八話⑭
「…………。あんたの夢を壊さないように一応黙っておいてあげようと思ったんでしょ。でもよく考えたら確かにもうあの頃からこいつ純粋さとかそういうのなかった、目とか全然きらきらしてなくてかわいげが全くなかった。仮にあたしが最初っから『そんなもんあるわけないでしょ』って言ってたらあんたすごすご残念がって部屋戻るんじゃん、可哀相だから騙されてあげたんでしょ、まったく」
「でもその頃ハジメは根っからのインドア派で名前の通りじめじめしてて、一般人から見たらちょっと理解不能な趣味しかなかったでしょう?スマートフォンとか携帯ゲーム機ならまだ分かるけど、カーナビのデモ走行で矢印が旅するのを見守る、ちょっとキモイ趣味しかなかったでしょう?どこかおかしくなってしまう前に、ツクシでも探させてた方がマシだと思ったのよ」
「事の経緯はどうあれ、外に遊びにいくと面白いものがあるぞと、多少嘘ついてるが、一人で遊んでるハジメを心配して声を掛けて誘ったという、そういうエピソードなんだよな、きっと」
「そうなの?いやんなことない。だってそんなら普通に外行こうって言えば良いじゃん。どうせニヤニヤ笑いながらあたしのこと呼び出して心の中で馬鹿にしてたのよ、ムカツクっ」
「自己紹介の練習しなさい。『あたしの名前はハジメちゃんです。趣味はカーナビのデモ走行画面を見て矢印が旅するのを優しく見守ることです。うふふ、北海道に着くまであと四十時間かあ。頑張るなあ……』。キモイでしょう?まだ幻のでかいツクシ探してた方がマシでしょう?」
「想像力が豊かなんだろう。時刻表とか旅行雑誌とか見て楽しむ奴とかもいるだろうし。ああそういえば俺の友達など手乗りサイズの地球儀の上にミニカーをゴリゴリ擦りつけて旅行気分だと言ってたりもした。『ブゥンブロロロ……。こうやって遊ぶ。ゴリゴリゴリゴリ、世界を旅してる気分になれるっ』……ってな。その気持ちは分からんでもない。俺はその時、なんというか……、日本列島より車の方がでかくて、もはや陸地とか関係なく車が海の上を滑走することが気になって仕方なかったからいまいち旅行気分にもノリ切れなかったが……、だがきちんと滞在計画を決めて世界一周旅行をしていた。細かいことにいちいち文句をつけなければ純粋に楽しそうなものだ」
「……あんたの友達何歳よ。あんたフォローしてるつもりなのかも知んないけどちっちゃい子と一緒にしないでくれる。あたしのはデジタルだったし、ちゃんと道路走ってんだから」
「あ?なんだと。こら、お前こそ俺の友達をちっちゃい子呼ばわりするのをやめろ。そして俺がちっちゃい子とお友達かのような想像をやめろ。少なくとも三か国語は話せるちょっとすごいお友達だぞ。ドイツ語でお腹が空いた時何て言うか知ってるか?……座り込んでお腹を押さえながら助けを求めるように片手を力なく伸ばして『フンガー』と言う。『ふんがぁ……、フンガー、フンガー』。何て言ったか分かるか?ドイツ語で、『フンガーさん、お腹空きました、フンガー』という意味だ」
「それ、なん言ってんのか分かんなくてもあたし野菜くずとかあげてみると思うんだけど……。なんも持ってなかったら草とかあげるわ」
「いや、俺が忘れたというだけでちゃんとした言い方もあったはずだ。イッヒハーベフンガーとかな。そしてあとおそらく、ドイツ語にだって『野菜くずとか草じゃなくてちゃんとした食べ物をください』という、そういう言い方があるはずだ。お前はお前で野菜くずじゃなくてちゃんとした餌……。……ちゃんとした食べ物とかをだな、小動物じゃなくて人だ。小動物的な一面があったりするし、俺も今ちょっと言い間違えてお前の発言に文句を言う資格を失ったが、俺のお友達は人だから野菜くずじゃなくて、ちゃんと栄養価の高そうなものを与えてくれ。レタスとかをあげてくれ。……あと、トマトは食べれない。トマトを与えようとすると怒るかも知れない。怒らないかも知れないがトマトは捨てる」
また十分ほど歩いてから俺たちの集団は一旦足を止めた。おっさんはナナを店先に待たせて一人店内へ入っていき、俺が買い物の手伝いついでに何か買い足りないものとか欲しいものがないかをメンバーに確認している内に、袋一杯の酒瓶を両手に持って戻ってきた。
まあ店構えなどから察するに酒以外の取り扱いも少なそうだ。無駄がないのか、それとも単に酒ならなんでもよくて目についたものをごっそり買ってきたのか定かじゃないが、おっさんは特段急いだ様子もなく、買い物を済ませるのが目茶苦茶早かった。
