八話㉗
俺がどれだけの間か悩んでいたことは、こんな簡単なことだった。下手をすれば、わざわざこんな確認などしなくても、きっとミナコはプレゼントがなんであれ喜んだに違いないだろうし、そして俺はそれが嬉しかったりしただろう。
俺の家に近づくにつれ、ミナコはまるで尾行がないかを確認するかのように何度も後ろを振り返った。俺の真後ろを歩いてみたり、左側へ回って坂道を覗き込んだり、よく分からん動きを繰り返していた。
家に着くと俺が鍵を回すのを凝視していたし、玄関の扉を開けると俺をディフェンスしながら隙間を抜けて入り込み、靴棚から何から一々注目した挙げ句、靴を脱いだと思ったら四つんばいで客間の方へと進んでいった。
少し進んで立ち上がったが、どこから説明を求めて良いのか全然分からない。そういえばこれからミナコに相談を受けるであろうことすら忘れそうになっていた。
「ん……。あの、な?ミナコ。俺の家に到着したわけだが、俺の家に興味津々か?おそらく一般的な日本の家屋は大体こういう形をしている。特に際立って俺の家が変だということはない。そしてまあ、特に自慢するような場所もない」
「そうです」
「そうです……、そうだよな?俺はそもそもお前から何か相談を受けるような、そういう雰囲気だった。ところで、その相談というのはなんだ?これはもしかしたら唐突に聞こえるかも知れないが、それはお前、俺が色々前フリをしていたとしても、いつお前の注意力が他へ向くか分からないから仕方ないことだ」
「健介、ところでお茶は飲む?僕の方は、そんなに急ぎということではない。相談?相談か……。うん、相談はしなくてはならないかも知れない」
居間で正座をして首を持ち上げてこちらを見て、そして俺の返事を待たずに立ち上がって台所の方へ向かっていく。俺もとりあえずその後へついていったが、今度は収納やら戸棚やらを開け始めた。
「……きゅうす、とかを探してるのか?ちなみにやかんはないから、ポットか鍋を使ってくれ。もしお前がお茶を淹れるつもりなら、なんだが」
「ああ、これだ。お茶を淹れてあげることができます」
「そうか。じゃあまあ、頼む。俺が本来お茶を淹れるべきなんだろうが……、お前ができるというなら」
「ええ。…………。ええ。できます。もしその、健介?ああ、いいえ。そちらで正座して待っていてください」
と、そう言いながら、ミナコはトポトポと、『ペットボトルの水』をきゅうすに注いで、多分お茶葉を探し始めた。俺はその厚意を無下にするわけにもいかず野暮なツッコミを控えて、お茶葉をミナコの目の前に置いて居間の方へ引っ込むことにした。
多分出てくるものはお茶の味などほとんどしないだろうが、元々が飲料水だからそれにほのかなお茶の香りが混ざっている飲み物と、考えられなくもない。元々水が美味しく作られているわけだから、そう劇的に不味くもならんだろう。
そしてやはり一分もしない内に、コップをこちらへと運んできて、で、わざわざ俺の目の前できゅうすからコップにその『一応お茶』を注いでくれた。不思議そうに首を傾げてこちらを眺めて「どうぞ」と手渡し、こちらを凝視する。俺はその流れのままコップに一口つけて、どんな感想を述べるべきかを考えた。
……やはり別に不味くはないな。どっか外国とかでこういう飲み方だと言われたら、まあそうかと気にせず飲む味だが、変に微かなお茶の匂いのせいで違和感はある。すごい薄いお茶に思えてならない。なるほどお湯を使わないとこうなるから、お湯でお茶を淹れるものなんだろう。
「ありがとう。なんか一生懸命淹れてくれた味がする。俺はまあただ、ツッコミキャラだったりするだろう?だから今度お前に正しいとされるお茶の淹れ方を教えてやろう」
「あ、全部飲むとは思わなかった。では、この水をあげます。そして健介、私は、いくつか、いや二つだけ、質問しなくてはならない。そして相談もしなくてはならない。こちらとしては本来、色々と準備をして前もって取り組んでおくべきだったことがある。健介はまさかこういうことに巻き込まれるなどと思っていなかったはずなので、順を追ってきちんと説明をしなくてはならないのかも知れない。ただし、こういってはなんですが、もはや、そういう段階は過ぎた。健介、危ないなあ、危ういなあ。例えば『私が今までどのような振る舞いであったとして』、『不用心に他人を家に上げない方がよろしい』。質問は簡単です。一つ目の質問に対して私が想定している答えと違うものがすらすらと出てくるのならそれで良い。しかし、思い当たることがあるなら、二つ目はできることなら早めに解決しなくてはならない」
