八話㉑
◆
「はいはいはい、俺が悪いのだなマジメンゴ!」
「ちょっとちょっと……。あんたほぼ初対面の人間にみんなそうなの?あたし普通の人間ってアンミぐらいの感じとか勝手に思ってたんだけど、……なんかあたし馬鹿にされ過ぎじゃない?」
「今気づいたかのような言い方だな……。もっと反論して良かったんだぞ本来は。普通に失礼な奴だから陽太は」
「金髪だからな。まあ、そういう理由はあるだろ。確かに言われてみると、『あ、言い過ぎたな』というシーンがあるな。ごみ箱蹴飛ばして大きな音を立てて周囲の視線を集めてしまった時なんかに『いらっしゃいませーっ』」
「??」
「そういう、一種の開き直りみたいな精神だと思うのだ。『なんだ、入店音か』ってなるからな。ハジメちゃんは金髪だから峰岸とキャラが被ってるしな。もうそういう運命だと思って諦めるしかないのだ」
「もう相当酔ってるから言ってる意味とか善し悪しとか分かってないというのもあるだろう。元も元だし、その上酔ってて……、あのな、お前は俺たちの友達とちょっとキャラが被ってる部分があったりする。陽太と俺と……、なんとなくもう一人そこに金髪がいると少し扱いが偏ったりもするんだ。俺もそれは自覚しててちょっと申し訳ないなとは思ってる」
「峰岸って誰よそれ。あたしと似てんの?見た目が?」
「ん……、ん……、お前よりちょっとだけ背は低い。それにあいつはツインテールになんてしてることないし……。瞳の色も違うし、あいつの方が、……若干顔が丸いな」
「でも金髪なのだが?」
「ふぅん、髪真似して遠く歩いてたらまあ間違うのかも知んないけど、全然今間違う場面じゃないでしょ」
まあ、正論だ。そもそも似てるから同じ扱いというのすら間違っている。
「いや、ううん……。遠目でも頭のてっぺんに髪留めの目印がついてるし、別に間違ってるわけでもないというか」
「じゃ間違えないんじゃん。大体金髪なのだがて……。あんたアメリカ行ったら全員とその子間違えるわけ?」
「そうかも知れないのだが、でも金髪なのだが?」
ハジメの中ではアメリカ人は全員金髪ということになっているのか。その理屈でいくと確かに、俺や陽太は、無差別にアメリカ人に失礼な発言をすることになってしまう。さすがにそんなことはないから、金髪だからということでも……。
「いやいや、だから遠目で間違えなさいよ。何?あたしが金髪なことまで馬鹿にしてんの?」
「別に馬鹿にしてはないのだが、ハジメちゃんがそういうキャラなのはもう定まってるようなものだからな」
「遠目でも……、多分間違えんなあいつは。動きとかで分かる。よく分からん動きで分かる。というか、オーラが……、オーラでなんとなく分かる。座ってる時でも何故かなんかあいつだけはよく分かる。別に間違えてるとかじゃなく、雰囲気が……。いや、雰囲気?雰囲気というのもちょっと違うな……。言葉にならない何かが似てるというだけだ。シチュエーションが似てるのかな。AとCに挟まれた数字の『8』は全然『B』とは違うが、だが人情的にBとして扱うのと似てる」
周囲の声が遠い。俺自身の声もぼやけているように聞こえている。かなりの量を飲んだのかな。途中から店長がやたら『大丈夫?』とか『酔ってる?』とか聞くものだから、結果として全く逆効果なことに、その度俺は『大丈夫です大丈夫です』と何故かグラスに口をつけた。
心配を掛けないようにとか、もう飲めないのが嫌だからとかそういうことでなく本当になんとなくの反応でそんなことを繰り返していた。つまり俺はもうかなり酔っているんだろうし、何を考えているのか分からないまま喋っている。
「はあ、へぇー、うふ、うへへ……。へぇん、あんたさあ、その子の右手と左手どっちが太いとか、分かんの?」
「右手だな。左手は一回骨折したとか聞いた。あいつは右利きだし、飯を食う時とかも全部右側に置く。わざわざ箸置いてカップ持ったりしてた。根っからの右利きで、荷物とかは右手でしか持たない。ただ、別に左手使うの嫌がってるとか不自由とかそういうこともないし……、そういやむしろ無駄に器用だ。なんの時だっけか……?『プラスチックの裏面に文字を書いたら表から見たら鏡文字になって読めない』とか、陽太がそういうこと言った時あったろう?ああ、覚えてないかお前は。……じゃあいいが。あいつはきょとんとして『左手で書けば良いのでは?』と実際にやってみせた。俺も試しにやってみたが、なんだろうな。無理だあれは。理屈は確かに、なんかなんとかなりそうな気もして、右手で習熟するよりは左手でやる方が混乱しないのかも知れないが、あんなすらすら書くのはやはりおかしい」
「へええー。して、女の子でしょ?」
