三話⑤
アンミは弾むような声で雨の日のお出掛けを楽しんでいるようではあった。時折こちらへ首を振るが、俺からはアンミの表情は見えないし、アンミも俺の表情を無理に首を上げてまで見ようとしなかった。
あくまで頭の動かし具合でだが、ここでもアンミは満足そうで、ミーシーは無表情のままなんだろう。俺は一応、全員が濡れないようにと心掛けて進行方向に目を向けているが、途中否が応にも二人の頭頂部が見える。
今まであんまり確信が持てなかったがためにわざわざ触れなかったが、やはり、染めてるわけじゃないんだろう。つむじの様子は分からないながら、色素の薄い髪の色が全く均一に思える。
この手の話題は地毛かどうかで扱いが変わるし、地毛であると分かった以上は触れない方が賢明だ。ファッションでやってるならオシャレだなんて感想もありだが、他と違うことを嫌がる人間も少なからずいたりはする。日本国籍持ってて日本語喋ってたら日本人だというのはもっともな理屈だし、当然白人や黒人の日本人だっていたりはする。物珍しそうに眺められては嫌なものだろう。
とは思いながらも、目線がこちらへ向かないのを良いことにしげしげと二人の頭を眺めてしまった。やりはしないが、触ってみたいし、光に透かしてどうなるのかを観察したい。左手で自分の頭を撫でてみるが、短髪だからかごわごわしている。
アンミとミーシーの髪はさらりと砂のように指を通るんだろうか。アンミなどお願いしたら触らせてくれたりするんだろう。ミーシーなど肩をトンと叩くついでに触れたりもするんだろう。無関心を装うことはできたとして、興味をなくすことは難しい。
とはいえ、これもまた見慣れるまでの我慢なんだろうな。単に金髪なくらいであれば、俺だってこうも指をそわそわさせたりはしないでいられる。
「雨で、相合い傘。みんなで買い物。ミーシーが買うの選んでくれて、健介が運ぶ役してくれる」
アンミは嬉しそうに役割分担を説明のように語って聞かせた。
「運びがいのあるものを選んであげるわ。そういうのは頼れるでしょう」
「任せろ。バーベルなんかはスーパーに置いてないからな。なんなら多少多めに買ってくれたって良い。軽々と華麗に運べば、ちょっとは見直して貰えるだろう」
「……まあ。そうね。でも重かったら無理せず言いなさい。手伝ってあげないことないのよ」
「そう馬鹿にするな。女の子よりは力持ちだ」
「別に馬鹿にしてるわけじゃないのよ。じゃあ遠慮なく食材調達するけど、泣きべそかかないようにしなさい。無理だったらちゃんと手伝って欲しいって言いなさい」
要約するに、一緒に持ってあげるということなんだろうな。見た目こそ小さいなりだが、動きを見てたらもうか弱い女の子の扱いにはならない。体力に自信があるんだろうな。
ミーシーももしかして俺と同じように役立たずの烙印を恐れているなんてことがあったりするのかも知れない。未来を見通す能力者が俺のような凡人相手に仕事の取り合いなんてしなくても良いだろうに。適材適所でお互い頑張ろうと言いたいところだが、まあ両手に余るようなら軽い袋を選んで持たせてやるのが良いか。
というより、想像するに、俺が両手で荷物を持って傘を掲げるのを嫌がっているという可能性もある。袋が揺れて二人の頭にぶつかったり耳元でガサガサうるさいという苦情を先に注意されたとも受け取れる。左手一本で無理がでたらミーシーの言う通りちょっと任せるのが賢明か。
「傘の角度はこんなもんで大丈夫か?」
「うん。健介は大丈夫?」
「こっちは好きに調整できるからな」
「こっちも好きに調整できるから気にしなくて良いわ」
確かに俺が傘の角度をどう頑張って調整したところで二人が好き勝手に移動し始めたらカバーできたりしない。そう極端に歩む速度が遅かったりもしないから、俺もせいぜい傘の向きを維持するだけで十分のようだった。
傘を打つ雨音を聞くようになると、雨粒の量なども減ってきているようには感じる。風もほぼない。歩道に水たまりもない。特に苦労することもなくスーパーに到着することができそうだった。
