九話⑱
「カードが……、兵隊だとしてだな、カードの強さというのはその兵士のパワーだ、要するに。枚数はそのまま兵隊の数だとする。だから親が二枚出兵した場合は、例えばパワーが一の兵士が二人だったとして……、でもよく考えてみろ?パワーが一の兵隊だったとしても二人掛かりだから、ちょっとこう、紳士協定的なものもあるだろう。二人組の出兵には二人組の出兵をしなくちゃならない。いくらその二人分のパワーを上回る兵士がいたとしても、それを出して勝つのは流儀に反する」
「いやまあ、ルールならルールで良いんだけど。大体だって、んなことになんならキング不在の人とかどうすんのよ。して、キング三人とか出兵してくんの何事なのよ」
「キング不在は民主制の国だ。そしてキング三人はキング兄弟だ。グランドキングとキングパパとキングジュニアだ。……分かってくれ」
「なんであんたそんな困ってんの?あんたの説明ほら、分かりやすくて良いと思うわよ。あたしでも分かる」
「本当か?いや、何だろう。ルールを分かってくれてるのは分かってるんだが、本質的な何かが伝わってない気がする。俺は何の疑問も持たずにやってたからお前からの質問に十分に答えられている自信がない」
「こういうのはやってく内に分かってくもんなのよ多分。あんがと。大富豪分かったわ。良いじゃん、これ。面白そう」
「よかった。まあそれだけ伝えられれば良い。アンミは、どうだ?分かってくれたか?」
「うん、大丈夫。今すごく頭が冴えてる。全部分かった」
アンミのノートには簡単なメモ書きらしき文字はある。ただその横の、奇怪なオブジェがうろうろ彷徨う落書きはもう、俺の気のせいだと片づけてしまって良いんだろうか。
せめて描かれているのが人型であれば俺もここまで不安に思ったりしなかったんだろうが……、今までの俺の説明を真面目なアンミが熱心にメモを取りまとめ上げてくれた結果、が、ああとなると……、もしかしてなんか、勘違いさせるような説明をしてしまったような、気がしてくる。
「そうか。良かった。まあ実際やってみればその時すっと分かることもあるだろう。何ならやってる最中に分からないこととか聞いてくれても全然問題ない。それにナナにもルールの説明をしてやることになるだろうから、二人でその時復習も兼ねて思い出しながら教えてやってくれても良いだろう」
「んー、まあ、ナナはトランプの遊びは多分ほとんど知ってんじゃない?多分大富豪とかも知ってると思うんだけど、まあ知らなかったらあたしらも教えるの手伝ったげる」
「ん?え、そうなのか?そういう話、いや、まあ良いか……」
じゃあ、……ということは、何を急に思い立ってか純粋にハジメとアンミが今後トランプする時のための予行練習ということになる、のか。ならいっそナナが起きてる時にナナに教わる方が良かった気はする。
「あたしが勝手に思ってるだけかも知んないんだけど、ナナから言わないのよね、こういうのあるよってなの。神経衰弱で良いって言うから、あんまこっちから飽きたし別のやろなんて言えないわけ。あたしらも別に飽きてないし」
「ナナは……、飽きないのか?俺も別に飽きてないが」
「……?さあ?わざわざルール覚えさせるの悪いと思ってるかも知んないじゃん、ナナが。……?なんで新しいの覚えようて話になったんだっけ?」
「俺がその……、神経衰弱を、ナナの誘いを断ったからだろう、多分」
「ふぅん。……?飽きてなかったの?そなんだ、まあ別にどっちでもいいわ、そこは」
「まあ……?結果オーライかもな。そりゃ俺とナナだけとかよりハジメとアンミも加わってくれた方が良いだろうし。ただ、ちょっとなあ……。ナナ見てきて良いか?もし起きてたらちょっと俺たちと一緒に遊んでくれたりしないか?」
「起きてたら……。うん。でも、ナナ、私、さっき見た時寝てたよ。スイラお父さんは起きてるかも知れない」
「なんだったら起こしても良いんじゃない?遊んでくれるってなら断んないでしょさすがに」
「うん……。ああ。まあ。……とりあえず見てくる。寝てたら起こさない。寝てる場合は俺もまた寝ることにする」
もう既に眠気など全く残っていないが、ある種自省を込めてベッドに潜り、眠くないのに眠らされる人間の気持ちについて考えてみようか。決して贖罪になるわけでもなんでもないんだが。
「ミーシー、あんたも。つまんないかも知んないけど付き合いなさいよ?つまんないのかも知んないけど」
「…………。別につまらないと言ったことないでしょう。今回も別につまらなくて断りたかったわけじゃないのよ。アンミとハジメのセットだと上手く遊べないでしょう。ぬいぐるみとボールセットで遊べと言われても自由度が低いでしょう」
