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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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九話㉑


「…………。どうしました?佐藤はもし、絵里さんのところに戻るというのならそのようにします。もしかして時間が掛かるかも知れないので異動して貰った方が良いかと思っていたけれども、そもそもこれはこちらの問題なので、あまりに長期に渡って佐藤に不本意な仕事をさせるつもりはない」


「あのぉっ!……っ、わ、私、もし、もしですよ?室長があれ作り直すなら、横で、口を出しても良いですか?室長が読んだ本が多分、多分ですけど初心者向けので、……それには載ってなかったアイデア、速くするアイデアなら私あります。ここはこうした方が良いかも知れないって、そういう、役に、立て……、立てる自信あります。センサー、何が何かなんて私どうせ覚えられないけど、全部分かってる誰かがいるなら、今の多分、二、……二倍くらいは速くできます」


 なんで私は、一旦諦めた室長に食い下がってまで、役に立つ自信があるなんて似合わない台詞を吐いたんだろう。市倉マネージャーの元に戻してくれると言っているのに、それを無下にしてまで出しゃばるんだろう。


 テストモデルの計測値で同じデータ量なら大体五十倍以上は速くなることが分かっていたから、控えめに二倍くらいと言っておけばどんな想定外があったとしても後々文句を言われないし、室長に恩を売っておけば後々色々大目に見てもらえるだろうし、呼出されたのに全く役に立たなかった失点も免れたいし、……そりゃまあ色々あるけど。


 どれもしっくりこれだと決まらない。というより私がこの上擦った文節のはっきりしない台詞を言ってる最中にはそういうのがしっくり来る理由だと思っていたのかも知れない。


「…………え、本当でしょうか?私があれを書き直す時に、佐藤が?ついていてくれる?」


 その言葉を聞いて、その言葉を発する室長を見て、だから私は、どんな理由がしっくり来るのか分からなくなったのかも知れない。


 驚いて戸惑って、口元が弛みそうになるのを恥じ入って隠そうとするような複雑な表情が見えた。先程までのが落胆の声色であったことが鮮やかに明かされる。


 けれど、それをどうにか抑えつつ、本当にそうして貰えるのかを、室長が私に聞く。


 考えてみるとあの緊張感のある面談の時ですら、私がはっきり『無理です』と言えば、室長は『そうですか』と言って諦めたんじゃないだろうか。『無理です』と言えば諦めて、『できます』と言えばこうして……。


 そして『できた』ら、もっと嬉しそうに、もしかしてもしかすると、笑ってくれることもあるかも知れないから。少なくとも出しゃばった後、私がそれを撤回しなかったのは、つまりそういう理由がしっくり来る。


 そしてその後、私が後悔に打ちひしがれながらもそこを撤回できなかったり、新たな頼みごとを断れなかった理由は、単に……、言い出すタイミングがなかったからだと思う。


 室長は周りに気を使っているふうを装いながら、あくまで自分基準のお方だったし、私が意見めいたことを漏らしても『私の大学時代の偉大な先生はこう仰った』と嘘か本当かも定かじゃない謎の人物の謎の発言をすらすらと引用して私のおそらく至極まっとうな人間的感性が間違っているのだと言い聞かせた。


「私の大学時代の先生が仰っていたありがたいお言葉があります。『決められた時間に、決められたからという理由で食事をする者は、野生動物にも劣る不自由さに生きている』と、そういうことです。好きな時に好きなものを好きなだけ好きなように食べられる特権を謳歌すると良い。十二時は別に食事の時間ではない。十二時だからご飯を食べなくてはなんてことを言うとヨーロッパでは不思議がられます。佐藤は今まさに食べたいのですか?佐藤が今まさに食べたいというのならそれが食事の時間です」


 室長が鬼のごとく人を働かせるという噂の原因はおそらくこの辺りにあると思う。


「佐藤、時計が二十四時を示した時が明日だというのは人間の思い込みです。この研究所内では空調が効いている。照明がついている。何一つ、地球と太陽のせいにする必要がない」


 この研究室には夜が訪れない……。そして室長が全然寝ない……。私の元気がないことに室長全然気づかない……。


「時間にはお金で買えるものと、そうでないものと二種類あります。買える時間は安いのだ、買わなくてはならない。買えない時間は尊いのだ、稼がなくてはならない」


 時折現れるその偉大な人物は時間に厳しいばかりでなくかなり極端な過激思想でもあった。


 あまりにその先生が恨めしくなって『その偉大な先生のお名前はなんていうんですか』と私が聞いた時、室長は明らかに目線を泳がせていたので、やはり実在しない空想上の人物なんだと思う。


