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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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七話㉖


「さあ、どうかしら?アンミちゃんが研究所から出られたのは、早川が研究所を去った後のことだったし、実際に助け出したのは早川ではなくセラという存在だった。そして今なお追われているというのなら、どちらにしろ早川は不完全な方法を選んだことにはなる」


「…………?それは……、早川という男が助けられない、とは、言ってない、んじゃないのか?そもそも早川という男がアンミを助けようと思っていたのかすら定かじゃない」


「アンミちゃんのいる特別研究室に何度か訪れた後に、彼が手首を切った。たったそれだけのことよ。客観的な事実だけこうして並べると、まるで私が妄想に取り憑かれているかのような印象を受けるかも知れない。この件は当時から所内でトロイマンの謀略だなんだと騒ぎ立てる噂なんかもあったけど、そういうことももはや関係なしに……、『アンミちゃんが幸せでない以上』『早川は失敗した』と、私たちは受け止めざるを得ない。それくらい早川に対して無条件の信頼があった」


「それもおかしな話だ。アンミが幸せでない以上?なら、少なくとも研究所を出てから今まで、アンミは幸せにしていたはずだ。……はずだ、と俺は思っている」


「さっきの、……健介君が尋ねた、私がアンミちゃんを助けたいと思う理由について、少し補足しましょうか。早川にも数えきれないくらいおかしなエピソードがあるけど、アンミちゃんのことについても、よく知って、よく考えてくれた方が良い。早川にね、意地悪な皮肉を言ったことがある。人並みに愛されることを願ったりしないの?と。私が届きそうだったのはせいぜいそのくらいだったから、彼が妬ましくてそんな皮肉を言った。早川は五百近くの企業と百以上の団体に守られていて、申請さえすればどこの国も国籍を与えたがったし、当然というのか医科学に関わる研究機関はどこも彼の協力を欲しがった。それはともかく、……ご両親は六十七人もいるそうよ。内二人を除いてもちろん、血は、繋がっていないご両親がね。その両親とやらは誰も早川と血縁がない。もちろん早川には本当のご両親がいるわけだけど、にも拘らず、私こそあの子の両親だと、二十九組みの夫婦と七人が名乗り出た。年齢も国籍もバラバラでどう考えても早川と関わる機会すらなかった者までいる。つまりはきっと、おこぼれ欲しさに早川に擦り寄る欲深い人間ばかりではないのかと思った。私はね、そう思った。結局早川が……、才能に恵まれていなかったら、誰一人彼の側にいないのだし、そして、きっと早川の本当の家族ですら、早川忠道の才能に気づくことがなければ、……もしかして彼を愛さないのかも知れないと思った」


 それが一体、どうアンミに繋がるんだろう。これもまた関係のない無駄話の一つなんだろうか。研究所を去ったその男は、もうアンミとはまるで無関係に思われる。


 少なくともこの段階では、黒い女がアンミを助けたいと思う理由の補足や、アンミ自身に関わる話をしていない。


「けれどね、……きっかけはどうあれ、六十五人の内のいくらか彼らは、確かに家族らしく振る舞っているように見えた。早川はただいまと言って家に上がって、おかえりのハグをして、夕食を当然のように囲う。涙を流して喜ぶ……、まるで生き別れた、本当の家族のように振る舞う人もいた。おかしいでしょう?それは他人なのよ。似ても似つかない、偽物だなんて証明は簡単にできる、他人だったけれど。早川に言わせれば家族というのはね、そういうことらしいのよ。家族らしい振る舞いが家族であって、そこに利己的な理由や条件としての矛盾があったとしても構わないと、そういうことだった。だって、それらを超えるほどに、自分が家族だと思っているから。お互いに手を差し出した時にそれぞれが循環したと思える目に見えない気持ちというのが無償の愛であって、人の気持ちなど元よりどうしたって分かるものではないのだから、信じつつ与えたいと思う人のことを家族と呼ぶ。早川は、信じること、与えること、まるで、それが前提であるかのように誇らしげに語った。家族は、些細なことでは、ありがとうなどと言わない」


 そこまで聞いてもまだ、話が見えてこないなと思っていた。……が、一区切りの間に、思い至る。アンミが村に引き取られて、家族と過ごしていた日々のことを、そのエピソードを交えて、無償の愛やら、美や善だと、呼ぶつもりなのかも知れない。


