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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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九話③


「アンミ、一応一人分追加してあげなさい。珍しいことに起きてくるわ」


「えっ、えっ?えと、お父さん、スイラお父さんが?うん分かった」


 じゃあ俺はまた朝食が出来上がるまで休もうかと思って居間へ戻って寝ころがってしばらく過ごした。ただし、別段回復の度合いが変わるようにも思えなくて、起き上がってストレッチをしてみて、そうしてまた台所で、アンミに水を貰った。


 ちびちび飲んでいる間に朝食の準備も終わったようだった。アンミが皿を並べ終えてハジメとナナを呼びにいくのとすれ違うようにおっさんが台所に姿を現した。


 今しがたすれ違ったアンミに対するものか俺たちに向けてなのか分からんが「おは、おはよぉ」と朝の挨拶を乾いた声で力なく発する。


 元々色白な肌が白さ何割増しかになっていて絵の具で塗ったかのように目の下に隈ができていた。体を丸めて机の角にへたりつく様子は胸を張って歩く筋骨隆々の昨日までのおっさんとはまるで違うが、『どうした?』とか『胸張って歩け』などとは言えない。


 深刻度に差があるとはいえ、まあ大体、気分は分かる。とりあえず茶をカップに注いでやっておっさんへ向けると、おっさんは震える腕でそれを受け取り砂漠で干からびた人のような変顔をしてからじゅるじゅる茶をすすり、大事そうに茶を抱えてその場に座り込み白目を剥いた。


 顔色はともかくとして、ふざける余裕があってそうなのか本気でそんな動きしかできないほど衰弱しているのかいまいち判然としない。


「おっさん、一応……、お湯残してあるから後で風呂入ったらどうだ?風呂入るとちょっと良くなったような気分にだけはなれるし」


「……計算ずくだ、健介、俺が予知能力者だということを忘れているだろう。俺は、……俺はだな、二日酔いになることを見越して健介が風呂のお湯を残すということになるように調整していたわけだ。どうだ?まんまと俺の思い通りだな」


「……お湯捨てられたいのか?真っ当な予知能力者ならそんな状態になること自体を回避するだろう」


「そうかも知れんな。だがまあ、常識で考えるな。俺を感じろ」


 かすれ声のままだ。


「…………。ああ、分かった。感じた。常識では考えられないほど残念な予知能力者だな」


「はっ……、ははっ。言っとくがお前も人のこと言えんぞ。ふらっふらでまったくなあ。俺がいなかったらまともに歩けもしないくらい情けなかったってのに。酒を飲むなとは言わんが限度を考えろまったくう」


「確かに……。おっさんを見てると他人からどう見えるかというのがよく分かる」


「いくらでも反面鏡同士責め合ってなさい。鏡に向かってお前と似てるのは恥だと罵ってなさい。その内お互い分かり合えるわ」


「争いは何も生まないぞ、健介。それよりも他人のつらさを分かってやる優しい子に育て。次にお前は既にその苦しみを分かっていると言う。俺が身を持って育てた。良い子に育ったな、健介。茶をもう一杯くれ」


 顔色が悪いと、笑ってみせてもヤケっぱち笑顔に見える。おっさんは茶を飲んでは骨を鳴らしたり伸びをしたりあくび混じりの深呼吸をしたりして時間とともに少しずつ落ち着きを取り戻しつつはあるようだ。


 アンミの戻りが遅かったのはどうやらハジメから昨日のことを聞かれていたからのようで、ナナも日記を見越してかハジメと一緒にアンミの話を聞いたり付け加えたりしながらこちらへとやってきた。


 ところで、アンミたちが話している間にさっと一度二階へ上がってみたが、昨日あれやこれや約束をしたはずのミーコの姿が見当たらなかった。


 あいつの感性ではルールに抵触しない範疇だったのか、俺が昏睡していてどうしようもなかったということなのか、あるいは元より俺との約束事など軽視しているかのいずれかだろうが、なんにせよどうやらこんな早朝にすらお出掛け中らしい。


『出掛けてくる』というようなことを夜中言われたような気がしないでもない。少なくとも俺が返事をした覚えはないが。仕方なしにまた階下へと戻って、人間全員で「いただきます」をした。


 食事中もハジメは昨日の出来事を結構気にしていたようで、何度も必死に思い出そうとする素振りをした。で、唐突に何度も「あっ思い出した」と言って断片的な会話の記憶などを周りに確認して、まるで大昔のことを語るかのように感想を言った。


 おっさんはハジメが覚えていないということが割と面白かったらしく、少しずつ元気を取り戻しクイズゲームのような趣で問題を出し、別に早押しだとかそんな説明は一切なかったが机をペシンと叩き「俺の記憶によるとだな……」とまあ、一人で点数を稼いで喜んでいた。