土産の体なら酒は一本で良いだろうし、自分で飲むにしろせいぜい二本もあれば十分だろう。
娘が世話になるからとかそういうことで大量買いしたなら、なんとも見上げた義理堅いお父さんだ、と歩き始めるまでは思っていたんだが、買い物の内容をミーシーに無駄遣いだと指摘された後、「全部飲むから無駄遣いじゃない」と大見得を切っていた。
「……スーツの上からでも腕の筋肉の形が分かるほどの重量っぽいんだが」
「元から俺はムキムキだからな」
「……というよりも、内臓を全部詰めかえても入らない量に見えるんだが」
「瓶だと、かさ増しに見えるからな」
「そうなのか。まあ……、それなら良いが」
おっさんはミーシーの予知適用外なんだろうし、果たしておっさん自身の予知に、酒に対する自制が含まれているのかというのはかなり不安がある。まあ、飲みきる必要もないだろうし、飲みきれる量だとも思えない。単に多めに買ったというだけか。
「健介、心配しなくていいのよ。私は無駄遣いを叱っただけで、酔って暴れるようなら私が責任をもってトドメを刺すわ。酔っていれば酔っているほどトドメは刺しやすいでしょう?まあ暴れたことはないけど、ゴリラが暴れるとものを壊すんじゃないかと不安なんでしょう。何はともあれ私がトドメを刺すから安心しなさい。骨を折ったら少しは動きが鈍くなると思うから、そしたらトドメを刺すわ」
「不安を煽るな……。お前らのケンカの方がよほどの大惨事になるだろうが。酔って動けなくなったら介抱してやるくらいのことを言ってくれ」
「ゴツいから重いでしょう。動けなくなったら、縛って丸めて転がすか紐で括って引きずるしかないわ」
「だあいじょうぶだって。家に帰れるくらいにはしておかにゃなってことぐらいはわあかってるから。なあんにも元から心配することなんて一つもない」
未来を見通す能力者の言葉が、これほど信用ならないとは……。少なくとも家になんとか帰れるくらいであればセーフだとか思ってる時点でかなり危うい。酔って暴れてものを壊したら……、どうしよう。店長が泣くかも分からん。
飲み過ぎるようなら、節制を求めなくてはならんな。酔うと暴れると決まっているわけじゃないが、暴れ出したら止めようがない。
まっすぐ道を歩いていくと、いつからそうしていたのか店長が店先で待っているのが見えた。こちらのことにすぐに気づいてぴょんと一回跳ねて大きく手を振って合図をした。
俺は軽く頭を下げただけだったが、おっさんは酒瓶の袋を持ったまま大きく手を振り返してダッダッと走り出した。それを追うようにしてナナも遅れて駆け出し、アンミはおろおろと俺とおっさんの方を交互に見る。
まあ大した距離じゃないし一応俺も駆け足気味についていくことにした。アンミはどうやら、後ろの二人組を、説得しに向かったんだろうか。ハジメはついていこうとしているようだったが、ミーシーを気に掛けて初動が遅れたようではあった。
結局ハジメが手を引こうとしてミーシーがそれを嫌がり、ミーシーも渋々なのかトントントンッと軽やかに走り出す。本当にふわふわに見える。俺も月面で走ればあんな感じなんだろうかと思うくらいに体重を感じさせない走り方だった。
で、どうやらおっさんも店長も俺たち全員の到着を待っているようで二人、ナナを含めて三人でこちらを眺めて手を振っていた。全員が到着すると店長が嬉しそうにきょろきょろとそれぞれの顔を見る。当たり前だろうが俺はまあ、その対象外のようだった。
「ああ、ああ。来た。来たね。どうもはじめまして。僕がここの店長の満田です。よろしくね。ああ、ええっとね、はじめましてなんだけど二人のことは知ってるよ。二人のことは、知ってるんだけどね」
「どうも初めまして店長さん。ご挨拶が遅れちゃいましたがお父さんのスイラです。娘がお世話になります。ほら、並んで自己紹介しろ?」
「はじめましてはじめまして、お父さんでっかいなあ。自己紹介もうやっちゃう?ちょっと粘って良い?いやあ、二人のことは聞いててさ、ミーシーちゃんて名前珍しいし、ちっちゃくてかわいらしい子だからすぐ分かるって。でもちっちゃい子二択だね。かわいいのは両方ともかわいいから良いんだけど。二択かあ……。こういうの僕よく外すからさ。お父さんはお父さんなの見てすぐ分かるんだけど。それとご丁寧にどうも。お父さん来てくれて良かったよ。よく考えたら最初お父さんに挨拶してないとマズイかなって今思ってさ。健ちゃんが話をしてくれてるとは思うんだけど、改めて、よろしくお願いします。この店ぎりぎりなところだったから、料理できる子が何がなんでも欲しくて。ああ、喉から今ことわざ出そうなんだけど。なんていうんだっけ?」
