九話㉔
「……ないニャ。強いていうなら、アンミが探そうとしてないとこくらいニャ。スイラやミーシーが見つけてるようには思えないところニャ。アンミとミーシーと健介が、幸せになれるというのを約束してるニャ?その人は」
「そこら辺の価値基準は微妙なところだ。アンミは本当の親が見つかってハッピー、ミーシーはアンミの問題が片づいてハッピー、俺はアンミとミーシーが幸せそうでついでにハッピーくらいに思ってるかも知れない」
「まあ、……人それぞれニャけど、多分みんな、そのアンミのことを助けてあげられたらそれで十分ハッピーニャし、……今のところ問題それだけかニャ?だったらすごくシンプルで、健介はよくやってるニャ」
「シンプルか?よくやってるってこともないだろう。俺はまだ何もしてない」
「アンミが困ってるだけなら、アンミのためにできることを一生懸命探して、もしできることがあるならそうしてあげれば良いはずニャ。物事そんな簡単に、結果だけぽんと出てくるものじゃないニャし、健介は今できること全部やってるニャ」
「…………。問題が、それだけなら、なあ、自分でも馬鹿げた話だと思ってるんだが、アンミの問題だけかと言われるとそうじゃない可能性もある。というより、単に気掛かりになってるだけだが。俺は、……俺たち側の目的についてははっきり分かってるつもりだ。捕まりたくなくて逃げてきてるわけだから。だが相手の、高、総、……医科研の目的の方は正直ほとんど分かってない。なんで折り合いがつかなかったのかとか、どういうつもりで何がしたいのかとか」
「折り合い、かニャ。多分ミーシーが納得しないということニャ」
「あと、アンミもな。おっさんもだ。研究に、協力させたいだけのはずだろう?向こうが強硬策に打って出る必要なんてないんだ、普通なら。…………暗黒科学者の悪の組織が日本でのうのうと運営してられるか?こういっちゃなんだが、だってアンミは村に引き取られるまでその施設にいた。多分病院ってのは割とすぐ近くのでかい病院のことだぞ。前は何不自由ない生活をさせてたと、市倉絵里は言ってた。それこそアンミは、バイト感覚でたまになら協力してやるがそれ以上は無理だとはっきり言えば良い。アンミの機嫌を損ねたら向こうだって困るはずだろう。これは俺ですら分かる理屈だ」
「…………。悪い想像ならいくらでもできるニャ。アンミをずっと閉じ込めておくつもりかも知れないニャ」
「あり得るのか、そんなこと。……アンミが不満に思わないはずがない。ミーシーやおっさんがアンミを助けにいかないはずがない」
「悪い想像なら……、いくらでもできるニャ。スイラもミーシーもいなくなったら、アンミは帰る場所がないニャ」
「…………。日本だぞ、ここは」
逆に、良い想像なんてのも、まあやろうと思えばいくらでもできる。例えば平身低頭で協力を要請しようとしたが、ミーシーが意地張ってアンミと一緒に逃げたとか、実は強硬策なんてものじゃなくて単に話し合いをするために大仰に護身に努めているとか。
悪者なんてどこにもいなくて、誤解が積み重なっているだけだったりはしないだろうか。市倉絵里はあくまで、高田とトロイマンからの『アンミを探すよう指示があった』ことを明言しているに過ぎない。
ミーシーも予知中の行動分岐で未来を知ってるだけだから、……どうだろう。過去の分岐は予知できないし、十中八九どんな条件だろうが話し合いに応じなさそうではある。
感情的に初手を誤る気持ちも分からんではない。逃げる、追われる、追い詰められる、危ないから予知を封じる手立てを講じる、予知できないから解決手段が見えないし無茶苦茶する、そして危険度が高まる、……なんて一見馬鹿っぽい流れも、まあ、ないとは言い切れない。
そういう問題だと仮定する場合も、市倉絵里の『最終的に問題を解決して全員が幸せになれる方法がある』という説明と一応は辻褄が合うだろう。
ミーシーが話し合いに応じないと決めているわけだから、ミーシーには接触できない。接触する前に逃げられてしまうリスクがあるし、接触した瞬間に話も聞いて貰えずボコボコにされる危険性もある。
そういった事情での予知妨害は十分にあり得るし、そしたら、ある意味中立で部外者の俺を交渉窓口として間に立たせるのが良い方法にはなるのかも知れん。
市倉絵里がその辺の事情を分かった上で俺に接触しているのなら、まあ……、研究所の裏切り者かどうかは別として『解決方法を俺に提案すると言って懐柔を図る』のも頷ける。
