三話④
「レトルトカレーだって別に不味いわけではないだろう。夕食だけ我慢するわけにはいかないか?」
「レトルト、トルトカレー……、とろとろ。スカトロカレーが美味しいとは思えないわ」
「…………」
「…………」
「レトルト、カレーだ」
「でも、スカトロカレーみたいな響きをしてるでしょう」
せめて俺が納得しそうな理屈を用意すれば良いものを、自分の要求を押し通すために無理やり商品イメージを貶めに掛かるか……。
「……下品な発言はやめろ」
「ちょっと言い間違えただけでしょう。あなたが何をどうしようと別に好きにしてて良いけど、スカトロカレーに無理やり付き合わせようとしないで欲しいわ。スカトロニックで筋肉を鍛えてスカトロフォーでヒゲを剃って、寿司屋でスカトロ頼んでなさい。映画はスカトロリオの城を見てなさい。きっと将来大した知識もないのに、FX始めて財産のほとんどがスカトッロされるわ。最後の望みに小銭でロトくじ買っても、全部スカトロなのよ」
発言を咎めたことで火に油を注いでしまったのか、俺にまで不当な風評被害が及ぶようになってしまった。予知能力者が俺の将来について悲惨な末路を告げている。
「そういう、スカトロジストな人生にしたいなら私はもう止めないわ。好きにしなさい」
話し合いなどまるでするつもりがなかった癖に、一応、俺が自ら選んだという体にしたいのか、まるで選択権を与えているような言いぶりだ。これ以上続けさせると今度アンミにまで矛先が向きかねない気はするし、俺ももうこれ以上、不当な罵りを受けたくない。
日常生活でことあるごとにトロとつく言葉を見つけてきて恨みがましくスカトロジスト扱いを受けるというのは避けたいし、できたら希望の溢れる将来を予知して欲しい。でなくともせめて建設的な問題解決に協力を願いたい。
「分かった。じゃあ、その、三人で買い物に出掛けるということで良いのか?」
「……そうね」
こうまで反発された後となっては、……アンミに方針転換を願う術もないな。言いくるめられるつらさを味わった後、ここでアンミを説き伏せるのはさすがに俺の美学に反する。
多分ミーシーも、アンミの要望に沿って一歩妥協した部分というのはあるだろう。ミーシーは別に三人で行きたいとは思っていたりしないはずだ。そういう意味で俺とミーシーが同程度譲った結果が、三人での買い物にはなるのかも知れない。
加えて、多少不合理だと感じたところで料理の大任を果たすアンミの指示に大人しく従うのが道理でもある。食って寝てるだけの俺がここでだけ一丁前に文句を口にするのも大概おかしな話になる。
「三人で行きたいって言わなかったら濡れないのかも。ごめんね」
そうまで言って三人で行きたい理由も、こうまで言ってレトルトカレーを食べたくない理由も、俺にはちょっと分からない。ただ結局、アンミにごめんと言われたらもう免じる他ない。
「濡れないように努力はしよう。風呂も沸かしとく。濡れて帰ったら順番に入ったら良い」
「何か申し訳ないわ。良い方法を考えましょう。ごみ袋に入ると良いのよ、あなたは。濡れないし、そのまま出せるわ」
「ああ、その提案は却下だな。格好悪いし、俺は回収されない。自治体が困るだろう。買い物の荷物をな、運ぶ役割の人間がいなくなる。お前が俺をごみ扱いすることで、俺もちょっと切ない気持ちになる」
「ちょっとしたら、小雨になるわ。昼からあったかくなるし、風邪引いたりもしないでしょう」
濡れるのを承知の上でなら、後から文句が出たりもしない。傘も折り畳み傘というわけじゃないから、なんとか上手く配置さえすれば、窮屈ではあれずぶ濡れとまではならないはずだ。
一応、アンミの方にも軽く確認だけしておこうか。現状外の様子を見る分には小雨と評するのは厳しい。豪雨ではなくとも普通に雨が降っている。
「アンミ、もしミーシーと買い物に行きたいというだけなら、二人で買い物に行ってくれても良いんだぞ。そうすれば無理なく相合い傘できるだろうし、お金を渡すことにも何の不満もない。今回は荷物にならないものだけ買ってくるというのでも良い。俺が明日改めて買い物に行くということでも構わない。それでどうだ?」
「ううん。傘二人しか入れないならミーシーと健介で使って?私フード被れば良いから」
「いや……、それはちょっと……」
