九話⑪
『高田誠司による魔法研究の最終目標は、彼本人の不老不死の実現である』
市倉絵里は研究を主導しているのはトロイマンだと説明をしていたように思うが、トロイマン研究所というのはあくまで、便宜上の名称だ。
高田総合医科学研究所の一部の所員が、魔法研究に関わっている。高田誠司という人物は、高田総合医科学研究所のトップで、そして当然、魔法研究に関わっている。
自らの寿命を伸ばしたいがために、アンミを捕えようと、しているんだったか。俺は何故かそれを知っているようでいて、だが、どうして知っているのかは説明できそうになかった。
市倉絵里から説明されたわけじゃない。市倉絵里からは単に、魔法使いを作る研究だと言われた。あるいは高田の考えていることまでは分からないと言った。
まあ確かに、高田が仮に不老不死を望んでいたとして、それをおおっぴらに他人へ知らせたりはしないだろう。
市倉絵里がそれを分からないと説明するのも当然のようには思うし、俺が不老不死というキーワードに飛びついたところで、市倉絵里は焦り見せたり話を逸らしたりはしなかった。
隠している、ということでもないのかも知れない。推測で語るのを嫌がったのか、そもそも組織のトップの個人的な目的を俺に知らせたところで、意味がないと考えているのかも知れない。
「不老不死、……ね。まあ、そういうような実験もあったわ。健介君みたいに不老不死が実現可能だと考えた人もいたし、チームで研究をしていた時期もあった」
「アンミの魔法で、不老不死が実現できる可能性はあったということだよな」
「あった、……のかもね。ただ、ラットの健康問題なんて健介君も興味がないのではない?」
「いや、……興味はある。その、ラットの健康問題というに。つまらない話でも聞いて良いと言ってただろう。折角だからそれはちょっと聞いてみたい」
「そう?うふ、アンミちゃんの特質発現能が遺伝子の転写誘導をすると、動物でも植物でも、体の中で特別なタンパク質が合成される。じゃあ折角だから、最初から話しましょうか」
そういう話を、説明するのが好きなんだろうか。嬉しそうに話し始めてしまった。
「元々は、アンミちゃんが特質を発現させた時に、生き物にどういった変化が起こるのかを確認するための専門のチームがいて、その研究の中で、そのおかしな形をしたタンパク質がいくつか見つかったとだけ報告されていた。おかしな形はしているけれど、単なるエラーの一つであろう、生命活動に悪影響はないと確認を済ませて、そこで一度チームは解散している。アンミちゃんの特質発現能は生命活動に悪影響がない、……寿命が縮むことはない、まあそれも重要なことではあった。後でまたそれを掘り起こしてあれこれと研究をすることにはなるのだけど、色々な偶然が重ならなければ、当初の通り、悪影響なしとだけされて話は終わっていたのでしょうね。その特別なタンパク質はね、健康なラットでは、何の働きも持っていなかった。そうして、問題なしとだけされてから少しして、重粒子線治療のチームが、気まぐれで、そのタンパク質が癌にくっつかないか試そうとしたのよ。ここで初めて、悪い状態のラットが特質発現の実験に使われることになった。結果として、その不思議なタンパク質は、正常なラットの何倍も生み出されて、しかも、体の悪いところに集まった。これはすごいぞと再び有志が集って研究が再開されることになったわ。ただしこの時点でも、あくまで目印として役立つだろうと考えられていただけだったし、そのタンパク質が通常の安定した形になることは稀だったから、人の手で再現して実験することは難しくて、対象となったラットはそう多くはない。アンミちゃんが立ち会わない限り特別なタンパク質が生み出されることはなかったし、……同じ分類のはずのラットでさえ個体によって機能が失われる。少しいじろうとすれば結合が解けたり潰れたりする。加えて、目印としても、そう優秀なわけではなかった。確かに、悪いところにくっつくのだけど、どんな原因であれ、悪ければくっついてしまう。その条件を見つけることができなかった。仮に見つけたとしてもコントロールできないだろうと結論付けられて、結局その研究も、頓挫することになった」
最初から、というのが、俺の想像していた最初と違う。簡単な部分から、積み上げるように教えてくれるということではなかったようで、研究の経緯や歴史などが語られた。ただ、ちょっとこう、俺から省略してくれとは言い出しづらい空気ではある。