こうなってみると本当にまあ、予知というのがどれほど便利なのかと痛感せざるを得ない。傘は三人で入れるということを分かっていたんだろうし、大降りになったり風が吹きつける心配も、まして交通事故に遭う危険などもないことを、あらかじめ分かっていたんじゃないだろうか。諦めがちで心配性の俺などにとっては随分と羨ましいことに思えた。
およそ一定のペースで歩いていくさなか、アンミは変わらず首を横に揺らして楽しそうにしていて、時折だけ首を捻って俺の様子を窺った。対照的というのか、ミーシーはまるでまっすぐ視線を前に固定したままで左右を確認する素振りすらない。結局何一つの問題もないままスーパーへと辿り着くまでの間、俺やアンミから話し掛けた時にも、短く「そうね」と「いいえ」を返すくらいしかしなかった。
雨天の午前にはスーパーも人が集まったりしないようで、駐車場にもほとんど車がない。家を出てからここまでの間もやはり歩いている人を見掛けたりはしなかった。入り口前で傘を閉じ地面を突ついて雨を払い、二人の様子を一度確認する。
一応、食材を選ぶ係はミーシーということになっていたと思うが、アンミはまたポケットからメモ用紙を取り出して内容の再確認をしていた。俺の役割である荷物持ちの範疇がどこからなのかは微妙なところではあるが、とりあえず入店して買い物カゴを一つ手に取り、二人が俺の横を抜けるのを待つ。
「カートいるか?」
「いらないわ」
「そうか。じゃあ必要なものを入れてくれ。俺は後ろついてくことにするから」
言われずともというようにミーシーがまず先頭で歩き、アンミと俺とはその後ろへついた。食材選びをミーシーが担当するのは妥当な判断だったようで、ミーシーは迷う様子もなく右へ折れて食品コーナーへと向かっていく。
アンミはなんというのか、外国人観光客のような挙動不審ぶりであちこちをきょろきょろ見て、何かを見つける度に視線を止めて足だけ進める。目線が固定されたまま首だけぐるりとゆっくり回していき、はっと視線を前に戻してミーシーへ追いつくというのを繰り返していた。
アンミが今までどういうところに住んでいてどういう手段で食材を調達していたのか詳しくまでは知らんが、スーパーみたいなありふれた施設が珍しかったりするんだろうか。今のところ何に興味を引かれて目が留まるのかはちょっと分からない。
アンミが置いてかれそうだったから、ちょっと声を掛けてみる。
「欲しいものあるならアンミも持ってきて良いぞ。なんか興味あるもの置いてあったか?」
ここまで基本的には野菜か調味料くらいしかない。近未来の電化製品でも取り扱ってれば俺も同じようにきょろきょろしたかも知れないが、スーパーなどでは特にこれといった感想が浮かばない。むしろアンミの反応の方が新鮮で興味深い。
「一杯積んであるなって思って。バイオなんとか」
「バイオ……?」
「季節じゃない野菜が一杯あるってことでしょう。そんなにバイオは関係ないと思うわ」
「バイオテクノロジー、とかか?まあ年中売ってる野菜とかもあるかも知れんな」
予知万能というのか、ミーシーは特に探し回る素振りもなく俺のカゴに野菜を投げ込む。どうやら最短距離を目指しているわけではないようで行ったり来たりはするものの、なるほど、最適化された主婦なんかはこんなふうに硬いものを隙間なく埋めてその上に柔らかいものを載せていくのか。
几帳面というのか、器用というのか、野菜でテトリスでもしてるかのようにキャベツを横に立ててニンジンを差し込んでじゃがいもで埋めている。豆腐のパックなどもちょうど買い物カゴに幅が三つ納まるようなサイズを選んできたのか裏表を変えて買い物カゴへ入れた。たくさん入るようにという工夫なんだろうとは思うが、これはこれでちょっと気持ち悪い。買い物をこうも平面に整えようとする人などいないだろう。
大凡平面に整った上に魚のパックを積み、肉のパックを積み、ベーコンやらハムやらも平たく置かれていく。卵のパックで隙間を埋めた段階で買い物カゴの縁のラインに到達した。途中までは効率的な買い物カゴの使い方をする性格なんだろうと思っていたが、こうも平面を心掛けられると少しばかり不安にはなった。なんかそういう、遊びをやってないだろうか。
