八話㉖
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『だから俺もミナコに、何か贈り物をしなくちゃならない気はしていて、ミナコへ贈るプレゼントは、前は上手く買えなかったし、洋服を選ぶのも難しかったから、何にしようか。カエルのぬいぐるみが良いなと思った。まあそれも、なかなか見掛けない代物ではあるが』
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犬か猫か、ペットにするならどっちが良い、という話は、陽太やミナコにしてみればかなり視野の狭い選択肢になってしまうようだった。強いていうなら猫だと答えたすぐ後に、ミナコは長々とニホンアマガエルの良いところとニホンアマガエルと過ごしたエピソードを俺たちに語って聞かせた。
なるほど確かに、犬か猫かの枠など最初から無視した結論を持って来られたら、犬派、猫派論争もくだらない争いだったと気づかされる。
「ニホンアマガエル一択なのでは?あれはすごいかわいい。ただでさえ、目がくりくりである。とても鮮やかな緑色である。お腹は白くて、あんまり触ると嫌がりそうなので触りませんがどう見てもぷにぷにしている。大きい水槽を借りてきて部屋で一緒に住んでいた時もあります。餌が生きていないと食べませんので、それを捕まえるのにはすごく苦労した。あまりに虫が捕まらないので三日で自然に返したのですが、僕がもっと虫を取るのが上手かったら……、養殖に成功していたかも知れない。もしもそうだったら?抱接する様子はとても愛らしいと思います。卵から孵化する瞬間とか感動するのでは?手足が生えてきたら頑張れと応援したくなります。蛙になったら、ケロケロくうぇっくうぇっ♪、立派になった。一緒にお歌が歌えます。ただし、鳴くのは雄に限る」
「峰岸は爬虫類が好きなのか?」
「はあ?陽太はなんだ?何を言っている?他の爬虫類がそんなかわいかったりしないのですけども。劇的な成長を遂げたりしないし、歌も歌わないのですが?そしてニホンアマガエルは両生類なのですが?」
「いや、カエルは正直その、キモイと思うのだ、峰岸……」
「はあ?なんだと、このっ、この……。…………っ、健介ぇっ……、健介。僕が神だとしたら、この陽太は神に刃向かうのですがっ」
「…………。ん?ああ、カエルな。カエルか、……神様」
「カエルというか、ニホンアマガエルです」
「ケロッピーとかが好きなのか?」
「ケロッピー?なんだ、それは。ケロッピー?多分好きである」
「峰岸、……ペットの話をしてたのだ。というと、犬とか猫とか、せいぜいウサギとかミニブタとか、最悪昆虫だとしてもカブトムシとかだと思うのだ。メダカとか熱帯魚とかもまあアリなのだが……。今ペットの話をしているところでカエルが出てくるとは誰も思ってないからついていけないのだ峰岸には」
「カエルが何故いけない?健介、何故かダメだと暗に言われています」
「カエルか……。なるほどな。緑の、カエルが良いのか。あんまり考えたことなかったが、確かにな。別に害もないし、かわいいのはかわいいな。田舎に住んでると全然珍しくないからペットらしさはあんまり感じなかったが」
だから、カエルの人形か何か、そういうものでもミナコは喜んでくれるかも知れない。プレゼントを、今度は俺が、用意してやれるかも知れない。
クマとかだったらすぐ見つかるだろうが、きっとカエルは、……見掛けた記憶はない。でもカエルのぬいぐるみくらい、どこかしかには売ってるだろう。
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『俺は一体、いつまで歩いているんだ?』
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ついに今現在の俺の思考が混ざり込み、いつまで思い出しているんだと、気づくと、俺は公園までほんの何メートルかのところまで近づいていた。ぶつぶつと映像が途切れてノイズが走りコマ落ちして、俺はそのどうしようもない違和感に立ち止まる。
一体俺は、どうやってここまでを歩いてきて、どうしてその間の記憶がミナコの思い出話で埋めつくされるのか、立ち止まって考えざるを得ない。
俺はミナコに呼び出されてこれからミナコに会うわけで、その直前にもミナコの話題が出ていて、俺がぼんやり考える人間など大抵限られてはいる。だから俺は無意識に公園に歩いていく間、ミナコのことを思い出して、その思い出に酔ってみたり反省したりしてみて一向におかしいことはない。
