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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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八話㉓


「ではここは残します。撫でられました。誉められました。こちらこそ、健介にはありがとう」


 ご機嫌の、代名詞のような、いつものような、笑顔を浮かべた。そしてご機嫌笑顔のまましばらくまた歩いていく。


「あ、トトロ?……トトロがいますが。健介はトトロを知っていました?トトロがいます。人っぽい『トトロ』がいます」


「あの人はトトロっぽい『人』だ。人っぽいトトロではない」


「でも、あれである。アニメで見る分にはとてもかわいいのですが、実際現実に見るとこんなもの、か……。正直、あれはでかい人とあんまり変わらない……。…………ふんふん♪新種のトートロ、トートロ♪トートロ、トートーロ♪極々まーれに、三重県にも住んでるー♪」


「ちょ、ちょやめろ、本人に聞こえる、や、やめろ……っ、おいっ、こら、……こ、こっち見てるから、おいっ」


「あ、はい。どうも初めまして。フィ……、と、まねぎしみなこです……。トトロは何語で喋りますか?見たところ中トトロだと思います。何年くらいで成トトロになりますか?あと、何故靴を履いている?足のひらの肉球を触りたいので、えぁぇ、ですから、靴を脱いでください。私も脱ぎます。代わりと言ってはなんですが、笹をあげます」


 ぐいと、間に入った俺を押し退け……、ちなみにこの時、ミナコは明らかに俺の股間を手のひらで押したもんだから正直うわぁと思って体が硬直してしまったわけだが、どうやらわざとじゃないどころか、俺の存在を障害物程度にしか認識していないようだった。


 で、そのまますたすた喋りながらこの夏場に何故か毛皮のコートを着たでかいおっさんに向かっていく。


 その人は確かに、目がぎょろっとしていて、恰幅が良くて、全体的に丸っこく、毛皮のデザインもなんとなく灰色でトトロっぽくはあった。暑い中何故毛皮なのかという疑問もあった。


 元々変人のミナコが、自分の名前すらかみかみなほどに寝不足で幻覚にそそのかされると、こうなるのは特に不自然には感じないが、……雑草を引きちぎり笹だと嘘をついてあげるから肉球を触らせてくれとせがむのは……、確かに、まあ、特に不自然でもないようにさえ思えたが……、いや、人によっては侮辱と受け取っておかしくない。


 トトロっぽい男性もその失礼な振る舞いに気づいたのかあるいはヤバイ奴だとすぐに察知したのか唇をひしゃげさせて首を筋立ててわなわなと肩を持ち上げ小刻みに動かした後、ミナコに背を向け早足で去っていってしまった。


「今、少し理解をした……。アニメはアニメであるから。現実と区別して考えなければならない。だから、陽太……」


「陽太はお前のおじいちゃんと一緒にトイレ行った。待つか?」


「昭一おじいちゃんがいない……。陽太、だから」


「陽太はトイレに行った」


「ああ、健介でも良い。というか、もはや健介くらいにしか相談できない。旅の恥はかき捨てという。実は先日、先日といってももう一月以上も前のことですが、陽太から相談を受けたことがあります」


「俺しかいなくて悪かったな……。大丈夫か本気で……。具合悪いならまずほら、そこ座れ」


「寝不足以外は何の問題もないと思っています。わたし、ああ、それよりも僕の恥を聞いて助けてくれたりしますか、健介は?」


「なんだ?見ず知らずの人をトトロ呼ばわりして怒らせたことか?」


「怒っていましたか?いいえいいえ、まあとにかくまずは聞いてください……。ちなみにこういう相談をしたことを陽太には内緒にしてくれますか?これはその……、陽太は健介のことで困った場合など相談しても内緒にしてくれているようです」


 陽太に内緒にしてくれというのすら意外に思ったのに、更にそれを上回るショッキングな告白ではあった。俺で困っていた、そんな馬鹿な。俺が常に困らされているのに、何故その中でこいつまで困っているんだ。


「え、おい……。お前、俺でも困ってたのか。不満があるなら直接俺に言った方が解決しやすいだろう……」


「そうでしょうか……?ともあれそれはですね、現状問題にはしていない。今、今陽太のことでの相談があります」


 その後ミナコは、『人に聞くと馬鹿だと思われる』、『健介は自分のことを既に馬鹿だと思っている』、『そういうことで、健介に聞いても損はない』と三段論法らしきもので、俺に相談する正当性を主張し、続けざま俺の引きつり笑いに陽太からの問題とそれに対するミナコなりの解説を投げつけた。


