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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
137/289

七話㉙


『高田誠司は、彼本人の不老不死を実現する方策を見つけた』


 互いが互いを欲するさなかで、何処に轡を噛ませるかの小競り合いが引き起こされた。


 本来ならば無条件に馬が轡を噛まなくてはならない。主人が手綱を握らなければならない。


 それを覆す条件など、あり得ないことのはずだった。ただし、高田院長とトロイマンは互いに通じ合うように微かに目を細め、また、今にも食らいつかんばかりに牙を見せて笑い合った。


 そして今になって、それがどういう意味だったのか、少しだけ、分かる気がする。


 この当時高田院長や早川がどの程度の確信を持ってセラという存在を信じていたのかは分からないけれど、つまりは少なくとも十年前のこの日から、高田誠司という一人の老人が、何を求めているのかは十分に明かされていた、ということになる。


 高田院長はトロイマンがよほど期待外れでない限りは賭けに負けてやる義理がなかっただろうし、物見遊山のギャラリーから扇動される峰岸先生、米山先生を不自然なまでに賭けへ誘う必要もなかった。


 それほどに、高田院長が必死であった理由が、今なら、少しは分かる。


 確かに、研究所に留まる理由が傍目に明らかでない私のような人間は高田院長の目的には不適格だったろうし、紛れもない本物である早川ですら人格的には欠点が見て取れる。


 高田院長が欲しかった人材には、まさにトロイマンのような、無関心と無正義が不可欠だった。そして、そうさせるに足る彼女自身の強い目的意識が存在しなければならない。


 元々からの人間嫌いなのか、彼女は所内の一室を占拠した後、人前に顔を出すことをまるでしなかった。最低限必要な人間に対して、最低限のやり取りで報告を受け取るのみで馴れ合うどころか挨拶さえまともにはできそうになかった。


 一つの椅子に腰掛けてしがみつくようにしてそこを離れず、ただひたすらに研究熱心で、そして誰とも、仲良くはなかった。当初気遣うつもりで彼女を訪ねた何人もはにべもなく追い返されてしまったし、しばらくすると扉の前を通り掛かることすらタブーのような空気が出来上がっていた。


『研究の役に立つ早川忠道』と『賭けに乗らなかった峰岸昭一』とだけ、それが理由なのかはともかく、二人とだけは話をするだった。


 早川がいなくなったことを除けば、十年の間、彼女の所内での振る舞いは変わらずその一線を譲るつもりがなさそうで……、高田院長を後ろ楯に強引な指示が出ること、彼女がまるで他人と関わろうとしなかったことも相まってか、所員の間で良い噂は一つも立たない。


『冷血で非情で協調がなく、人を道具のようにしか思っていないのではと思うほどに強引で、かつ話し合いを試みようにも意思の疎通も困難なほど、何を考えているのかがさっぱり分からない』


 そもそものところ、彼女の研究への執着は異様に思われた。ただただ、結果だけを求めている。


 そのさなか、どこに、誰に、あるべき安らぎを求めるのか。私が今更になってから見た『あれ』は確かに心癒し合うお友達同士のように見えたのに、誰かが何故と疑問を抱いた瞬間、薄ら寒い茶番劇に成り果ててしまうから私は、


 ……当事者の一方的な言い訳を聞いてみたくもなった。


『それでも』と強い想いを語ってくれるかも知れないし、あるいは彼女の心の奥底を見透かして『そうであるから』と答えを見つけ出して聞かせてくれるかも知れない。


 結局のところまあ、たとえそれがどうであったとして……、最後には、アンミちゃんの願うようにしてあげることが、一番重要な、私の役割なのでしょうけれど。



『どうしてあげたいのでしょうか』


『あなたはきっと、望まない自分を望む』


『ただ自然なままの、平穏を望む』


『何事も起こらない、最良の出会いを望む』


『それ以上に、求めることなどありますか』


『あなたは、結末を変えるような選択はできない。スイラやミーシーが言うように、何一つ知らずにいても、幸福なままこれを終えられるというのに……。どうしてそれ以上が、必要なのでしょう。躓くことがあなたのためになりますか?わざと作る傷など誇らしく思いますか?身を投げれば誰かが代わりに救われるはずだと勘違いしていませんか?無意識に見返りを期待していませんか?依怙地で独善であることを、認めるのが嫌ですか?』


 俺はこんなふうに妄想を繰り広げて、何が現実なのかを疑うことなど、今まで一度もなかった。


 夢を見ている俺はそれが実在のことであるかのように何者かに現実感を押しつけられて、ただしもちろん俺の夢など、俺が今置かれている状況や俺が知っていることから作り出されるわけだから、市倉絵里のこと、トロイマンのこと、知りもしないことなどは、支離滅裂な破綻したピースで埋められていく。


 それを受け入れろと何者かが俺に冷たい目線を送っている。


 辻褄があっているのか分からない。辻褄があっているとして、それが実際の出来事なのか分からない。それが実際の出来事であったとして、俺が何かしら夢に見る以前に知っていることが混ぜられているだけのことなのかも知れない。


