八話⑪
「はい、もしもし高橋ですが」
「おはよう健ちゃん、今日暇?」
「おはようございます。……暇ですけど、どうしました?」
「ええ、ええっと暇なの?暇ならしょうがないんだけど、急でほら健ちゃん暇かどうか分かんないのに僕電話してるんだけど、そうだそうだった。アンミちゃんミーシーちゃん暇かどうかって聞ける?健ちゃんはなんだかんだで暇じゃないかなって僕も思ってたし……、いいんだけど、アンミちゃんとミーシーちゃんが暇かどうかってところまでは分かんないじゃない?いやでも暇じゃないとしても夕方の五時とか六時とか、九時とかだったら暇かなあ?」
店長には珍しい早口な話し方だった。バイトが始まりさえすれば連絡先の確認なんかもされなくはなるだろうが、店長が俺を通して二人のスケジュールを確認しなきゃならない不便さなんかを指摘されたりするかも知れない。適当に誤魔化してうやむやにするのも少し気が咎めるが、同居しているという事実は聞かれるまで伏せておきたい気持ちもある。
「暇……、んん、多分、日中は特に予定はないと思うんですが、基本的にスケジュールはミーシーの管理だから一応後で聞いてみます」
「できたら暇って答えてくれるように聞いて欲しいな。健ちゃんそんな器用なことできる子だっけ……。一応、一応事情を説明しておくけどさ、昨日多分面接やったじゃない?僕が陽ちゃんに電話するじゃない?あ、ここはその、いいんだけど、僕はその、そのぉ、仕入れ先に挨拶行ってたわけ。言ったっけ?でさ、勝手にいなくなって困るよとか怒られてたわけ。それでそれで、急なんだけど、祝賀会みたいなのをやろうよって話にね。椅子も机も届いてさ。二人が入ってリニューアルオープンになって、僕はまだ二人に会ってないし、今準備とかしようかどうしようかばたばたしてるんだけど、仕入れ先の人が僕のとこの分余ってたのを回さなきゃならなくなってたとかで……、ほとんどタダで良いから引き取ってくれって言われた分の食べ物傷んじゃう前になんとかしないと……。あ、もういいや。陽ちゃんがさあ、陽ちゃんのせいなんだよね。僕はちゃんと予定立ててからじゃないと困るんじゃないって言ったのに、急にやったらサプライズパーティーだからとかどうせ大した用事ないはずだとかそういうこと言うもんだし、昨日は僕も気づかなかったけど、アンミちゃんとミーシーちゃんが暇かどうか分かんないじゃん。そういう感じ」
陽太がどういう企画をしたのかは知らんが、あっさりサプライズパーティー開催予定が暴露された。とりあえずパーティーやるのに都合が良い状況になったんだけどどうか、ということだ。
椅子と机が届いたなら俺と陽太は手伝いにいくことになるし、アンミもミーシーも店長とは顔を合わせてない。店長が迷惑掛けて引き取らざるを得なくなった食材があるから、それを利用してパーティーをやる。
いきなり開店して万一お客が来た場合に備えてアンミも事前視察が必要だろうし、店長陽太が余計な口を出さないようにあらかじめアンミの料理を評価して貰っておいたほうが良い。
そして、……タイミングはドンピシャだな。今我が家では食材が底を尽き掛けている。これはミーシー調整か。じゃあパーティーに参加するかはともかく行くことにはなりそうだ。
「ああ、事情分かりました。多分、多分二人とも暇だとは思うし、今日いつでもいいならこっちで二人の都合聞いてから折り返ししぅわっ、う……、な、はあ?」
「うん、お願いね。じゃあ僕もちょっとずつ準備始めておくから」
なんか陰ったなと思って振り返ると、いつの間にか背後には長袖ティーシャツ一枚の寒そうな格好でおっさんが立っていた。
ピンと指先を伸ばして手のひらをこちらに向けている。電話切れちゃったが、まさかストップコールか。確かによく考えたら肝心の保護者にアルバイト許可を取ってない。いやしかし、ミーシーは良いって言ってたのに……。
「そういや……、おっさんにはバイトの件は言ってなかったが……」
「ん?俺は知ってるから良いんだけど、向こうは知らんだろ?五人で予約しといてくれ。あと、目茶苦茶久しぶりに酒を飲みたい」
