二話⑩
「ギャグで言ってるんじゃないんだよな、健介は。ものすごくダサ格好悪いことになってるのに気づいてないのか?」
「ぐちぐち言うところがか?言うな。自覚してる。で、理由はなんだ?忙しいからか? 」
「うわあ、マジなのだな?数カ月レベルで健介を黙らせる切り札を手に入れてしまった。中止になったのがなんでか、理由を聞きたいのか?理由は至ってシンプルなのだが、ちょっとこれは勿体ぶって話を引き延ばしたいな。健介は峰岸と会えなくて不満だったわけだろ?そして俺をなんか約束を忘れてる奴かのように言ったのだが、健介は約束したのがいつだったか覚えてるのか?」
「約束したのが?約束をしたのは一カ月くらい前だろう。正確な日付までは覚えてない」
「いや、会う日付のことなのだが」
「会えるって言ってたのは今週末の土曜だろう。今月の第三土曜だ。それ以外はスケジュールが埋まってるみたいな話だった」
「今の発言が矛盾を抱えていることに気づかないのか?引きこもり過ぎると良くないぞ?全然気づかなさそうだから理由を明かすのだが、シンプルにな?なんで中止になったのかというと、健介が約束の日に公園に来なかった、のだと聞いてるのだ。俺があくまで峰岸からそう聞いただけだから、俺も現場を確認してたりしないのだが、今までの健介の発言からするとマジに行かなかったのだな。俺はその、まあ峰岸と健介とで二人でイチャイチャして気まずいから俺に嘘ついたのかなとか思ってたのだが。それかまあせいぜい待ち合わせ場所とかでケンカしたりしたのかと思ってたのだが」
「来なかった?何を言ってるんだ。俺が来なかったってどういうことだ?」
「どういうことも何も、先週の土曜日、朝から峰岸は公園にいたわけだが?」
「なんで?あいつが一週間勘違いしてたってことか?」
「健介、今日何日か分かるか?峰岸は別に勘違いしてないぞ?」
そう言われてもまだピンとこなかった。だが陽太の顔はやれやれといった様子から変わらない。冗談を言っているような表情をしていない。ただただ呆れて、ため息混じりの苦笑いを浮かべている。
「え、……ちょっと待ってくれ。カレンダーを見せてくれ」
「ううんとな、ほれ」
陽太は携帯電話を取り出して、カレンダーを表示させて俺に見せた。カレンダーには今日の日付に、印がついている。今日の?…………?俺はそれを見せられて、それをしっかりと見つめて、何故そんなところに印があるのか、今日を示しているわけじゃなくて何かの予定日を示しているんじゃないのかひとしきり疑って、陽太がどうして半笑いでそこを指さすのかが、分からないでいる。
そしてそれを呆然と眺めてしばらくして、とうとう、首元に嫌なひくつきが這った。
「?あれ?……いや、そんな、……ことあるか?嘘だろう?いつの間に、だって?ん、先週……、あれ?」
「健介、数は分かるか?ここがな、いーち、で、にーい、次がさーん、今いくつだ?」
「先週の、土曜は……、だって?あれ?俺はその時、お前、来週が楽しみだなあとか言って……、たぞ?」
「それ言ってたのは先々週とかだろ。まあ、多分先週になっても同じこと言ってたのだな。で、四だぞ、ここは。今が四週目なことは分かるか?」
「分かる……。ちょっと、テレビ、ニュースとかに変えて良いか?俺はまだ自分がやらかしたことが信じられない。一週間間違えるとか相当阿呆だぞ?約束の日付を間違って覚えていたとかならまだしも、俺はちゃんと三週目の土曜だと、分かってて、それで間違ったのか?」
「まだ間違いを認めないのか?というかそうすると峰岸に謝ってないんだろ?」
「そう、だな。……すまん、陽太。お前にも謝らないとならん。悪かった」
まだ半信半疑だったが、ニュースを見ると確かに、俺の約束した日はとうに過ぎ去っていることが、文脈やら雰囲気やらから知らされた。そして、何より衝撃的なことに、俺はどうやら今日が何日かということすら、分かっていなかったようだ。
アナウンサーは今日とそれ以前に起きた出来事をハキハキと述べていて、まさかそれが予報だったりもしないわけで、……そうすると俺は一週間分かそこら、カレンダーを見間違えていた、ことになる。
それはかなり、まして不満を述べた後となっては、極めてダサ格好悪い上に、頭も悪そうだ。
「数字が……?陽太、算数の問題を出してくれ。俺は自分ではある程度頭がはっきりしてるつもりだが、もしかして数字の概念を失っているかも知れん。そうじゃないとちょっと説明がつかない」
「ええ……、面倒臭いのだが。なんかそういう言い訳をし始める精神性が鬱陶しいのだが」
「そうだな。分かる……」