 ただ一つ、明らかにそれが夢であって根拠など全くなく、現実と違うものだと見つけられる理由があった。


 ……夢に見たトロイマンは、金髪碧眼でちんちくりんな、まるでミナコを幼くしたような容姿をしていた。


 そう、俺はトロイマンがどういう姿形をしていて、どういう人格の持ち主なのかを知らない。そんなものは思い出しようがなく、慌てた俺の脳みそが仕方なくあてがったのが、ミナコをモデルにしたであろう金髪の幼女だった。


 偶然にもミナコによく似た女の子がトロイマンであるとか、そんなものは万に一つも実際性がない。


 最近よくミナコの夢を見ていて、俺の脳みそは咄嗟の機転で穴埋めしたつもりなんだろうが、やっぱりどこか俺の脳であるからか、肝心な部分で間抜けだったりする。


 頭が疲れてるんだろうか。確かに見通しもなく背負い込んだという部分はあるし、おかしな緊張感に縛られていた時間がある。


「健介。これ、私自分でやるよりも健介手伝ってくれたりしないのかニャ?……健介気分悪かったりするかニャ?」


「…………あ、ああ」


 息を呑んで振り返るとタオルを何重にも巻き付けられたミーコが俺の部屋の真ん中辺りで首だけこちらへ向けごろんごろんと背中を擦るように体を捩じらせていた。


 短い前足を伸ばして柔軟体操でもしているように見えるが、どうやら濡れたままドライヤーを拒否して俺の部屋まで上がってきて、取り付けられたタオルを使って体を拭ってくれとせがんでいる。


「何回か、……何回も同じことを聞かれてないか?俺はそんなに元気なさそうにしているのか?気分が悪かったり体調が悪かったりしたとしても、別にそれほど心配するようなことじゃない。そして、手伝ってください、だろう。下で誰かに拭いて貰ってから来れば良かったのに、何をまた俺にそんなに甘えてくる」


「健介、拭いて欲しいニャお願いしますニャと言っているのに、聞こえてないみたいだったニャ。今こうして結構こんなんになってるニャ。下の誰かとは言うけど、私は健介にやって欲しいニャ」


「ナナが確実に好きだろう。アンミも多分猫は好きだ。ハジメは知らんが、見たところ苦手だったり嫌いだったりしないだろう。多分、面倒がったりもしない」


「…………。まあ、お互いどういう好きさかによるニャ。スイラよりハジメの方が猫は好きだろうし、ハジメよりナナの方が猫好きだろうし、大体この辺は年齢順で猫嫌いになってくものニャ。健介とミーシーだけは別で、アンミは更に別で、でも他がどうというよりも、私が一番懐いてる人に甘えて何もおかしいことはないはずニャ」


 こいつにも?好き嫌いなんてものがあったりするのか。俺に懐いているというのは結構なことだし、悪い気はしないが、もしかして……、冗談めかしていたものの、本気で人見知りする猫なのかも分からん。


「お前がナナとかアンミ苦手だったりするか?」


「健介、触れられて心地よいかどうかというのはその人の人格でも姿形でもなく、ましてや立場でもなく、ただ根拠なく偶然にも心惹かれるかで決まることだと思うニャ。健介がどれほど格好悪くても、社会的に惨めでも、人間的に非道でも、他人と比べるまでもなくまるで運命に導かれるようにして決まる、そういうことは誰にでもよくあることニャ」


「ミナコのようなことを言う……。それは要するに人の良いところを挙げられない時の言い訳だ。お世辞でいいから、健介の方が几帳面で優しそうで面倒くさがらなくてお前のことをしっかり考えてやれそうだと言え」


「健介が几帳面でなくても優しくなくても面倒くさがっても私のことを考えてなくても、ただ私は健介のことが好きニャから、なんの見返りがなくても健介のことを想っていて、健介を助けてあげたいと思うニャ。健介が、例えば私を助けてくれたみたいに、ニャ?」


「…………」


「どうかしたかニャ?」


「あれはな、考えてみれば理由があったのかも知れないな。俺は割合猫好きだから……」


 ……猫などどれも、しっかり凝視しないと同じように見えるから無条件な猫好き人間なども大層多かったりするだろう。俺が偶然にもたまたま猫が好きだった。


 猫はおそらく同じように、人間の顔など判別できたりしないだろうから、人懐こい猫は誰彼構わず人に寄っていく。普通の猫なら、人間だということで撫でて貰えるなり餌が貰えるなりで人間に寄っていく。そういうものだと思っていた。


「健介、人間は多分二種類に分けられるニャ。猫好きな人間と猫好きじゃない人間ニャ。けれど健介もいい加減、猫が好きだと言うのをやめて、私のことを好きだと言ってくれたら嬉しいのにニャ」