ただ、どうして、こうも言い訳がましく、どうしてこう自省的にミナコのことを思い出すんだろう。何も考えずにただ日常を過ごしていたとして、ミナコはミナコで、俺がプレゼントを贈ろうが贈るまいが、きっと何もどうせ変わったりしないのに、俺は今『ミナコへの罪悪感』で足が重い。
ミナコに対して何ができたわけじゃない、何をしてやれたわけじゃない、何もできなかったけど、でも『仕方がなかった』と、俺は誰に言い訳をするつもりなんだろう。
『なあミナコ。……そうなるのが、どうにもならなかったのを運命と呼ぶのに、何を、そんなに怒ってる?』
『俺はそれでも、お前に対して冷たい振る舞いをしたり、ないがしろにしたりはしなかった。ずっと、お前の味方でいたかったのに、何がそんなに気に食わない?』
…………。
「健介は、場所を指定する前に電話を切るのをやめた方が良いのでは?酔っている?」
はっと顔を持ち上げると、すぐ目の前にミナコの姿があった。ミナコが来るまで少しばかりは待ち時間があるだろうと思っていたのに、もう俺の目の前に立っている。
俺より先に到着していたのか、あるいは今しがた到着したにしろ、なんだ、いくらなんでも早過ぎる。
「ああ、ちょっと酔ってる。もし、真剣な相談事だったらすまん。だが、仮に酔っていたとしても、真剣な相談事なら真剣に考えて真剣に答えよう。で、場所を?指定って、いつも公園だったろう?どこか行き先があるのか?」
「遊ぶ場合は、陽太の家が近いのでこの公園で集まることは多かったけれども、今日は健介の家に上げて貰う予定でした。健介の家に行きたいという希望です」
「…………?珍しいな。それはその、陽太の家以外という選択肢で俺の家だって話か?陽太に聞かれたくないみたいな……」
「別に陽太に聞かれたくないかどうかは問題じゃなく、健介の家に行きたいという希望です。何か都合が悪いでしょうか?」
「都合……。いや、都合が悪いことはないが。…………?俺の家に来たところで何もないぞ?逆に、例えば、……俺はお前の家に行ってみたいな。どこにあるかすら俺は知らんが、お前の家もそこまで目茶苦茶遠くはないんだろう?」
「健介は、私の話をしっかり聞いていますか?私は健介の家に行きたいと言っている。ただし、無理なら無理だと言ってくれればそれで諦める。その時はこの公園で話していても構わない」
「じゃあ、俺の家に行こう。……どうした?珍しくご機嫌斜めに見えるぞ。そこの自販機でジュースを買ってやる。なあ、落ち着いて、ゆっくり、お前の言いたいことを説明してくれ」
「…………。じゃあ、水が飲みたいです」
「なんか困り事か?」
「いいえ」
「じゃあ心配事か?」
「…………。きっといいえ」
「大したことじゃない。きっと解決してやれる」
「…………。うん」
財布を取り出して千円札を自販機に入れ、ミナコの方へ首を向けた。困っている顔、困っている顔だろう。だがいつもと違う困った顔に見える。
いつもより困っているのか、いつもと違った困り方をしているのか、あるいはそんなものとも違うとして、どうやら少し、深刻な雰囲気らしかった。
俺に見られていることに気づいてか、ミナコはバツが悪そうに顔を背けて、続いて下を向いたままで頭上のボタンを的確に押しペットボトルの水を手にした。
「さあでは行きましょう。健介は先程、『俺の家に行こう』と言った。なので、そちらへ行く」
「ん、あれ……。飲まんのか?」
「健介は飲みますか?健介の家に着いたらお茶を淹れてあげることもできます」
…………。笑顔が、引きつっていなかったか?一瞬、頬の筋肉が不自然に震えているように見えた。が、ミナコはさっと先頭に立ち、俺の前をすいすいと歩いていく。足取りが重いとは言い難いし、俺がついてきていることを確認した際には、ニッコリと自然な笑顔を浮かべていた。
だからおそらく、飲み物のプレゼントが功を奏してか、ミナコの緊張も少しは抜けたんだろうと思う。
ミナコが俺の家を訪れるのはこれが三回目になる。過去に二回、家を訪ねてきたことはあった。ただ、家の中に上がることになるのはこれが初めてであるし、そもそも、俺の家に来たいなどと言い出したことですら初めてだった。
今までそうだったのにはいくつか理由がある。まず陽太が面倒くさがりで集合場所に来ないことが良くあった。必然俺たちは陽太の部屋を訪ねることになり、あれこれする間にそのまま居座ったりする。
ミナコの家ならどうだろうという話になると決まってミナコは『都合が悪いです』と見学を拒否した。