「ミーシー、アンミの見てたレシピ通りになってるのか?お前はただひたすら平面を作るためにものを詰め込んでいないか?」
「私が仮に本気を出していたら、全部牛乳パックになってるわ。その隙間に麺類を折り畳んで無理やり詰めるわ」
「それだと……、本来の目的を達成できないだろう。ちょっとだけ気持ちは分かるが、ちゃんと必要なもの買えてるか、これは」
「あなたが必要だと思うものも入れたら良いでしょう」
「いや、……こんな入れ方をされたら入れづらいな。適当に入れたらお前の計算が狂って気まずくなる」
「言えば取ってきてあげたでしょう。お昼御飯用のは揃えるわ。野菜はもうちょっと積みましょう」
「……アンミは何か買うものあるか?」
「私はないよ」
もう既に打ち合わせ済みだったのか、別にどんな食材を用意されても料理ができるということなのか、アンミは全く考えることもせず買い物カゴの中身を確認することもせず断言してしまった。
スーパーに着くまでとは全く逆にミーシーは好き勝手進むし、アンミもその横に並んだりしない。俺は二人を見失わないように気をつけながらちょっとミーシー寄りのおよそ中間地点にいるようにはしていた。であるから、アンミも何かしら必要なものを探しているんじゃないかと思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。
冷蔵庫が空だったとはいえ、俺も別にこれといって買いたいものとか食べたいものとかを思いついたりしない。俺がミーシーと合流してもなお、アンミは後ろの方で右を見て左を見て、そしてこっちを見てというのを続けている。そう離れてはないから迷子にはならんだろうが、三人で買い物をしているという感じにはならなかった。
普通こういうのは献立メニューを考えながら、なんなら食材の値段や善し悪しを相談しながら、別になんら関係なく雑談してても構わないが、まとまって歩くもんじゃないだろうか。通路を広がって歩くのが迷惑になることもあるが、アンミの距離感覚というのはそういうものとも違う。
無意識にそうなってるんだろうから自由に買い物時間を楽しんでるということにはなるとして、見てるこちらからはどっちつかずのもどかしさを感じたりもする。ミーシーも特に意図して時間を作ろうとしてたりしないし、自由に見てこいとも言わない。ただ手早く俺の持つ買い物カゴへものを崩れないように積んでいくだけだった。
これが一体何日分の食事になるのか見当もつかないがカートを取ってこいと要求されないところから考えると終了間際だろう。そして予想通り、ミーシーは袋を何個か積んで「これで最後よ」と言った。おやつか夜食か、菓子パンなんかも一応補充はしておくようだ。
「御会計してきてちょうだい」
「ああ、分かった」と返してミーシーの後ろについたが、ここでも別に連れ立って会計をするつもりはないらしく、俺を置いてアンミの方へと歩いていき声を掛け、二人でそのままレジの向こう側へと行ってしまった。袋詰めを手伝ってくれるつもりなのか、会計中は動かずいてくれそうだ。
改めて見るに、結構な量が買い物カゴに入っている。底部の整頓具合なんかは変な人だなと感想を持たれても不思議じゃない。案の定、店員さんから「カゴを分けても良いですか?」と丁寧に確認をされてしまった。
そんなこと今まで一度も聞かれたことなんてない。多分、整理しないと我慢ならない人だと誤解されてるんだろうから、「いや、全然気にしないです」と答えた。
この店員さんもまたちょっと神経質なのか、豆腐をカゴから取り出した時に表裏をどう置こうかと悩んでか一瞬手が止まってちらりとこちらの顔色を窺ったりなどした。ぐちゃぐちゃで良いですとまで言い添えた方が良かったのかも知れない。
とりあえず何でもないふうで俯きがちに会計を待ち、お金を支払った。まず釣り銭を受け取りそれを財布にしまうと、続けて長いレシートと共に何枚か、……三枚の、福引券のようなものを渡された。
「あちらでキャンペーンの福引を行っておりますのでどうぞ」
「そうですか。どうも」