「かわいい顔して……。この家に猫がお前しかいない中で、猫が好きだというのなら、俺はお前のことが好きだということだろう」


「人と人と、猫と猫なら、好き嫌いはそう簡単なものになったりしないのにニャ」


 猫の事情は知らんが、人好きの人が誰彼かまわず人が好きで人に寄ってくことは確かにない。種類を問わず猫ならなんでも好きというのはミーコにとっては不服なものらしい。まあ、考えてみればそりゃ言われる通りだが、別に俺だって他の猫とミーコを並べられたらミーコを選ぶに決まっている。


「そう言うな。お前が人の形をしてたら、こうも素直にお前が好きだなんて言えないものだ」


「まあ、けれど、いくら健介が私のことを好きだと言ってくれたとしてもどうせ他の猫と混ざったらどれがどれかとか分からなくなるニャ」


「…………。まあ……、いや?分かるだろう。模様も模様だし、お前だけ喋るから分かるだろう」


「拭ってくださいニャ。お願いしますニャ」


「分かった」と言って括られたタオルを一つ外して頭から尻尾までごしごしと擦ってやる。


 拭ってくれとアピールしているからびしょ濡れなのかと思っていたが、せいぜいタオルに少し湿り気が移る程度であるから、もしかすると一応誰かが拭いた後にタオルを巻きつけたのかも知れない。


 ちょっぴりこの猫が甘えん坊なだけのようだ。わしゃわしゃと一枚で拭い終えて、もう一枚に替えてからある程度毛並みを整えてやる。ミーコも満足したようで、ころりと体を起こしてベッドの下へと入っていった。


 折角洗って貰った後だからそう思うだけかも知れんが、定期的に部屋の掃除をしないとミーコがモップ掛けの代わりになってしまうな。


 逆にいえば、わざわざベッドの下をモップ掛けしなくても、たまにミーコを洗うだけで綺麗になるのかも知れんが……。風呂は好きだと言ってたが、ちゃんと掃除もしてやる方が人道的ではある。


 さて、おっさんが入浴中でなければ、俺もお風呂入ろうか。携帯電話の電源を切って、まあ、一応持っていても不自然じゃないわけだから、机の上で充電だけしておこう。


 階段へ移動するとまたしてもちょうど、なのか、わざわざなのか、おっさんがこちらへ顔を出して俺を待ち受けていた。


「一緒に入るか健介。他がみんな一緒に入ってるからお前が寂しいんじゃないかと思ってな」


「いや……、狭いから嫌だ。おっさんが寂しいんだろう。娘と和解して一緒に入って貰えるように頼んだらどうだ?」


「確かに寂しいものだな。仕方ないからお前で我慢して一緒に入るか」


「狭いから嫌だ。本気で言ってるのか?だとしたらその誘いも嫌だ」


「まあそう言うなよ。目茶苦茶正確に百秒数えてやれるぞ。あと、ムキムキだし。お湯少なくても済むから。なんだ、恥ずかしがってるのか?」


「いや、狭いから嫌だと言ってるんだ。今日は知らんが普段はアンミとミーシーですら一緒に風呂入ったりしてないだろう。銭湯じゃない限り一人で入るもんだろう」


「じゃあマジックを見せてやろう。随分昔だけどな、その時はミーシーですらすぐには見抜けなかったとびきりのマジックがある。どうだ、知りたいか?やってみたいだろ」


 火の点いてないタバコを唇に挟みながら器用に話し続けている。本気で一緒に風呂に入ろうと思ってるんだろうか。そのマジックとやらは俺が一緒に風呂に入ってやらないと教えてくれないんだろうか。


「どういう……、マジックだ。風呂のお湯を七色に変えるとかそういうイリュージョンか?ちょっと興味はあるが……」


「いや、そういうのじゃない。おちんちんからシャンプーを出すというマジックだ」


「…………。ミーシーが反抗期になったのはそういうことするからだろう。いやまず、悪い影響を受けてたのは間違いない」


「その時はまだ素直で、おちんちんがついていないことを残念がってたな。どうだ、そのやり方を教えてやる。実際見た方が分かりやすいぞ?」


「見たくない……」


「なんか思い詰めた顔してるな?」


 おっさんはわざとらしい動作で手のひらを上げ、一つため息をついた。話題の切り替わりにドキリとしたし、何気なく逸らしていた視線を俺も真正面に、向けてしまった。


「まあ、元気出せよ」


 ああ、別に俺を問い詰めようというわけじゃないのか。単に励ますつもりで俺を待っていたのかも知れない。


「元気さが羨ましい。俺にも仕事があるなら割り振ってくれると良いな。そしたら俺もちょっとやる気になるだろう。いざという時頼られないのは精神的にも堪えるだろう。おっさんには分からんだろうが」


「ああ、なるほどな。そうやって言われると、逆に俺がお前のこと羨ましいくらいだけどな。お互い様だろう、そういうのは。お前の方が頼りにされてる」


「?現状、おっさんだけが頼りにされてると思うんだが」



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