九話⑤
「ん。なら、たまにはミーシーに手伝ってくれって甘えてみたらどうだ?アンミから見て、例えばミーシーがなんかやりたがってるとかそういう雰囲気を感じる時とかはないのか?料理とか」
「…………?ない?ないと思うけど」
「あ、ないんだ。意外だな。ないとは思ってなかった」
「そうかな?ミーシーは……、うん、もし料理したくてもそういう雰囲気出さない?」
「ふぅん。確かに。そうか。『もし、本当にやりたかったら』、…………。あ、いや、そうだな。とにかくありがとう、アンミ。やっぱりまだまだ俺もナナもパーフェクトには程遠いから。良ければ色々教えてくれ。そういえば、陽太のこともちょっと気になるし、ちょっと電話してみることにする」
「うん。そうだった。私もちょっと心配してる。じゃあまた私二階にいるね」
アンミはそう言って階段の方へと歩いていった。俺はまったく聞き下手というのか探り下手というのか、危うく迂闊な発言をしてアンミを困らせるところだったかも知れない。
アンミも多分気づいてはいるだろうが、ミーシーの場合、俺の聞きかじった予知の特性から察するに、こういうのもなんだが、やりたいことをわざわざ現実でやる必要がない。
予知でシミュレーション可能で、アンミが喜ぶのなら現実のアンミのために実際にやる。楽しみにしてることについては予知せず現実でやる。大体そういうことを言っていた。
となると、ミーシーが料理をしない理由には二通りの仮説が立てられる。
アンミが、そこまで喜ばない、のかも知れない。というより、喜ぶには喜ぶんだろう。ただ、アンミの喜びの表出具合が、ミーシーの基準を満たさなかったという可能性はある。
昨日は喜んでいたから手伝ったのかも知れないし、単に不慣れな調理場でのサポートをしただけで、ミーシーにとってはあれでも、アンミの喜びが足りないと感じていたのかも知れない。
俺には……、喜んでいるように見えるんだけどな。
そしてもう一つ。逆にミーシーは、アンミと一緒に家事をするのを、とても楽しみにしていたという可能性もある。要するに、予知しないで、初めて訪れた時を、アンミと一緒に楽しみたいと思っているのかも知れない。
どうなんだろう。ミーシーはどの程度の頻度で、どの程度の期間を予知しているんだろうか。決めかねていたのは、遊園地が最後だったように思う。商店街でも予知をし直してはいた。
予知に気を配るのを、やめていたりはしないはずだ。俺が市倉絵里に言われて体調確認を依頼した分は別として……、おっさんが予知に割り込んだことに気づくのも早かった。
料理を手伝うかどうかで未来が変わることなんてないとは思うが……、ゆっくり予知せず過ごすという気分には、ならないのかも知れない。
実際のところ、今俺が思いつくような二つが問題なら、ミーシーに水を向けるのは余計なお節介になりかねないな。
目線を下げて、携帯の画面を操作する。
「……難儀だな。…………。ああ、もしもし陽太」
「朝早いな、健介は。眠れなかったのか?」
まあ意外と元気そうか、陽太は。特にダメージを感じさせない声色が電話から届く。少なくとも俺やおっさんよりはマシな体調のようだし、生存確認も取れた。そうなると全然用はない。
「寝れんかったというか。布団入ったのが早かったというのもあるが、夜中に目が覚めてそのままずっともぞもぞしてた。今結構二日酔いで、お前もヤバイかも知れんなと思ってな。で、一応お前が生きてるかどうか確認の電話をしただけだ。生きてるなら結構だ。安心した」
「本当に飲み過ぎたと思ってだな。昨日の夜、家着いてから地球のみんなにウコンを分けて貰ってたのだ。地球のみんなっ、オラにウコンを分けてくれっ……。そして今さっきウコン玉出してすっきり回復したところだな」
「そうか。…………。まあ、なら良いんだ。安心できればそれで良い。正直な、俺は体調悪いし、お前と元気に話せる気力がない」
「いつもの健介ならノリノリでツッコミするのにな。『それはっ、ウンコ玉ですねっ』とかな。だが、そこまで玉かというとそういうこともないのだ。悪いな」
「ああ、『大丈夫か?』『大丈夫だ』『そうかじゃあまた今度』で切り上げてくれて良い電話なんだ。元気で良かった。じゃあまた今度な」
「なんだと、俺と話すことなんてないって言うのか健介は。ウコン玉投げつけるぞっ」
「そういう話はまた今度しよう。どうせまた近い内に会う」
「ほいほい。そうだな。じゃあまたな健介」
通話を終えてホッと一息吐いてソファに腰を下ろす。手をグーパーグーパーして自分の動きの鈍さとこの気だるさを再確認した。元々の体質の違いかも分からんが、俺もコンビニでも出掛けてウコンの力を借りようかな……。
