表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
190/289

九話⑲


「…………。まあ、家庭の事情に、あんまり口は出さない方が良いかもな。俺なんかは特に」


「ん?ハジメの場合は怒らせてもまっすぐ跳ね返ってくるから、あんまり考えずに突撃しても良いとは思うけどな。まあちょっと鈍いところもあるから、思ったことはちゃんと言ってやったら良い。まあ、お前に任せよう。はっけよーい、任せた任せた。ちょっとお前を頼る場面が出てくるかも知れん。そういう場合も任せた」


「…………。ああ、機会があれば」


 おっさんとの会話はそこで切り上げて、仏間へと戻りもう一度ナナの様子を窺う。


 起きてれば多分俺に気づくだろうが、意外とぐっすりのようだ。静かに戸を閉めて、自室へ帰ることにした。


 話の内容までは聞き取れないが、自室へ戻ってドアを閉めた後も時折、楽しげな、ハジメの声らしきものが聞こえてきた。そこそこの声量で話しているだろうに割と我が家の防音性能も高いものなんだなと、どうでもいい感想を抱いてベッドへ横たわり、しばらくの間目を閉じてみる。


 ところで、夢の女は、一体どこへ行ったんだろう?


『…………』


 …………。俺が頭の中で考えてみると、今までどこにもなかったはずの気配が形を作り出していく。


 呼び掛けておいてなんだが、……いや、呼び掛けたわけでもないが、こうして考えてみただけで現れることにはちょっと気持ち悪さを感じる。


 目を開ければ消えてしまいそうな、どうしてそんなふうに、俺の前に現れるのか、俺が今思っていることがもしかして夢の女に丸分かりだったりするのか、疑念と不安とが混ざり合って何を念じるべきか、考えもまとまらない。


『いいえ、健介。私はあなたが目を開けたとしても消えたりはしません。…………。けれど、あなたは私の姿を見つけることはできないのでしょうから、きっと目を閉じたままでいた方が、自然に、落ち着いて私を見つけていられる』


 言う通りかも知れない。目に見えないことは知っている。


『あなたが言葉にしなくても、あなたの思っていることが分かります。私はそれがとても心地よいけれど、もしかしてあなたはそれが公平ではないと、思いますか?私には、あなたの姿がとてもはっきりと見えているのに』


 フェアさを求めるものではない気もするが、……なるほど確かに。俺は夢の女が与える気配に、言葉以上の意思を感じてはいるものの、例えばどんな目的か具体的なところまでは知ることができない。


 夢の女が俺の考えを全てお見通しなら、そうだ、その通り、これはかなりアンフェアな会話になっている。


 そうだな……、俺の頭を、無闇に覗くのはやめろ。


『健介。一つを切り出せば誤解もあるかも知れない。不可解に思えることもあるかも知れない。けれど、あなたの記憶も、あなたの人格も、あなたが今思うこともその気持ちも。全てが伝わるなら、……言葉よりもずっと、あなたを信じて、あなたの力になりたいと思える。私はそのためにいます』


 …………。俺の力になりたい、というのは要するに、『アンミの力になりたい』ということなんだろう。その言葉が夢の女の本心であることだけは分かったが、なんとも漠然とした、具体性の欠片もない助力表明だった。


『アンミに限った話ではないのです。アンミだけを助けたいと願っているわけではないのです。あなたは、あなたの周りにいる全ての人の幸福を願う。それがあなたの、幸せなのでしょう。それを手に入れるためには身を刻んでも構わないと思っているのでしょう』


 ?そりゃ、……?わけが分からん。夢の女は『アンミを助けるために俺が犠牲になっても構わないと思っている』。……優先順位としては、普通なんだろうな。


 アンミが喜ぶような成果があるなら、俺も労力は厭わない。俺の思考を汲んでからの発言なのを俺自身が分かっているからか、特段嫌な気持ちになったりはしなかった。


 当たり障りのない言葉で俺を言いくるめることだってできたろうに。それをわざわざ正直に……。


『例えば、ハジメやナナのことも。あなたと関わる人のことも』


 ……、いや、正直に?どこが?


 誰も気づいていないのか、今この家の中にもう一人いることに。何一つ明かされてない。俺の記憶を知っている?俺の人格を?アンミを助けてやるのが俺の望み?