 その空想上の人物が多分……、室長、周りから誤解を受ける原因だと思います。私も普段の室長の発言や行動は頑張って考えればある程度意味が分かりますけど、その偉大な先生から引用される台詞にはさすがに無理があります。


 だから、室長自身も、『これを自分の発言とするのはちょっとなあ……』というのを、人の台詞ということにしているんだろうけど。



『少しばかり、口調や纏う雰囲気が違うとして、よく似た誰かの面影を見ませんか?』


『あなたが良く知る誰かを、少しばかり幼くしたように、感じませんか?』


『もしかして、あなたはそれが誰だか知っているのではありませんか?』


 それは俺が、トロイマンの顔も形も性格も知らないから、ミナコをモデルに当てはめる空想ごっこをしているに過ぎないはずだ。


『……………………』


 夢の女が俺の心に深く踏み込む時、やはり俺の方も包むように夢の女に触れている。こういっては何だが、俺は夢の女の感情をよく理解している。その複雑な形を、今まさに感じている。


 幼児に算数を教える教師の諦観と失望を。針のない糸を垂らす釣り人の焦りと憤りを。脅えているようにも思う。不安がっているようにも感じられる。ただその全てはもちろん漠然としていて一つにまとめられるようなものではなかった。


 こうしてみると、ああきっと、初めて知った。人の気持ちというのはどうやら、当然俺もそれに含まれるものだろうが、結構ぐちゃぐちゃと混ざり合っていて絵画のように綺麗に分けられるものではないらしい。


 夢の女は薄々、これが不毛なやり取りであることを理解し始めている。こんなことを続ける馬鹿らしさに嫌気が差している。


 それでもそうしなければならない。そうすることの、意味を失ってはならない。誰のために?…………。俺のために……。


『そう……。そうですね。じゃあ話題を変えましょう。ハジメとナナと、あなたは上手くやれていますか?』


『どうして、答えがすぐに出てこないのか、分かりますか?』


『私が、あなたの失敗を知っているからでしょうか?だからわざわざこんな質問をしてあなたを苦しませようとしているからでしょうか?けれども、あなたがもし最初から知っていたなら、そんなことにはならなかったのではないですか?ハジメもナナも家族がいるのに家を出てセラの村で暮らして、……もしその理由をあなたが知っていたなら、あなたはもっと正しい言葉を、正しく与えられたのではありませんか?どうして、ハジメのような元気な子が、ナナのような素直な子が、誰にも相手をされずにずっと独りぼっちだったのか。もっと早くに考えられたのではありませんか』


 夢の女の口調が冷たい。俺はまだぼんやり夢を見ている。


『草花を探すのが趣味だったでしょうか?図鑑すら持っていない癖に。神経衰弱が好きだったでしょうか?あれだけ覚えられるようになるほどに繰り返していたのに。聞きかじっただけの楽しげな遊びを提案してもすぐに否定されるハジメの気持ちが分かりますか?一緒にお布団に入りたいと言ったナナの気持ちが分かりませんか?あなたを気遣って話すハジメの態度に気づきませんか?ナナがあなたを想って接しようとしていることにも気づきませんか?』


『ハジメが無学なのはどうしてでしょうか。二人以上での遊びを知らないのはどうしてだと思いますか』


『ナナがあなたにねだったのは日記を書くためのペンだったでしょうか。その日記に一体何を書けば良いのでしょうね』


『知りたくもない不都合なことには、目を逸らしたままでしょうか』


『ねえ、あなたはそんなことすら知らない。気づくべきヒントがいくつもある中で、アンミのこともミーシーのことも、誰のことも正しく見えていない。私がそれを教えてあげると言ったとしても、あなたはそれを受け入れる準備がない。私があなたに名乗らないのも、あなたの失った記憶に触れないのも、 それはもうあなたが知っていておかしくないことだからですよ』


『今度はハジメとナナが気になりますか?けれどもしかするとそんなこと、あなたに知らせる必要はなかったのかも知れませんね。だってあなたは、今の今までアンミの事情しか気にしていなかったのだから。……健介、私が知らせようとするのはそういうこと。知らせないでおこうとするのはそういうこと。あなたが自らの天秤に載せるべきものを載せずに決めてしまうのを心配している。でも載せても変わらないのなら、あなたがわざわざそれを知る必要はないのです』