俺は今まで別に表立って『家に上げたくない』などとは言わなかったが、まあ正直、俺の家で遊ぶということになったら少し抵抗はあるのかも知れない。今まさに、俺の家でどうしたものかと考えている。もちろん『何もないところだ』とか『他の場所の方が良いんじゃないか』とか言う。なんとも説明の難しい、なんとなくの抵抗がある。
とりあえず、二人で歩いている間、俺は軽い世間話のつもりで今日催されている最中の祝賀会について触れた。そのついでに店長がミナコのことを誉めていたとか、陽太はやはり抱き枕を作ってくれるそうだとか、そんな当たり障りのない話題を静かに話していた。
「店長さんが誉めてくれている。へぇ。陽太はそして抱き枕を作ってくれる。とても嬉しいことです。けれどもなんというのか、もはやそういうことをして貰う正当な事情がありません。私が今そこで働いているわけではない。そしてこうなると、健介は私がそこで働いていた時に陽太と店長以外の全員を追い出したということも知ったのでは?」
「ん……?」
「知らないなら別に良い。知っているならなおそれが良い。健介は打ち明ける必要のないことを、無理をしてまで聞こうと思わないであろうし、知っていることをわざわざ何度も確認したりはしない」
「いや、……知らんな。陽太が、あれ?お前が?…………?それは知らない。…………。ああ、じゃあ陽太も何か隠してるわけか。お前があそこで働いていたという事実すら伏せられてたからな。そうか。別に無理に何があったか聞こうなんてことはしないだろうが……、それはなんか勘違いじゃないのか?全然お前に対して怒ってる様子もなかったし、戻ってきて欲しいと言わんばかりだった」
「それならそれは良い。ところで別の話をしましょう。どんな話題でも良い。どうでもいい話であったとしても構いません。陽太が飼っていると言い張る金魚のパックンの話をしましょう」
「まるでつまらんものの代表であるかのようにその話題出したな……。金魚か、金魚なあ……。そうだ、そういえば、お前はアマガエルが好きだったろう。ニホンアマガエルが」
「健介がまるで金魚のパックンがつまらんものの代表であるかのように話題を逸らしている。ニホンアマガエルは確かにかわいい。好き?好きと言った覚えはない。かわいい動物といえばニホンアマガエルがかわいい。かわいいので、飼いたいとは思いました。しかし、上手く飼育することができなかった。僕は例えば、水の中で泳いだことがありません。泳ぐのは多分とても楽しいだろうとは思っている。けれども、泳ぐのが好きなのか、あるいは楽しいのかと言われたら、かなり微妙なところである。満足にできるのなら多分好きである」
「だが、ケロッピーが好きだとか言ったろう?」
「健介が、……?よく覚えている。僕は当時、ケロッピーというのはニホンアマガエルの造形や生態を概念としてあらわした言葉だと思っていました。動物として好きかと言われたら飼育ができないので上手く答えられない。カエルの絵ならかわいいから見ていたいと思う。それは多分好きということになる。僕が持っていても絵は困りませんので」
少し驚いたようにこちらを見上げて、歩幅が変わる。大分落ち着いて、一人称も僕に戻っている。ミナコの中には、もしかして、一人称の使い分けについてなにかしら線引きみたいなものがあるのかも知れない。
例えば、緊張している時なんかは『私』を使って、普段は『僕』だったりするのかも知れない。まあ滅多なことで『私』を使っていなかったからサンプルが少な過ぎて結論は出せないが。
「ああ。色々と思い出して……。そして俺は、お前の誕生日にプレゼントを買ってやらなかったろう。お前が何を気に入るのか悩んで……、結局分からなかった。生物としてのカエルはともかく、カエルの絵ならお前は欲しがるみたいだ。多分その分類ならカエルのぬいぐるみなんかもお前は気に入ることだろうと思う。……内緒にしておいて、お前がどんな顔をするのか楽しみにしていても良かったが、先に確認しておいた方が安心かも分からん。例えば俺が、カエルのぬいぐるみを渡したら、お前は嬉しいか?」
「……?もちろん。健介は?おかしな質問をしていませんか?誕生日に?僕はゲームを貰った。これは健介が出資している。誕生日に?プレゼントを贈らなくてはならないルールがあるわけではない。僕が何を気に入るか知らなくても、僕は嬉しいのでは?しかも気に入るというのに?僕は何を確認されている?」
「どうせなら大事に持っていて欲しいというだけだ。言質を取っておいて、『一応カエルだろう』と言い訳するために聞いたというだけだ。リアルなのとかデフォルメされたやつとかでかいのも小さいのもあるだろうから。まあ気長に待っていてくれ。まだこれから探す」
「では待っている。待っている。やった、やった、何か貰えるらしい」




