九話㉙
「でも、そうしたところでちっともデータは揃わなかった。あの風貌と、あまりに熱の入った語り口のせいか、うふふ、まるで狂人のようだ、と当時は世間様にも敬遠されていた。その研究に協力してくれた機関は十を超えたことがないし、中には協力の代わりにと無茶な見返りを要求するところもあった。もちろんいわゆる真っ当な研究も並行していたから、お金に困るようなことはなかったけれど、それをそこら中にばらまいて人手を欲しがった。高田は手足となってくれる人材が欲しかったのよ。死人を治す研究を進めるためには。それによって、助かる命を増やすためにはね」
その、善行の綻びを俺は静かに待っていた。人間らしい欲望とか誰でも起こしうる想定外のミスとか、とりあえず何でも揚げ足を取れるなら構わない。
どうやら、お金はむしろ、野望のせいで減らしていたらしい。私腹を肥やす裏金騒動の気配はなさそうだ。
「高田は急いでいた。慌てていた。……何故かというとこの研究、高田にしか完成させることができそうになくて、そしてどう考えても高田が生きている内にゴールできるような距離じゃなかったから。さて、そうして、高医研は世界に門戸を開くに至る。ねえ、でも、……普通、あり得ないことに、研究者の募集はね、十代前半の子供であってもその対象に含まれていた。目的のために、手段を選んでいられない。そういう人よ。命の部品を探す狂人染みた稀代の天才医学者。彼の本当の理解者は、彼の奥さんと、一握りの彼と同じ天才と、そして彼に命を救われた幾千、幾万の患者達だけだった。もちろん、少数派だった。高田は確かに、異常といえば異常だった。狂人にしか正確な命の重さを見ることができないのかも知れない」
「……それを聞いて俺は反対意見を述べるのか?狂人?異常?……むしろ非の打ち所がなさ過ぎる。少し整理をさせてくれ。まず、アンミは研究所に連れ戻されたらミーシーとは暮らせない。その理由は高田誠司という男が研究に執着してるせいだ。だから、お前がわざわざ熱心に話す内容の中には、高田誠司の目的自体に破綻があるか、あるいは高田誠司から妥協を引き出すスキャンダラスな交渉材料が含まれている可能性がある」
「いいえ。高田誠司は常に一貫していて矛盾も破綻もない。交渉材料になるようなスキャンダルもないと思うわ、私の知る限りでは。組織でやってる以上、高田もそう無茶なことはできないし、なんなら今回のこの件ですら、無茶に含まれないように、よくそんなところまでと思うくらいに手を回している」
「まあ、とりあえず、高田誠司は、……高齢だ。だから残された時間が少なくて、アンミを帰すつもりがないということだよな」
「それも多分、違うのよ」
「違う?いや、……?違わないだろう。さっきお前がそう説明してた。目的を達成する時間がないから人手を集めたがってたわけだから」
「健介君は、『セラ』って知ってる?誰かから聞いた?」
「ああ、一応は」
「アンミちゃんの育ての親の育ての親とされる存在は、それを見つけられる人間から不老不死だと信じられていた。というより、不老不死であると断定できる証拠を高田は手に入れていた」
「セラおじいちゃんだろう?不老不死だとされてただけで、実際には歳を取って亡くなってる」
「老いて死ぬように自分に魔法を掛けたのではない?それくらいは簡単にできそうな魔法使いだと思ったわ、セラに関する言い伝えを聞く分には。私もさすがに実際の証拠は知らない」
「不老不死、の、セラおじいちゃんが、高田誠司の命の部品の研究に関係してくるのか?」
「直接的には、何の関係もない。医学の範疇ではないし、セラの不老不死は高田の考える命とまったく別物でしょうから。けど、少なくとも高田はセラによって不老不死の存在を信じて、実現するための構想を手に入れた。セラについての詳しい話は割愛させてちょうだい。話が逸れるしほとんど私の推測でしか話せないと思うから。ともかく、高田は不老不死になるための方法を見つけた」
「?それは命の部品の研究と関係ない?なんだ?……不老不死になる方法を見つけて、それを実現する構想を作ったんだろう?」
