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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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八話⑨



「…………」


 が、俺の予想に反して、異常なほどの、快眠だった。ベッドに戻った俺はあっと言う間に考え事をかき消されて熟睡し、あまつさえ朝食時間ぴったりに目が覚めた。


 これはちょっと……、異常なことだと思う。俺は解決しないことをうだうだと悩んで寝つけない種類の人間のはずだ。寝つけず寝不足で冷静な分析ができなくなる性質の人間のはずだ。


 何をこんな、落ち着き払っていられるのか自分自身で不思議に感じている。ただし、きっと……、その理由は割とはっきりしていて。


『俺はどうやら、そうあるように、望まれている』


 例えば市倉絵里にもそうするように言われているし、アンミ、ミーシー、おっさんにもそうあるよう望まれている。


 そしてそれはともかくとして、謎の……、『夢の女にも』、そうあるように望まれている。


 謎の人物が俺の思考を調整して精神のバランスを保っている。夢の女の目的は全くもって不明だが、少なくとも、あからさまな敵対キャラクターではなさそうだった。まあ、敵対キャラクターであれば、俺の精神を攻撃してあっと言う間もなく心を破壊していただろうし、俺の不都合に発展するように洗脳してきておかしくない。


 今のところ、そんな素振りはなかった。姿は見えても形がない。声が聞こえても音がない。そんな状況に、何故か不気味さがない。


 俺の妄想だと片付けられたら簡単な話だが……、今ですら俺は、……存在感と呼べるのかは分からないが、気配といって差し支えないのか分からないが、夢の女が『いる』のが分かる。


 で、本当に、いるとして、俺の頭が正常だとすれば、夢の女はアンミの味方なんだろうなとは思う。こっそり立ち回らなきゃならん理屈も思いつかないが、俺に何ができるかを探っていたりするのかも分からん。協力してくれそうな、協力させてくれそうな、そんな雰囲気は感じる。


 まあそれすら、今の俺には解決できるだけのヒントが足りない。であるから、深く考える必要のないことだった。


 とりあえずベッドの下を覗き込んでミーコの帰宅を確認する。早朝時点で帰宅済みだったのかも知れんな。無事で何よりだが、もういっそこいつの散歩コースと散歩時間を固定してしまいたい。あるいは昼間外出するように生活習慣を矯正してしまいたい。


 俺も早起きできるようになったし、朝晩散歩に出掛けるというのも良い。機を見て一度説得してみようか。ベッドの上で一度背伸びだけして、階下へ下りることにした。


「おはよう。意外というか……、ちゃんと起きてるんだな。ハジメは寝てるかと思った」


 時間通りに起きても俺待ちの朝食になるようで、もう他の人間は料理を目の前に座っていた。アンミとナナが声を合わせるように俺へ朝の挨拶をして、ミーシーも少し遅れて「おはよう」と言った。


 ハジメは相当眠そうに見えるな。誰かに起こされたのか無表情で半目で口はへの字に噤んでいる。台所の机だと総人数的に椅子が足らないからなのか、ナナとハジメは低い机で向かい合って座っていた。


「あのさあ、やっぱ考えたんだけどハァジメって呼ぶのやめてくんない?お前とかって呼んでくれてた方が良いのよ、なんか」


 眠いからか不機嫌そう、……?にも見えなくはないが、ハジメはなんというのか渋々の妥協案を申し出るような口調でそう言った。


「……?そりゃお前って言う時もあるかも分からんが。なんでだ?呼び捨てとかが気に食わないのか?」


「あぁ、……ま、いいや。あんまこっち見てハジメとか言うからあたしのこと言ってんのか分かんなかっただけ。全然あたしとあんた知り合いとかじゃないのに急に友達みたいに声掛けられたらびっくりするでしょ。そういうこと」


「どういうことだ、そりゃ。お前の方見てお前の名前呼んでたらお前のことに決まってるだろう」


「ハジメはウブなのよ、いただきます」


 気安く呼び過ぎとか、そういう抗議なんだろうが、あんまり俺の中に響いてきたりはしない。今更ちゃんだのさんだの付けたら逆に違和感があるし、ハジメも俺に対して敬語を使う様子がない。まあ俺も敬語で話し掛けられたくはない。


 ミーシーについては若干誤算があったとはいえ、この郷に入っては呼び掛け方など自然に決まってしまう。俺だけミヨちゃんとか言ってたら呼びかける度、ミーシー以外の全員がこっちを振り向きそうなものだ。ハジメもその内慣れるだろう。


 それ以上抗議が続くこともなく、全員のいただきますの後には「アンミの料理がやっぱり美味しい」と、そんな話題に切り替わった。


 ミーシーが、ハジメやナナと意外に、話さないという、それだけ少し気にはなった。ナナは食事の間中、ここにいる全員に遠慮ない視線を送り続けていたから、ミーシー以外は、自分の番になるとなんとなくナナに話し掛けることになる。


