八話㉜
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窓の外が夕焼けで染まる頃まで、追加の料理をつまみながらおしゃべりしたりゲームをしたり、まとまりのない自由な時間を過ごした。
どうやらやはり、結局、酒を飲み過ぎた。ミーコは俺が折角料理を持っていってやったのに、一緒に食べようと思っていたのに『食べ終わったから帰る』と言って実際帰ってしまった……。
店の周りをぐるっと回ってもやはり帰っているようだし……、俺はまあ、『帰る』と言ったとしてももしかして待っててくれているかもと思っていて寂しくて……、そして少し落ち込んで店内に戻ると祝賀会開会前の『全部飲み干して家に帰る』というおっさんの宣言を陽太も聞いたようで、どうやら二人とハジメはそれに張り切って挑戦しているようだった。切なさを紛らわせたくてその楽しそうなへべれけ三人組に吸い込まれ、「俺にも一杯くれ」と言ってちびちび飲んでいると、一体俺は何を自制して飲む必要があるのかがすっかり分からなくなった。
というより、もはや、景色が滲んで外の色合いで夕方だと分かるくらいで、時間も正確に分からないし、元から何を言い出すか分からん三人の集まりが更に酔っぱらっているせいで話もよく分からん。
分からないながらも何となく楽しそうで、俺もそれが楽しくて笑っていられる。それで十分なんだろう。
ハジメはそろそろ限界が近いのか目は閉じ掛けで、先程から頬杖からずるずると顔を落としている。そういえばハジメの飲酒を止めなくちゃならないことに今気づいた。
結局自動停止するまで放置してしまっていたが、まあ多分、大丈夫だ。何故なら、なぜら……、まあちょっと今理由は出てこないが、大丈夫だという保証がある。
「ナナはお酒飲んでダメ?」
「まあ、飲むのやめなさいとは言わないけど、これは飲むと馬鹿になる薬なのよ、ナナ。まあ、あれ、見れば分かるでしょう」
「…………。今見た。治る?」
「大人は多分治るでしょう。ナナはまだまだ賢くなるから、賢くなり過ぎて難しく考え過ぎて、どうしても馬鹿になりたい時に飲みなさい。で、あとちょっと舐めてみたら分かると思うわ。ほら、どうぞ、ナナ」
ミーシーはハジメのグラスに人差し指を突っ込んでその雫をナナに舐めさせていた。止めた、方が良いんだろうか。まあ、これも大丈夫か。
「苦い……」と言いながらナナは舌を出したままパタパタ自分のグラスまで小走りしてジュースを飲み始めた。「ジュースの方が美味しいでしょう」とミーシーはナナ飲酒騒動を未然に防いでくれた。
店長とアンミは片づけを始めているようだ。手伝いたい……。が、体が重い。立ち上がる力が抜けていて、立ち上がろうとする気力も纏えない。すまん、……すまぁん。
その点、店長はさすがだ。多少ふらついて危なっかしくてもう座っていてくれと普段なら頼みたいところだが、でも、皿を運んだりしてアンミを助けている。電話を受けて一時離脱を繰り返していたのはこの時のための布石だったのかも知れない。俺は同じように途中サボって家に帰ったというのにこのザマか。
「ほら、起きなさい。恩返しにおぶってあげましょうか」
「や……、ちょっと無理があるだろう。……はは、恩返しとはまた、健気立てなことを言うんだな」
「さすがに弱って死に掛けみたいに見えると情けも掛けるでしょう」
「まったく、けんしゅけはだらしないのだな、まったく。これはもう俺もちょっと、リタイアなのだが、逆に後う、もう十分くらいここいたら逆にもうお世話になりそうなのだが、……すまないのだ、手伝いたいという気持ちはあるのだがもう逆にさっさと帰らないとかえって、かえって世話になってしまうところだと思うのだ」
「まあ多分持ち上げて階段はちょっと難しいと思うわ。今から帰るならなんとかなるでしょう。お疲れさま、こちらのことは気にせずお帰りなさい」