「ん?河童じゃないですか。ことわざっていうと河童しか知らんな。『河童のくせに泳げんとは……』でしょ?アンミがアルバイトをしたがってるみたいで、世話焼いてくれるところを健介が紹介してくれたんですよ。こっちも仲良く楽しくやれるのはありがたい。これお土産なんでどうぞ。つまらないものですが」
「河童の……、ええっ、お土産?いやあこっちが助かってるのにそんなお土産?」
「があっと飲んだらすぐなくなっちゃうもんだけど、折角パーティー開いて貰うならこういうのも用意した方が楽しめるでしょう。みんなで乾杯しましょうよ」
「ぱあーっと。良いねえ。いやあ良かったお父さん良い人だった。そうだよ。おめでとうなのにお酒は用意してなかったもんね。健ちゃん陽ちゃん、お酒のことなんにも言わないから。さっすが。どうこれ健ちゃん?お土産をその場で出すって変?」
「どう……、と言われても。別に飲んだら良いでしょうけど……」
「純米大吟醸だって。僕もそんな普段お酒飲む方じゃないけど、お言葉に甘えてね、おめでたい席だし頂いちゃおうかな」
「…………。あと、店長、自己紹介を先にしましょう。ところでどれがどの子だっけと翌日以降にやられるとこの会が正直意味の分からんものになるから、先に自己紹介をやってください。店長も飲むなら片づけの後にしてください。じゃないとこのダンボール敷いてめでたい会をやることになるから」
「そうそう。ごめんごめん。ええっと、さっき二択までは絞ったんだけど」
「…………。別にその、クイズとかではないんで、順番に自己紹介するのを聞いてやってくれたら良いです」
「そう?じゃあ僕から。ええー、さっきも言ったけど満田です。でも、呼ぶときはてんちょーで良いから。みつたって自分でも最近言いづらいんじゃないかなと思っててね。みつたさんって普通に言ってても、みったんとかみっちゃんと聞き分けられないんだよね。女の子のあだ名って名前がみから始まると大抵みっちゃんじゃない?僕はもう割り切っててんちょーの方が良いかなって思ったわけ」
極めてどうでもいい部分に言及した自己紹介だが、まあ店長らしい、というか、俺もなんか最初そういう感じのことを言われたような気もする。
偉そうにしてるとかが欠片もないし、威厳やカリスマなんてものも微塵もないが、俺は多分こういう感じの店長の自己紹介を聞いて、ホッと息をつける場所なんだということは分かった。
リーダーシップがあるようには到底見えないが、それでも店長からはソファのような懐の深さと求心力が感じられる。温かさと柔らかさとか、そういう雰囲気がもう体中から出ている。
だからできることなら、面接は面白陽太で賭けをするより店長に出てきて欲しかったし、バイトを始めるということに先立ってアンミには会わせておきたかった。結局、陽太は陽太でどの道会うわけだから今回前後してどうこう変わることもなかったかも知れないが。
おっさんとミーシーを除いた他のメンバーはどうしたものかとお互いの顔を見ていた。店長の自己紹介の終わりがまさかそこだと思わないだろうし、自己紹介するにしても順番をどうしようか迷うものだろう。
俺も誰から自己紹介をするべきなのか悩んだ。年長から……、だと思うんだが、ハジメは目をぱちくりやって言葉を失ったかのように呆然としているし、アンミはきょろきょろ周りの出方を窺っている。
ミーシーは……、何を考えてるのかよく分からん。自分が率先すべきだと思ったら普通に行動するはずだが、とりあえずは黙って立っている。ナナは、……と目線を向けると「ナナです、よろしくお願いします」と、ちょうどはきはきと挨拶を開始して、ぺこりと頭を下げた。
「うんうん、よろしくね。ナナちゃんはなんて呼ばれてる?僕はてんちょーって呼ばれてるよ」
「ナナはねー、ナナって呼ばれてるよ」
「そうだよねー。ナナちゃんって名前だもんねえ」
すごく自然な、大人の対応だ。俺など小さい子相手だとちゃんと言葉が通じるか吟味して話し始めを躊躇するのに、店長は馬鹿にしたふうでもなく変に畏まることもなく、子供の相手ができている。誰が相手でもそうであるのは素直に尊敬できるところだ。