 アンミもアンミでハジメ、ナナに会うのが久しぶりだということで、あれやこれや聞かれてもいないここでの生活を話してみたり、そこから派生してバイトの件についてもいくらか、触れた。


 その辺り、ミーシーが会話に混ざらなかったのを少しばかり不自然にも感じたが、誰も気にしないのなら、特別なことでもないんだろう。全く話さないわけでもなく、話したがらない素振りもなく、嫌な空気にも全くならず、ミーシーはただあんまり喋らず、そして一番に食べ終えてごちそう様と手を合わせて、そのまま居間ではなく二階へ上がっていった。


 まあ、話す必要がないというのもあるんだろう。わざわざ本人が近況を知らせるまでもなく、ミーシーが何を楽しがったかを、アンミが話していた。結局二人で行動しているからどういう出来事があったかというのは共通なんだろうし、アンミにとってはミーシーがどう思っていたのかが大切なようだ。


 むしろアンミ本人の感想というのはないまま、ミーシーがここで楽しそうに過ごしていると、およそ、要約するとそんな感じの説明をしていた。


「ナナねー、さっきも聞いたけどねー、お兄ちゃん美味しそうにしてるから聞くけど美味しい?」


「ああナナ。さっきも答えたけど、美味しいな。俺もさっき聞いた気がするんだが、ナナは美味しいか?」


「ナナねー、美味しい。ほっぺたとろける」


 ナナは別に俺の接し方を気にした様子はないが、ハジメからはちょっと気持ち悪がられているようだ。俺だってなにもわざわざ気持ち悪い話し方などしたくはないが、……とはいえ、最初やはりこうして、小さな女の子がモグモグ美味しそうにご飯を食べている物珍しい様子に、耐性がない。


 ナナがご飯に向き直った後ですら、じっと見つめていたくなる。モグモグ、ゴックン……。


「……とろけたか?」


「うん?とろけた」


「ハジメは、……なんだ。あれか?お前もとろけたか?」


 にやけ顔を中和しようと思ってハジメにも目線を向けてみた。


「…………。なんでこっち見てんの?いや、美味しいんだけど。美味しいかってことなら美味しいんだけど」


「あ、そうだ……。スイラお父さんどうした?寝坊なのか?当然のようにいなくて誰もそのことに触れないんだが」


 アンミは『スイラお父さん』、ハジメは『スイラおじさん』、ナナは『スイラ先生』、それぞれ呼び名は異なるが、大体言うことは同じで、おっさんの朝は相当早いか相当遅いかの二極端で、しかも誰かの声掛けで起きたことは一度もない、だから今日もいない、今日は寝てる、と、そういうことだった。


「眠いってことでしょ。返事はしてるけど全然やりとり繋がらないしいつの間にかまた寝てんのよ」


「ハジメは眠くないのか?あれからだとそんな寝てられなかっただろう」


「ハジメ、ハァジメ……、はいはいあたしね。あんま寝てないし眠い。眠いてかだるい」


「だるそうに見えるな」


「まあね」


 夜食からそう経ってないわけだし、ハジメもそう空腹だったりはしないだろう。それでもパクパクと食事は続けていた。ハジメとナナはほとんど同じくらいに食べ終わり、俺もおおよそそれに合わせるようにごちそうさまと手を合わせた。


 少し遅れてアンミも食事を終え、食器を渡す列なんかもできる。それぞれやはり、再度ごちそうさまとアンミに声を掛けるようだった。


 食後、スイラお父さんがまだ就寝中という話にも拘らず、ハジメは特に遠慮する様子もなく居間のソファに腰掛けてテレビのスイッチを入れ、少しの間リモコンをいじって、多分気に入る番組がなかったからだろうが、首をのけ反らせて天井を眺めた。


 ナナも残っていた皿を運び終えるとハジメの隣へと腰掛けパタパタパタパタ足を揺らし始める。おっさんが寝てて、アンミは仕事中で、ミーシーは……、今部屋で何やってんだろうな。


 居間の二人が相当退屈そうに見えるし、ちょっと声を掛けてみるか、と俺が思ったのをまるで察知したかのように、ナナはくるっと髪を揺らしてこっちを見た。ニコーっと笑って足をぴたっと止めた。


「テレビ見てるのか?」


「ううん、あんまり見てない」


「そうか。暇だな。ハジメはその……、お疲れか?別に二度寝してても良いんだぞ。なんなら俺がナナと一緒に遊んでるし」


「…………。あたし疲れてんのかな。いや全然そんなことないのよ。疲れてるとかじゃなくてあたしら寝てたとこって畳じゃない?」


「寝れなかったか?」


「あたしベッドよか布団の方が良いのかも。寝心地がすっごい良かった。けどさ、なんての……、畳じゃない?」


「畳だな。匂いがダメな人とかもいるらしいな。まあ新品とかでもないから畳の匂いもそうしないとは思ってるが」


「あたしも匂いとかは分かんないけど。畳ってなんか懐かしい感じのもんでしょ。昭和……、昭和の、和紙のさあ、団扇とかみたいな。あたし和室って住んだことないんだけど、懐かしいっぽい雰囲気があるのよ、多分」