「ああ、で、一応、これは反省を促すために事実を伝えておくのだが、峰岸もちょっと鬱陶しいことにだな、……気持ち悪いことに、俺に電話してきたのは夕方だったぞ。健介が来なかったのなら俺の家来るか、そうじゃなくても電話くらい入れて確認したら良かったのにな」
「あいつは携帯電話持ってないからな……。お前の家に行けば良いところだが……。まさかとは思うが」
「夕方まで公園で健介のこと待ってたんじゃないのか?そこまで突っ込んで聞いてないのだが。普通に二人で遊んでて俺のことは忘れてたのかなとか思ったのだが、健介は確かにもうその時から電話繋がらなかったからな?峰岸には嘘ついてるだろとは聞きづらかったしな?」
言いながら陽太は携帯を引っ込めてしまった。
「電話?……すまん。ちょっと携帯貸して貰って良いか?ミナコにもちゃんと謝っとかないとマズイ」
「え、やだ。俺の携帯から掛けたらなんか俺が健介を説得して謝らせたみたいに思われるだろ。一人の時に電話したらどうだ?俺がここにいると素直に謝れないだろ、健介も。まあ、ボケーっと公園で待ってるというのも大概なのだし、お互い様感はあるかもな。健介に言ってないというのも意味不明だしな」
「いいから貸してくれ。素直に謝るし、ありのまま俺が間抜けだったことは伝えるから」
「ええ……。俺はこの件はさすがに中立でいたいのだが。健介の分が悪いからな。じゃあこうしよう。俺が峰岸に電話して、それとなくな?健介の話題を振ってみることにするのだ。健介のことをどう思ってるのかとかな?そしたら、どれくらい怒ってるかとかも本音が聞けるだろ。健介が反省してたと言っておいてやったらちょっとは健介からもな、事情も説明しやすいと思うのだ」
「そんなまどろっこしいことしなくても謝ると言ってるだろう。あいつの本音は……、まあそりゃ、俺に遠慮して黙られても困るが、怒ってるかとかそんなこと聞かないぞ、もう。怒ってないと言っても謝るし、許すと言われてもお詫びは考える。なんなら馬鹿だの阿呆だの罵ってくれとお願いしたいくらいだ、これに関しては」
「良いのだぞ、別に。なんなら時計が壊れてたんじゃないかとか言ってすっとぼけても峰岸になら通用するんじゃないのか?」
「それはさすがに無理だろう」
「脈拍計貸してやった時、表示がゼロになってただけで心停止したとか報告しにきたのだが?」
「あれはギャグで言ってたんじゃないのか?そんな深刻そうな顔してなかったから」
俺が話している間に、陽太はすいすいと携帯画面を操作して、そして机に置いた。続けて発信とスピーカー切り換えをトントンと指で叩いた。全く躊躇いもなく電話掛けるんだな……。
まあこの事件の犯人じゃないから普段通りの感覚で発信するものか。携帯電話がプップッと鳴った後、プルルルルの一区切りも待たずに音が切り替わった。
「カシャーンカシャーンカシャーン、ピンポーン、ラッキー♪」
プル……、くらいでおかしな音で切り替わった。
「もしもし峰岸?繋がってるのか?クソみたいな着うたかと思ったのだが?」
「はい、繋がりました。陽太はちょうど良いタイミングで電話をしてきますね。良いタイミングです。色々と」
「そうなのか。それは正直全然どうでもいいのだが、どうなのだ?最近は。まだ忙しいのは続いてる感じなのか?」
「実はですね、こもりきりの生活から解放され掛けている。仕事らしい仕事をしたことのない陽太には想像できないかも知れませんが、今まで休むといっても休みは結構アレだったのです。仕事の進捗を気にしながらもやもやしながら休むか、仕事をなんとか進めてその反動を抱えながら寝不足で休むかというそのどちらかだったのですが、そうすると外の空気というのはむしろあれでした。眩し過ぎるし高気圧酸素みたいにふらふらします。頭が馬鹿になっている気がします」
「頭は……、馬鹿なのだが?峰岸は」
「いいえ、そんなことはありません。僕はそういう気がするというだけでしっかりと正常です。陽太は馬鹿です」
「総合的な面では峰岸の方がよっぽど馬鹿なのだが?一挙一動馬鹿なのだが?」
「なんだと?いいえそんなことはありません。誤解です。さて、何か用があっての電話なのでは?忙しいのは変わりがないので、手早く話してくれると助かります。そういった不便を掛けて申し訳ないので、陽太のために寝る間を惜しんで一発ギャグを考えておいてあげました。聞きますか?」
「……まあ、じゃあ、聞くのだが」
「では、題名、永き眠りより目覚めしセミっ♪」
「…………」
「ミ゛ーン゛ミ゛ーン゛ミ゛ーン゛ミ゛ーン゛、ミ゛ーン゛ミ゛ン゛ミンミンダーハー!」
「…………。なあ、あの、一応用はあって電話してるのだ」
「解説を聞きますか?」
「……まあ、じゃあ、聞くのだが」
