九話㉘
「自覚なくできるのを、才能と呼ぶと思っているのだけど。測れるものではないにしろ、いくらでも証拠を知ってる。なんだったらお勉強を教えてあげても良いけれど、別にそんなものはいらないでしょうからこうして、健介君が欲しがりそうな、アンミちゃんの件での協力を申し出ている面もある。教えてくれる約束をしていたでしょう?代わりに健介君が聞きたいことなら、できる範囲で私も答える。そういう約束だったでしょう?」
「質問を受ける約束はしたな、確かに。ただ……、そんな話を聞きたかったのか?」
「そんな話を、私は聞きたがっている。でも今じゃない。健介君、まだ足りてないの。健介君が知るべきことがいくつもまだ残ってる。私はタイミングを見て、聞かないと。ちゃんとあなたの中で公式が熟成するのを待たなくてはならない」
「いまいち釈然としない。それはアンミの件で、俺が知るべきことがまだ残ってるということだよな。お前はそのために、俺を相手に情報を小出ししてるわけだ。俺が出す答えと、その解説が聞きたくて」
「そういうことね。でも小出ししてるというわけじゃないわ。順を追って、健介君が何に気づくのか、何を知りたがるのかその解法も見ていたい。それにあまり外野からあれもこれもと付け加えたくはない。健介君が見てからでないと、私が変な先入観を与えてしまうこともあるでしょう。それに一度にあまりたくさんのことを伝えると、健介君も混乱してしまうと思うわ」
「……それも必要なわけか。ちゃんと質問をしろと。俺がどういう手順で組み立てるのか知りたいと」
市倉絵里の知りたがる俺の目線とは一体なんなのか。俺が良い解決策を思いつくまでの過程を知りたいという話だとは思う。ただそれは本当に、単なる人間観察でしかないし、良い解決策が一つ答えとして用意されていて、しかも市倉絵里が俺にヒントを与えていくという形式になると、……何が面白いんだろう。
俺が必死に考える様子が面白いんだろうか。台本を書いているのは市倉絵里だというのに……。
「良かった、健介君が友達のように話そうと言ってくれたのは嬉しかったけれど、それは別として、こうして話していなかったら、健介君は私の意図に気づかなかったかも知れない。重要なことを何も知らないまま、私の質問に的外れに答えていたかも知れない。そうだってとしても、別に、他の約束を反故にすることはないけれどね。アンミちゃんもミーシーちゃんもあなたも、ちゃんと幸せになれる。そこは安心しててくれて良いの。ただ、私が幸せになれるかどうかは、健介君が私の質問にどう答えるかによる。健介君が私に聞くべきを聞いて、そしてどう考えたかによって決まる」
理由はともかく、市倉絵里もまた、俺が聞くべきを聞いて、考えることを期待しているようだった。
「じゃあ……、アンミの話に変わっても大丈夫か?お前も俺が答えを見つけるのを期待して質問に答えるということなんだろう。期待外れな質問や答えになるかも知れないが、まあ材料が足りないのは自覚してる」
市倉絵里がどういった目的で、俺たちに協力すると言い出したのか、その疑問というのはこんなところで一度収束してしまった。『見ていたいし、聞いていたい』、ドラマの一部を。登場人物である俺が抱く感想も確認したいということなんだろう。
俺の目線でどう見えているのか、価値ある質問をできるかどうかが気になるんだろう。その思惑は、俺には正直理解できない。本当にそう思っているのかは確定できない。
ただ、そうした不完全で曖昧な加減が、市倉絵里の人間らしさなのかも知れないと思った。プリンタの吐き出すような精緻な文字の羅列がない。写真のような正確さがない。歪んで滲んで擦れた言葉で、理解されそうにない心の内が語られたように感じている。
厳密に語りたかったであろう市倉絵里のこれまでと対比して、それがあまりに不器用に浮き出している。
この時こう言ったじゃないかと突き付けるための材料にもならない。それこそ、気分や状況によっていくらでも崩れてしまいそうだ。俺が探していた、信じるべき根拠というのはこんなものだったろうか。
