八話㉘
…………。バグ?バグかなこれは。認証端末を持って未確認地域に近づいたらログ収集が開始されてルートの選択ができるはずなんだけど。
探索優先地域が他から移動してない……。ということはだ、この時間帯のここはもう探索済み……、に、いや、なってない。他に近い人が……、いるわけ、じゃないか。オンマニュアルでも、指定できない?マップデータは読まれてて、GPS情報も問題ない。
シミュレーションでもこの区域外に外れるの?かな。あ、……あれ……、ダメだ、確かにおかしい。
「どうしました?佐藤。もし端末に探索可能なルートが正しく表示されないのなら、どの時点でか細工はされている。こうなると、所内で保護してアンミちゃんの世話をするという選択肢は取れない。まず犯人と思われる者の特徴に一致する人物とその周辺にいる人物を投獄して危険がない状態を作らなくてはならない。もしかすると外部に協力者がいるかも知れない。やむを得ないので、とりあえずチーム構成にして相互に監視させるという方法しか取れない」
「い、いや……。裏切り者?いやいやでもでも、というより、だってこれはその、アンミちゃんがいる場所を探すためのものというより、その時間帯、その場所にアンミちゃんがいなかったことを確認するためのもので……、つまり、つまりですよ?もしそのアンミちゃんの居場所を隠したい裏切り者がいるなら、本来は『探索済み』とでもしておくべきじゃないですか?そうすれば、その時間のアンミちゃんの活動地域から除外されるわけだし」
「それは分からん。それをこれからするつもりだったのかも知れない。探索ログが残って犯人が発覚することを恐れてそうしなかったのかも知れない。しかし探索ログの中にも不自然な点がないので、これは相当前もって準備されていたか相当に頭の良い人間が犯人かのどちらかです。前者ならともかく後者の場合は下手な対処ができない。こちらが状況に気づいたこともできれば隠しておきたいところである。佐藤は端末からの発信を改竄できたりしますか?」
これは……、大事だ。大事になりそうとか、大事かも知れないではなくて。単なる探索プログラムのバグであるなら、解決はそこまで難しいことじゃない。所員が報告を怠った場合でも、多分だけど理由あってのことに違いない。
でも、きっと、その可能性は低い。
私自身も一度コードを見せて貰ったことがあったし、当然コード解析もクリアしてる。シミュレーション中の総当たりで何度もテストを完了しているし、仮に探索地域を指定できない場合であったとしても、それがシステムのログにさえ記録されないのはあまりに不自然過ぎる。
シンクライアント化されたこれを、端末の不具合や端末への悪意ある攻撃で片づけられたりもしない。しかも、特定の……、つまりここだけ、探索すべき地域から外されている。
何度もやっているテストで誰も不自然に抜け落ちた地域があることに気づかなかったはずがない。それはいくらなんでもない。てことは要するに、途中で誰かがローカルの管理者権限でサーバーのプログラムに細工を施したということ以外に考えられない。
そしてなお一層最悪なことに、……この件に絡んでいる裏切り者がいるとしたら、私たちより数段頭が良い。
「改竄は、できないはずです、ただ……。発信元が自分だから内容の解析はできるし、時間さえ掛ければ別の端末で同じように暗号化して発信できるとは思います。でも、高総医科研のサーバーとラグなしで双方向通信するとなると、多分、サーバー側を、いじらないと無理?私も試験の時試したことあったんですけど、エミュレーションじゃ通信の切り替え時に遅れが出ますから端末自体を書き換えて座標と証明書を偽装するか、でもそしたら、……移動指示に連動するようなプログラムが必要になります。そもそも端末側から……、優先地域を変更することは、個々人はできるにしても、全体への移動指示を変更できるものじゃありません。これはサーバーもですけど、他の所員との連絡もありますし……、いいえ、決して、あれですよ?私はサボろうと思って本気で検証したわけじゃないのでなんともいえないですけど、でも普通に考えたらまず無理です。……サーバー側にまで細工してあったなら、……無理じゃないのかも、でも、……でもそうすると」
そもそもどうやって見つけたんだろう。この近辺だけでも数十チーム掛かりで探していて今まで新しいヒントは一つもなかったのに、あっさり見つけた上で、私たちがここに来るまでの間に巧妙な細工まで施している。