 アンミの味方が、どうしてそんな回りくどいことをしなくちゃならないんだ。味方だとそれだけ言って、姿を隠す意味などあるのか。夢の女は、いつ俺のことを知ったんだろう。どうして俺にだけ存在を明かすんだろう。


『…………。理由を知りたいですか?私が姿を見せない理由を。私があなたを助けたいという理由を。……あなたは、私が味方だということを分かっていても、まだ、それを知りたいと思いますか?』


 俺を助けたいと、思っている?それがとても奇妙な言い回しに思えた。どうして姿を見せられないんだろう。


 …………。まさか、俺は記憶を消されている間に、この女と会っていたりするんだろうか。それはちょっとした思いつきではあったものの、あり得ない話というわけでもない。


 姿を隠すのは、俺とこの女が会っていることを、他に知られたくないからだろう。もし知られたら、俺は記憶を消されるのかも知れない。そうならないように、姿を隠しているのかも知れない。安直ではあるがそれでも一巡はする理屈だ。


『健介、あなたが記憶を消された理由は、あなたがその気になれば、いつでも気づけることではありませんか?それは私と以前に会っていたかは関係がありません。私が姿を隠す理由や、私があなたに名前を伝えられない理由とも関係がない。どうして記憶を失ったのか、あなたは知っているはずですよ。あなたが気づきたくないのなら、別にわざわざ気づかなくてもいい理由。考えてみれば分かるけれど、気づいたところで大して意味のないあなたの理由。それはともかくとして、あなたは私が姿を隠している理由や、私が名前を伝えられない理由にも気づけるものかも知れない。いずれ、気づいてくれても良いのかも知れない』


 ……考えてみて、分かるはずがない。以前に会っていたかのように、仄めかされているものの、だって俺は、夢の女のその造形に全く心当たりがない。


 だからこそ俺は、夢の女を、こうして夢の女としてしか認識できていない。そうするとなおのこと、俺が夢の女と会っていたとすれば、俺が記憶を失っている期間のことなんじゃないだろうか。


 ただし、それが姿を隠す理由や名前を伝えない理由だったとして、俺が記憶を失った理由を明らかにはできない。


『アンミの都合とは全く関わりのない話です。掘り返したところで、あなたが想像しているようなものは見つからない。記憶を失った理由など、今のあなたにとって、どうでもいい話にしかならない。アンミを助けるためのヒントにもならない』


 アンミの都合と関わりがない、はずがないだろうと反論したくなった。


『……もしもあなたが、少しバランスを失うようなら私が教えてあげます。もし、アンミを助けたく、なくなったら……』


 助けたく、なくなったら?


 ……俺の聞き間違いじゃないのは確かだが、少しばかり頭が混乱してきている。聞こえているのに、理解はできているのに、夢の女の言葉を、俺はことごとく取りこぼしてしまう。


 足元にバラバラに散らばった欠片が元々は一体どんな形をしていたのか、もしも俺がそれを受け止めたなら多分意味を持っていたはずなのに、夢の女は、嘘をついていないことが分かるのに。


『あなたが知ろうとしないことを、あなたに知らせる意味がない。あなたがいくつかを認めた上でなければ、いくら言葉を選んでも正しくは伝えられない。これまでのことも、これからのことも』


 なら、そのいくつかを順を追って俺に認めさせ、そうした上で説明すれば良いだけのことだ。


 俺側の情報が不足して誤解が生まれるというのなら、誤解のないよう説明を補足すれば良いだけのことだ。


 なのに、……嘆息めいた空気を感じる。俺は別に的外れなことを言っているつもりはないが、夢の女はどうやらその注文に応じるつもりがない。


『的外れなことを、言っているわけではないのだと思います。でもけれど、あなたがまず、注ぐ先を決めて受け入れることを決めてからでなければ、正しくは理解されません。正しくとも納得されないでしょう。私はあくまで、あなたが欲しがることを、私ができる範囲で伝えることしかできない。たったそれだけのことしかできない。あなたの気持ちがどう変わるかを決められるわけではないのです。私はまだ今の段階では、あなたにアンミを諦めて欲しくない。ただし、それはあなたがどう決めるかによりますから。……市倉絵里も、きっと同じことを心配していたと思います』


 市倉絵里の名に少しドキリとさせられたが、すぐに冷静さを取り戻した。夢の女は、俺がどれだけ巧妙に隠して慎重に行動したとして、俺が知っていることは全部知っている。


 それはもう分かっていることだ。むしろ、夢の女が……、俺と市倉絵里との交流を咎めないことに安心すべきなのかも知れない。


 アンミたちに隠れて、市倉絵里と話をすることを、どうやら夢の女は咎めない。重大なことだ。脳みその血流を止めずにヒントを得なくてはならない。


 その理由は大雑把に三種類ほど考えられる。夢の女が実は市倉絵里の仲間であるか、または市倉絵里の正体については見当がついていないか、……あるいは市倉絵里が疑う必要のない人物か。夢の女はこれに答えられるんだろうか。


