九話⑦
さて、と買い物カゴを引っ掛けて店内を一周した。
入店直後こそ俺はさっとスマートに買い物を済ませる自信があったわけだが、ハジメの分の二日酔い解消ドリンクが必要か予備が何本必要か、そもそも薬がないのか、同種のドリンクの中で何が良いのか、きっぱり判断するための基準を手に入れられなかった。
風の噂でウコンより良いものがあると聞いたような気がしたし、成分を見比べても体に良さそうだということくらいしか分からない。そして仮に商品をこれだと一か八かで決めたところで何本がベストなのか悩む。
仕方なく妥協してウコン六本をカゴに入れるまでおそらく十分くらい掛かった。
そして、妥協して回復アイテムを決めたことで自信を失った俺は、オレンジジュースの紙パックが良いのかペットボトルが良いのか、そんなところすら真剣に迷っていた。
果汁率の高い方がよりオレンジらしいような気もするし、だがナナくらいの子が一気飲みということもないだろうからペットボトルみたいにしっかりフタができた方が都合は良い。
ハジメとナナとで仲良し同士同じ種類のものを飲みたがるかも分からんし、いっそアンミとミーシーの分もオレンジにして紙パックとペットボトルを二種類ずつ買うという手段で解決しようか。
だが、それはそれで……、いざビニール袋を広げて『好きな飲み物を選んでくれ』と言った時、中身は全てオレンジオンリーというポンコツ無能パシリのような所業になってしまう。
ぴったり人数分、好みに合わせて用意できれば最上だろうが、どうやら俺にはそれを達成するだけの能力がない。
…………。折角ハジメがついさっきまでわざわざ悩み相談を受け付けてくれていたのに、俺はそのタイミングを逃して『悩みなどない』と強がって誤魔化して、その挙げ句こんなところで延々悩む。
祝賀会の余興ゲームで優柔不断そうだと図星を突かれた俺は、まずハジメにこの性格を相談して良いアドバイスでも貰っておくべきだった。
結局俺は、腐らんだろうから大丈夫だとネガティブな判断をして飲み物を何種類もカゴに入れ会計へ向かった。あいつらが喜んでくれそうだとかこれが好きそうだとかそういうポジティブな想像力を活かす機会はなかった。
「ハジメ。……なんかすまん。俺はもっとな、過去、そうだ多分……、十五かそこらの頃には自信に溢れていて、希望に満ちている男だった」
「……?」
「だから若い頃の俺とかはきっと……、『お前には何となくパイナップルが似合っていると思ったから注文はオレンジだったがパイナップルジュースを買ってきた』とか、そういうことを言って、そして当然のようにパイナップルジュースを渡したと思う。その当時の俺は、何故かその決定に疑問を持つこともなかっただろう。俺は若い頃、そういう『決定力』を持っていた。今そういうことができずにうじうじ考えて妥協して結局時間だけ過ぎた挙げ句、両方買ってしまった。こういう性格はどうしたら良いんだろうな?」
「ん……?その当時のあんたもちょっと変わってんじゃない?どっからその、あたしがオレンジ飲みたい気分キャンセルする自信湧いてくんのよ」
「いやな?俺は善かれと思ってしたことはちょっとぐらい失敗しても、なんというかむしろ……、何も考えずにただ注文通りお遣いするより良いんじゃないかという、そういう気持ちみたいなものをな?お節介かなというブレーキなしに発揮したいんだ。自信満々に余計なお世話を焼いてやりたい」
「何?あたしどういう理屈でパイナップル似合ってるとか思われてんの?パイナップル好きとか言った覚え全然ないんだけど」
「それはなんとなくだ。別に深い意味があったり根拠があったりするわけじゃない。イメージ的に、南国……、とかかな?分からん」
「…………。ふぅん。まあ良いわ。じゃ、あたしパイナップル貰うわ、あんがと」
「ナナはどこ行ったんだ?」
「ナナは猫探すって。で、ナナには何買ってやったの?」
「オレンジジュースを買った。紙パックとペットボトルで迷ったが」
「あ、そう。あのさあ。……あの。ナナいない内にちょっと。ちょっとしたらナナも戻ってくると思うんだけどその前にさ」
ハジメは一歩後退って俺の前へ立ち、ビニール袋から俺の顔へ一旦視線を移して左右を確認し、少し声を落として話し始めた。
「昨日のこと思い出して、あたしやっぱりあんたにひどいことしたなって思って……、いや……。あたしドジだし、性格良くないし、そんな、美人で許されるとかないし」