「ミーシーちゃん、ごちそうさま、アンミちゃん……、ごちそうさま。健介、俺はほら、そしたらグリとグラみたいに最悪迷子になってもここに戻れるように勿体ない話なのだが吐瀉物で目印つけながら帰るのだ」
「……ヘンゼルとグレーテルだ、陽太よ。無事に帰れ。……階段気をつけろ。寝るときはタオル敷いてうつ伏せで寝ろよ?寝てる時に吐いたら死ぬからな」
「ミーシーちゃん、本当悪いのだがあとみんなによろしく言っておいてくれ、じゃあありがとう、またなのだ」
「ヤバそう……、だったな。俺もあんまり人のこと言えないが……」
で、そして残り二人だが、歩けるんだろうか。直前の感じだとなんとか家までくらいは大丈夫だと思うが、俺のこの体のだるさが仮にハジメの感じるだるさと同等レベルだったとして、ハジメの性格だと駄々をこねてここに残って寝るとか言い出してもおかしくはない。おかしくはない、というか、俺も正直、布団さえあるならそうしたい。
おっさんが運ぶならまあそれなりに格好もつくだろうが、おっさんの方の体調もとてもじゃないが万全とはいえないだろう。俺も正直自信がないし、しかもハジメを運ぶというのは……、猥褻目的みたいに見えそうで立候補はしたくない。
歩けりゃ一番良いに決まっているのに、今の今までまったく見通しなくのんべえしていた。
「いや、まあ、大丈夫だ。俺はもう二日か三日か寝込むくらいの意気込みで帰ることにした。ミーシー、お前に迷惑は掛けんぞ。俺は、……そうだな、ハジメを背負ったおっさんを背負って家に帰る。何キロになるんだ?おっさんがもう九十キロくらいはありそうだと思ってるんだが、ハジメが、ハジメは軽そうだな。ハジメだけなら良かった……。無理か?おっさんがキツイな……。けどな、きっとお前は俺のそれを信じて飲むのを止めなかった。あるいは俺たちの暴走を尊重してくれたのかも知れない。まあ任せろ。俺の……、使命みたいなものを今感じている」
「ふらっふらでしょうが。まあ肩組んでふらふら帰りなさい。一応歩けるし、飲んで気持ち悪いとかは自己責任でしょう。とにかく歩いて帰ることだけ考えなさい」
良かった。二人は歩けるのか。そして俺も、俺もきっと歩ける。歩かなくてはならない。深呼吸をして、体が動くことを確認してを繰り返していると、「お店の、良いんですか?」と驚いたようなアンミの声が聞こえてきた。
「先に言っておくわ。荷物は私とアンミで運ぶからもう触らないでちょうだい。これはもうどうしてもあなたが運べないことを分かっていて言ってるわけだから納得してちょうだい。あなたがわがまま言ってすっ転んで箱からぶちまけてそれをわざわざみんなで拾い集めたりわざわざ泣いてるのを慰めたりする面倒くささがなければ私は今はもうそれ以上何も望まないわ」
「…………。あの」
「分かってるわ」
「気持ちは、……気持ちは分かってくれ、……俺の」
「分かってると言ってるでしょう」
アンミがああしてダンボールを手渡されることを俺はすっかり失念していた。明日、取りにいく、のは無理か。二日酔いだろうし、朝飯前にとなると店はわざわざ店長に開けて貰わなくちゃならない。
そんな早朝に店を開けて食材を渡してくれなんて要求はいくらなんでも厚かましいし、それが単なる俺のプライドがどうとかの問題では誰も納得してくれない。
……惨めだ。俺はそれを運ぼうと努力したらしいが、どうやらどうしても無理だったようだ。ミーシーが一体何回くらい俺にチャンスを与えてくれてたのかは謎だが、俺は規定チャレンジ回数の中でミッションを達成できなかった。
荷物を持つと言い張ったのは良いとしても抱えて歩くこともままならず、結局転んで食材をぶちまけてめそめそ泣きながら謝って、薄暗い中みんなに汚れた野菜を拾い集めて貰うことになってしまうわけか。