「ん……、ああ。モノクロテレビみたいなイメージか?俺もモノクロテレビは見たことないが」


「まああんま分かんないけどそぉ、そういうこと。なんか寝てた時ずっとさ、すっごい大昔の夢見てた気がする。寝てて夢見てるってよりずっと夜中映画見てたみたいな気分。…………あれ、もしかしてあたし今寝てる?寝てない?起きたら二十歳とかんなってんのかな。今これがすんごいリアルな夢だったりすんのかも」


「半分寝てる感じもするな」


「寝てるとしたらすごくない。夢なのに夢だって気づいてるわけじゃん。ほっぺた引っ張っても痛くないのって、なんなのこれ?元からこんなんかな?ほっぺた普段引っ張んないからどんなもんが夢なのか分かんないわ。あでも、腕つまむと痛いわ。夢じゃないじゃん。で、あんたは何してんの?」


「お前らが何してんのかなあと思って……。暇そうだから」


「あんたも暇なら……。アンミの手伝いかなんかしてきたら?あんまし邪魔とかになんないようにだけして」


 ハジメの提案を受けて、俺はナナの方をちらりと確認した。ハジメは寝ぼけて動けなさそうではあるが、ナナは……、やりたそうだ。やりたそうには見える。


 じゃあ、迷惑にならないようにだけ気をつけて、一回ナナを口実にアンミに仕事をねだってみるのも良いかも知れない。ミーシーが嫌がる可能性もあるが、なんだったら止めにくるだろうし、混ぜてやらせて徐々に浸透させるという布石にもなり得る。


 その内全員に分担して役割をこなせるようになれば、アンミがゆっくりくつろぐための時間もできるかも分からん。


 キィガシャンと裏口の閉まる音がした。どうやらアンミが洗濯物持って外に出たらしい。


「じゃあ、ナナ。アンミの手伝い一緒にやるか?」


「ナナそれやりたい」


「……あ、でも。……あんまさあ、洗濯した後のはいいんだけど、なんかこう、あるじゃん。脱いだ後すぐとかの触んのはちょっとやめて。別に洗った後のは堂々と触ってりゃいいけど」


「……やる気を削ぐな。アンミの手伝いをしようとしてるだけだ」


「はあ?じゃいーけど。別にどっちも堂々と触ってりゃいーけど!」


「ど、どこに……、怒るポイントがあったんだ。いや分かった。じゃあ、基本アンミとナナに任せよう。俺はあくまでサポートとしてやることにした。掃除……、掃除は問題ないよな?掃除で俺は頑張ることにしよう。洗濯とかは基本任せる。そういうことで良いか、ナナ?じゃあ早速行こう」


 ナナがよいしょとソファを降りるとハジメは大きなあくびをして目を瞑ったままぷくうと頬を膨らませた。それがしぼむのを確認してからナナと一緒にその場を立ち去る。


「男らしいな。あくびを隠す素振りもなかった。男の俺でも口もとに手をあてがうくらいのことは無意識でやるだろうが、ハジメはなんというか健康的でおおらかだな。その後、ほっぺたぷくうのワンアクションの意味は分からないが、あれは動物みたいで良い。わざとらしくかわいさを作ってる感じがしない。現にその動作全然かわいらしくはないんだが、それを気にしない感じの自然体というのが魅力だな。あ、今分かった。あくびをして、空気を一杯吸い込んで一応女の子だから口閉じようとしたのかな?もうかなり手遅れな感じはするが、それでぷくうってなったのかも知れんな?ナナはどう思う?」


 ナナに振るべき話題が分からない俺は、自分でも何故ナナに振るのか分からない話題でとりあえずの一呼吸を繋いだ。陰口のつもりはないが、ナナにもこのニュアンスが伝わるだろうか。俺は誉めてるつもりでいる。


「ハジメお姉ちゃんはねー、うんすごい気さく。気さくでねー、しかもノーベル賞も持ってる」


「そうなのか。……気さく。与作じゃなくてか?そしてノーベル賞とは……。ハジメはでかいこと言うんだなあ」


「うん……?よさく?ハジメお姉ちゃんはすごい与作?それでノーベル賞も持ってる」


「ああすまん。気さくで合ってるな。気さくだ。気さくで合ってた」


「似てるからこんがる?」


「こん、……がるなあ。良いな、こんがる。気さくでおおらかで、まあまさかノーベル賞まで取ってるとは思わんかったが」


 洗濯機の中身は既に回収されているようだったので、ナナを引き連れて裏口のドアを開けた。


 アンミは靴箱の隣に洗濯カゴを置いて一人車庫の中から外の様子を眺めているようだった。ドアが閉まる音でこちらに振り返り、俺たち二人を不思議そうに見た。


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