二話⑭
「……経緯は察したが、俺と仲良くすることはそんなに難しいか?別に普通に会話してくれたら良いんだぞ?逆に俺はそんなポーズを取れと言われても窮屈で仕方ない」
「今、そういう気分じゃないのよ。ちょっと協力してちょうだい。その内仲良くなれるものよ。それにちょっと前から気になってることもあるのよ。あなたは気にしなくて良いけど、とりあえず今回はそこでじっとしててくれるだけで良いのよ?窮屈でも無理なことないでしょう」
「まあ別に無理じゃないけど……。やることないだろう」
「だからしりとりしてなさいとアイデア出してあげたでしょう」
「一人でか?無茶言うな。よっぽどそんなことしてる方が耐えがたいだろう。まして隣に人がいるのに」
「分かったわ、仕方ないわね。ほら、じゃあリンゴ」
「……仕方なく付き合ってやってるのは俺だぞ?分かってるのか?」
「リンゴよ。もうしりとり以外は喋らなくて良いわ」
「…………。ゴリラ」
「ラッパ」
「パンダ」
「ダンゴ。良いこと思いついたわ。ループしましょう。ゴリラにしなさい」
「…………。ゴリラ」
「ラッパ」
「なあ、じゃあ俺はパンダと言わないといけない感じなのか?」
「ダンゴ」
「いや……」
当然、面白みは全くない。楽しさのカケラもない。空しさとか孤独感ばかりが膨らんでいく。今時まだロボットの方がまともにしりとりしてくれるんじゃないだろうか。人生で一番つまらん暇つぶしをさせられている。ミーシーはこの虚無感を、どう思っているんだろう。
俺が言葉に詰まっていると台所の水音が止まって、アンミが再びこちらへと顔を出した。
「ラッパ」
「…………あの、アンミ、どうだ?一緒にしりとりしないか?」
「しりとり?うん。へえ。私でもそれはね、あんまり苦手だから見てる。見てたい」
「…………はあ」とミーシーからため息が聞こえた。続けて、「何よそれは」とも聞こえた。結局ミーシーは席を立って無言のまま振り返りもせず、階段へと姿を消してしまった。
どうやら、……気に食わなかったようだ。あの適当なしりとりは、アンミの監査で指摘を、受けることにはなるだろう。とはいえ、そんなふうに席を立ったら仲良しの雰囲気なんてものはカケラも残らない。取り繕うつもりすらないような振る舞いだった。
「怒らせちゃったみたいだな。俺はまあしかし、特に悪いことしたつもりはないんだが……」
「ううん……。ミーシー楽しそうに喋ってた」
「それはないな」
「健介はミーシーの気持ち分かる?」
「まあ、さっきのはちょっと分かる。機嫌が悪かったのかもな」
「うん。ちょっと悪かったのかも。でも本当に機嫌悪い時は多分全然喋ってくれないから。だから喋ってた時は良かった。ちょっと最後は私のせいかも」
アンミの監査を免れるために立ち去ったわけだろうから、そうではないと断言できない。が、この件に限っていうなら俺も別に悪くないし、アンミが悪かったりもしないだろう。
ミーシーがちょっと面倒くさがりで俺とあんまり仲良くする気がないというだけだ。もし責められるべきところがあるとすれば、俺が魅力に欠けてるのかも分からんが、それはどうしようもないしな。
「いや、アンミのせいではないだろう。付き合い方のコツなんかはあるか?」
……とはいえ、何か妙に腑に落ちる部分があった。最後だけ、……そう確かに。俺と話し始めた時、楽しがってはいないながら、別段不機嫌さも怒りも、感じたりはしなかった。まあ別に、アンミの監査を免れる術などいくらでも適当にでっち上げられただろう。
そういう遊びだと言い張って続けても良かったろうし、別の遊びの提案を受け入れてそれらしく振る舞う努力を続けていても良かった。にも拘らずだ、一体ミーシーは何がそうも、我慢ならなかったのか。
俺は、……どうだ?ソファから立ち上がる時の、ミーシーの表情を見たんだろうか。憎々しげに、苛立ちを隠せずに、そして、それを悟らせないように首を背けて立ち上がったんじゃないだろうか。ただ、何はともあれ、俺はせいぜいしりとりをしていて、付け加えるとしてアンミに助け船を求めただけで、何もミーシーを怒らせるようなことは言ってない。
文脈的にも、言葉を切り取ってみても、怒るようなポイントがない。そもそも何故、ミーシーが怒っていたと、俺が感じるのかすら不思議だった。
「付き合い方?」
「アンミとは上手くやってるわけだろう?俺はお前の真似はできないかも知れないが、何を喜ぶとか何が好きとか、そういうのは聞いといた方がスムーズにな、仲良くなれる気がする」