「その時の治療法の研究で、若いラットは大概死んだ」
「…………」
「まあ元々、どこかが悪いラットを対象にしていて、そうしたラットを常に補充し続けて、アンミちゃんに特質を発現させて貰うというのは難しかったでしょうし、当面の見通しも立たなかった。原理の解明を優先しようという話になって長期のプロジェクトへ移行することになって、そのまま凍結されることになる。その時にね、アンミちゃんが特質を発現させた、残っていたラットを引き取った別のチームがあるのよ。そのチームがさっき名前だけ少し話した、空間記銘症と、限定呼応症の研究チームで、健介君が見たような植物の研究も同時進行で行っていた。このチームは病気の治療を研究していたわけじゃなくて、アンミちゃんが発現させた特質についての研究をしていたのよ。植物であれば植物で、どういった能力を持つようになったのか、そういう研究をね。でも一カ月が過ぎて、二カ月が過ぎて、死ぬはずだった病気のラットがどうしてか生きていることに気がついた。不思議に思って調べてみると、例のタンパク質がね、場合によってはDNAを修正したり、臓器の組成を回復したりすることが分かった。ねえ、面白い言い方だけど、アンミちゃんが特質発現をさせると、副作用として、健康になるようだった」
とりあえず、「ああ」と返事だけはしてみた。大体『ああ』と返事をしておけば市倉絵里は話を勝手に進めてくれる。下手なことを言えば横道に逸れてしまう可能性もあったし、変に理解を強要される形になると厄介だろうなと思った。
「魔法使いになる代わりに、不老不死になったのか?」
「代わり、じゃなくて、魔法使いになったことに加えて、その不思議なタンパク質も働いていた。悪い部分に勝手に気づいて、少しずつ治そうと頑張っているようだった。であるから、万能な治療薬とはいえたし、そして、老化した細胞にも反応しているところを考えると、なんならそのラットは殺されない限り不老不死なのではないかという仮説もあった。そういう噂を聞いたたくさんの人が見学に訪れるようになったわ。けれどね、臨床的に使おうと思う人はいなかったみたいね。万能薬とはいえ、少なくともその時点では人工的に再現できないことが証明されていたし、そして不死にでもなったかと思われたラットたちも、年齢順に一匹、二匹と死んでいった。そして若かったラットも、難病を克服した後にはやっぱり普通に老いて、そして平均寿命を少し超えた三年と少しの辺り、老衰で死んだ。老化した細胞に反応はするし、遺伝子の修復も行うけど、分裂の限界数を増やしてくれるような効果はないようだった。その一時期だけ、不老不死の研究をしていた記録がある。まあ、この方法で不老不死を実現できるということはないのでしょうけど、病気があれば健康になることは確認できたし、悪く働くという結果はなかった。平均的なことをいえば、寿命は伸びると考えて問題ないでしょう」
「なるほど。あと……、もしかしてアンミは、例えば猫とか犬とか、そういうのを『操る』こともできたりするのか?植物みたいに。ラットの場合はどうだったんだ?」
「あら、意外と興味を持ってくれるのね。……もしかして操られるのではないかと心配しているの?ラットの場合は、アンミちゃんが触ろうとすれば隠れたり逃げたりしたし、アンミちゃんはそれを残念がっていたみたいね」
「植物はアンミの意思で動くのにか?どうなんだ、それは。アンミが遠慮して操るのをやめたか、ラットなりに抵抗したかじゃないのか?」
「植物と動物では、結果が違って見えるということもあるでしょうね。例えば微生物で実験をしたら想像できないような動きをするようには、なるのかも知れない。……ただそれらも全部含めて、結局アンミちゃんが特質を発現させた場合、その対象がどういった能力を持つようになるのかは、特質症の研究チームで統一した見解がある。同じなのよ、植物も動物も。どういう仕組みで手に入れるか、どう表現するのかが違うというだけで、そこに細かな分類をすることに意味があるようには思えないわ。例えば、虫も鳥も飛行機も空を飛ぶでしょう?けれどね、それを飛ばせるためにどうすれば良いかは、正直、それぞれの都合によるとしか言いようがない。飛べば良いと思ってるわ、例えば人を飛行機の形にしようとも思わないし、それで飛べるようになったりしないでしょうから。他で応用できるものじゃなかった。そうなるともう、アンミちゃんが特質を発現させた時、植物であれ動物であれ、同じ能力を持つという以上に、研究をする必要性がない。操っているかどうかなら、アンミちゃんは植物も動物も、操っているわけじゃない」