「あ、ん?女の子じゃなくて、髪留めしてたりしないだろう」
「して、あんたその子のこと目茶苦茶詳しいじゃん。絶対間違えないとか言っちゃって」
「絶対?絶対って言ったか?いや、まあただ……、そうだな。不思議なことにミナコは間違えん気がするな。それを陽太と言われると途端に自信がなくなる感じはするな」
「ふふっ、はぁん?ふっふふ……。絶対間違えないんだへえー。好き?」
「好き?ん、びっくりした。お前からいきなり愛の告白をされたのかと思った。俺がミナコをってことか?」
『好き』だけ先に聞き取れて後の言葉がじんわり遅れて浮かび上がってくるように感じた。で、あるから、小首を傾げて微笑みながらこちらに『好き』と言ったハジメの目を慌てて見返したわけだが、よく考えるとこの状況でいきなり告白したりすることなんてない。酔ってても……。
「あんたさぁ……。漫画とかでよく見るわ。その子のこと好きなんでしょ。でも、好きでしょって聞くと違う違うっていうあれでしょ」
「なんだ、ん、自分の本当の気持ちにはっと気づくようなあれか?俺はそりゃ、好きだが……、好きだが別に切ない気持ちになったり胸がドキドキしたりしてない。おそらくあいつも全くそういう切なさとか胸ドキとかしてない。俺は例えば陽太のことも好きだが、陽太のことを見て胸がドキドキし始めたら精神科を受診する。お前を見て胸がドキドキし始めたらそりゃ恋かも知れないと思うだろうが、多分ミナコでドキドキし始めたらやっぱり精神科に掛かる。好きは好きだが……、いや、こういうのも含めて恋なのか?恋なのかな。俺は恋してるのか?」
「健介。そういうのを、恋と呼ぶのだ」
「あそうなの?だがなんか全然納得いかんな。お前も楽しそうに一緒に遊んでるだろう。その理屈だとお前も恋してる。そして俺はお前にも恋してる。まあまず恋仲になんかはならんことを前提としておくが、俺と陽太とミナコで三人で遊んでて楽しいわけだから、ある意味こう、小さなコミュニティだがアイドルみたいなものだ。お前も例えば、あれだろう?俺とミナコがくっついたら寂しいだろう?」
「ええ、喜んで邪魔しにいくのだが?すごく楽しそうなのだが」
「ほらな?祝福されないしな。俺は俺で陽太とミナコが恋仲になったらちょっと寂しいな。祝福はしてやるが」
「どんなぶっさいくな子でも、まあ女の子だったら多少ワクワクするのだが、峰岸の場合はそれすらないな」
「…………。お前、それ本人の前で言うなよ。かわいらしい顔してるだろう」
「今気づいたのだが、……ハジメちゃんもそういうのないな。なんの差なのだろうな?」
「あのさあ。ホント一個前の会話で本人の前で言うなって言われてんじゃん」
ハジメは全然酔っぱらっているようには見えなかった。体質なのか酒の種類か量なのか、表情もぼんやりしてたりしないし、口調もはっきりしている。声のトーンを上げたり落としたりという反応も早い。そして酔っててそうなのか、元から素でそうなのかという判定がはっきりいって難しい。
ナナとアンミとおっさんはいつも柔らかい表情で見ているだけで安心できる。ミーシーもあれはあれで安定して表情が変わらない。
ハジメは身振りも大きいし、分類不能なほどに表情が豊かだった。『あー』とか『いー』とか五十音全てに対応しそうなほど表情の種類が多くて、しかも切り替わりも早いし的確だ。全てのバリエーションを写真に収めて役者の演技指導か何かに使えるかも知れないレベルで多彩だ。
だから、……こういうのなんだろうな。陽太が遠慮ないことを言うのも当然といえば当然だった。つい反応を試してみたくなる気持ちというのは痛いほど分かるし、それに自制が効かない。
「まあ、……ミナコとは似てないのかもな」
そしてここが、ミナコとハジメの大きな違いともいえる。俺は……、あるいは陽太にしろそうなのかも知れないが、自然な反応をミナコから引き出すことに四苦八苦していた。
身振り口ぶりは大仰だが、笑顔も大層立派なものだが、分類してみればひどく乏しい感情表現であることが分かる。
『きょとんと顔の筋肉がまるで弛緩した無表情で考え事をしている最中か』、『下唇と眉を下げて首を左右に傾げる、困り事の最中か』、『目と口をぐっと固く閉じて眉根を持ち上げて息を止めたら、本人が言うには、反省している様子』とのことだった。
あとは大抵笑ってはいる。笑ってはいるが、……例えば当たり前のように『あっはっはっはっ』なんて笑い方をする。何が面白いんだ?という時に、『あっはっはっはっ』と笑う。
おそらく普通人間というのは、不意に訪れた笑いのタイミングに、口角をあげてちょっと堪えようとして一つ息を吹き出して、そして体を曲げて笑うのが自然だと、俺はそんなことを思う。
