十話㉑
「め、……っ、く、名言なのに、は、ハジメちゃんが言うだけでだ、ふ、台無しになってるのだが……っ。健介が、怒ってるのだが……っ」
ふぅーふぅーと苦しそうに呼吸を深く吸って整え、なんとかナナをまた持ち上げて立て直してから陽太はリアン・カーバイルがそう言うに至った背景の簡単な解説を始めた。
生まれながらに、持つ者と持たざる者とに分けられる。持つ者には羽根があり、持たざる者は地を這う暮らしを余儀なくされる。地べたで羽ばたく格好をしようものならお前には羽根がないんだと諭す者ばかり。指を指してどうやって飛ぶというんだと嘲って笑う者ばかり。
そんな中でリアンは堂々と言う。『羽ばたく回数が足りてないだけなのだ』と。『飛べるか飛べないかは、羽根のあるなしじゃなくて羽ばたく回数で決まるのだ』と。
「…………。今あたしが言ったのだってそんなに意味変わってなくない?」
「いやちょっと違うんだなあ多分なあ。大胸筋発達してたら飛べるとか思ってるのはちょっと馬鹿っぽいんだよなあ」
「まあハジメちゃんの言うことも一理あるな。無駄だと思うことでも諦めるなという意味ではあるからな」
「でも優雅に、自由に、生きるという比喩だろう、空を飛ぶというのは。リアンがそこで大胸筋を鍛え始めたら視聴者も応援しかねる」
「まったく健介はアニメの話ですぐムキになるのだな。やれやれ」
「ねえ、もう。良い大人なんだからさあ。アニメの台詞がちょっと違ったくらいで怒るのやめなって」
「…………。だがほら、俺はツッコミキャラだったりするだろう。別にアニメの話だからムキになって怒ったわけじゃない。俺は日常生活何かにつけて細かいことに難癖つけたりするそういう人間なんだ。仕方ないだろう」
「ハジメお姉ちゃんは人柄は良いけど、うっかりしてる。してることが多かったりするのが時々ある。健介お兄ちゃんはその点しっかりしてる」
「うっかりハジメェなのよ」
「誰がはちべえだっ。変なあだ名つけないでくれるっ」
「はは、はちべえはアニメの台詞をうっかり間違えるのだな。気をつけた方が良いのだ。マジギレする人もいるからな。俺とかも仮に彼女がそういう間違え方をしたら我慢できずに別れると思うのだ」
「……我慢しろよ。狭量だな」
「でもあんた彼女いないじゃん」
「仮にの話をしてるのだがあっ?仮にの話をしてる時に現実の話は関係ないのだがあ?」
「そうだぞ、ハジメ。仮にの話をしてるんだ。仮にの話くらいしたって良いだろう?実際は違ったとしても、それくらいは許してやっても良いだろう?」
「ふんっ、そんなんで我慢できないとかこっちから願い下げだわ」
「はあ?ハジメちゃんとは付き合ってないのだがあ?願い下げも何もそもそも付き合ってないのだ」
「…………あ、そう。まあそうね。仮にの話なんだけどあたしがムキになってもしゃあないわ」
「まあいいじゃない。彼女面して謝って、別れるなんて言わないでと懇願してなさい」
「んなプライドない真似しないもん。あたしは」
「世の中こうやって離婚するのね」
「いや……、少数派だろう。そんなちっちゃいやつは」
「でも実際そうなったらハジメは涙目で顔真っ赤にして謝る言葉を探すのよ。素直に謝ったりできないけど、またいらないことして気を引こうとするのよ。ハジメが私のシーツ破った時とかもそうだったわ。ごみ拾ってきて『これあげる』って。多分、受け取ってあげないとこの子延々とごみ拾ってくるわとか思ったら、もう気にしなくて良いのよと言うしかないでしょう。なんか哀れでしょう。シーツを破っただけなのに、誰も求めていないごみを延々拾い続ける罰なんて、さすがにあんまりでしょう」
「ごぉみっ?紅葉のねえっ!色がもうっなんなのこいつっ!こいつホント信用できないわ!飾ってたじゃん一時期は」
「ハジメが一旦確認してから二日後くらいにこっそり燃やしたわ。シーツ直ったら別にどうでもいいでしょう」
「ありがとうって言ってたじゃん」
「でも無表情だったでしょう」
「だったけどあんた素直じゃないじゃん」
「そもそも別に私は怒ってないと言ってたでしょう」
「言ってたけど受け取ってから言ってたじゃん」
「受け取る前に言っててもごみ拾ってきたでしょう」
「ごみじゃないってるでしょっ!綺麗なのだったの!」
「ミーシーお姉ちゃん分かってあげて?ハジメお姉ちゃんは比較的綺麗なの拾ってくるから」
「そうね。じゃあシーツ破ったけど、比較的綺麗なの拾ってきたから許してあげたことにしましょう」
「今度からきったないの拾ってきてやる……」