 陽太の問題というのはアニメの作中の演出についての疑問、らしいが、初速が秒間何メートルだろうが、質量が何キロだろうが、『エネルギー弾とかいうものの正体が、おそらく放射線の一種』だというよく分からん理屈が何故か前提にされている。


 多分陽太はそういうことを期待して聞いたわけじゃなかったんだろうが、質問がミナコの頭の中を巡ったことでかなり複雑なものに成り代わってしまっているようだった。


 加えておそらくだが、別に陽太はミナコに対して難問を出題したなんてつもりもないだろう。当人は聞いたことすら覚えていない可能性がある。一応、適当に理屈をこねて、ちょうど少し前に登場した『人っぽいトトロ』を例にして、アニメ作中の演出は視聴者に対するサービスを含んでいることを説明して、一応ミナコも、それには納得してくれたようだった。


 そして話を戻して、俺のことを聞いた。わざわざ触れた。一体いつどこで、俺がミナコを困らせたのか。


 ただしそうして確認をしてみたところ、結局……、俺が反省すべき材料は一つも見つからなかった。


 というのも、……いつそんな困り事があったかと聞くと、ミナコは、俺と初めて会った時のことだと言った。どこで、講義室でと、ミナコは答えた。


 俺はああ、あの時のことかと、ミナコを初めて見掛けた時のことを思い出しながらその困り事の内容を聞いた。


 ただしだ、俺が思い出す場面を勘違いしている可能性も捨てきれないながら、いや果たしてその後さえもそうだったろうと思うが、俺は多分一度として、ミナコから、『友達になろう』などと誘われていたりはしない。ましてそれを断った記憶もない。


『友達になってくださいと伝えても断られ、迷惑そうに立ち去ってしまった』などというのは……、などというのが、ミナコが陽太に、俺に関する困り事として相談した内容だと伝えられたが、俺自身まるで思い当たることがなかった。


 およそ断言できることに、そんな事実は、存在しない。単に夢や幻覚の話なのか、あるいは陽太のことを相談したいからとでっち上げた出来事だったのかも知れない。であるから俺は、確認を続ければミナコのその証言は簡単に綻んで瓦解するだろうと思っていた。


「健介が覚えていないのならいいです。もういいです。その話はあまりしたくはありません。ではなかったことにしましょう」



『例えば、陽太や俺がミナコを困らせることもあったろう』


 漫画の話からそうなったのか、それとも文化人類学とかそういった講義がこんな話題に成り果ててしまったのか、陽太とミナコは俺を真ん中に座らせたまま、幽霊がどうだこうだとくだらない言い合いを始めてしまった。


 席を立とうにも両隣を塞がれて逃げ場所のない俺のことにせめてどちらかが気づいてくれると助かるんだが、どっちも……、気づいてくれることなんてないだろうな。俺にはもう相槌すらやめて精一杯背もたれとの同化を続けている。


 ミナコの方も言い分が通らないことに些か困っている様子ではあった。元から引き際をわきまえないというか、引き際を察することが苦手なんだろう。多分悪気なしに余計なことを言う。そうして場を混乱させていく。


 陽太は陽太で、相手がミナコだというのに食って掛かられたことを真に受けて真剣になって反論するわけだが、……それがまた食いつけと言わんばかりに論理の破綻を含んでいる。


「ではさっきの僕の発言と矛盾しますが、その幽霊は透けていると思います」と、ミナコは妥協したかのように言う。


 ……善かれと思って引いたつもりだろう。だが、陽太は別にそれを認めさせたかったわけではなく、幽霊と妖怪とモンスターとお化けを一緒くたにするなと言いたかったんだ。陽太は妖怪博士だから……。


 だから幽霊が透けているかはあまり重要な部分ではない。なんなら棒読みで良いから『なるほどそうだったのか』で済む話を、余計なこと言ってこじれさせる。


 そして陽太が「じゃあ俺が透けてたら幽霊ということになってしまうのだが?クラゲの可能性もあるだろっ」と怒り出す。どこがどう落としどころか分からん謎めいた発言ではあるが、つまりは透けてるから幽霊だという分類は認められないという主張なんだろう。


 ただ、……お前は透けてないし、クラゲの可能性とかもないし、議論の題目はそこじゃなくてここだとかみ砕いた説明をしないとミナコには伝わらない。どうしてそれが分からないものなのか。