「セミというのは昆虫の中でも長命な生き物です。しかしですね、その多くの時間は地中で幼虫として過ごします。地上に姿を現してからは、せいぜい一カ月程度で死んでしまうそうです。ミーンミーン。なんと哀れな……。それならいっそずっと地中で過ごしていれば良いのに。しかしでもそうなると、ああして元気に鳴くことはできないわけです。それを眠眠打破と掛けています。セミの鳴き声かなと思ったら眠気覚ましの商標名に繋がるという面白さがあります。分かりましたか?あ、マズイです。ちょっと忙しくなってきた。どうせ陽太は大した用事ではないのでは?切っても良いですか?またの電話に期待します。ええと、それでは」
「…………」
「おい、切られてるぞ……」
「いや、健介……。流れ聞いてただろ?俺は全く悪くないと思うのだが……」
「…………。一カ月、会ってなかったからなのか、話の聞かなさが悪化してる気がしてならない。こんなもんだったか?元から」
「一方的につまらんギャグと解説を聞かされて終わってしまったな。逆にな?怒ってたりメソメソしてたりはしてなさそうだし、それはラッキーといえばラッキーなんじゃないのか?」
「ああ、その件には一切触れられなかったけどな。とりあえずありがとう。帰ってちょっと謝罪文組み立てて電話してみることにする。機会があったらまたアニメの続きも見せてくれ。今日は悪かったな。急に連絡して押しかけることになって……」
「いつものことじゃないのか?開いてるなら勝手に入って良いぞ。知らない奴がいたらビビるのだが、健介は別にいてもそのまま寝たい時寝るしな」
「そうか、助かる。じゃあな陽太。また今度」
ミナコとの約束については、完全に俺の失態によるものだが、弱り目に祟り目か。ここ一週間ほどの事件の重なりというのは不幸の連鎖の始まりのように思えてくる。
まあ、謝罪対象も謝罪内容も明確だから、取り返しのつかないことでもないだろう。詫びて済むのなら安いものだし、許してやらないなんて意地悪なことをミナコは言いそうにない。
むしろ心配なのは俺の側のスケジュール管理能力の方だろうな。日常に支障が出た覚えもないが、あんまり続くようなら認知症を疑わなくちゃならない。あと故障といえば携帯電話も、こういう……、端末粉砕、シムカード紛失の場合はどういう手続きになるんだか。単に紛失したと伝えたらなんとかしてくれるもんなんだろうか。新しいのを用意しないとまた電話が繋がらんと文句は出るだろう。お金も掛かるが、粉々の破片を見つけてくっつけるわけにもいかないし……。まあ、近い内に携帯ショップで相談してみよう。
とぼとぼと伏目がちに歩いた。家に帰れば魔法使いの女の子二人がいて、喋る猫がいるわけか。憂鬱とまではいわないが改めてその珍妙不可思議な光景を想像してため息が出た。別に実害があるわけじゃないんだが……、全員かわいらしい見た目をしてるんだが……。家に辿り着いて玄関に手をついてから、やはり開けるまでに数秒は必要だった。
隣の家から聞こえているのかと思ったが、どうやら居間の辺りで誰かが掃除機を掛けているようだった。
せっせと、アンミは掃除機を掛けていて、その働き者の左足には電源コードが巻きついていた。それを引っ張り掛けてよろよろ、足元に気づいて片足を上げてひょこひょこ、ふらふら、危なっかしい遊びをしている。
「ただいま……。大丈夫か?」
「あっ、うん。おかえり。……?大丈夫。わざとじゃないよ?」
「わざとじゃないと思うし、わざとだった方がよっぽど心配だが……。掃除機を、一旦置いてな?転ぶぞそれだと」
「うん。心配しなくても大丈夫。解決できる」
と、言ってる割には掃除機から両手を離そうとしないし、コードを視線で辿ってぐるぐると首を振って重心が左右に揺れていた。さすがにずっとそんな状態で掃除してたわけじゃないだろうから、たまたまタイミング悪く俺が見掛けたということだろうが、不器用そうには見える。
別に華奢だったりしないのに、掃除機のホースの重さに引っ張られて上手く片足で立つこともできないのか。足をぺっぺと払うだけの動作を随分とバランス悪くやっている。まさか結ばれてしまっているのかとも思ったが、別にそういうことでもなかったようで、しばらくしてコードが足から離れた。
「あのね、今引っ掛かっただけ。それに取り方も分かる」
馬鹿じゃないよというアピールなんだろう。あえて言ったのかそれがむしろ余計に、いつも引っ掛かってそうな発言に思えたりする。おっとりのほほんとしてるのとセットかも知れんな、そういうのは……。
「無事なら良いんだ。困った時には呼んでくれ。なんなら今もさっと俺に助けを求めてくれた方が解決は早かったかも知れない」
「健介が助けてくれる?」
「罠に掛かってたらな。ミーシーはどうしてるんだ?」