「はあん?アンミはぬいぐるみなんだ、それ。でっ?誰がボールよ?ボールも優しく扱いなさいよ」
「そうやって跳ねるでしょう……?坂道で転がしてぽこぽこ跳ねてるのはそれはそれで良いと思うわ。でも下に誰かいないと側溝にはまったりドブに落ちたりするでしょう。私はアンミを見ていて忙しいのよ」
三人組はまだミーシーの部屋に留まるようであったから、とりあえず俺一人で静かにその場を抜けて階段へと向かった。夢の女は……、俺の後をついてきてたりするんだろうか。
耳を澄ましてもハジメの声が微かに聞こえるだけでやはり足音の一つもない。何気なく振り返ってみても姿や空気の揺れは見つけられない。『いるのか?』と念じてみても特に返答らしきものが俺に届くことはなかった。
さっきの『あれ』は、明らかに俺とは切り離された俺の人格外の声だった。紛れもなく一人の何者かが俺に声を掛けていた。その存在が明らかになると、『一体お前は誰で、何のために』と疑問をぶつけなければ気が済まない。
およそそれは『アンミと近しい人が、アンミのために』と透けて見えた通りの答えにしかならないことも理解はしているが……。
それならどうして姿を隠して俺の枕元に立つのか……。ああ、幽霊……、女の、幽霊……、さすがに、聞いて回ったとして特定できるヒントが少ないか。
階段を下りきると玄関方面からおっさんの話し声が聞こえてきた。ナナ以外の話し相手がこの家にいないはずであることは分かっていたが一応気にしながらまずは仏間の戸を静かに開けてみる。
すると布団の中でナナはすやすやと寝息を立てて眠っていて、……、であれば、もしかしてと思った。夢の女がおっさんの知り合いである可能性も、おっさんにはその姿が見えている可能性も、……もしかしたらあるんじゃないかと思った。
だから俺は、会話の一部始終を盗み聞こうと階段下まで戻り身を潜ませた。それが夢の女との会話でないことにはすぐに気づいたが、ただ、若干困惑気味のおっさんの声色によって俺の足はその場にぴたりとくっついてしまった。
真剣な相談を持ち掛けても『心配するな、気にするな』と笑ってくれそうなおっさんが、こう煮え切らない湿気った声色で話す相手と、その内容が少し気になった。
その一瞬だけ、俺はその場に留まったわけだが、そうすると今度、何を聞いて、何をきっかけに立ち去れば良いのかタイミングを失う。
どうやら、……『ハジメ』のことを話している。ハジメの話題で、『よく笑ってる』とか、『楽しそうにしてる』とか、『一生懸命やってる』とか、そのほとんどが肯定的な意味合いの言葉であるにも拘らず、ハジメ本人が聞けば、それがまた別の意味になってしまいそうな、危うい声色だった。
おっさんは電話を切った後も玄関から移動しようとはしなかった。俺もここまで留まってしまった以上、知らんぷりをして立ち去ることもできない。わざわざ隠れておいてなんだが、玄関に顔を出す。
「おう、健介。どうした、暗い顔して」
「…………。聞いてて、大丈夫な話題だったか。……ナナが寝てるのになんか声が聞こえてたもんだから」
「?お前が聞いてて大丈夫かってことか?別にこそこそ電話してたわけじゃないぞ。タバコ吸おうと思って靴履いたとこなだけで。電話の内容もハジメのお父さんがな、ハジメが元気にやってるかっていう、普段通りの電話だしな」
「普段通りの……。ハジメのお父さんがそういう電話掛けてるなら、本人出してやった方が良いんじゃないのか?余計なお世話かも知れないが。というか、本人が電話すればおっさんが報告する必要もないもんだろう……」
電話の内容は、確かにそうだったんだろうが、一言知らせて終わるようなものじゃなかった。電話の相手がハジメのお父さんだとして、おっさんの話した内容から逆算すると、何度も何度も同じ質問をしていたりしないだろうか。
少なくともおっさんの声から察するにさわやかな談笑とは受け取れない。
「まあハジメが話したいと思えば、電話貸してくれって言うだろうからな。俺がごちゃごちゃ言うと余計依怙地になりかねんだろう。ただ、……今回はちょっとどうしたもんかな。タバコ吸って考え中。…………プシュー」
タバコをくわえて火を点けて、一息吸い込んだ後に、煙を吐き出した。考え過ぎて煙が出ているという演出なのかも分からん。
ただその雰囲気というのは、……そのギャグがスベったせいなのか、真剣さを取り繕うかのように見えた。あまり深刻に伝わらないようにと、おっさんが気を使ったように思えてならなかった。
「タバコ、別に家の中で吸っても良いんだぞ。多分探せば灰皿とかもあるし」