「あ、え、良いのか。五人でって、ハジメとナナとおっさんが追加ってことで良いのか?」
「まあそうだが。あと、ミーシーとお前な。アンミは招待されて当然な仕事をするだろうが、俺たちは全く関係ないのに飯食いにいくみたいなもんだからな。一応言っておかんとなんだこいつらってなるだろ?身内のパーティーに知らん奴らがぞろぞろ来て飯食って帰ったら不思議な事件だと思うだろ」
「……アンミはまあ確かに招待されて当然な仕事をするだろうが、ミーシーも一応面接を受けてアルバイトは採用見込みだ。そして、俺まで何で……、なんだこいつら側の五人に含めるな。俺はどちらかといえば招待する側の方だ。……というか、来るの?いや、来ちゃまずいことないし歓迎されるとは思うんだが、経緯とか反対するしないとかの話はしなくて大丈夫なのか?割と勝手に決めておっさんには相談してなかったわけで……」
「相談て……。困ってるとかならともかくあいつらがやりたいってことだと思ったんだが、なんかマズイか?」
聞かなくても予知で、ということかと思ったが、どうやら娘らのバイト程度にはいちいち口出ししない主義らしい。
保護者行方不明より少なくとも一回は顔を出してくれた方がありがたいし、店長も陽太も、下手をすると全く見知らぬ人がいたとしても一通り食事を終えて「ところで誰だった?」ということになる。だぶついた食材の量というのは確認すべきだろうが、陽太も店長も迷惑がるようには思えなかった。
「お父さんが来ると恥ずかしいわ。働いているところを見られていたら緊張して失敗するかも知れないでしょう。そしてそもそもお父さんが恥ずかしいわ。お父さんは家で一人で賞味期限の定かじゃないソーメンを茹でて食べてれば良いのよ」
「なんだと。お父さんはそういうの認めません。行くと言ったら聞かんからな。悪いが筒抜けだ、ははは。昼飯はパーティーだし、昼間から酒を飲む。おい゛ぢぃい゛ーっ、おい゛じぃ゛゜ー。……馬鹿にしてると思ったか?別に馬鹿にしてないぞ。予知の中でお酒を飲んで美味しかったから、美味しいという気持ちをお前にもな、伝えたかっただけだ」
おっさんが言い終わると、ミーシーは口をぽかんと開けこちらをゆっくり見て、『これよ?』という感じでおっさんを指さした。恥ずかしい気持ちというのが、俺にも分かるだろうと、そう言いたいのかも知れない。
「……ミーシーはどうしたいんだ?おっさんは行きたいということだし、俺とか。あと多分店長も陽太も反対しないし……、アンミが行く以上、ハジメとナナも連れていかないと飯がないだろう……。それかアンミに二回も飯を作って貰うか、ということになるとアンミも大変だし……」
「…………。分かったわ。というかもう本当に言っても聞かないのよ。健介はこういう男にならないように気をつけてよく見てなさい。親がこれだからアンミも私も苦労して良い子に育ってるでしょう。普通の子は無条件にお父さんとかの真似をしてしまいそうなものなのに、こうはなってないでしょう。ダメな見本が近くにあって、ちゃんとした自制心があると勉強になるものだとは思うのよ、これは」
「こうは、なってないが……、まあ」
「アンミとお前で性格違う時点で俺がどうこうじゃなくて元からだろ。素材を活かした、教育のしっ、しっぱ……、結果がこういうことになったんだがな」
「良い子には育ってるんだ、失敗とか言い掛ける気持ちもまあ、分からんではないが……、実は良い子には育ってる」
「お母さんみたいなところでしょう。母のように、……耳掻きできるわ。けど、されたことないでしょう。知ったようなこと言わないでちょうだい。あと、あなたの都合の良い妄想でエッチな子呼ばわりされても照れるでしょう…………。照れるわ、やめてちょうだい。そんな都合良くはいかないわ」
「ちょっと惜しいんだろうな」
「…………」
さすが父親というのか、とても適正な評価が下されていた。理性が急ブレーキを踏まなかったら無意識に『ああそうだな』と頷くところだった。