「…………?なんかあったか?」
「うん……、あったでしょ?で、あんた怒ってるでしょ?」
なんのつもりでそんな表情を浮かべるものなのか、どうやらハジメは何かしら悪い妄想を現実と混同しているようだった。仮にハジメからひどいことをされていたとして、俺が現状ハジメに対して怒りや敵意を向けていないことくらい分かるだろうし、まずもってハジメからひどいことをされた事実などない。
俺が同じように記憶を失っているならもしかしてハジメからひどいことをされたという可能性もあるが……、そうでなければ……、そうでないわけだが、単にハジメが珍しい酔い方をして夢か妄想の中で俺を殴ったり蹴ったりしてたということだろうか。
「お前は、…………?何で俺が怒ってると思ってるんだ?」
「そ、それは……、そのえっと、いや……、謝って何とかっていうか、悪気はなかったってか、本当悪かったなって後で思って……」
悪気がないなら、過失か……。夢か妄想の中で、俺を階段から突き飛ばしたりドアで挟んだり、俺に向かって包丁をすっぽ抜けさせるというミスをやらかしたつもりに、なっているのかも知れない。
「…………?悪いが、少なくとも店にいた時の記憶は全部ある。家に帰ってからのことか?いや、俺は自分の意思で寝た。お前が布団用意してくれた。寝ころがってからは朧げだが、不自然に記憶が抜けてるなんてことはない。ということは多分、……お前は何か勘違いしてるか、それこそお前の夢の中での事件じゃないのか?なんなら昨日のことなど、俺はお前に感謝しきりでおかしくないだろう。朝、お前が話してくれたお蔭で色々疑問も解消したし、祝賀会も楽しく盛り上げてくれていた。荷物も運ぶのを手伝ってくれたし、へばってる俺を布団に寝かせてくれたのはお前だったろう」
「う……。んなことある?うん、気にしてないとかそんなんなら良いんだけど。それか、あんたがすごい心広くて忘れたふりしてくれてるってことかも知んないけど」
「時間差で発覚するようなことじゃない限りは、まあ夢だろう。お前から謝罪を受けるようなトラブルは一つもなかった」
「そうなの?んぅ……、あんたが多分心広いんだと思うけど、まあそれならともかくごめん。本当悪気なかったのよ。夢だとしても夢でごめん」
「気は済んだか?ああ、夢で許そう。元から怒ってもない」
さて、一段落かといったところで少し離れたナナの姿が目に入った。こちら二人の姿には当然気づいているようで俺の方と自分の手元で何度か視線を往復させ、近寄ってくるでもなくきょろきょろと辺りを見回していた。
大事そうに両手で何か小さなものを胸の辺りで包んでいて、目の前の車の中を覗き込もうと背伸びしている。車が気になるんだろうか。ハジメはまだナナのことに気づいていない。
俺のすぐ後ろで、少し早足気味の男が店から出てきて、俺はそれを避けつつハジメにナナを示した。「ナナ戻ってきたみたいだぞ」とか、そんな感じでハジメに伝えて、ハジメも「あ、ナナ」と声を出してそちらへと足を出そうとした。
ナナは……、先程早足で店を出てきた男に対して顔を上げ、胸元で包んでいた手元の『それ』を差し出して嬉しそうな表情を作った。
俺はそこでナナが持っているものが財布であることに気づく。多分、どっかに落ちていたのをナナが拾って、その持ち主であろう男に差し出しているんだろうと思った。
車の近くに落ちていて、その持ち主が戻ってくるのを待っていたんだろう。俺とハジメはその出来事でほんの一瞬だけ歩を緩めた。
男はかなり焦っていたのか、よほど大切なものか大金かがその中に入っているのか、ナナの動作にぎょっと体をのけ反らせ、そして何秒か硬直した後、……あろうことか、礼の一つもなく、まるで盗まれたとでも言わんばかりにナナの手からその財布を勢いよくひったくり、おどおど慌てた様子のまま車に乗り込みキーを回した。
「おっ、おいっ」
さすがにその態度の悪さに、俺は男を止めようと駆け寄った。だが、男は俺のことに気づいた様子もなくあわあわおろおろとギアチェンジして車をバックさせ、俺たちの姿を一度だけ確認してから逃げるように車を走らせその場を去った。
「なんだ、態度悪い奴だな。ナナ、大丈夫か?」
「ナナ?ナナは大丈夫。ナナ、さっき財布拾ったからいるかなって思った。車の、そこに落ちてたから」