 特に創作話もなかったから、ハジメの記憶を埋める役には立っただろう。ナナは一番に食べ終えて「日記を書いてくる」と仏間へ戻った。


 ちなみにだが……、俺の失われた記憶というのはまるで戻る気配がない。そもそも、忘れていることにすら気づかないほどに時間が連続してしまっている。


 時計を見ていない時に一秒が失われても全く気づかないのと同じように、一週間なんて期間がまるで元からなかったかのように次の記憶が始まっている。忘れる、思い出す、ではなく文字通りに『記憶がない』。


 だから今回、ハジメが記憶を『消された』わけではないことも分かる。元からわざわざ祝賀会の記憶を消すなんて可能性はおそらく米粒ほどもなかっただろうが、こうしてハジメが何かの引っ掛かりで記憶を取り戻すのを見ると俺の記憶喪失とでは根本的に種類が違うようではあった。


 ……ただ、俺の記憶についても、単にロックされているだけ、という可能性もないわけじゃない。市倉絵里にその辺りを聞き出してみるのも悪くはないかも知れないな。


 多分、市倉絵里は、気づいていたのにこれを俺に直接的には伝えなかった。嘘はつかないという言質も取ってある。本当に『俺からの信用を必要としていて』『嘘をつかない』というのなら、このことを質問する価値は十分にあるだろう。


『市倉絵里にとって不都合な話題でない限り、正確な情報が引き出せる』はずだ。仮に不都合な話題であれば言葉を濁すか話せないと答える。俺にとっては損のない交渉だ。


「さて、ごちそうさん。このナイスな朝食チョイスの原案は健介か?素晴らしいな。お前もうここに住め。毎日俺のために料理の原案を出せ」


「なんだ。……構って欲しくてボケてるのか?俺もそう余力はないぞ」


「構って欲しくて、かつ、ボケてるのよ。二重苦なのよ」


「構ってくれないと寂しくて死んでしまう。素っ気ない態度を取りやがって……、孤独死してしまうぞ。死にたくなーい゛っ。い゛ぎだい゛っー。生への執着の叫びを聞け。どうだ?俺に構え」


「孤独が原因で死ぬことを孤独死といわない。さっさと風呂入ってきたらどうだ」


「あ、じゃあたしも後で入る。のっこしといて」


「ハジメはそう言って後から気分で予定変えるでしょう。じゃあ上がったらちゃんとアンミに言いなさい。お風呂入るのをやめた場合もアンミに言いなさい。でないとあなたのせいでいつまでもお風呂掃除できないわ」


「わ、あ。そうなの?てか、そういうお母さんみたいに言うのやめてくんない?普通大体気分で決まるもんでしょ。んー、んー。じゃあさあアンミ?あたしがお風呂掃除しといてあげよっか?したら、別にあたしがいつお風呂入っても別に良いでしょ」


「えっ、え……、えと、大丈夫?ハジメ」


「えっ、大丈夫よ。多分。多分だけど。泡とかジャーって流すとかじゃないの?」


「…………。一応ざっと水で流してスポンジで湯垢落として、あとスノコとか洗面器とか立て掛けて乾くようにしておいてくれると助かるな。ただ、別に完璧な仕事である必要はない」


「ふーん。じゃ、できるでしょ」


「石鹸踏んづけてすっ転んで頭打って真っ裸で気絶とかそういうのいらないわ。仮にそうなっても私は運ぶの遠慮しましょう。四人いるから手足一本ずつ担がれて救出されるわ。みんな手一杯で局部を洗面器で隠す役割まで回れないわ。足元気をつけてやりなさい」


「あんたの予知なんのためにあんのよ。ちゃんと危険予知してあたしのこと守りなさいよ。てかその想定で四人どんだけ無能なのよ。バスタオル掛けて一人が肩担いで運べば良いでしょ。それかお姫様抱っこみたいな」


「…………」


「何黙ってんのよ。運ぶのやーとかそういうの?はあん?、あたし死に掛けてんのよっ」


「ん?ああ。いや」


「まあまあ。ハジメの命懸けのセクハラギャグにどんなポジショニングで運ぶのが面白いのか考えているだけでしょう。健介はハジメのこと見捨てないわ。じゃあ仰向けにして左のふとももを担ぎなさい。そしてみんなが右に曲がろうとしている時にやたら反発して左に曲がればまあ開くわ。飽きたら閉じなさい」


「ま、気をつけてやれば済むって話でしょ。慎重にやってれば何でも大丈夫なもんなの」


 そう言ってハジメもまた仏間に戻っていく。わざわざミーシーがハジメに仕事を割り振ったという謎の行動原理が気に掛かっていた。


 自分がやるというのなら単に心境の変化なんだろうが、ミーシーが安定策を取りたいなら単にハジメが風呂から出る時間をアンミに知らせてやれば良いだけのことだ。別にハジメが気分次第で予定を変えようがそんなことは大した問題にならない。