「…………」
しかしなあ、……と、俺は結局そこからしばらくソファで出掛けようかどうしようかを悩み続けた。しかしなあ……。
「健介お兄ちゃんは何してる?もしかして待ってた?」
「ん?何かを待ってたかも知れんな。別に何をというわけじゃないが、やる気みたいなのが出るのを俺は今も待ってる」
「そうなの?ナナ、日記書き終わった。今ハジメお姉ちゃんが読んでる」
「おお、意外と早かったな。そうか。で、ハジメどんな感じ……」
俺が立ち上がって仏間を覗き込むとハジメが小さなちゃぶ台の前へ正座している様子が見えた。暗記科目の試験前一夜漬け取り組み中かのような真剣な姿勢は、一体どんな熱意によるものなのか、こちらを一瞬だけ横目で見てまたすぐ日記の内容に目線を落とした。
割と分厚い本のような形状で装丁もちらりとだけ見えたが古風な茶色の日記帳だった。方眼ノートのようなものを想像していたが、なるほど、ああいう格好良いものを買っておけば、俺ももしかするとちゃんと日記を書き続けられたのかも知れない。
俺がしばらくその日記帳を遠目で観察している間も、ハジメは一枚ページを捲ったり戻ったり指でなぞって首を傾げたりを続けていた。
「…………」
もちろん思い出せるに越したことはないだろうが、人生で一番大切な日の思い出というわけでもあるまいのに、俺に見られていることも気にせず、何度も何度も同じ一枚を読み返しているようだ。
「ナナねー、ナナはねー、すごい良いこと思いついた。健介お兄ちゃんこっちに座って?」
ナナはそんな様子を気にするわけでもなく隣の部屋の、ハジメがいる目の前へ俺を誘導しようとした。ハジメが一度こちらを確認している以上、そして熱心に読書中となるとなおのこと、今更声を掛けるのも難しい。
かといってまったく無言でハジメの真ん前に立つというのも不自然極まりない。
「ここ座って?ナナ良いこと思いついた」
「じゃ、じゃあ……、ちょっとお邪魔するな」
「あっ、んっ。ここ?じゃあたしちょっとそっち行くわ」
「あ、すまんなハジメ。なんか熱心に読んでるとこ邪魔して悪い」
「熱心にて。まあ……。ナナさあ、もっと細かく書かない?何言ったとか、まあ何言ってたとかだけで良いんだけど」
「えー?ナナでも細かいことまで覚えてないよ?それにもうナナ昨日ので三ページも書いてる。ハジメお姉ちゃん聞きたいことあったらナナに聞いて?ナナも思い出して書くかも知れない」
「えっとぉ……。いや確かに。普通に細かく書いてあんだけど。あたしが気にしてるとこ書いてないっていうか……」
「じゃあ、俺に聞いてくれても良いぞ?ナナが証人としていれば俺の信用度が低くても問題ないだろう?で、ナナの用事はなんだった?正直、ハジメと一緒に日記を読ませてくれるという話だったらちょっと気まずいな。邪魔するのもあれだから後で読ませてくれると良いかも知れんな」
「ナナは、え?全然関係ないことを思いついた。健介お兄ちゃんここ座って、目瞑って?」
「目を?瞑って?……んん。まあ良いが。で、目を瞑って何したら良い?」
「そこで、ちょっと待っててくれるとナナは助かる」
「ああ」と目を瞑ったまま返事をすると、机に何か載せられる音がした。運んでくるにしてはあまりに短時間だったし、音は結構な重量感を伴っている。
なんかそんなものここにあったかなと思って首を傾げて、ちょっと薄めを開けて正解を見透かそうと思ったらナナが机に乗ってこちらへゆっくりと近づいてくるところだった。
「…………?」
「よいしょっ」と一声掛けて俺の頭を超えてナナが腰を下ろし、俺は座った状態のままだが肩車の体勢になった。
ああ……。細かな行動原理までは追えないとして、まあナナの頭の中で、良いことと悪いことを半分に区切ると、俺の肩車は良いことの方に含まれているんだろう。
机を見て、この辺に俺を座らせれば、肩車へ移行できるな、という、まあそういうアイデアも良いことに含まれる。後ろに転げ落ちないよう、足を両手で持ってやる。
「えー、健介お兄ちゃんなんか気づいてる。なで?目瞑ってたのに?」
「今危険を察知して目を開けた。危ないことと行儀悪いことはしちゃダメだぞ?ナナ。言えば別に肩車ぐらいしてやる」
「んー。でも、ナナは思いついてしまってやる。こうやってね、こうやっ……、て、こうなる。ナナは全部逆さまに見える」
「おい、おいおい。ちょっと待て……。いや待て。俺はどうすれば良いんだ。それお前、元に戻れるのか?」
ナナの重心が少しずつ後ろに傾いていき、ナナの逆さまの背中と俺の背中がぴったりと合わさる。で、俺はあぐらをかいてたせいで身動きができなくなる。肘で突ついてちゃぶ台をどかそうと試みたが、ナナが体を揺すったせいで危うく横に倒れるところだった。