「…………」


 もう、そこに気配がない。俺の態度が気に食わなくて拗ねてしまったのかも知れない。ただ、俺は夢の女の一言一言をしっかりと覚えていて、それがぼやけて消えていく感じはしなかった。


 ハジメと、ナナの事情を、気にすれば良いんだろうか。夢の女は余計なことを知らせるとお前は寄り道をするだろうというような感じで話していたが、まあ……、今更気にするなと言われても無理な話だし、今回、解決してやれるやれない以前の俺の振る舞いに対するクレームのようだった。


 ……ハジメとナナは、セラの村で暮らすことになった。おっさんが面倒を見ることになった。それは家庭の事情による。ハジメもナナも、村に引き取られるまでずっと一人で遊んでいて、おそらく学校に行ってたりもしない。


 学校に行ってないのはおそらくアンミもミーシーも同じだろうが。ミーシーはハジメのことを人見知りだと言った。ハジメは自分のことを社会不適合者だったと言った。


 ナナは……、夢の中で両親が泣いてたと言った。…………。それだけだろうか。そこから先、俺は何か知ってることはないんだろうか。


「……そこからは、ないか。なさそう」


「ないのかニャ?」


「…………。やっぱりお前はなんかこう、気配を消す能力みたいなのも持ってないか?俺はよく考えるとお前がいたりいなかったりというのはいち早く気づきそうなものだ。というかいるのは知ってるんだ、俺は。お前は多分、無意識にか気配を消してるだろう。俺側の問題かそれは」


「独り言だったニャ。独り言言うくらい一人で考え事してたら私の気配とかあんまり関係ないのニャ多分」


「ハジメとナナと、なんか喋ったか、ミーコ」


「……あんまり喋らないニャ」


「なあ、お前は俺より賢いはずだが、……例えばハジメやナナがおっさん達と暮らしている理由に思い当たることはあるか?」


「健介より賢いこと自称した覚えないニャけど。さあ?思い当たるかと言われても……、私が仮に喋るようにしててもそんな話いきなりしないんじゃないかニャ、さすがに」


「ナナの日記を読んだら分かるかな……、そういう理由で読みたがるのも気が引けるが」


「まあ書いてないニャけど、どうして家に戻らないかなんて、本人に聞くの猫でもダメなの分かるニャ」


「いや、待てよ……、少し気がついたかも知れん」


「…………。まあ。流れ上。聞くニャけど、外れじゃないかニャ、それ。で、あと本人に答え合わせとかやらない方が良いと思うニャ」


「いや、答え合わせはやらないが……。一応聞いてくれ。これは俺が今後、ハジメやナナの地雷を踏まないよう振る舞うための推察だ。間違ってそうなら指摘してくれると助かる」


「地雷踏まないように気をつけるよりも、誰でも分かるように優しくしてあげれば良いと思うニャ」


「言う通りだが、まあ……、まあ聞いてくれ。おっさんの住んでるセラ村と、ハジメやナナが住んでた場所は割と離れてて、だから偶然おっさんが通り掛かって二人を引き取るなんてことはまずあり得ない。……とするとおっさんはわざわざ出向いて二人をセラ村に連れ帰ったということになる」


 まずここまで、多分矛盾はない。ナナやハジメがセラ村に出向く可能性よりは高いはずだ。


「言わずもがな、おっさんは予知能力者だ。……おっさんが介入せざるを得ない事件があって、あって、というか、おそらく事件が起こる前に二人を引き取ることになったんだろうが、つまりその……、その事件は、ハジメやナナの魔法が関係しているような気がする。ちょっとまとめよう。何かしら魔法関連の事件が起こることを予知したおっさんが、それを未然に防ぐために二人を引き取った、可能性がある」


「なんでそう思うニャ?魔法関連の事件?ニャ?」


「なんで……、なんでかというと、おっさんがその事件を予知するためには、新聞なりニュースなり報道されんと無理だからだ。おっさんは全部の事件を防いで回るわけにもいかないから世の中、まあ別におっさんのせいじゃないが悪いニュースも流れてたりする。『一目で魔法によるものだと分かるような事件』として新聞に載ってなければ、おっさんはハジメもナナも見つけられない」


「……ハジメやナナが引き取られた時にはまだセラというおじいちゃん生きてたニャ。そのおじいちゃんが探してスイラが引き取りに行った可能性もあるニャ?ナナはともかくハジメは自分の魔法のこと分かってるわけニャし、無自覚に事件起こすようなこともないと思うニャ」


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