現状仲良し要素のカケラもないということは言おうか言うまいか悩んで結局口を閉じた。アンミが気づいてないというのは正直考えづらいが、この段階で展望がないと告げるのは良くない。俺の努力義務違反ということにもなる。
そしてミーシーについての俺の所感を述べるに、……付き合いづらい、というほどでもない。変人は変人だ。わがままかも知れんし我も強い。ちょっと歯車がかみ合わないところというのもあるが、それでもまだ、ヤバさを感じる次元にない。
問題になっているのは俺への好感度というのが最も大きい部分であって、人間的なことをいうなら歳の割に常識を持っている。ニコニコ仲良しというのは難しいとしても、不自由なく意思疎通できるだけの土壌は十分にあるだろう。
「うん。仲良くね、なって欲しい。喜ぶ……、のはね、ええっと、なんだろう。好きなのは、……お肉は好き、だと思う」
「じゃあ極力、肉料理を出して上機嫌にしてやってくれ」
俺の場合、常識の基準点というのを遠く置き過ぎなのかも知れんな。アンミほど素直で心根が優しい人間と話していると、もうちょっと基準値を、贅沢言って寄せても良い気はしてくる。俺がミーシーにそっぽ向かれてしょげてるように見えるんだろうか。
付き添ってアドバイスをくれるあたり、やはり世話焼きだし思いやりがある。まあしかし、アドバイスの中身というのはあんまりないな。声の柔らかさもあってそう感じるのか、投げたボールはクッションに埋もれたかのように力を失って戻ってくる。
だからそういう意味では、人生相談とかの相手にはあんまり向いてないのかも知れん。割と深刻な相談をしたところで、『多分、大丈夫だと思う』と、さして根拠もなく、柔らかく返されてしまいそうだ。
「ミーシーが喜んでるのは……」
と、アンミは一応まだ考え続けてくれていたようだった。そしていくつか、アンミの記憶を頼りにぽつりぽつりと要素は挙げられたわけだが、正直一つとして参考にはならなかった。というのも、アンミの挙げた例は俺にしてみればだ、単にミーシーが暇つぶししてるような情景しか浮かばない。
爪楊枝を尖らせて遊んでいるのがどうして楽しげに見えたのかも分からんし、じゃあ仮にそれがミーシーにとって楽しい遊びだとしてどうやって俺がそれを生活に取り入れたら良いのかは見当がつかない。
「でもミーシーから話してくれる時は、ミーシーが機嫌が良い時だと思う。それでね、健介とも話してる」
「そうなのか」
相槌はしてみるが、実感というのは薄かった。アンミに対してはそういうところがあるんだろうなあという程度の感想にはなる。
「仲良くできると思う」
「なあ、俺は確かに仲良くできると良いなとは思ってるけどな、ちょっと補足しておきたいところはある。俺はな、お前らが困ってるだろうからここにいて良いと言ったんだ。それに、まあ命の恩人なわけだから。だから仮に、例えば俺がミーシーとケンカしたとしても、俺がミーシーのことを嫌っていたとしても、そんなことで出て行けなんてことは言わない。それは約束できることだ」
「うん。でもそれはもうなかったことにして?」
俺はアンミを、安心させてやるためにわざわざ言葉を選んだつもりだった。『良かった』とか、『安心した』とか、そんな言葉が返ってくるだろうと、思っていた。そうでなくともそれと似たものがオブラートに包まれて返ってくることを想定していた。想定とはまるで逆の答えが、割と即答といえるタイミングで返ってきた。
「…………?俺の言ってることは伝わってるか?まず、まずな?俺は別にミーシーを嫌ってたりしない。でだ、仮に、もしもな、嫌だなと思うことがあったとしてもな?それは別に話し合いなりで解決できる。そういうこととは関係なく、お前らが困ってる間というのは道徳的に考えて、追い出すなんてことはしない。俺は助けて貰ったんだから、その恩返しという意味合いもある」
「ううん。そんなのはいらない。そういうのがなくても仲良くできたら良いなって思ってる」
「そりゃ、……そうだが」
アンミは目を瞑って首を振って、俺が言い換えたことを咀嚼する間もなく答えた。俺は決してアンミが打算的だと責めようとしてるわけじゃない。住む場所を追われたら、……また別の場所を探すだけといえばそうだろうが、それでも面倒ではあるだろう。
だから宿屋の主人のご機嫌というのを、ある程度は窺っていたりするはずだろう。それがゼロだと断じられるはずがない。アンミがミーシーと俺との仲を気に掛けるのは、まさしくそういう部分が大きく影響している、はずだ。俺は当然、アンミを嫌っていたりしない。おそらくだがアンミも別に俺を嫌っているような素振りはない。