どうやら三人で相合い傘をするとどうなるのかを試したいわけではないらしい。なんにせよ三人で行きたいというのはアンミの中で決まりきっていて、濡れる濡れないなども些細なことなんだろう。そうなるともう何も言えない。俺はせいぜいセーフティーネットとして風呂に湯を張ることくらいしかできない。
「じゃあ、……三人で傘差して出掛けようか。風呂だけ準備してくる。おかわりどうだ?もう一杯分ずつならあるぞ」
「ええ、じゃあお願い」
「えっと、うん。健介お願い」
カップを回収してざっと水ですすぎ、また同じようにして紅茶を用意する。小雨になるまで少しは掛かるだろう。昼前までに買い物に行けば良いわけだし、そのタイミングまでは休息ということにするか。居間の二人におかわりを渡して自分の分も机に置いておいた。
風呂場のお湯を出し、自室へ戻って財布の中身を確認してからポケットに詰め込む。何が変わるわけでもないが、自室の窓からも外の様子を確認してみた。ミーシーの言う通り小雨に、……なるんだろうか。俺にはその天気の移り変わりというのがぼんやりとすら浮かばない。雲が流れているのかも定かじゃない。じっくり見つめているとミーシー予報は渋る俺の背を押すためのでまかせだったんじゃないかとすら思えてくる。
まあ別にそれならそれでも構わないが、俺は俺なりに工夫を心掛ける必要もあるだろう。傘の長さを思い返そうと両手を縦に広げておよその半径を想像してみる。それを頭上に持っていき、俺の頭の少し前方で止める。
実践してみるまで確実なことはいえないが、面積的には絶対に無理というわけでもなさそうだ。小さなビニール傘や折り畳み傘だったら無理だったろうが斜め降りでなければどうにかなりそうな気もする。
一階に戻ってカップ片手に風呂の様子だけ覗き見て、再び居間で紅茶をすすって声が掛かるのを待つことにした。アンミはミーシーから手渡されたであろうメモ用紙を眺めていて、まだカップの紅茶は減っていない。ミーシーもそれに合わせてなのか今すぐ出掛けるなんてことは言い出さなかった。
俺もミーシーの視線を辿ってテレビの画面をぼんやりと眺めてみる。
「…………」
朝の時間というのは子供向けか老人向けの番組しかやってないんだろう。あとは、せいぜいニュースが流れるくらいのものだ。少し前まで料理教室というようなものがやってたみたいだが、それが終わって、今は携帯電話の便利な使い方講座なんてものが流れている。
面白いもんなんだろうかと思ってもう一度ミーシーの方をちらりと横目で見るが、なんの感想もなさそうにただまっすぐに画面を見て無表情のままだった。携帯電話など触っているところを見掛けたこともないから、多分持ってないんだと思うが、現代っ子らしく欲しかったりはするんだろうか。
再度テレビに視線を移したものの、こういってはなんだが、……とても若年層に向けた情報発信には思えなかった。ちょっと皮肉めいて聞こえるほど、おじいちゃんおばあちゃんが馬鹿にされてると受け取ったりしないかと心配になるほどに、ひたすらに初歩の初歩から、何度も何度も同じ説明を繰り返している。
挙げ句には小さな文字を読めないと虫眼鏡を持ってくるおじいちゃんにブッブーと効果音をつけてペケを打ち、こんなに簡単に画面を拡大表示できますと司会の女性が指をぴょこぴょこ動かした。
『さあ、皆さん。やってみましょう』
ぴょこぴょこ、ぴょこぴょこ……。指の運動、ぴょこぴょこ、ぴょこぴょこ。
「…………」
ギャグだとすれば多分笑うところなんだろうが、おじいちゃんは驚きを湛えた表情で指の運動を繰り返している。このおじいちゃんもさすがに台本に従っているだけだとは思う。
が、ドアップの真顔の横で親指と人差し指をぴょこぴょこ動かし始めたのを見てちょっと呼吸が乱れた。役者の気質なのかアクションもいちいち大げさで、円弧を描くようにして腕を振り回し携帯電話の画面をスワイプしている。
『すいすい、スワイプっ。すいすい、スワイプっ』……。
俺も将来テクノロジーからおいてけぼりを食らうことになるだろうから馬鹿にするわけにはいかないが、情報番組としては演出過剰と言わざるを得ない。このスワイプ運動は、スマホを触ったことのない高齢者に誤解を与えかねないし、お世辞にも便利そうには見えなかった。