探索開始の認証をパスして協力者にルートを指定して、自分はアンミちゃんを探す、という方法ならログをいじる必要もないだろうけど、そんなことをすれば今度は上長からの移動指示に答えられない。逆に外部の協力者がアンミちゃんを捜索して、この場所を知らせるというケースもあり得るけど、その場合外部の協力者は何のナビゲートもなしに探すしかなくなる。
当然、同じ人物が同じような地域のルートを何度も不自然に往復していたらミーシーちゃんが警戒するだろうし、その場合の捜索難易度は急上昇する。かといって、複数人を同時に多数の地域に配置してそれぞれと連絡を取り合うなんてことも現実的じゃない。
大体探索ログとは別にGPSのログが残るわけだから、犯人が端末を持ってこの地域に近づいているなら室長がこの時点で犯人の名前を挙げるだろうし、そうじゃないってことは犯人は、そもそも端末を持った状態ではここに近づいてすらいないか、それすら書き換えたってことだ。
ログの書き換えが物理的に可能なのはせいぜいバックアップまでの十二時間かそこらだしその後はフィルタ制限も掛かる。たったそれだけの猶予で下手ないじり方をすればすぐに破綻が見つけられたはずで、……でも多分、この犯人はそっちでやってるんだろうな。
所内のプログラムをいじくって誤魔化せる人間が探索ログの方に手を出さないことはないと思う。
ああ、……これっぽい。システム情報の再取得なんていかにも上塗りしましたと言わんばかりのバレバレカモフラージュだけど、どうせバレてからしか確認しないのを分かっててやってる。見せつけるみたいに……。これ、もし私だけだったら絶対見逃して単なる端末の指示情報の確認ミスか通信異常として報告しちゃってる。
例えば、犯人の目的が研究の失敗なら、……恐ろしくて考えたくもないけど、所内のQCに細工してアンミちゃんを暴れさせても良いわけだし、単純にアンミちゃん自体に危害を加えるというか、殺してしまうのが手っ取り早いのかも。
『アンミちゃんの発見を遅らせる』ということ自体には大した意味がないはずで、私たちがアンミちゃんを探しているその間に、もう多分何らかの準備を済ませただろう。
犯人は『ここを探索済み』にすることもできたし、『時期を見て探索可能』にすることもできた。こうなると、迂闊にアンミちゃんを所内に連れ込むのは、確かに室長が言う通り、あまりにリスクが高過ぎる。
まず、完全に信用できる人間を見つけ出さなくちゃならない。極秘でアンミちゃんを別施設に保護することにしたとして、どのみちQCの操作権限は更新しないとならないし、そのレベルのお引っ越しを内密に済ませるのは不可能に近い。
いくら慎重にやったとしてバレたかバレてないかがこっちには分かりようがない。現状、内部の裏切り者への対策は『裏切りが発生しない人間以外に情報を漏らさない』という以上のことはできていないわけで、実際裏切り者が出た場合にはその対応にどうしたってマニュアル外のアクションが必要になるはずだ。
けど、そのアクションは当然、裏切り者にとってこれ以上ないヒントにもなる。それにそれに、今更セキュリティを厳重にしたところで、全部のプログラムのチェックなんて到底無理だし、そもそも物理沙汰で先手を打たれていたら全く意味がない。
穴を開けて浸蝕性の電気伝導体を垂らすだけで、施設内のQCは止まるのかも。なんなら爆弾?
これきっと……、犯人っぽい挙動をして疑われて締め出された方が楽で安全なパターンだ。
でも、……でも、どうしよう。私って何日くらいなら寝なくて大丈夫だっけ。私だけはせめて、信用されてたい、なんて思っちゃうのは、それっていうのはきっと、室長が、誰も……、誰のことも信用していないようなこんな目をしていて、それが、見ていて悲しくなるからなのかも知れない。
◆
「健介……?起きるニャ?」
「…………。ああ、お前か。お前の声か。くち、口が回らん。ミーコ、お前が変な声を出しているのか、俺の耳がおかしいのか分からん」
「多分健介が寝起きでおかしいニャ。けど健介、何で寝てるニャ?さっきまで知らない人がいたニャ?」
「ああ。…………。ミナコだろう。うん、ああ。なんか困ってるみたいだったからな。相談に、そりゃ乗るが、寝てたんだな、俺は。寝てたか、またやらかした。いやだが、酒を飲んでたし間が悪かったんだ」
「起きられるかニャ?その水飲むと良いニャ」
「ああ、水?水な。今日の散歩はもう終わりか?ミーコ」
「……健介?つらいなら休んでた方が良いニャ。ベッド行けるかニャ?」
「まあそう言うな。俺だってたまには死体みたいに寝そべることだってある。今起きた。寝たくて寝てたわけじゃない」