ハジメはそれができているから、例えば俺がひどいことを言えばきっと悲しそうな顔をするんだろうし、誉めそやせば自然な笑顔になるんだろう。怒った時は怒った顔をする。それは見ていて、とても納得感のある振る舞いだった。
そんな上手い具合のキャッチボールが楽しくないわけがない。ハジメの、色々な表情を見てみたくなる。
一方、まさか品位を保つことを大事にしているわけじゃないだろうに、俺はミナコの、いわゆる『ミナコ笑い』以外、とても印象が薄い。基本的にずっと笑顔だから起伏自体も侘しく感じられる。
……だから本音を述べるなら、ミナコの場合、反応を見たかったというより、反応して欲しかった。反応をしているのだと、分かる表情が欲しかった。
『壊れた?動いていないけれども、いや待て。大丈夫。大丈夫だと言い聞かせている。動いてはいないけども壊れていないさ、気分の問題さ。…………。ちなみに健介は怒っている?今怒られているので、目を閉じています。なんとなく直感的になのですが、こうしていると反省しているように見える気がしている。言外に反省している趣を伝えている。口ばかりではなくどうですか?反省しています』
「…………。そうなのか。そうか。まあ、反省している顔というのはその、人それぞれだろうからな。笑い方も人それぞれだろうからな」
「何がそうなのだ?健介がご飯と喋っているのだが」
「ん……?じゃあ、そうじゃないな。俺はもうかなり酔っているんだろう。脳みそが少しずつしぼんでいってる。そうするともうご飯と喋ったりもする。しょうがないだろう」
「そうかしょうがないな。しょうかしょうがないな」
まるで今隣にいるかのように幻聴が聞こえたりもする。まるで今あの時だったかのように頭が錯覚したりする。だがもう酔っているから、それももうしょうがないな。
料理はどうやら一時休憩を挟むようで、アンミとミーシーが二人揃って席へと戻ってきた。美味しいよ、美味しいよと咽び泣くように訴える店長に、ミーシーは「そうでしょう」と適当に返して、料理を口へ運ぶ。
二人の食事はこれから始まるようだった。このタイミングで料理を止めて戻ってくるのも俺たちの満腹度調整のためだろう。いくら美味い料理だとはいえ、作り過ぎて残ってしまっては後で困る。余れば持ち帰って食べるだろうが、荷物が増える。ミーシーはその辺りも調整済みだろう。
「ナナはもうこんなに一杯食べたの初めてで、どう?今重い?ブランチなんとかと、ブランチなんとかのなんとかふうなんとか食べた」
「なんだと?よし、ちょっと待ってろ。ほおれ、ぐぬぬぬぬっ、重いぞ。ナナはおっきくなったなあ」
「うっうわあ、ええ?ナナもしかしてこんな短い間におっきくなった?アンミお姉ちゃんとミーシーお姉ちゃんありがとう。ナナは美味しいものを一杯食べておおきくなれた。おっきくなったらしい」
椅子はまだあるから別にそんなことをする必要は特にないが、多分、ナナがアンミに椅子を譲ってやって、その代わりにおっさんの膝の上に乗っかったようだ。おっさんはナナの脇に手のひらを差し込んで椅子から立ち上がり、そのまま腕をまっすぐ水平に持ち上げてナナをぶらぶら揺らしてやっていた。
いくらナナが軽いといっても普通二十キロか三十キロか、あの体勢でああいうふうに簡単に持ち上げられたりしない。台詞の内容と裏腹におっさんのシワを寄せた表情はわざとらしさに満ちている。
「店長もおっきくなってるからお礼を言わないとならないと思うのだ。俺はそこまで大きくはなってないと思うのだが、こんな美味いの食べたの多分ホント初めてだ。ありがとう、というのはいざそうなると気恥ずかしいのだが。ありがとうの歌でも良いか?」
「僕、おっきくなっちゃった?いやあ元から横にはおっきい方なんだけどね。いやいや、ありがとうありがとう。ほんとに救世主だよ。あり、ありがたやの方が良い?拝まないともう。店長の僕からそれじゃあええと、店長美味しいもの食べて、おっきくなっちゃったっ。別におっきくなっちゃったからというわけではないんだけど、ありがたや。ありがたや」
「あ、りがっとぅありがとぅありがとぅありがとぅーっ♪」
「俺も、いつでもありがとうと思ってる。家族ならきっとただ、笑顔でいただきますとごちそうさまと言って、それがありがとうとして伝われば良いな……。…………。」
陽太の歌声のせいで右ポケットの中で震える物体に気づくのが一瞬遅れた。小動物かなにかかと思って右足を少し振るって携帯電話であることに気づく。
ところで、完全しらふのアンミ、ミーシーに、ホスト側はどう見えてるもんだろうか。結構もうわけが分からん感じにはなっている。