アンミはまだメモを片手にゆっくり紅茶をすすっている。ミーシーはまるで身動きもないままずっと画面を見つめたままだった。
「携帯電話が欲しかったりするのか?」
決して欲しそうにしているわけではないが、ちょっと気になってミーシーに尋ねてみた。聞いてようやく、ちょっとこちらへと首を向ける。
「いらないわ。必要ないでしょう。ちょっとチャンネル変えるのを忘れてただけよ」
ミーシーはそう言って紅茶をすすり、チャンネルを変えてしまった。なら何故画面をじっと眺めていたのかとも思ったが、どうやら別に番組の内容が気になるかどうかによって表情や姿勢が変わったりはしないようだった。
チャンネルを変えた後もやはり無表情に、さして感想もなさそうに、紅茶のカップを下ろして、じっと前を見つめている。集中して見ているわけじゃなく、暇つぶしにテレビを点けて単に視線を向けているだけなんだろう。天気待ちということなのかも知れない。
俺も紅茶をちびちび飲んでお風呂が沸くまで座って待つことにした。五分ほどすると、アンミは紅茶をコクリコクリと飲み始め、メモをポケットにしまい込んで立ち上がった。そして俺の方を向いて「ごちそうさま」と言って、俺の飲み終えたカップへカチャリと重ねて回収した。
ミーシーももう既に飲み終えていたようで、「ああ、そうね。ごちそうさま」と言って立ち上がってカップを台所へと運んでいった。俺は「ああ」とだけ返事をしたものの、スマートな紅茶の片付け方というのがすぐには思いつかない。放っておけばアンミが洗ってくれるような流れになっているが、それをわざわざ俺が割り込んで出しゃばるのが良いだろうか。
俺も立ち上がって台所方面をちょっとだけ覗いてみたが、やはりアンミが洗い物を引き受けてくれるようだった。最後に至ってまでちょっと格好がつかないが、まあ、変に張り切ってストップを掛けるのはやめておこう。
買い物では荷物運び役を任命されている。それを軽々こなしてみせれば、多少は俺の株も上がる。傘の差し方にしてもできる限りスマートさを心掛けよう。ミーシーとすれ違うのもちょっと気まずい部分があるし、浴室へと方向転換してお風呂の様子を観察することにした。
およそ湯は張り終わっていて、手のひらを差し込んでチャプチャプとかき混ぜ温度だけ確認してみる。故障でもしてなければこんなことをする意味なんかもないが、念のための安全確認というのも大切だったりする。満足して風呂のフタを閉め、居間へ戻ってまた時間を潰そうと思った。
どうやらその間に洗い物も終わったようで、アンミとミーシーも居間で立って俺のことを待っているようだった。
「じゃあ行きましょうか」と言われて窓の外へ目線を向けてみる。……まあ、幾分かは、ちょっと小雨に、なったんだろうか。言われてみればそんな気もするが、雨量の違いが見た目で分かる気がしない。
「ああ、じゃあ傘取ってくるから玄関行っててくれ」
裏口から出て物干し竿に引っ掛けられている傘を手に取り、また玄関の方へと向かった。大体思ってた通りの傘の大きさで安心はした。
玄関から外に出て軒下で傘を広げて二人を手招く。俺が一番身長が高いから、傘持ちは俺がしなくちゃならないわけだが、ミーシーはともかく、アンミが俺の想定していた位置に入ってくれなかった。
二人が前で、俺が後ろという逆三角形の構成で歩く予定だったが、アンミは俺の後ろにぴたりと張りつき、ミーシーは仕方なさそうに俺の右側につく。
「いや、アンミ。前に入ってくれるとありがたいな」
「えっ。…………。ここが良い」
「…………」
「ごめん、分かった。じゃあこっち?」
「ああ、すまん。そうだな」
アンミの位置取りにどういう意図があったかは不明だが、移動してくれたことで随分と体勢は楽になる。後はアンミとミーシーが二人歩幅を合わせて歩いてくれるだけで良い。そこは特に心配することでもなかったようで、特に何を言うでもなく歩き始めたミーシーのちょうど隣につくようにアンミも歩き始めた。
ゆっくり歩くことにもしてくれたようで、俺が変に気を使わなくても全員濡れないでいられそうだ。
「雨の日に外出るの久しぶり」
「俺も講義が少なくて提出課題のない場合はずる休みしたりするな。用事がなければ好んで出掛けたりということもないだろう」