「…………?どうした、……?」
「しっかりと調べさせて貰うつもりでしたが、どうやらそうする必要すらないようです。三十分程度もすれば、普通に歩くことができるようになります。超短時間型です。眠気、ふらつき、めまい、歩行失調、軽い頭痛など起きますが、極めて短期間で代謝され無毒化されます。血圧の低下、頻脈、健忘なども起こる可能性があります。あと、何かを不安に思うことがあるかも知れない。安心して良いでしょう。極めて短期間で代謝され無毒化されます」
「……はあ?おい、ん?あれ、おい、ミナ」
「この髪の毛は誰のものでしょうか?そして今から二週間前までの間、誰かとこの髪の毛の人のことを話しましたか?」
◆
私は室長が鍵を開けてくれるまで体を屈めてカーテン越しにその青年と室長の様子をびくびくしながら眺めていた。この青年についてだけは、……事前に資料を貰って知っていたわけじゃないし、もちろんこの周辺で『例の女の子』が見つかったなんていう報告も受けてなかったわけだから、となると、室長個人の独自調査によるものかも知れないし、あるいはもしかして室長に情報提供をする協力者が他にいたのかも知れない。
どうしよう、その辺りについて私は全然事情を知らないし、今日も多分室長は正式な手続きで外出したりしてしなさそうだ。私と室長の間に中間層の管理職がいないせいで、いざ責任の所在を求められたら、ただ運転手をしていただけの何の悪気もない私まで取り調べ会議に招集される事態になってしまうのかも。
「どうやって、……見つけたんですか?私たち、どんなに探しても見つからなかったのに」
「というかですね、アンミちゃんが村で捕まえられるようなことはないだろうと思っていたし、もう正直一年以上前から、アンミちゃんがここに逃げるであろうことは分かっていました」
ああ、そして、やっぱり……。室長が特別秘密主義だとは思わないけど、おそらく『どうやって』という部分について私なんかに詳しく話をしてくれたりしない。一応一生懸命探していたというポーズのつもりの『どんなに探しても』という部分にもノーコメントだった。
そして、多分、『一年以上前に分かっていた』というのは、これはつまり、引っ掛け問題かな。一年以上前というと、例の女の子がセラ村から他へ移らないように所員で情報収集に取り組んでいた頃の話だ。
もちろん当時からセラ村に女の子を迎えにいって応じて貰える可能性は低いに決まってたし、いくらセラがいないとはいえ、強硬策ではあまりにリスクが高いだろうと噂している声はあった。
それなら一年以上前から色々と想定しておかなくてはならないことも多かっただろうけど、その時方針を巡ってこう、……まさにその時というのが、所内で室長排撃運動が加熱して室長が一時的にお暇を出されていた時期のことだ。
きっと所内で対立が巻き起こっていたには違いない。細かなことまで私は知らないけど、室長排撃運動の高まりについて思い当たる原因を一つずつ挙げろと言われたら、さすがに私だってA4用紙一枚を埋めることくらいできる。
室長は時に躊躇のない過激思想であったし、目的のために手段を羅列すればリスクやコストは全く無視して成功率の高い順に実行すべきと主張するお方でもある。
今回、室長が仰りたいのはきっと、『最初から自分に任せておけばすぐに逃げ場所など判明した』ということなんだろうけど、この件で室長が指揮を取ればどんな無茶があるか分かったものじゃなくてだからこそ、わざわざトップである高田院長が指揮権を肌身離さず持っていて、私にはオブラートに厚く包まれた『室長の見張り役』の任まで与えられることになってしまった。
室長が、見張り役の私のこととか、職務権限とかそこの辺りを不満に思っているのはまず間違いないことで、私もその地雷を踏まないようにだけは気をつけて発言しなくちゃならない。