「不老不死にでもならなくては長く続くであろう研究を完成させることが不可能だった。不老不死の存在に自らを適合させるためにはアンミちゃんの能力が必要になる。どこを目的とするかは区切るのも難しいけど、端的にいえば当面はアンミちゃんを捕まえたいのよ。元はといえば不老不死になりたいのよ。何故かというと命の部品を造りたいから。そしてその後もアンミちゃんを手放すことはない。アンミちゃんを研究すれば、それを続けていれば、もっと沢山の人が救えるはずだから。高田誠司とは、そういう医者なの」
「おかしい、だろう。だったら?不老不死になれば良い。そしたらいくらでも研究を続ければ良い。時間はいくらでもあるわけだし、アンミをずっと捕えておく必要がなくなる」
「そう思うでしょう?でもね、健介君。目線が違うの。健介君の見ている、健介君の世界にいるアンミちゃんと、高田の見ている高田の世界にいるアンミちゃんは違う。あくまで、私の想像にしか過ぎないけど、答えを伝えても健介君は納得できないのでしょうね。高田にとっては、人を救えることが、何よりも素晴らしい体験だった。まあ、それだけのことよ。アンミちゃん、字の読み書きはできるでしょう?高田が一生懸命教えていたらしいわ」
「?……?答え?字の読み書き?何を言ってる?納得できないって何がだ?」
「まあ、高田の目的は正直どうでもいいのよ。健介君はアンミちゃんが研究所に捕まらない方が都合が良いわけでしょう?なら、それは別のところに置いておきましょう。ところで、ここでようやく、健介君は私に対する不審を一つ取り払えたのではない?仮に高田が不老不死になったとして、医学の進歩に執着を続けるとして、百を超えたら周りが黙っていないでしょう?多分、そうはしないでしょう?高田は自分だけ、不老不死になりたいの。他の人からそんな形で死を奪いたいとまでは考えていない。だから相応な歳になれば表舞台から姿を消す。私の推測に過ぎない部分もあるけど、高田が十代の研究者なんてのを欲しがった理由はそういうこと。高田の意思を継ぐに足る、長く生きていて不自然じゃなく、高田のこれからの成果で実績を飾られて不自然じゃない、そういう才能のある若い子を、高田誠司は欲しがった」
「まだ、話が済んでない。どういう……」
俺が話についていけなくなっても、市倉絵里はまるで反応する素振りもなく次の話題を続けていく。会話が成り立っているとは思えない。
市倉絵里は単に物音に反応して喋り続けているだけなんじゃないだろうか。その状況に不気味さが拭えない。
「『年少組』なんて呼ばれている十代入所の研究者が私。『若くて美人だから研究者なはずがない、お前は雇われた役者だ』と言った健介君の理屈はもっともだけど、単に高田がそういう若ければ良いという求人をして、私の入所が早かったというだけ。納得してくれる?それから、年少組にはあと二人いた。早川忠道と、フィリーネ・トロイマンという、二人の本物がね。…………あは。並べられたくない気持ち分かるかしら?私は落ちこぼれで論外。早川は研究所を去った。だから必然、トロイマンが高田の後釜になる。要するに高田は自分が死んだことになった後も、研究を続けるつもりでいて、トロイマンもそれに協力するつもりでいる。早川は、研究所を去ったけれどね、まあ性格的なことを考えると、高田のそうした計画は見抜いていただろうし、おそらく反対も、邪魔もした。どちらにしろ、そうした意味で高田がトロイマンを選ぶという可能性は高かったでしょうし、なんならトロイマンが入所した時点でそうしたことは二人の間で約束事になっていたのかも知れない」
「トロイマン……、トロイマンの目的は何なんだ……?」
「そこにどんな見返りや価値があるかまでは私は知らない。彼女には彼女なりの目的意識があるようだけど、それを聞き出せた所員は一人もいない。案外と、高田の目的にしたって、私は今上っ面の部分しか理解していない。何度も言うけど、推測のお話だから、健介君が健介君なりに考えてくれたら良いの」
ああ、俺が掴み損ねた話題を放置してようやく、俺の言葉に反応してくれるのか。
「トロイマンの目的は分からない、か。俺から話題を変えて良いか?」
少し乱れ掛けた呼吸を整えて、少し間を持たせるために言葉をひねり出す。一方的な攻勢にならないよう、短く区切って俺からの質問を投げ掛けようと思った。「ええ、どうぞ」、この短い返事が俺の予想通りのものであることに救われる。
