるわ」


「それはまあ、俺もさっきできたな。お前もリモコン使ってるしな」


「でもこれに関してだけはちょっとMP使うのよ。分かるでしょう?」


「……お前がMPを使うというか、多分リモコンが電池を食うんだろうな。それとも他の魔法でもMPなんて概念があるのか?その、……魔法で何ができるのかちょっと興味があるんだが教えてくれたりはしないか?」


「世界征服とかできるわ」


 あんまり熱心には答えてくれないようだ。短い答えの後には沈黙がずっと続いている。俺はその間にここまでの話の流れを整理してみた。ともあれ女の子二人は、命の恩人ということになるのか。改めて、ちゃんとお礼は言っておいた方が良さそうだ。


「なるほど……。そうか。あの、助けてくれてありがとう。感謝してないわけじゃないんだ。状況がよく分からなかったというだけで」


「ええ、気にしなくて良いのよ。困った時はお互い様でしょう?まああなたも誰か困ってるようだったら助けてあげなさい。そういう子に育つと良いわ」


「そう、だな。まあそう努めよう。ところで、なんでアンミは料理をしてるんだ?まさかとは思うが、俺のために料理してくれてるのか?もしそうならそんなことまではしてくれなくて良いんだが」


「私とアンミの分も用意してるのよ。私もお腹空いてると言ってたでしょう」


「そうなのか。ああ、それなら。……あんまり格好もつかんな。助けて貰ったお礼にと料理の一つでも振る舞いたいところだが、アンミの方が慣れてるみたいだ」


「余計なことしなくて良いわ。お礼をしたいというのなら、そういうのも考えときましょう」


「まあもし力になれることがあればな。ちょっと向こうの様子も見てくる。アンミにもお礼も言わんとならんし」


 不審者扱いをしたことが悪かったのか、すぐに信用しなかったのが不満だったのか、あるいはごちゃごちゃ質問されるのを嫌がってるのかも知れんが、ミーシーの機嫌はあまり良くなさそうだった。テレビを眺めている顔も、俺がお礼を言い直した時も、表情は全然変わらない。


 ただただつまらなさそうに、感情を込めるでもなく淡々と言葉を返していた。じゃあアンミはどうだろうと思ったのもある。早めにお礼を言っておきたいなとも思った。そしてもう一つ、ミーシーと会話を切り上げてアンミへ向き直った理由がある。まあ他人の家で、調理具やら調味料やらがどこにあるかなんて分からないだろう。それは十分に会話のきっかけにもなるだろうと期待して居間を抜けて台所を覗き込んでみた。


「…………」


 だがどうしてか、予想に反して、アンミはてきぱきと料理を進めていた。調理器具などは必要になりそうなものを既に用意を済ませているようだ。


「アンミ……?」


「えっ、あ、何、健介?」


「塩とか砂糖とか、どこにあるか分かるか?」


 いつでも聞いてくれたら良いぞという意味で声を掛けたつもりだった。だがアンミは純粋に質問を受けたと思ったんだろう。「塩は、そこ」と首を傾げながら言った。続けて「砂糖は、そこの左の」と言った。


 おかしなことだ。舐めて確認してまた元の位置に戻したんだろうか。これに関してだけは俺の家が特殊なのかも知れんが、砂糖と塩は同じ色の容器に入れて並べてある。俺も別にそれで困ることもないからわざわざ砂糖だ塩だと明記したりもしない。右が塩で、左が砂糖だろう。正解だが……、なんで知ってるんだろう。


「あっ、健介はもしかして塩の場所を言いにきた?」


「ああ。だが、いらなかったか俺は」


「うん、ミーシーと話して待ってて?」


 アンミは柔らかく笑顔を浮かべているが、俺の中ではまた妙な違和感というのが浮かび上がってきた。そして俺の想定していた会話のきっかけというのも失われてしまう。


「いや、さっきまで話しててな、ありがとう、助けてくれて。命の恩人だ。料理もしてくれるみたいだ。悪いな、世話になって」


「ううん。私も健介にはお世話になってる」


 愛想は良い。どちらかといえばアンミの方が簡単に会話を続けられそうだ。先にこちらへ話を聞くべきだったのかも知れん。


「ところで、なんで俺の名前を知ってるんだ?」


「…………。ええっと、ミーシーが予知できるから」


「予知できるのはミーシーだけなのか?」


「うん」


 これは少しばかり意外に思えた。修行の差なのか属性の違いなのか知らないが、アンミは予知できなくて、ミーシーは予知ができる。その差は一体何によって決まるんだろう。


「…………。魔法というのは、こう、魔力の適性がない人間でも、一生懸命練習したらできるようになったりするのかな?」


「どうかな。私にはちょっとそれ分かんない」


 隠してるというわけでもなさそうだし、質問されるのを嫌がってるというようにも感じない。とても自然に分かんないと言われたものだから、もう質問を変えてみる気も起こらなかった。