整理すると、『最初から私に任せろという室長の愚痴』と、『私が報告資料をちゃんと読んでいるかという確認』かな。『この地域』じゃなくて、『ここに逃げるのが一年以上前に分かっていた』というのは、『以前から水楽アンミが高橋健介と交流があった』場合くらいのものだろうし、そしてそんなことが書かれている資料はどこにもなかった。
この青年がセラ村の住人であるならどこかには登場しているはずだろうに、私の記憶の中ではそもそもこの年頃の男性というのすら見つからない。
「…………?超能力者じゃあるまいし、そんな……、あ、やだなあ、引っ掛け問題ですか?私だって昔みたいなことないんですよ。私だってちゃんと報告書は全部読んでます。……はは、室長?」
ところで、私は今ちゃんと室長の見張り役というのをこなせているんだろうか。今この状況も家主の意思を無視した住居侵入罪には違いないだろうし、いくら短時間、少量とはいえ多分医薬部外品ではないだろうから薬を盛ったら傷害罪として刑事告訴されて不思議じゃない。
当時だって『町のどこかに潜んでいるなら緊急災害警報を出して住民を全員避難誘導してブルドーザーで全ての家を破壊しましょう、災害警報であるから家が壊れていても不自然ではない、なんてことを言ったらしい。
さすがにそこまで完全にそう言ったわけじゃないにしろ、多分そういう誤解を招くような言い方をしてはいた。そんなこんなで強引なことをしでかしそうだから、監視がつくし権限も限定されるんですよと、……言いたい。
ただもちろん、そんなことに口にするわけにもいかないから、ここは少し冗談めかして流すことにした。アンミちゃんが村から出たのはまだ一カ月経っていないのは間違いないから、一年前というのは大げさですよみたいな返事をしておけば問題ないはず。
「さて、居場所が分かったのは良いとしてもですが、すぐにアンミちゃんを連れ帰るのは危険かも知れません。人員の再配置が必要です。あと、QCも移動できるなら移動させなくてはならない。全所員のGPS情報を二週間分遡って確認します。不自然に一点に留まっている者がいないか、不自然に所在不明になった者がいないか、書き換えがないかと照合元に不審なエラーがないかもチェックします。二週間以内に休暇を取った者はいませんが、外出できる機会が少しでもあった者については、所内のコンピュータの管理権限の大きい者から全て査問します。アンミちゃんの発見を遅らせようとした者が所内に潜んでいる可能性があります」
「…………へ?」
カーペットに落ちていた毛髪を光に透かして目を細めながら、室長はそんなことを言い出した。
どうせ室長は『すぐに居場所を報告してアンミちゃんを捕える準備をしてください』とか言うものだと思っていたから、私はその瞬間には送信確定ボタンを押す準備だけしていて、その指示というのが『思っていたより長いからおかしいな』というところまでしか気づけなかった。
少しして、『思っていたよりちょっと指示が長い』だけじゃなく、『何やら大事になるかもしれない』ことにも気づいた。
「この地区だけ同じ条件の地域と比較して何故か探索優先度が低く設定されているように思います。もちろん探索済み地域を除いた場所の優先度が上がっていくわけなのでここは低くてもおかしくはないのですが、全然優先度が上がった覚えがない。ルート指定のアルゴリズムにバグがないかと、故意に探索地域を除くようなプログラムがないかをチェックします。どこで細工をされているかは特定できない」
「いや、え……。か、考え過ぎじゃないですか?」
「『アンミちゃんがここにいるのに』『ここの優先度が異常に低いのは』『所内に誰か裏切り者がいるからだ』と思いますが」
ああ……、そっか、まだ良かった、大丈夫なはず。このくらいのことなら可能性がある、というだけの話だし、その可能性さえ潰せば室長も納得はしてくれる。多分室長がログを漁り始めたら、睡眠をとった所員全てが査問されることになってしまう。
「い、いやいや、だってここは元から優先度が低かったわけでしょう、探索開始前から……。ほら、今なら私がいま……、いますし…………。…………あれ?」