『…………。多分それは、意味のない、質問だと思います。私は市倉絵里と違って、あなたに嘘をつかない約束ができない。意味のない嘘はつかないけれど、あなたとこうして話す時、隠すべきことがあれば嘘をつかなくてはならない。その上で答えを聞きたいのなら答えましょう。どれも正解ではありません。けれど、完全に否定できるほどはっきりとした境界があるわけでもない。市倉絵里のこれからの行動によっては、私はそれに協力することになるのかも知れない。市倉絵里の全てについて知れるほど条件が整っていたわけでもありませんでした。市倉絵里があなたと交わした嘘をつかないという約束は、いくらか不都合な事実を伏せた上で今は守られている。そしてそもそも健介は、彼女を自分で見極めて判断すると言った。私もそうすべきだと信じています』


 意味のない質問だったようには思えなかった。夢の女の答えは俺の安易な想定よりも遥かに正確で誠実なものだ。


 そしてその中にはやはり重要なヒントが含まれている。夢の女が今まさに嘘をついていないことを前提にするなら、市倉絵里が、俺やアンミを陥れようと画策し、俺を騙そうとしている可能性は少ない。


 であるから、夢の女は俺と市倉絵里との関係を咎めないし、これからの展開次第では市倉絵里に協力することもあり得る。


 夢の女が市倉絵里の全部を知れるわけじゃないにしろ、少なくとも俺よりは市倉絵里の内面を見透かしていることは間違いない。


 そしてもちろん、俺も感じていたことではあるが、やはり市倉絵里が何もかもを包み隠さず話しているわけでもない。


 夢の女の答えは、嘘が入り込む隙などない、ように思える。嘘でもなく、無意味でもない。……単に、嘘をつく必要のある場面が、これから出てくるかも知れないと、あらかじめ俺に伝えておきたかった、だけだろうか。


 そうすることが、せめて俺に対して誠実であるからと。


 ただし、俺がそう思い至るのは、……どうしてだろう。夢の女に対する根拠のない信頼と期待感によるところが大きい。夢の女も、俺が受け入れる準備がないからだと言い張りながら、やはり情報を隠している。ましてや嘘をつくかも知れないと言っている。


 でもどうしてか、俺のためだと、聞こえた言葉が、ほとんど無条件に怪しさを吹き飛ばしてしまっている。


 今なら信頼が欲しいと言い出す市倉絵里の言い分もよく分かった。市倉絵里と夢の女とで決定的に違う部分は俺が向き合う時の気持ちの有り様だったのかも知れない。


 市倉絵里の所属が信頼を損なうネガティブな要素であったことは言うまでもないことだが、言葉や振る舞いではなく、知っているかどうかなども関係なく、感じられる温度がまるで違う。


『…………。市倉絵里を疑わなくていい理由はありません。あなたは彼女から、彼女の決めた順番でしか言葉を受け取ることができない。嘘はついていなくても市倉絵里も全てを正しく知っているとは限らない。いいえきっと、誰もこの段階で何が正しいか分かるはずがない。だから私は、今のあなたの、正しさを信じるしかない。私から、市倉絵里について伝えるようなことはもうほとんどないでしょう。あなたの方がよっぽど賢明に彼女のことを判断できるはずですから』


 そんなことは、ないんじゃないだろうかと思った。待てよ。夢の女に市倉絵里の掲げた最高の解決策というのを聞くというズルはどうだろうか?


 まず間違いなく夢の女はそれ自体かそれのヒントを持っている。でもやはり俺に言わない。市倉絵里を疑えと言いながら、どうしてなのかは具体的に俺へ伝えようとしない。


 俺の頭が丸裸なら、市倉絵里の頭の中だって覗けたはずだし、ミーシーの予知だって覗けたはずじゃないのか。他の奴の、例えばトロイマンや高田の望みだって分かっているはずだ。


『トロイマンも、高田も、何を考えているのか私には分かりません。予知の妨害があるのは知っているでしょう?予知だけでなく、他も上手くできないようになっています、それに……』


 それに?


『…………。私は人並みに良い方法を思いついたりはできませんから』


 はあ……。なんだろう。もっと焦ってがっついて、根掘り葉掘り聞きたくならないのが不思議だった。


 夢の女が精一杯なのが分かるからだろうか。それとも俺がそう錯覚するように魔法を掛けられているからだろうか。普通こんな場面で、ああ、また、眠くなることなんてあり得ないから、割と、後者なのかも知れない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