 なんとなく察するに、練習とかをした記憶はないということなんだろう。俺が少し考え込んでいると居間で小さな物音が聞こえた。ミーシーがゆっくりとこちらへ歩いてきた。


「料理の邪魔するのやめなさい。晩御飯できてから話したら良いでしょう」


「ああ。まあそうかも知れんな。悪かった邪魔して。そういえば俺の携帯知らないか?朝は持ってたはずなんだが部屋には見当たらなくてな。どっかで見てないか?」


「あなたの携帯は粉々になったわ」


「粉々に?どうしてそんなことになる?」


「さあ?車とドスコイしてたからでしょう。諦めなさい」


「粉々と、いうのは画面とかがか?それなら中身はまだ無事だという可能性もあるんだが……」


「捨てといたわ。諦めなさい」


 修理不可能なレベルでバラバラになっていたということか。これに関してすら有無を言わせない雰囲気がある。どれくらい部品が外れていたのかとか、どこに捨てたかとか、そういった質問もまとめて全部諦めろと。……じゃあ、諦めるか。


「そうか。料理は任せて大丈夫か?調理具とかは……、そこの引き出しに入ってると思うし、調味料はその辺と、あとは冷蔵庫だと思う。見つからなかったものとかあるか?」


「多分ない?」


「じゃあ、引っ込んでようかな、俺は。後でまた話もしよう」


「うん」


 部屋に戻って晩御飯の用意ができるのを待つことにした。女の子の手作り料理を食べさせて貰えるのか、なんとも、……珍しい体験だ。それは単純に嬉しい出来事で片付けられるが、俺の中には整理のつかない事件が積み重なっている。魔法使いに命を助けられたのを、なんとか飲み込んだとしても、それとは別に外野でもう一つ事件が起きている。


 陽太は今どうしてるのか。店長はもしかすると陽太には安否連絡を入れたかも知れん。連絡したいところだが、携帯は失ってしまった。台所の固定電話から発信しても良いが、二人を送り出してからの方が落ち着いて話せるだろう。


 そうだ、もうかなり暗いが、二人はちゃんと親に連絡してるんだろうか。門限なども決められていそうな年頃だ。近場に住んでるんだと思うが、そうなると家まで送って親にも挨拶はしておくべきだろうな。人助けをしてて帰りが遅くなったんだと、口添えしてやる必要もあるかも知れん。


 そんなこんな、俺は部屋に戻ってから何をまず手元に置いて取り組むべきなのかをもやもやと考えていた。そして一向にそれらが、上手く一つにまとまらない。結局のところ、晩御飯を食べて、女の子と話して、それからバイバイと手を振るまでは、自分の問題に取り組めそうにはなかった。


 物理的に不可能というわけじゃないし、さっさと出て行けなんて恩知らずなことを言うつもりも毛頭ないが、二人のことが気になって気力が湧かなかった。ベッドに寝ころがって、目を開けたり閉じたりだけ繰り返していて、何かを思いついたり何かを決めたりはできない。


 深く根をつめて、これからのことを考えると憂鬱さが訪れそうではある。不安も抱くだろう。せめて陽太が店長から一報を受けていれば……。


 きっと。

 仮に。

 だとすれば。

 もしも。

 ……考えても不毛だ。


 そうしてまた気を紛らわそうと、女の子二人の顔立ちなんかを思い起こしてみる。交通事故に遭ったにも拘らず無傷で生還できた。二人のお蔭だ。幸運ではあったろう。感謝もしなくちゃならない。


 魔法使いと出会うというのはもしかすると普通人生観が変わるほどに劇的で驚くべき事態なのかも知れない。なんだろう、ただし……、当の俺にはあまりそういう実感がなかった。勿体ない話だ。……これはこの先いつか、こんなことがあったと思い出して人生を変えるきっかけになったりするんだろうか。


「……ああ」


 人生についてまで考え始めて、ぐるぐると思考が周回するようになると、時間などもあっと言う間に過ぎ去ってしまうものなんだろう。ぼうっと天井を眺めている最中に、階段を上ってくる足音が聞こえた。


 ふと時計を見るともう八時を回っていて、どうやらアンミは結構な時間を料理に費したようだった。やはり慣れない場所での調理に手間取ったのかも知れない。そして俺もこうして、結構な時間を、天井を眺めて費やした。少し待つとコンコンとノックの音が聞こえてきて、俺は立ち上がってドアの方へと向かった。


「ご飯できたよ」


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