「こういう負け惜しみの恨み言言うのもちょっとかわいいでしょう。きったないの拾ってきて許しを乞うハジメが家を訪ねてきたらその一生懸命さに免じて不器用さは許してあげたくなるわ。不器用さと掛け算されたせいで結果的に汚いごみ拾ってきただけで、なんか多分懸命な想いが逆算するとあるような気がしないでもないのよ。ごんぎつねに金銭要求する道徳心のない人はそうそういないでしょう。一生懸命であれば許されるものよ。逆にビル・ゲイツが五百円の図書カード持って詫びにきたらごみと比べて遥かに有益でも馬鹿にしてるとしか思わないでしょう。良かったわね、ハジメ。ハジメの持ってくるごみはビル・ゲイツが持ってくる五百円の図書カードより許されるわ。私は別にどっちもいらないから捨てたけど」
「ふうん。捨てられてっけど」
「んー、ハジメちゃん。今ググッたのだが、落ち葉とかは急にというと保管難しそうだな。水分抜いてラミネートくらいしないと綺麗には残らないらしいのだ。まあ綺麗な内に捨ててあげるのが思い出の中だけでも残るというものだな。生き物とかも……、キツイな。食べ物以外の生ものはあんまり贈り物には向かないということっぽいのだ。ミーシーちゃんも素直じゃないな。いつまでも持ってられたら腐ってたかも知れないし、ハジメちゃんもそれ見たらがっかりするだろ?もういいから捨ててというのも言いづらい感じするしな」
陽太はすいすいと指で携帯を操作して落ち葉の保管方法について調べてみたらしい。ナナとアンミは陽太の指さすスマホ画面を覗き込んでいた。
俺の位置からだと画面に映っているものがこげ茶色なことくらいしか分からないが、ちゃんとした保管状態じゃないと腐葉土になっていくんだろう。多分。そうすると押し花とかも長持ちしないんだろうか。落ち葉の方がよっぽどしっかりしてそうなものだが。
「贈り物が何かというのも特に重要じゃないしな。この場合、仲直りするのが目的だったんだから、仲直りできたならそれこそ結果は十分だろう。陽太のフォローのおかげで、尾を引くことのない告白タイミングだった。まあこの先ハジメがあの落ち葉そういえば捨てられたとか怒ることもなくなる」
「…………。そう、だったんだ。じゃあ、ごめんミーシー。ありがとなんか、気ぃ使ったんだ。気ぃ使って捨ててくれたんだ」
「今、ちょっと笑いそうになったわ。いいのよハジメ。ちょっと面白かったから良いのよ。私はゲイツよりもハジメを選ぶわ」
「ゲイツがわざわざ来日して図書カード持ってくるのも結構な誠意だとは思うけどな」
「そうでしょうけど、ゲイツがわざわざ来日して私のシーツ破ることもないでしょう。その辺の前条件はどうでもいいのよ。その場にいたとして謝る時の謝れる能力と実際の謝り方がどうかという問題の話よ。健介の番よ」
「……なるほどな。よいしょ。二回やって良いんだよな?」
「あれ?あたしの相手は?あんたまたそっち戻ったの?」
「お前も婦警やるか?今ナナが誘拐されて逃走中の犯人を追い掛けている。追い掛けるの好きだろう?」
「やるやる。あたし警官?犯人どこ?他のも捕まえて良いの?」
「いや、犯人は陽太だから犯人以外は捕まえないでくれ」
そうしてまた全員で、同じゲームに集まることになった。
しばらくすると、ミーシーの要望を取り入れる形で人生のスタートとゴールが亜空間だかワームホールだかで繋げられることになった。ミーシーが本心からそうしたいと願っていたのかは定かじゃない。
ハジメが警察官なんだから税金取りたいと言い出して、他プレイヤーから徴税するようになった。金にこだわらないと言ったことなど忘れているようだ。どうせ使い道などないというのに。
陽太が犯罪集団組織したと宣言して将棋の駒を人生ゲームのマスに打ち始めた。キムとワンという名前のマフィアらしい。ただ、将棋ルールそのままの機動力ではあんまり役に立たない気もする。
ハジメはマフィアの周りを行ったり来たりし少し考えて立ち上がり、オセロの石を鷲掴みにして戻ってきた。「警察なんにも装備ないからこれ地雷ってことにしない」と提案した。
陽太が折角持ってきたものを遊ばないのもなんだしとまあ協議して同意を得て、俺とハジメはせっせとオセロの石を人生ゲームのマスに撒く仕事をする。
爆発済みの地雷はひっくり返して黒くしておくことになった。陽太は地雷無効化のために歩兵を大量投入し、塞がれた道を切り開いていく。
将棋の駒は立てて置いておくと、……なんというか、名前の刻まれた墓石のようにも見えた。誘拐犯を捕まえることが目的だったはずなのに、いつの間にかそこら中が、歩さんの墓標で埋まっていく。警察の掲げる正義とは一体なんなんだろうか。
「そういえば峰岸と約束してるとか言ってなかったか健介は?」
「ああ。言ってた。六時だ。まだ時間はあるが、あれかな。ちゃんと覚えてる、これから向かうと、俺は電話で伝えとくべきかな」
「そこまで気遣いいるか?さすがに一回来なかった実績があるから少し待って来なさそうだったら一旦家帰るだろ峰岸も」