「おお、気遣いはありがたい。とはいえ、ポケット灰皿持ってるからなあ。外で吸う方が色々とな、良いんだ、まあわざわざ説明しても仕方ないから省略するが。一緒に外出て散歩するか?」
「…………。一緒に散歩すると言ったら、なんか話してくれたりするか?別におっさんと個人的なこと話しててもそれはそれで楽しいのかも知れないんだが、俺はちょっと……、アンミやミーシーのこともあるが、ハジメやナナのこともよく知らんな。アンミとミーシーは一緒に住んでたんだろうが……、どうしてハジメのお父さんが普段からそんな電話を掛けてくるんだ?俺はそういうこと聞かない方が良かったりするのかな。まあおっさんが聞くなと言うなら今後は聞かないことにするが……」
「まさにそこなんだよなあ、俺が決めがたい部分は。聞こうとしてやってる分には、俺からの好感度は上がるな。聞くべきかどうかと言われたら、俺が保証できるとこはそう多くないだろう。ハジメとかナナのこともな、聞いても別に問題にならんし、聞かなくても問題ない」
「どっちでもいいなら……、聞きたいとは思うんだが」
「聞いても聞かなくても、お前らは楽しそうにしてるように見えるな。だが結局肝心なとこ、誰がどう思うかとか、この先何年どう変わるかとか、そういうことは俺に聞かれても分からないとしか言いようがない。それこそな、俺とお前じゃあ、価値観も違うだろう。一つ二つ失敗したって良いんだ。聞いて後悔しても良いし、聞かなくて後悔しても良い。そうやって人のことを考えてやれるっていうのは、それだけで十分正解だろう」
「聞く必要がない気もしてる。知られたくないとハジメが思ってるなら」
「ま、誰にでもな、自分が悪かったなって思い出はあるだろう。頑張っても上手くいかなかったこともある。わざわざ、そんなこと自己紹介したりしないもんだ。どうしたいかもどうすべきかも、本人はちゃんと分かってる。外野があれこれ言うこともないよな」
「ハジメも、なんか困り事があるのか?」
「困ってんのかもな。お前は助けてやりたいと思うんだろうな。でも助けになってやるというのも、人それぞれ色々やり方がある。相談相手を買って出るのがためになるのかも知れんし、考え過ぎないように関係ない話し相手をしてやるのがためになるのかも知れん。別に急いで決めなくても良い。お前がぼんやりしてる間にもしかして、ハジメがな、背中を押して欲しくなって、『どうしようか』と言うのかもな」
あくまで輪郭しか分からないが、ハジメ、……というか、ハジメとナナの二人がわざわざ家を離れておっさんと一緒に行動をしているのは、家庭の事情、という分類に含まれるんだろうか。
そうなると確かに、俺が首を突っ込んでも解決の目などない。
「ところで、ハジメとナナは、どこ出身なんだ?」
「ナナは愛知で、ハジメは奈良だな。親子とも標準語だが」
「じゃあ……。つまりだが、そうなると……。ハジメとナナは別に近所に住んでてよく遊びにきてたとか、そういうんじゃないんだよな」
「ご明察だな」
「おっさんが元々住んでたとこに家族で引っ越してきたとか、そういうわけでもないんだよな」
「そんな慎重な聞き方するなよ。なんなら本人に聞いてもちゃんと答えてくれるぞ、多分な。俺がセラ村の方で預かってたってか、預かってるってか、だから家族とは離れて暮らしてる。そしたら、心配して電話が掛かってくることもある。けど、会おうと思えばいつだって会えるし戻ろうと思えばいつでも戻れる。ちょっと長い遠足みたいなもんだ。まあ、余計なこと言うが、俺個人的には、ハジメは戻りたい時に戻りたいって言う子だろうから、戻るって言うまで待ってれば、それだけで良いだろうなと思ってるけどな。個人的には」
おっさんなりの結論があるからか、割とすんなり事情の一部は明かされたが、その『長い遠足』に至るまでの経緯についてはさすがに聞くのを躊躇った。
戻りたい時に戻れば良いというなら、一番重要なのはあくまでハジメ本人の気持ちということになるだろう。ただ……、あえてなのか、仕方なくなのか、おっさんは『戻れ』と言わず『長い遠足』の方を選んでいる。
おっさんだけじゃなく、ハジメにもこの遠足を終えようという意思は今のところないんだろう。
『もし、追い出されたら、あたし一人で、『村に』戻るの?』と、そんなようなことを口にしていた。
家に連れ戻されるとか、そういったことはまるで思い浮かべた様子もせず、ぱっと口から出た行き先が村だった。
まあ消去法でそうなったのかは分からない。その村に愛着があるのかも知れないし、そこで上手くやっていたと言っていた気もする。もちろんそれはアンミたちがいて、おっさんがいての話ではあるんだろうが。