「そうね。意味のないお話も好きよ。でも、もちろん健介君にも私にも目的がある。聞きたいことがあるのなら、それはそれでどうぞ?」
ほんの短い時間で友達ごっこの会話は終わった。もっと根掘り葉掘り、何も考えないで済む質問を繰り返していたくなる。肩の力を抜いてどうでもいい話を続けたくなる。
ただ同時に、市倉絵里が俺に期待するものを返してやりたくもなった。元よりアンミのために取り組むべきことがある。
「じゃあ、話は変わるが……、何から聞こうか。アンミを幸せにする方法について、一つ思いついたことがある。だがその前に、ちょっと高田という男のことが気になった。多分、馬鹿ではないと思うんだ。頭が狂ってたりはしないよな。前提として、経緯を少し固めておきたい」
「?まあ、頭は、悪くなったりしていないと思うけど、それも健介君の判断するところかしら。高田誠司の話を聞きたいの?」
「ああ。どういう人物で、どんな考え方をするか。どんな目的で、どういう方法を考えるか。アンミの件ではいわば黒幕みたいなものだろう。一応、高田という人間がトップにいるわけだから。アンミ捜索の実働部隊には強い目的意識はない。これはそもそもの出発点の話だが、高田がアンミをどの程度どう協力させたがっているかは知っておいた方が良い気がする」
「私が、高田誠司の全てを知っているわけではないわ。アンミちゃんの件はあくまで、『研究所で保護していた少女を連れ戻すことが目的』としか聞いていない。まあもちろん、アンミちゃんとその仲間が特別な能力を持っていることは十分みんな分かっているし、それに備えて色々な準備も行った。もし研究所にアンミちゃんが戻ることになれば、昔みたいに研究に協力して貰うことにはなるでしょうけど、それが具体的にどんな内容かまでは高田が周りに明かすようにも思えない」
「だが、お前はその高田の目的も知っている」
「……知っていると思う?経緯、というと、要するにアンミちゃん側と研究所側が対立する原因が知りたいわけでしょう?研究所へ連れ戻すなんてことをせずに一時的に協力をお願いすれば良いのに、と、思うのかも知れない。そうしない理由か、そうできない理由が、私たちには明かされていない」
「明かされてない……。疑って掛かるようで悪いが、『知らない』とは言わないんだな」
「…………。察してはいる。健介君だって、早川を知っていて高田を知らないなんてことはないでしょう?…………。魔法使いを作ることが目的、というような言い方をしたかしら、私は」
「いや、早川のことも高田のこともほとんど何も知らない。せいぜい名前をどこかで聞いたことがあるくらいで……。そもそも研究所に連れ戻さなくちゃならないってのは確定なのか?察しては、いるってのは、実は対立せずに済む方法があるってことじゃないのか?ミーシーが、その研究の協力内容を誤解して対立してるなんてことは、やっぱり、ないか?」
「連れ戻したら、……じゃあ、ただの私の推測を、お話するけど、アンミちゃんは研究所へ連れ戻された場合、ずっと高田やトロイマンが面倒を見ることになる。一つに、高田の、アンミちゃんに関する研究は魔法に限らず多岐に渡って医学の発展に寄与する可能性が高い。そうなれば長期に渡ってアンミちゃんの協力が必要になる。苦痛を伴うような過酷なものではないはずだけど、少なくとも時間は掛かる。もう一つ、高田がその研究を一秒でも早く一秒でも長く続けたいと願っている。あと一つも高田の性質によるところだけど、多分今伝えても健介君には理解できない」
「……つまり、魔法研究が終わってもアンミは帰れないって話なのか?高田がその研究に執着してるから?帰すつもりがない……?いやいや、本来はそこで高田が妥協する場面じゃないのか?いくら大層な研究だといって、アンミの心証を損ねるだろう。ミーシーと対立して危険度が高まってる。仮にアンミを連れ戻したとして、……お父さんやミーシーがまた連れ戻しにいくし、アンミ自身も協力を拒むはずだ」
「まあ、健介君から見て、それを頭が悪いとは言うのかも知れないわね。うん……、高田のことはどれくらい知ってる?」