「でも、そこで寝てる時点でおかしいはおかしいニャ。きっと調子が良いわけじゃないニャ」
「…………」
そう言われると、確かに反論のしようがない。
「まあ、……。とりあえず水でも飲むニャ」
俺は死体のように寝そべったままで、その傍らのミーコは置き去りのペットボトルを首で押して心配そうな声を出す。体は熱っぽいし気だるいし、頭はぼうっとして血液が渋滞でもしているみたいだ。
……でも、最悪ではない。落ち着いて水でも飲めとミーコが言うから、俺はそのペットボトルを手に取って、……例えば白い粉のような沈殿物がないかだけ確認して口をつけた。
結局ミナコはこの水は飲まなかったのかも知れない。茶として出す分だけ使って、残りはそのまま置いていったのかも知れない。残しておくのもわざわざ持っていってやるのもなんだし、仕方なくこの場で一気に飲み下すことにした。
ゴクゴク喉を通すと途端にすうと血が流れ出して熱っぽさが薄れていく。時計を見てそんな大して時間が経ってないことにも気づけたし、祝賀会に戻らんとならんことも思い出した。
ここから先は少し酒を控えるべきだろうし、遅くなった言い訳も考えなくちゃならない。で、折角なら、ミーコを連れていって、飯を食わせてやれないだろうか。
普通、飲食店にペットを持ち込むのは御法度なんだが、店の裏かどこかに料理を用意してやることはできる。まあ、こいつが『いらん』と言うかも分からんが、じゃあ散歩ついでについてきてくれということでも良い。
「ミーコ、今な、祝賀会をやってる。アンミとミーシーのまあ入社祝いみたいなもんなんだが、そこでみんなして飯を食って酒を飲んでる。今日の朝電話が掛かってきて、その時お前がいなかったから誘えてない。……ああ、口を動かすのがだるいな。四文字で言うと、『来てくれ』ということだ」
「ご飯食べるかどうかは別として、散歩ついでについてっても良いし、健介がそこ戻るなら、ちょっと心配だからついてくニャ」
「…………。お前がそこまで汲んでくれるなら、俺はもう何も言い訳することがない。なんとなく、一人で戻るのが心細いんだ、ミーコ。ということだから一緒に来てくれ」
「何も心配することないニャ。私がついてるニャ」
コップときゅうすを流し台に置いて、また玄関から出発する。深い呼吸を心掛けてみれば、さして普段と変わらないペースでまっすぐ歩くことができた。若干、腕がだるいようにも感じるが、酔っていて重いのか、こればかりは翌日以降に評価をしてみないと何ともいえない。
「みんな、ご馳走一杯食べてるとなると、晩御飯の用意ないかも知れないニャ」
「かも知れんな。その場合はミーシーがちゃんと確保してくれてると思うが。気配りのできる子だから」
「まあでも、持ってきて貰うのもなんニャし、私だけのために片づけさせるのもなんニャし、折角行くなら、向こうで食べとく方が良いニャ、多分」
「ああ。悪いな。そうしてくれた方が良い気はしてる。おっさんが予知してるかが怪しいし、で、しかも俺が今へにゃへにゃだろう。向こうはどうなってるか分からんが、陽太が酔いつぶれていたらとりあえず介抱を優先しなくちゃならん。で、おっさんに手伝いを要請する可能性もある。ミーシーも場合によっては『人手が足りんからまあいっか』とするかも知れない。さすがに、アンミにな……、祝賀会の功労者に対して、ミーコの分がないだろうなんて文句は言いづらいだろう。今回、もしアンミの料理が売れ切れだったら、俺がなんか煮るなり焼くなりしてやろう。それで我慢してくれ」
「我慢しますニャ。もし作ってくれるならそれこそ文句言えないニャ。焼いただけで美味しいものは、まあよほどのことしない限り食べられなくはならないニャ」
いつものことながら、ミーコとの会話は不思議なほどに違和感が少ない。ツッコミどころが少ないというのか、緩やかにまっすぐというのか、ふにゃふにゃででかいゴムボールのようにキャッチボールが容易い。
つい少し前に、アンミの料理を見て味わった俺でさえ、今までの人生を総合的に鑑みるなら、ここで変に反論する気にはなれなかった。肉はコゲカスにでもならない限り焼いただけで美味いものだし、野菜は誰がドレッシング掛けたところで味に差がない。
元より、俺とアンミの料理では比較するのが不自然なほどに、置かれる領域が違っていることもあるだろう。世の中、大抵のものは、わざわざアートと比較して貶めるような必要がない。
飲み込めて栄養になってくれるなら、俺の料理でさえ、俺の料理だからという理由で、途端に機能を放棄したりはしない。