 で、そんなふうに揚げ足を見せつける陽太に対してやれやれ仕方ない奴だ、譲歩してやるかと、「では、……透けている場合は幽霊か、もしかするとクラゲの可能性があります」と、……ああ、ミナコはまた、火に油を、注ぐ。


 そんなやり取りを経て、どうしてか肝試しを決行するに至ったりする。俺は全くの無関係を装っていたつもりだったのに、むしろそれが災いしてなのか陽太から公正なジャッジの役割を命じられてしまった。


 興奮気味に鼻息荒く「じゃあ、肝試しをやる」と陽太は言った。「峰岸をぎゃふんと言わせてやるのだ」と……。そんなことになるなら早めに仲裁しておけば良かった。


 用事があればさすがに、それはまた今度にしよう今回はミナコが悪いなと、適当になだめてなんとか切り抜けようとしただろうが、ぱっと思いつくようなそれらしい用事はなかったし、一応、僣越ながら仲裁役は引き受ける必要があるだろうとは思ってる。


 こんなしょうもない言い合いが尾を引いて明日も同じことで言い合いしてたらさすがにそれは気が滅入る。不幸中の幸いといって良いのか、肝試しは俺の家からそう離れてはいない近所の、こじんまりとした墓地で行われることになった。


 どこかの寺に侵入しようというわけでもなく、遠方の心霊スポットを目指して移動する必要もなく、まあそのくらいであれば、散歩の延長みたいなものだ。時間についても大体夜八時くらいに集合となった。


 もちろん、おそらく幽霊が出たなどという証言は一つもないであろうし、元々『どの辺りから妖怪なのか』という論争が出発点なんだから、墓場で肝試しをしたところで何かがはっきりするようなことはないんだが、折角の手近な解決案に文句をつけてこじれさせたくはない。


 この時は陽太も遅刻せず、八時少し前に墓場肝試しが開催された。


「じゃあまず峰岸一人で回ってきてくれ」


「何故?やだ」


 実際に現地に集合してみるとよく分かるが、普通の家一つ分より狭いくらいの敷地に墓石が整然と並んでいるだけで、不気味さなど微塵もない。一周するくらいであれば一分掛からないだろう。一応街灯も近くにあるから、真っ暗というわけでもない。


「一人で回ってくれ」「やだ」


「一人で回ってくれ」「やだやだ」


「一人で回らないでくれ」


「…………?…………?やだ?」


「引っ掛かったな峰岸。じゃあ一人で回ってくれ」


「今、明らかな間があったのになんで引っ掛かってる……。ミナコ……、さっとぐるっと、回ってくるだけだぞ?」


「いいえそれは嫌ではありませんが、何故一人で行かなくてはならないのでしょうか?」


「峰岸は馬鹿なのか?肝試しというのは一人ずつ行くものなのだが?」


「馬鹿って言った方が馬鹿だという言葉があります。要するに陽太は馬鹿です」


 ミナコもさすがに、陽太の注文が不当だと不満が出始めたんだろう。肝試しはまあ、ここの場合は一人で回ったとして大した心細さもないものだろうから……、一人ずつ順番でというのは一応妥当な要求ではあるんだが、でもあれだな。総合的な話の流れから考えると……、確かに陽太は馬鹿だな。


「じゃあ峰岸も馬鹿って言ってるから馬鹿なのだが?」


「『不可能は愚か者の言葉』、と言った時に不可能という言葉を使ってしまっているナポレオンは何故か愚か者に含まれない、という問題は、馬鹿って言ったほーが馬鹿っ、というのに通じる。要するに僕は馬鹿ではありません。陽太は馬鹿です」


「なんかナポレオンまで馬鹿っぽいな……。分かった。じゃあ俺が先に回って、危険がないことを確認してきてやるから、それで良いか?」


「えぇ?そうなりますか?中間を取るとそうなりますか?いいえここは全員で妖怪か幽霊を探してそれを陽太がどう分類するかという話なのでは?」


「まあ、……そうかも知れんな」


「それで峰岸が適当なことを言うから今肝試しで勝負するとこなのだろ?今思ったのだが、名前が外国語のがモンスターで日本語のが妖怪という分類にもちょっと納得いかないのだ。じゃあアズキウォッシャーとかは一体どういう分類にするつもりなのだ峰岸は」


「だ、そうだ。出発点はそういう分類がどうとかだったが、今、それで決着がつかなくて、結局関係ないけど肝試しで勝負しようということらしい」


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