俺の基準ではこれは嘘をついてることになるんだが、そこにも色々言い訳が出てくるかも知れないし、多分ちゃんと結果が出た後でなら、俺もごちゃごちゃ文句を言うことはなくなるだろう。
「そっちが気になるなら電話して聞いてみるしかないニャ。じゃあ私も、……聞き耳立てて盗聴器代わりに情報収集してみますニャ」
「聞こえの良い仕事じゃないな。……スパイキャットというのはどうだ?お前に不本意な仕事を強いている俺から、せめてもの罪滅ぼしとして格好良い名前を、な?」
「な?じゃないニャ……。私は猫ニャ、名前はもうあるニャ。健介、私は誰ニャ?」
「ああ、ミーコという名前がある」
「健介が、付けた名前ニャ?」
「そうだ、俺が付けた」
「…………」
「…………」
「なんでも届かないところ猫の手借りると良いニャ。ちょうど多分、このベッドの場所なら、下も上も大体聞こえそうニャ。そろそろご飯ニャ。ナナがアンミの料理してるところ見てるニャ」
「…………。頼りになる相棒ができた。お前がいなかったら陽太かミナコに電話してたんだろうな。解決できるできないは別として、俺は頼りになる誰かを頼りたかった」
安堵のため息混じりに言葉を吐いてみて、それが本心からの言葉であることに、後から気づく。
まあ既に実際、陽太なんかに、『魔法使いが来ちゃったどうしよう』なんて無茶な相談を持ち掛けた実績がある。何一つ解決するどころかヒントの欠片すら手に入れられなかった。
相談して解決するはずがないことくらい、当然俺だって分かっていたし、やはり当たり前なことに解決なんてしなかった。だが、そんなことが、その時の俺にとって、重大な助けになったのは疑いようがない。
そういう……、まあ、センセーショナルな事件に遭遇したら、魔法使いが訪ねてくるなんておかしな出来事が起きたら……。
「あれ、健介お兄ちゃんが鍵掛けてる。あー、鍵掛けてるのミーシーお姉ちゃん開けて」
「あっれ、ナナ起きてんじゃん。で、今度はこっちがまた寝てんの?」
「道具がないと無理だわ。それに鍵は本人の許可なく開けちゃダメなことになってるのよ。そういうルールだから我慢しなさい」
「道具あれば開くの、これ?てかあたしが上がってきた時は入ってくださいみたいな感じで開いてたんだけど。もしかしてあたしが勝手に入ったから鍵掛けるようになったわけ?」
出づらいがやむを得ないな。下手をすると俺の部屋の鍵談義が続いてしまいそうだ。
「あ、おはよ。あたしのせいで鍵掛けてんの?」
「……別に、そういうわけじゃない。普段はミーコが外に出たりするからドア開けてるだけだ。ミーコが中にいて出掛ける様子がない時はドア閉めることもあるし、休んでる時は鍵を掛けることもある」
「というかハジメも一応大きい分類で見たら思春期の女の子でしょう。鍵掛ける気持ちが分かるくらいにシャイな一面を持ちなさい」
「そんな気になんないけどなあ。鍵掛けてもガチャガチャやられたらどの道開けなきゃなんないじゃん。お風呂もアレさあ……、鍵あるもんなんだ。あたしそういうのの存在初めて知ったんだけど。このウチで」
「ちなみにトイレにもちゃんと鍵はあるのよ。用を足す時は鍵掛けなさい。でないと結構迷惑なのよ」
「いや、トイレはそりゃ掛けるけど……」
「…………ほら。俺の部屋の前で溜まるな。ナナは俺に用事か?というよりご飯を呼びにきてくれたのか?」
「そうご飯を呼びにきた。ミーシーお姉ちゃんはご飯なの知ってた?」
「大体毎日この時間くらいでしょう。ありがとう、ナナ。さあ行きましょう」
「うん」と返事してナナが翻り、その後ろへと二人が続く。
俺はミーコが部屋を出たことを確認してからドアを閉め、階段を下った。階下ではアンミがせっせと皿を並べていた。おっさんは一人座って食事を待っていて、一度俺たちに目線を移してから人差し指を立てて一番乗りであることをアピールしてきた。
「まあ珍しい。多分周回遅れでしょう。みんな、気にしなくて良いわ」
「俺の人生で数えるほどしかない一番だぞ。気にしてくれ。気にしてくれよ。なあ、ナナ気にしてくれ」
「?スイラ先生が一番に来てた」
「ほら、ハジメここ座れ。一番乗りになんか言いたいことはあるか?」
「ん、おめでと」
「ふぅー、……満足。さて、いたーだきますっ、てのを、俺はもう何年も前からやりたかった。みんなで言うやつな?ほら座ったか?手を、手を合わせてっ、はいっ、いたーだきますっ」
「「いたーだ、いたー、いただぁきます」」