「んん、そうか。そりゃ偉いな。なんていうか、災難だったな。あれはハズレだ。お礼も言えないような残念な大人というのもいたりする。くそ……、文句を言ってやりたいところだったが、逃げ足が速かったな。なんだったんだあの男は」
そりゃあ、ナナはショックを受けたかも知れない。というか俺でもあんなふうにされたら愕然とするだろうし、下手をすればケンカにだってなり得る。
見たところ、怖がっていたりとか泣き出しそうな雰囲気というのはないが、ナナの台詞に少し落ち込んだ声色が含まれていた。
「健介お兄ちゃんそういえばお金とか財布持ってる?」
「ん?ああ。まあ買い物のつもりだったし、大抵普段からポケットに入れてる」
「見せて?」
ナナが俺の財布を見たがる理由というのもよく分からなかったが、俺は言われた通りポケットから自分の財布を取り出しナナの目の前へ差し出した。
なんか欲しいものを思いついたのならそれを買ってやって傷心のナナを癒してやるべきだと思ったし、財布に対して憎しみが沸いたというならそれを地面に叩きつけて踏みつけてくれて構わなかった。
だがナナは俺の手から財布を受け取ると、少し歩いて地面に財布を置き、「ここに落ちてた」と言った。
……その位置に落ちてたなら、まあ車の乗り降りの際に尻ポケットから滑り落ちたか何かだろうし、車も一台しかなかったからあの失礼な男の持ち物だった可能性は高い。
『運が悪かったな』ともう一度フォローしようと思ったら、ナナは一度地面に置いた俺の財布をまた拾い上げて、パタパタと払い、俺の前まで再び戻ってきた。そして、「はい、どうぞ」と言った。
「どうぞ。落ちてた」
「…………。ありがとう、ナナ。お金がな、入ってるから、なくすと大変だったんだ。ありがとう」
こうなるとあの男の振る舞いがますます信じられないわけだが、俺はため息を堪えて大根ながらその男が本来言うべきだった言葉をナナへ伝えた。
そして『さっきの男は極度の人見知りかよほど慌てる理由があっただけだ、許してやってくれ』というような弁解をしておく。まあ、ナナの健気さというのに触れてか、ハジメもどうやら激昂して悪態をつくようなことはしないみたいだ。
ナナを慰めてやることが重要なはずなのに、ふとすると怒り心頭で我を忘れてこの場にいもしない人間の悪口を延々と続けてしまうところだったかも知れない。
ハジメの落ち着いた様子は俺を冷静にしてくれた一方で、何やら……、らしくなさ、というか、一歩引いてため息を吐くような済んだことに対する諦観みたいなものが感じられた。
「ごめん、ナナ。あたし一緒についてやってれば良かったわ。まあ、良いことしてんだし、お礼くらい言われなくてもあたしら誉めたげるからさ。ほら、なんか一杯オレンジジュース買って貰ってるから家帰って飲んでまたトランプでもしよ」
「え?わあい。ジュース飲みながらトランプできる?それと、それと健介お兄ちゃんもトランプ好きって言ってた」
「じゃあ、えっと、あんたもやる?三人で」
「ああ?そうだな。三人でやるか」
なら、ジュースを配るついでに全員トランプでも誘って昼食まで時間を潰しても良い。ミナコにも連絡をすべきだし、市倉絵里にも確認しておきたいことがある。
……その辺りは期を見てトライすることにしよう。
家に着くまでナナはハジメと手を繋いで歩いていた。何度か振り返ってはみたが、普通に楽しそうに、仲良く話していた。
心配はなさそうだが、ここ最近、俺の買い物は揉め事が起こりがちだな。そこでもう一つため息を吐いた。
帰り道では二人ともすぐ飲みたいなんてことは言い出さなかったから、俺は玄関から客間へ抜けてそこでようやく袋から飲み物を取り出し床に並べる。
「ほら、ナナ。結局俺はなんか一杯買っちゃったんだ。オレンジが注文ということだったが、なんなら今別のに変えても良いぞ」
「わあ。ナナはね、健介お兄ちゃん一杯買ってるなあとは思ってた。でもナナはオレンジを選ぶ」
「そうか。だが、オレンジと言っても紙パックとペットボトルとがある。どっちにする?なんなら両方でも良い」
「どっちもいいけどこっちにするっ。ハジメお姉ちゃん、ねー?あっ、健介お兄ちゃんありがとう。ナナ美味しくいただく」
「おお、遠慮なくいただいてくれ」
「ハジメお姉ちゃんは?どれにする?あとねー、あ、ナナ、みんな呼んできて良い?」