それは確かに……、面倒くさいな。意地張って無理して失敗して、ベソかく俺が、面倒くさいな。
「ええっと、ええっと」と店長に押し出されるように出てきたアンミは、割と大きいダンボールを困惑しながら抱えている。そこそこ重量はありそうだし、そして店長も同じくらいのダンボールを抱えてこちらへと姿を現した。
「僕はね、料理の店をやれてれば良いんだよ。赤字でも、不味くても。でも、こんなほら、今日は美味しいの一杯作って貰えちゃってさ。だから本当に嬉しいし、店に来てくれたお礼みたいなもの。遠慮されても使われないとダメになっちゃうからさ」
穏やかないつもの調子で、いつか聞いたように店長はそう言ってダンボールを机へと下ろした。アンミもよろよろとしながらきょろきょろ周りを見て、店長が置いたすぐ隣へとダンボールを載せる。
俺も近寄って店長にお礼を言って、そして本当に持てないかどうか確かめようと思ってダンボールの両端を抱えてみた。
……持てないことないんだが。多分、ダメだと言われる。
「健介、気持ちは分かると言ったでしょう。ハジメはともかくそこのデクちゃんが何度もよろよろして『置いてかないでくれ』とかうるさいことになるのよ。仕事はあるわ。不服でも今日は我慢しなさい。あれに肩を貸してあげなさい」
「優しく、言うなよ……。俺だってデクなんだから……」
「けんすけ、ににんさんしゃくしようぜ。大丈夫だ。おぉれが予知ればお前がこけそうな時、かばってやる。そして、そういう時以外は俺を、かばってくれ」
「あ、帰るとこ?あー、なんかすごい眠くなってるから、早く帰んないとヤバイかもこれ。して、やっぱあれだわ。お酒飲むとこんなんなんのね。目茶苦茶ふらふらする。あんたら大丈夫なわけ、それ?」
「まあ正直大丈夫ではないな。だが、男は自分の足で立って歩かなきゃならん時もある。俺のことは、気にするな。俺と健介は肩を組んで帰る、よいっしょ……」
「さあ、おっさん。じゃあ、帰ろうか……。酔った女の子を介抱するわけでもなく、荷物を重いから持ってやるとも言えず帰ろう。俺もふらふらだ。多分普通、肩組んでなんてしたらもつれて転がるに決まってるが、家に帰るまでちゃんと予知ってちゃんと帰れたポーズだけはなんとかしてくれ」
「おう。ナナー、ナナー。おう、ナナ。『人』。……人という字は、こうやって支え合っている」
「ナナの知ってる字とちょっと違う」
「…………やめて。恥ずかしいことやめてくれ。ナナが苦笑いだろう。俺まで一緒にスベるギャグをやったみたいになるからこの体勢の時に恥ずかしいことをしないでくれ」
ズリズリと歩いて、ふらついては支えられてふらついてるのを支えて、割とグループが固まるような良い按配のペースで進むことはできた。
もしかしてアンミやミーシーが合わせてくれているのかも知れないし、もちろん俺もおっさんも必死で置いていかれないよう頑張って歩いている。いくら足が持ち上がらなくて引っ掛かろうがおっさんが支えてくれているし、俺も一応おっさんがバランスを崩してふらふら歩くのを補助して転がらないようにサポートできた。
アンミとナナは終始笑顔で満足そうにワイワイと感想を言い合って時々、俺とおっさんの周りをくるりと回った。
「ナナがねー、看病してあげる」
泣きそうになる。
「健介にお店のこと頼んで良かった」
謝りたくなる。
だが、その時々のタイミングでミーシーやハジメが俺たち二人を茶化すように小馬鹿にして、しんみりとした空気にはならなかった。
「ぷっふふ……、馬っ鹿みたいに飲んでるからでしょ。ぷふっ、まだ時間はさあ、夕方なんだけど」
「お前も酔っぱらいだろうが。お前も片足を突っ込んでいたことを自覚しろ……」
「あったし、そんなんなってなぃ」