 そういえば……、結構前のことだが俺がアンミの仕事の多さを気にして話し掛けた時、アンミはあの時、なんて言い掛けたんだっけか。『ミーシーはどうせ料理……』、と言った。


 俺はその時、『どうせ料理はできない』だと思い込んでいたが、今になってみれば『どうせ料理をしたがらない』という方が自然だ。ミーシーが料理をできないなんてことをアンミが信じているはずはない。


 どういう文脈で話していたにしろ、それも少し不思議な言い回しだな。


「なあ?…………。予知はしてやらないのか?ハジメがすっ転ぶかも知れないんだが」


「すっ転ばないわ。さすがにすっ転んで迷惑掛けられるくらいなら止めるし、そもそもすっ転んで頭打つとか普通あんまりないでしょう。ハジメだからちょっと可能性が高いというだけでしょう」


 ……予知はしてるわけだ。単にたまたま、ハジメが風呂掃除を申し出るのを止めなかっただけ、だろうか。ミーシーはたまたま、そこに繋がる皮肉を言っただけだろうか。


 ミーシーは、アンミが仕事を譲りたがらないと思い込んでいた。昔どうだったかはともかく、今はそんなことがないともう証明され終わっている。ミーシーが手伝えばアンミが喜ぶことは既に証明されている。


 ミーシーも口先だけで仕事をやりたいなどと言っていたようには思えない。アンミが遠慮をして言い出せんのだろうか。ならむしろミーシーは積極的に仕事を手伝うなりして何の遠慮も必要ないことを示すはずだ。


 俺がぼんやり考えていると、ナナがまた台所へと戻ってきた。日記を書くと言ってからほとんど時間が経っていないが、「今日も洗濯物ある?」と、アンミに聞いた。


 そうか、よく考えると、ミーシーの仕事の心配をする前に俺にもやるべきことがある。おっさんの衣服はもう手遅れだろうが、他は少ししたら洗濯が終わるだろう。


 一応、アンミに確認してみると、快く洗濯掃除の仕事を任せてくれたし、そしてアンミも食事の片づけが終わり次第、俺たちの仕事を監修してくれるとのことだった。


 まあただ、食事の片づけの方が早く終わるかも分からん。洗濯機は脱水作業中のようでどうやらまだ少しは待ち時間がありそうだ。俺はその間に布団を畳んだり、居間をうろうろしたり、あるいはそれが終わればナナと同じように、洗濯機が止まるのを今か今かとじっと凝視してれば良いか。


 台所にアンミとナナを残して、ミーシーのいる居間で布団を畳んで持てる分だけ抱え込み仏間の戸を足で開けた。


「あ、すまん。入るぞハジメ。悪い。全然ノックとかできる状況じゃなかったが、声掛けてから入れば良かったな」


「えぇ……。何でそれ後から気づいたみたいな言い方すんのよ。はいはい、片づけりゃ良いわけね」


 こっちはほとんど前が見えん状況なのに、ハジメはわざわざ立ち上がって、かつ声がこちらへと近づいてくる。先導してくれるわけでもなく何を思ってか反対方向から俺が持ってきた布団に抱きつき、どうやら……、『運んであげる』つもりらしかった。


 だが、……なんだろう。正直、邪魔でしかない。


「あの……。いや、離してくれんか?意味が分からない。お前は今完全に俺の進行方向に立ちふさがってるんだが。俺が運ぼうとしてるものをなんかホールドしてくる奴がいるんだが」


「はあ?あんたこそ何あたしが動かそうとすんの邪魔してんのよ。それどうやって置くつもりでいんのよ」


「…………?バッて置けば良いだろう」


「えっ?…………?いやいや、ん?…………?いや、だから端っここっちに渡してくれりゃ良いじゃん。何、頑固になってんの?」


「いやお前こそ、何をそんな頑なに、ちょちょっ、やめんか、引っ張るな。力強いなお前」


「ひっとが親切言ってんのに。びっくりするわ。え?ごめん。伝わってない?そっち下げて、ん?こっちを上げんの?上げたいの?何?どうしたいのあんたは?なんなの、遊んでんの?」


「お前こそ俺をからかって遊んでるのか、そもそも……、んあ」


 俺が言いながら持ち替えようとした時にハジメの指と俺の指が接触し、そのタイミングで二人とも腕を引っ込め布団はバランスを崩して片側へ崩壊した。


 ハジメは布団をちらっと見て腕を組んで首を背け「まぁいいけど」と、不満そうに言った。……拗ねてしまったようだった。仕方なく、布団を表返して引きずり、空いていたスペースでもう一度畳み直した。


「ふんっ、あんたが最初からやれば早かったわね。ふんっ」


「あ、いや……。うん、そうだな」


 体調悪くて記憶もなくて、ちょっとイライラしているようだ。一応、「ありがとうな」と刺激しないよう小声で伝えて仏間から出た。


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