「……俺が理解できてないだけなのかな。アンミが植物とか動物を、魔法使いにしているというような話はあったが、……俺には同じように見えてない」
「アンミちゃんが植物や動物を、魔法使いにしているという認識で間違っていないわ。ごめんなさい、説明が上手くないのよ。あちこちに話が飛んだり、繰り返しの説明になってしまうのかも知れない。健介君が聞きたがるようなところだとも思っていなかったの。アンミちゃんが生き物を魔法使いにした時に、その生き物がどんな魔法を使えるようになるのか、そんな研究をしていたチームがあることは、話したわよね。アンミちゃんは生き物に、限定呼応症と空間記銘症を与えることができる。それぞれの個体に適合するようにした上でね。植物での説明が簡単でしょうから、そちらを例にするけど、まずね、植物には目も耳もないでしょう?だからそもそも、周りの状況というのを理解できない。けれど、状況に合わせて、動いていなかった?アンミちゃんが動かしていた、植物が操られているように見えたというなら」
「まあ……、そうだな」
「周りにアンミちゃんを含めて、あなたやミーシーちゃんがいたのよね?」
「まあ、そうだ」
「例えば、アンミちゃんを目隠ししたとしても、他の人がいたなら、植物はおよそ正確に、状況に合わせて動くことができた。そして、まあ例として適切かは分からないけれどね、もしあなたがオノを持って木を切り倒そうと考えていたとするでしょう?木は、あなたからオノを奪い取ろうとするかも知れない。これはアンミちゃんが側にいるかいないかは関係なく。目も耳もないけれど、周りの目や耳を借りて情報を認知する機能を、所内では限定呼応症と呼んでいる。そうして、それと同じようにね、木は察して動いてあげているだけなのよ。まあ、こう動いて欲しいんだろうなと、誰かがそう願っているなと。抵抗するような理由がない限り、確かにそれは操っているのと同じことなのかも知れない」
「いや……、同じこと、なんじゃないのか、それは。アンミがこう動けと念じて、念じられたまま動くということだろう」
「まあ、そうね。そう考えることもできる。もう一つ、空間記銘症というのもついでに説明をしておく。植物の場合、推論したり記憶したりするための脳みそもないでしょう?状況が分かって、要望を聞いていたとしても、それらを理解して整理してどう動くべきかを考えるための回路が必要になる。情報を溜め込んで処理する機能を、空間記銘と呼ぶ」
「じゃあ例えばラットならどうなる?」
「ラットでも、同じ機能が与えられていたと、考えられる。まあもちろんどちらか一つだけだったかも知れない。というのも、植物と違ってラットの場合、目も耳もあるし、脳みそもあるわけだから、なんなら手足もあるわけだから、アンミちゃんが特質を発現させるまでもなく、ある程度は察して動くことができる。植物ほど明らかな差として観察できたりはしないの。ただ、ラットは、アンミちゃんの思い通り動いているようではなかった。植物の場合は、元々が空っぽというのもあってか、動いて貰うのに色々と都合が良いのかも知れない」
一応、俺はミーコのいない時を見計らって市倉絵里と電話のやり取りをしている。俺自身、当のミーコが操られているような印象はまるでないわけだが、スパイ説を否定して良いのかは分からないままだった。
植物とラットが同じというのもいまいち納得がいかないし、ラットの場合など元々持っている機能を余分に作り出すだけだから意味がないというようにさえ聞こえる。
結局のところ話をまとめると、俺が当初から信じていた通り、植物は念じられた通り動くんじゃないだろうか。
そして、動物の場合はどうなるのか分からん。操られているのでなければ、まあ、とても賢くなって喋るようになったりするんだろう。果たしてそうすると、やはり植物と動物とで全く結果が違うようには思われた。ラットと猫でも差が出たりはするのかも知れないが……。