「さっきも言ったが本当に何も知らない。名前だけだ。どんな人物かも知らない。研究者、なんだよな?」
「……?じゃあ、大体の概略だけ、一応説明はしましょうか」と、市倉絵里は高田誠司のことを話し始めた。同じ時代に生きているとは思いがたいほどの偉人のようだった。なるほど、『俺ですら』知っていておかしくないわけだ。下手をすると教科書なんかに載っていたのかも知れない。
「高田誠司は、世界で初めて、命の再構築を成功させた医学者だった。健介君がまだ、小学校に入る前の話ね。魂のオーダーを組み上げて、命を作り出すことに成功した」
まるでおとぎ話の読み聞かせのようだった。これまた何の前提もなければその英雄譚に憧れと尊敬を抱いたに違いない。
厳めしい表情を讃えた黄泉の番兵は、数えきれない命を救って今に至る。
高田誠司は世界で初めて、命を再構築することに成功した人物。
「……虫の、命をね。すごくシンプルにいうと、生きている虫にあって、死んでいる虫にはない、『命の部品』と呼べる代物を発見した。分子の集合体を、命へと変える方法を作り出した。……虫を作ったのよ。世界で初めて。健介君はくだらないと思う?」
「…………何ともいえない。そこで終わっていたらくだらないのかも知れない」
「案外と高田院長もくだらないと思っていたのかも知れない。ただ、偉い学者様達はそうではなかったみたいだわ。高田の発表を聞いている間中あんぐり口を開けて、発表が終われば大慌てで自分の研究室に戻って虫の命をたくさん作り出した。みんな口を揃えて『あんなものと並べられては末代までの恥だ』とノーベル賞を辞退した。その年は高田ただ一人が壇上で命を造り出すことの意義を熱弁した」
それらの功績が、今この瞬間に続いていることを俺は知っている。いくつもの功績が晴れやかな結末で閉じられたわけでないことを理解している。
その延長線上にあるのが、今回のアンミの研究に関わってくるんだろう。なるほど、大層な……、ラスボスもいたものだ。
「高田院長はね……、人を、なおしたかったのよ。前に話した研究所のラットも、人間にだってきっと、そういった『命の部品』に相当する何かがあるんでしょう。だから、その準備のために、高田にとってはなんの意味もない虫を作るパフォーマンスをしてみせた。人をなおしたかった。『人の、命の部品を、見つけたかった』。簡単なことじゃないわ。完全に静止した人間のモデルなんてものは存在しないし、仮にあったとして分子の量も虫とは桁違いだし。倫理的に問題があると国医倫からも圧力があった」
『常に与えられたルールの中で、神も悪魔もなく抗ってきた。もしも魂が、分電盤の中のブレーカーのような形をしていたとしたら、生きたいと願っていた死人のそれを、どうして動かさずにいられるか』。『人々から死を奪うものではない。蝋燭に灯った火がほんの一瞬消えたばかりに、その先に続いたであろう全てを失う不合理を正すのだ。天寿とは何かを今一度問え』
「高田院長は、少しでも世論を味方につけて、人をなおす追い風を欲しがった」
正直なところ、聞かない方が良かったと思い始めていた。高田誠司の理想や理屈は、何かの拍子に曲がる代物だとは思えない。いや、まだ分からんのか。
仮に、……そうか。俺が見ていた夢が、夢の女が見せていたものだったなら、高田誠司の目的は不老不死だったはずだ。高尚な理想を掲げてその実、自分勝手な目的で動いていたとすれば失脚は免れない、ということもあるだろうか。
それに現段階ではまだ、俺が間に立って交渉窓口という目が完全に消えたわけじゃない。なんなら高田誠司の真の目的の尻尾を捕まえて証拠を手に入れてそれを突き付けさえすればある程度の譲歩を引き出せる可能性もある。
そんな大立ち回りのウルトラシーは荷が重いが……、上手くいくとは到底思えないが……。まあ、まだその核心に至っていない。
ラスボスのステータスは何となく分かった。ラスボスがその野望を抱くまで歩んできた道程は察した。埋まらない隙間から都合の良い真実を引き出す必要がある。市倉絵里はなおも平坦とした口調で高田誠司のエピソードを語り続けている。