「ハジメお姉ちゃん見て?ハジメお姉ちゃんが逆さまのナナを見て、ナナもね、逆さまのハジメお姉ちゃんを見てる」
「えっ、ちょっ、何しにきたのかと思ったらわざわざあたしにそれ見せるためにきたの?で、ナナ乳首見えそう」
「俺が?違う……。ハジメ、俺はちょっとあれだぞ。身動きができない。まず……、俺はまず前屈しながら正座に、移行するだろう?……こらナナ、揺するな。足はちゃんと掛けててくれ。俺はお前の安全のためを思って体勢を変えようとしてる」
「ナナ、今起きれないことに気づいた。健介お兄ちゃんが足離してくれたらナナ降りれる」
「逆立ちできるのか?ちょっと待て、俺は今慎重に行動している。しばらく待て。それかハジメ助けてくれ」
「言われなくても。でも、どしたら良いのか迷ってんのよ。いしょっ、でこっちでナナ引っ張ったら良い?ナナ、ちょっと起きて手出して」
どうして、そうなるんだろう……。ハジメの思考回路が全く理解できない。当然のようにちゃぶ台に上がり足を開き、ナナの方へ手を伸ばそうとした。
「何故だ……。すまん、最初から後ろでナナを支えてくれと言えば良かった。後ろからナナを支えて元の体勢に戻すかそのまま受け取ってくれるというのが一番シンプルな発想だと思ったが、……何でお前はわざわざ短いスカート履いてがに股で机に乗るんだ。すまん、後ろからにしてくれ、ハジメ。そこだと俺が頑張って前屈してもナナの手は届かない」
「っ……。あー……。えとー、は、はは。さっきナナもうちょっとで起きれそうだったし……。あ、あは」
ハジメは乙女らしく恥じらって、息を一瞬止めて我に返りスカート押さえて机から降りた。この時、俺の中に、ハジメに対しての変な罪悪感のようなものが生まれた。
おそらく俺が少しずつ時間を掛けて体勢を移行していけばハジメの手を借りずともナナを無事降ろすことはできただろうし、ナナがよほど虚弱体質でなければ少しずつ移動させて降ろすという方法でも問題はなかった。
俺が頼んで、ハジメは、……手伝ってくれようとしたんだろう。机に乗るのは行儀が悪いからやめろと言い出すところだった。それはなんとか堪えたが、パンツが丸見えなのも気づかないふりをしてやるべきだった。
ハジメが逆に怒ってくれるなら俺もそう気にはしなかったろうが、女の子らしく恥じらってなどしまうものだから……、空気も少し重くなってしまったし、ハジメから俺への評価も下がったろう。
助けて貰いながら思い通りにならんとすぐに文句を言う嫌な奴だったろうし、女の子に恥をかかせるデリカシーのない奴だ。
「ナナ……。ダメだぞ。危ないからな」
「そうよ、あんまその、……ね、迷惑掛けちゃダメだって」
「ハジメ。その……、ありがとう。で、あと、なんかすまんかった」
「な、何が……?」
「何がって……。いや、折角助けてくれようとしてるのに、文句言ったりして……」
「別にそんな、謝ることないじゃん。あたしは別にそんな気にしてないし……」
「……?ごめんなさい。ナナが危ないことして迷惑掛かった」
「いや、まあ、ナナもそんな悪いってわけじゃくて、なんてか、事故みたいなもんでしょ……」
ナナは少し反省した素振りでハジメや俺からの言葉を待っていて、だが、俺はこの場にふさわしい言葉というのを見つけられなかった。二秒ほど思考の海へ潜りもう息が続かない限界を察知し、変に弁明をするより話題を変える方が簡単そうだと思いついた。
「そうだ。そういえば……。ハジメはなんか、思い出せないことがあるんだろう、昨日の祝賀会のことで。途中俺が抜けてた時のことは分からんが、他なら大体覚えてるから、何でも聞いてくれたら良いぞ」
「…………。あんたなんでこのタイミングで記憶力に自信ありますみたいな話すんの?」
「……そんなつもりじゃなかったんだが」
「…………」
悪い流れを変えられそうになかった。俺はとりあえず、「そういえばミーコがまだ帰ってこないのかなあ」と外の様子を気にする動きをして、よいしょと立ち上がり、何気なく髪をかき上げ「じゃあまたな」と仏間から居間へ出た。
ナナに「良いことを思いついたらまず俺に相談して実現可能かどうか危険性がないかを話し合おう」とだけ言って玄関へと向かった。
そして出掛けよう。近場にミーコがいないか探して、コンビニへも行くことにしよう。二日酔い解消の手助けアイテムが手に入るし、なんならお土産を買ってきて配るというのも良い。
沈黙の中座っているのは難しかったし、かといって部屋に引っ込むと逃げたようには見えたろう。用事があって出掛けただけなんだと、せめて自分にだけでも言い訳できると良い。ミーコが見つかれば、一石三鳥一猫だ。