まだ、大丈夫だ。一瞬バランスを崩し掛けたが、なんとか会話の体裁を保っている。
「アンミを助ける方法についてだ。もちろんお前は最終的な解決法については話せないと言う。で、さっきの高田誠司の説明から考えるに、俺がミーシーか高田かを説得して妥協点を探るような方法ではないことが分かった。じゃあ、もう一個ある」
「うん。聞かせて?」
「前に、警察を頼ったらどうかという話をした」
「したわね」
「で、そうすると形式上のアンミの親権者は研究所内にいるとかで、警察を頼るとむしろ連れ戻されかねないという話だった」
「よく覚えてるわね。そんなようなことを言った気もする」
「だとするとだ、お前はもしかして、……アンミの本当の両親を見つけてたりしないか?」
「?……ああ、そういうこと?」
「多分お前の思ってるそういうことだ。アンミの両親が見つかってるなら、親権を取り戻して堂々と警察を頼ることができる。見つけてないにしろ、見つけるためのヒントがあったりするのかも知れない。お前がミーシーでなく俺に接触した理由は、本当の家族がアンミを引き取る可能性を、ミーシーが懸念するからだ」
「それが、私が提案するであろう、アンミちゃんを幸せにする方法?」
「……そうだ。少なくともアンミが研究所から追われることはなくなる。アンミは本当の両親と出会える。ミーシーと一緒に暮らせるよう調整だけすれば、みんなが納得する結末のはずだ」
「残念ながら、全然ハズレ。組み立てとしては間違っていないと思うけど、何から説明したら良いのかしら。まずアンミちゃんの両親を今まで探してみなかったわけじゃない。でも見つかってないの。人を見つけるには、あまりにヒントが足りない」
「……例えば、ミーシーが協力してくれたとして見つからないか?」
「さあ?あとね、健介君は気づきづらいのでしょうけど、見つけたとして上手くはいかないように思うのよ、それは」
「見つけたとしても?警察が動かないか?」
「それも私には分からないけど。そうじゃなくて。健介君例えば……、セラの村にね、アンミちゃんとミーシーちゃんが元々暮らしていたところに、他にも魔法使いがいたことは知ってる?」
「いた、らしいな。ああ、知ってる」
「そう。じゃあ……。研究所の、アンミちゃんを探している人達が、まだ健介君の家を探しにいってない理由は分かる?」
「?分からん……。いや、ミーシーが回避していて、お前が何かしら工作したからだろう?それに範囲が広いからだ」
「それもあるけど、でも、健介君の家にずっと居候しているわけでしょう?都市部への予知妨害ラインを避けるだろうというくらいの推測だけでも、普通の人探しならね、まあ初日とは言わないけど、四日か五日あれば、健介君の家も対象になっていたと思うわ。でもいまだに、重点的な調査の対象地域にはなっていない。ミーシーちゃんも研究所がそこを探さないことを分かっているから、居場所を転々と変える必要がない」
「ああ」
「みんな、どこかへ定住しているなんて想定で探すのが、効率が良くないと考えていたからなのよ。だから、空き地とか空き家とか、普段人のいない施設なんかをまずは見て回っていたし、そちらでね、食べ物をどうしているかとか、そういった推測の材料が見つからないか探していた。まあそれでは見つからないし、ミーシーちゃんが調査を察知することもないわよね」
「確かにミーシーは兆候があれば察知して居場所を変えたかも知れないが……。それこそ食べ物をどうするかということを考えたら、空き家に住み着いたりしないだろう。空き家調査はミーシーにバレないのかも知れんが、そもそも見つかるはずがない場所を探していることを隠そうとしても意味がないんじゃないのか?」
「うふふ、健介君が、なんていうのか、あまりピュアでしょう。意地悪したくなるわ」
「…………。既に、意地が悪くないか?ものすごく歯がゆいヒントしか貰えてない。俺はこれで、何を考えれば良いのか分からない。お前がヒントをちゃんと出さないとお前からの質問に十分な回答は出てこないぞ」
「あら、ええ。そうね。でも、ゆっくり話していたいの。答えだけ言ってしまったら、健介君はすぐ電話を切ってしまいそうでしょう?」
「…………。そんなことはない」