「でもあいつが直前に見た時計が狂ってるということもあり得なくはないだろう。だから早めに電話しておくべきかも知れない」
「…………。あり得るな。時計が止まったの見て時間が止まったとか勘違いしそうな感じはあるもんな。俺ですらもう世界の時間概念というのが壊れ掛けてるのだ。そろそろ千年経たないか?ミーシーちゃんちゃんと数えてるか?」
「数えてるわけないでしょう。数えてたら気が狂ってるわ」
「忍耐力鍛わるなあ、人生ゲーム。地雷ほとんど壊されちゃったし大事に使わないと……。ねえ黒いのリサイクルして良い?」
「こっちもアユム君切らしちゃったからなあ。将棋が……、四十枚か?アユム君十八人犠牲にして、残り二十二人で地雷あと、四十……、六枚?か?フィールド上手く確保しないとキツイな。リサイクルはアユム君全部死んでからな」
「もう、人生関係ないよな……」
「ううーん、最初っから人生は別に関係なかったんじゃない?」
「いや、……本当に最初だけは関係あったんじゃないか少しは」
「今のこれを人生ゲームとすると、……考えた奴は一体どういうものを人生だと思ってるのだという話だよな」
「お前もこの謎のゲームの考案者には違いないと思うがな」
「みんなして好き勝手なこと言うからな。まあでも人生、ルーレットの目と止まったマスの内容だけで決まったら面白くないのも事実なのだ。こういうハチャメチャな人生もアリといえばアリだな」
「俺はちょっと人生に疲れたのかも知れん。ちょっとぶらぶら散歩して、ミナコに電話して、で、まあそのまま待ち合わせ通り会って話してくる。すまんが、晩御飯俺の分だけ残しておいてくれ」
「もう行くのか?そしたら俺はどうすれば良いのだ?」
「とりあえず千年目指したら良いでしょう。三千年くらい生きたら世界遺産になれるわ」
「屋久島か?ミーシーちゃん教養あるな。そういえば健介も岐阜県馬鹿にするとすぐ世界遺産があるとか言うのだ」
「……白川郷があるからな。世界遺産だから。あれは」
「世界遺産の教養とかはないわ。でもまあ、日本の地理くらいならある程度分かるわ」
「陽太もハジメも岐阜県馬鹿にするからな……。なんかあるか?岐阜県のここが、……その、あれだという」
「一応新幹線通ってるぞ?羽島な。ぼっとん便所のアパートの駐車場にベンツあるくらいの違和感なのだが」
「一応とか言うな。ひどいたとえをするな。岐阜県だって割と発展してるんだから」
「ミーシーちゃんなんかあるか岐阜県で。かなり難しい注文だとは思うのだが」
「…………」
「黙るなよ、……ないのか、岐阜県には」
「例えばまあ、養老の方に、『ロケジマ』と書いて、『くちがしま』という所があるのよ」
「ほう……。なんかあるのかそこに?」
「普通に考えたら、ロケーションの綺麗な島だと思うでしょう?テレビ局がロケ地に選びそうな名前でしょう?」
「そうかな……」
「でも別に、ロケーションが綺麗だったりもしないし、もっと言うと実は島だったりすらしないのよ。普通に地続きなのよ」
「…………。えっ、紹介終わったの?良いとこまるでないじゃん岐阜県」
「いやいや一カ所で決めるな。ロケ島がたまたま名前詐欺なだけだ。岐阜県全体のロケーションが悪いわけじゃない」
「いや……、ロケ島じゃなくてくちがしまだしな。羽島もよく考えると島とかじゃないのだ」
「それさあ、あれなんじゃないの?海ないから海に憧れて島とかって名前付けたんじゃない?いいじゃん別に。許してやんなって」
「許されるような悪いこと別にしてないだろう。勝手に許そうとするな」
「田んぼ、綺麗だったよ?ワラを燃やしたのとかがあった。ナナはちゃんと日記にもそれ書いた」
「そうか。ありがとな。また散歩行こうな?でも飽きたらちゃんと飽きたって言ってくれ。俺も頑張って違うとこ探すから」
「じゃあ?まあ?とりあえず。いってらっしゃい?晩御飯あんた一人で食べんの?待ってたげよっか?」
「いやいい。待ってなくて良い。先食べててくれ。寂しそうにしてたらその後構ってやってくれ」
「はーい、じゃ気をつけてね」
「もし旅行帰りとかだったらお土産的なものも受け取っといてくれ」
「ああ分かった。旅行だったらな。じゃあ行ってきます」
ナナが手を振ってくれたので俺も小さく手を振り返し、居間から玄関へと出る。携帯がポケットに入っていることだけ確認して靴を履き、扉を押し開けた。
ちょっと早過ぎるかも知れない。そうだな公園に着いて、ベンチに腰掛けて、時計と空を交互に眺めることにしよう。
待ち合わせ時間の三十分くらい前になったら一度電話してみて、今から家を出ると嘘をつこう。落ち着くための時間と考えるための時間が必要だし、急かすつもりも気を使うつもりもない。
謝って、仲直りをして、それが済んだら今日は良い日で終わるはずだ。