「まあお父さんも元気なくなっちゃって無害化されてるでしょう?ハジメももしおとなしくなってたらちょっとはかわいらしくなったと思うわ。仔犬のような目をしてか細い鳴き声上げていたら、『ちょっと違うけどとりあえず拾っておこう』となるでしょう?『本番前に一回、練習がてら飼ってみるか』となるでしょう?」
「ちょっと違うって何よ。あんたに拾われるぐらいだったらちゃんと妥協しない飼い主探すわ。アンミ?それ重くない?持ったげよっか?」
「え、ホントに?うん、じゃあお願い」
「はあ……。昔はアンミは泣きながらバケツ引きずってたでしょう。折角アンミとペアルックだったのにハジメとペアルックに成り下がってしまったわ」
「うわあ結構重いわ。よっと。ナーナ、ナーナ、これ、このレタス持って。落とさないよーに」
ハジメは一旦ダンボールを地面に下ろして中からレタス……?いや、キャベツだと思うんだが、丸い緑をナナに抱えさせた。
ナナはそれを抱きしめて歩く。自然の恵みを畑にもたらすキャベツの妖精は、よく実ったキャベツを抱えてワンピースをふわふわ揺らしている。
当然その程度で段ボールの重量が大して変わるはずもないから、ハジメはまた重そうに荷物を持ち上げて重そうに抱えて歩き始めた。
ただ、多分だがこの場で重要だったのは、『アンミがこれといった抵抗もなく、『誰にでも仕事を分け与えることを『ミーシーが知れた』ことじゃないだろうか。
ミーシーはおそらくアンミの世話を焼きたがるだろう。何故それがこじれていたかはどうでもいい話だ。今日か、最近か、もしかするともっと前か、そんなことは問題にならないくらいに解決されていて、きっと今後はそれが続いていく。
一緒に料理をして、アンミもそれを喜んでいて、みんなからも喜ばれていて、そうするとどちらも意地を張る必要なんてない。
自宅が近づくにつれ、その安堵が大きくなっていく。家に辿り着いた俺は、冷蔵庫に荷物を片づける四人の後ろ姿だけ見てできることなしと察して、居間のソファの隣に大の字に寝そべった。
しばらくするとナナが水の入ったコップを持ってきて俺に渡してくれた。飲み干すまでナナは目の前で待ってくれていて、空のコップを回収するとまた台所へと歩いていく。どうやら仏間で倒れているおっさんへも同じ宅配をしてやるらしい。
「ナナねー、今日はハジメお姉ちゃんと一緒の布団で寝ることにした」
「どうしてだ……?」
「……?健介お兄ちゃんそこで寝るならお布団ないかなってナナは思った?だからこっちに一個持ってこようとしてる」
理由を考えようともせず、ぼんやり聞いた質問に、ナナの優しさが返ってきた。
「ありがとう、ナナ。……すまん、ちょっと、そうだな。お願いしたい。そうしてくれるとすごく助かる」
「大丈夫?わざとじゃなかったの?」
「わざとって……、なんだ、わざとじゃない……。何が?ハジメか。聞いてくれ。ナナがお布団を分けてくれると、そう言ってる。ナナを手助けすると思って布団をここへ持ってきてくれ。ごめんな、ハジメも。お布団を一個恵んでくれ。ああ、そうだ逆に、なんなら俺の部屋の使ってくれても良いし……」
「もう寝るの?まあ布団くらい持ってったげるけど」
「ありがとう、ハジメ、この恩はいつか返そう。ホントこの家は天使ばかりで助かる……」
「うえーい……、冗談で枕投げたら本当に死にそう。はいはい。まっかせなさい。ナーナはこれっ」
「よいしょ、よいしょ」
俺が目を閉じている内に布団は敷かれて俺は転がされ、どさと毛布が掛けられた上に掛け布団が重ねられ、首を捻られ枕が差し込まれた。
多少乱暴な感じはしたが、殿様だってこんな過保護に寝かされないだろう。ああ、そうか。まだ夕方なんだったか。まだみんな起きている時間だろうに、俺のために戸を閉めて電気も消してくれた。ありがとう、……ありがとうな、俺は寝る。