ともあれ、なんだかんだ言い合いをしているにしろ、二人の中で祝賀会は確定イベントだったようで、俺が弁解して許可を取って懇願して調整してなんてやり取りは全く無駄なもののように省かれている。この二人が行くと言えばもうそれはカレンダーに印された国民の祝日と同じようなものだろう。
「俺は手伝いがあるから昼前には行くが……、他はどうするんだ?」
「……みんな揃ってから行きましょう。適当な時間になるまで暇つぶししてたら良いわ。とりあえずハジメを起こしましょうか。折角ハジメが寝てるし、それをまず起こしましょう」
「いや、別にまだ寝させておけば良いだろう。意地悪で起こそうと言ってるように聞こえるぞ」
居間ではまだハジメがくぅくぅと眠っている。旅の疲れもあるんだろうし、畳に布団という環境に慣れてなくて眠りが浅かったのかも知れない。腹が減って目が覚めてようやく飯を食って寝ようとした時間が朝飯間近の早朝だ。
『多分寝てなさそう』という理由の輪郭を知ってる俺としては、せめて予定のぎりぎりまで寝させておいてやりたいところだが、……どうやらミーシーは俺の反対意見など無視してハジメを起こしにいくようだった。
止める方法が分からん。手を中途半端に伸ばした状態でおろおろミーシーに近づくと、ナナが仏間の戸をするりと開けて、こちらへ顔を覗かせる。
「ミーシーお姉ちゃんと健介お兄ちゃんは何してる?」
「二人でハジメに嫌がらせをしようとしてたわ」
「ナナねー、そういえばねー、健介お兄ちゃんがちゃんと自己紹介してないことに気がついた。ミーシーお姉ちゃんと自己紹介した?」
ナナも別にハジメへの嫌がらせを止めたりしないのか。それより俺が共犯とされた件を否定するタイミングがなかったが……、とりあえずナナのマイペースな質問のお蔭で、ミーシーも一時的に踏みとどまってくれたようだった。
「健介はあれでしょう。知ったかぶりするでしょう。だからちゃんと自己紹介できないのよ。あと、私は予知できるでしょう?仮に予知できなかったとしても、ダンゴ虫が触ると丸くなることだって触る前に分かるわ、ナナ」
「ミーシーお姉ちゃんはね、ダンゴ虫、触らなくても、丸くなるのが分かるって」
「うん、まあ……、いや、言った者勝ちみたいな気はするけどな。俺をすごいシンプルなモデルケースでたとえるな。見てりゃ分かると言いたいんだろうが、俺はダンゴ虫より複雑な心を持っている」
「ところでねー、だからナナはね、健介お兄ちゃんに質問ですが、健介お兄ちゃんは好きなのある?」
「好きなの……。幅が広いな。嫌いなものが大して思い浮かばないし、好きか嫌いかで聞かれたら世の中大概のものは普通だ。際立って好きとかそういうのはぱっと聞かれても分からない。あと、好きなものの中でも良いものとか悪いものとかがあったりするだろう。俺は別にプリンは好きとかでもないが、この世で一番美味しいプリンだったら好きかも知れない。まあ、気分とか状況にもよる。多分お金とかは好きだが、別に今はいらない」
「ナナ……、ねえ、プリン?一番美味しいプリンは持ってないし、ナナのお金はねー、そんなに大したことない」
好きなもの、好きなもの……。今どうやら俺はナナの質問に対してがっかりアンサーを返したようだ。とはいえ、ナナの年代に一体どんな答えが用意できるものなんだろうか。
ナナはテレビとか見てるのか、本とか読むのか、仮に俺が適当にジブリアニメが好きだとか言ったとして、手元には解禁不能なポニョしかない。ナナが見たことあるものの話を聞いてやるとして、俺が全然知らないのに俺が好きだというのはおかしい。
もし共通の話題があったとして盛り上がりどころが違う可能性もある。ちらっとだけミーシーの方を見たが、特に茶々を入れたり助け船を出したりはしなさそうだ。ここは一旦パスしてナナに聞き返し、で、それに合わせる形がベストだろう。
「俺はあれだな、ナナ。ナナが目の前にいて、好きなものとか大事なものとか、もうナナしか思い浮かばんな。…………。…………。なあ、ナナは何が好きなんだ?それをまず教えてくれると良い」
ミーシーやおっさんからのツッコミを一瞬だけ待ったがどちらも、ちょっと寒い空気を茶化してくれる気の利いた人物ではなかったらしい。