「よく考えたらハジメもナナもこの大きい男の子が何言ってるか意味が分からないと思うから一応説明しとくわ。我が家では一番に席についたらいただきますの合図をやって良いことになってるのよ。たまにやりたがるのよ。もう理由も覚えてないけど習慣的に阻止してたわ。ごめんなさいね、今日は阻止できなくて」
「んー、いいじゃん別に。じゃあ何?あたしもずっと座って待ってたら一番になれたりすんの?」
「多分そういう謎の競争をやめさせたくて私がずっと座ってるようになったんでしょう……。慌てて私を追い抜いて席について一番アピールするのが鬱陶しいから私が座ってるようになったんでしょう……。もういいわ、まあ自由に争ってなさい」
「そういうルールがあるなら先に教えておいてくれ。ぼうっと座ってることだってあるかも知れんだろう。ミーコの分あるか?」
「うんある。私、ミーちゃんがご飯欲しい時分かるかも」
「昨日がちょっと特殊だったからな。基本、晩御飯で良いんだよな?」
「そうニャ。晩御飯で良いニャ」
いただきますの掛け声にも家の中のルールがあるようだった。別に誰かが違反しててもどうでもいいレベルのルールだったのか、それともミーシーが変わらず一番に着席してルールを遵守していたからなのか分からんが、これといって今まで不都合がなかった。注意されることもなかった。
世の中いろんな作法があるだろう。パスタの食い方も、カレーの食い方も、箸の持ち方も。
多分ミーシー辺りの食い方を見て真似しておけば問題ないものだろう。パク、モグモグ、ごっくん。
「自由に食べなさい。別に息苦しい決まりなんてないわ。美味しそうに食べなさい。美味しいから難しいことないでしょう」
「ああ。昔、箸の持ち方がみんなと違うことに気づいてな。あとカレーを混ぜてから食べるのは品がないと同級生に言われたことがある。気に、し過ぎてるみたいなことを、陽太にも言われたな。別にそういうわけじゃない。息苦しいとかどうかじゃなく、大した労力じゃないから正しい方法を見とこうと思っただけだ」
「健介のやりやすいようにしたら良いんじゃないか?俺の家ではまあ、みんな決まって、口から食べて尻から出してたけどな」
「あたしもそういえばちっちゃい頃とか箸カッチカチやってた気するわ。あんた、アレなの?細かいこと気にする派?」
「細かいことは気にしないが、自分がどう見られるかは気になっちゃう派だ。お前もなんというか、背筋ピンとして上品な茶碗の持ち方してるな。机低くないか?」
「んー?そんなん誉められたの初めてだわ。こうやって茶碗置いて顔近づけてパクパクってやるのが行儀悪いんだって。犬食いっていってねえ、あたしからのアドバイス」
細かいこと気にしない派しかいないような気もするが、何となくハジメの作法も気にしてみた。そつがない、雑に見える動作がない。まるで決められた角度があるかのようにすぅと器に箸を沈め適量を持ち上げている。
注意して見ないと気づかないものだが、これは多分、上品な振る舞いに分類されそうなものだ。喋ったりよそ見をしたり特に気負った様子もなくあくまで自然体でそうしている。
普通、できてるもんなんだろうか。別にハジメが特別というわけでなく。はっきりと他と違うのは姿勢くらいで、あとは何が足されているのかよく分からない。あるいは姿勢が良いだけで良い作法のように見えたりするのかも知れん。
「じゃあ私からも、なんか、教えてあげましょう。……、じゃあ、これで、こうやって箸の真ん中ぐらいで中指を挟んで他の指で四角形を作るのよ。上も下も閉じられるように練習しなさい。自分の右手側にある皿からつまむ時は手のひらを上にして上側を閉じて、左側のものをつまむ時は下を閉じるのよ。便利でスタイリッシュでしょう?ちなみにもう一セット箸があれば四方向箸が閉じられるわ。熟練したら両手でやりなさい。八方向から料理を自在につまんでいたら、さすがにもう誰も何も言えないわ」
ハジメからのアドバイスは至極真っ当なものだったが、ミーシーからは謎の教示を頂いた。
……箸の両端でひょいひょい食べ物をつまんでいる様子を見ると、……確かになんか、便利そうに見えなくもない。
一度説明を終えるとわざわざその謎の箸使いのまま食べるところまで実演して見せてくれた。
ご飯をひょいと掬って口に運び、そして手のひらを返したままおかずをつまんでくるりと手首を返すその一連の動きは、もちろん行儀が悪い分類のはずなのに、確かに、上手いことやられると何も言えんな。
とはいえ俺は、便利な箸の持ち方を教えて欲しかったわけじゃなく、単に知らず知らず犯しているマナー違反がないかを確認したかっただけだ。