だが同時に、少なくとも俺側には、二人から好かれるような要素がない。なかったはずだ。アンミは俺に気遣いをするだろう。それはいわば宿賃みたいな成分を含んでいておかしくない。そして俺にあっても、恩義と道徳とを挟み込んで簡単な構造で話を片付けようとしていた。
何故ならそれはそれで、成り立たないわけじゃない。
ただ、まるで、そう、アンミはそれが不純だと言っているようだった。そして思い返すに、方向性は違うにせよ、ミーシーの主張と似通うところもある。ミーシーは逆に、気遣い無用、好き勝手してなさいと言った。単に干渉されたくないだけなのかも知れんが、それでも俺とは違って、最初を除けばアンミと同じように、別の出来事をわざわざ持ち出そうとはしなかった。
「ミーシーはね、健介のこと気に入ってると思う。だから、仲良くなれる」
アンミの主張がもしも本心からだとすると、これは一体どういうことなんだろう。自分の利害も度外視してこの家の中の関係を、気に掛けてる余裕なんてあるんだろうか。
「それはそれとして、ミーシーと俺が仲良しになるとして……」
「?」
……打算的には見えないが故に、困っているふうを装っていないせいで、俺は介入のきっかけを失っている。続けるべき言葉があったようにも思ったが、はっきりとそれを思い出すことはできなかった。
多分あまりに、アンミの今の表情と、俺が伝えるべきこととで、釣り合いがない。アンミにとっては場違いな話題を持ち出すことになるんだろう。むしろ俺は、アンミに合わせるべきなんだろうか。急いで取り掛かるようなことがないから、ここにいるんだと見るべきだ。長期戦を見据えてのことなのかも知れない。仲良くなった方が良いというのは、そういう受け取り方もできなくはない。
それはそれで……、良いのかも分からんな。時間が解決してくれるというのなら急かそうとは思わない。俺への被害や面倒もそう大きくはならないだろう。金が掛かるかどうかは一月経ってみないと分からんがどのみち新しくバイトは探すつもりではいる。なんとでもなると、考えてて大丈夫だろうと、自分に言い聞かせることにした。
「じゃあ……、仲良くしよう。アンミもな、俺と仲良くしてやってくれ。それとまあ、もしかするとミーシーはあんまりお節介焼かれたくないかも知れんが、場合によっては仲介してくれると助かる時もあるだろう。そういう時はまたちょっと、話を聞いてくれ。お風呂入ってきたらどうだ?」
「健介入ってきたら?」
「ん、なら、そうしようかな」
立ち上がって、アンミの横を通り抜ける時に、ふと、アンミの首がこちらへ向くのが目に入った。俺はもう家出問題というのはどっしり構えていようと、決め掛けていた。その方が二人も都合が良いんだろうなと、思っていた。
「ねえ、健介は、家にいられると迷惑だから解決したい?」
特に強張った表情でもなく、冷たい響きの声でもなく、アンミは俺に、本当に何気ないように尋ねた。俺はまさかそんなことを思ってもいないわけだが、そんな急所ど真ん中の質問にドキリと心臓が跳ねる。
「いや、そんなことはないぞ。そんなことは言ってもないし思ってもない。困ってるなら相談してくれ。力を貸してやれるかも知れない」
俺の返事というのは、言葉の上ではまあ適切だったと思う。が、あまりに突然で態度が伴わなかったのか、アンミは少し落胆したかのように表情を曇らせた。眉を下げて少し俯いて、襟元に指を這わせた後、ぐっと顎を引いて上目づかいでこちらを見る。
何かを後ろめたく思っているかのような動きだった。少なくとも俺が座って話していた時とは違って、こちらの目をまっすぐ見ることはしない。
「もし迷惑じゃないなら……、ええっと、迷惑じゃない?」
「気にするな。迷惑だったりしない。俺は逆にその話だけはもう終わったと思ってた。ここにいて良い。好きにしててくれ。俺もほら、初日はともかくそう迷惑そうな顔してたりしないだろう?」
「うん?そうかな。そうなのかも。でももし迷惑なら言って?それだったら私」
「待て、まあ、待ってくれ」
「……うん」
「追い出すことはないと言っただろう」
「うん。でも迷惑だった場合のこと話してる」
「迷惑じゃないとも言ったろう」
「うん、……言ってた」
「だったら何も問題ない。自分の家だと思ってくつろいでてくれ」
「うん。分かった。ありがとう、健介」