「ねえ、私は……。私は、アンミちゃんを哀れに思ったし、アンミちゃんを見て初めて、早川が言うように振る舞えたのならどれほど救われるのか理解した。アンミちゃんは確かに研究所を出て家族らしい振る舞いをしてくれる他人に出会ったのかも知れない。アンミちゃん自身、家族を欲しいと心から願ったのかも知れない。けれどね……、定期的な報告を見聞きする限り、彼女は研究所にいた頃とちっとも変わっていなかった。元々の彼女の性質なのだろうし、彼女は家族がどういうものか知らないようでもあった。弱々しい遠慮がちな口調、よそよそしい他人行儀で傍観的な振る舞いで、ただ役割だけは無理をしてでもこなそうとして、そうして、自らの必要性だけは正当化する。本当の子であるミーシーちゃんとはまるで対照的だったから、それが余計に際立っていた」


「…………?」


 当時の、話なんだろうか。俺は確かに、アンミが村でどう過ごしていたのか、詳しくまでは知らない。だが、今現在、少なくともこの女も、アンミとミーシーは仲が良いとまで認識しているはずだった。


 ミーシーのお父さんのことも思い浮かべてみる。血は繋がってはいないだろう。ただアンミとの関係が険悪であるようには思えない。


「せめて幸いだと思ったのは、少なくともアンミちゃんは、家族にまではなれてないにしろ、ミーシーちゃんのお友達としては十分に積極的だった。アンミちゃんが甘えようとしなかったとしても、スイラお父さんもセラおじいちゃんも彼女にも分かるように愛情を注ぎ続けていた。アンミちゃんなりにあれこれ考えることはあったんでしょう。好かれるためのアピールを頑張っている印象は受けた。それがアンミちゃんの負担になっていたかは量りようがないけれど。身の丈に合わない大きな農具を抱えてふらふらと歩き回ったり、できもしない家の補修を無理に引き受けてみたり、まるで知識のないまま料理を始めて、美味しくないご飯を振る舞い続けた。求められてもいない的外れな芸を披露したがる卑屈なワンちゃんは、そうでもしないと餌が貰えないと思ってる。そんなことしなくていいと誰も言えないまま、……いいえ、きっとそれとなくは伝えたのでしょうけど、そうしてもう六年が経った。今それらがどれだけ上達したかは知らないけれど、今彼女がどれほど家族らしく振る舞えているのかは知らないけれど、おそらく奴隷が主人に仕事を乞うように、捨てられないための努力をまだ繰り返していることでしょう。何もしていなくても自分のことを必要としてくれる家族がいるなんていうふうに、アンミちゃんは信じていたりしなかった」


 これが、黒い女の、アンミを見た感想なのか?俺が知るアンミと、まるで重なる部分がない。


 ただ、嘘をついているようには思えない。何かを勘違いしているか、あるいは当時の状況だけから、現在を推測している。


 六年。六年は……、人を変えるには十分な時間なのかも知れない。元々はそうだったのかも知れない。とにかく黒い女は現在のアンミ像とかけ離れた想像を抱いている。


 それを訂正すべきなのかは少し悩んだ。黒い女がアンミに対して同情心を抱く理由がそれだというのなら、その理由を打ち壊すためにわざわざ発言すべきじゃないのかも分からん。


 あくまでその当時がどうだったなどは正直言い争っても意味がないし、今現在がどう家族らしいのかを俺が言葉で説明するのも難しいようには思われた。


 確かに、……仕事を引き受けがち、なのかも知れん。ただそれも徐々に解消されつつある。俺がその違和感で全く黙ったままであることに気づいてもいないのか、まだなお、女の話は続いている。


「さて、健介君。私は二つの極端なケースを知っている。早川はまるで、私にとっては論外だし、彼の生き方は真似しようとしてできるものでもないでしょう。共感よりも反感の方が強かった。アンミちゃんは私とよく似ていると思うわ。純粋に何かと何かを等式で結んで、その場凌ぎでやりくりしていく。例えばそうね、家に置いて貰う代わりに家事を引き受けてみたり、こうしてお話させて貰う代わりに健介君の幸せの手助けをしてあげると約束してみたり。アンミちゃんと私とで違うところがあるとすれば、……中身の計算部分かしら。どう考えても損をしている時、それでもアンミちゃんは笑顔で振る舞っていた。人間的な美徳とでもいうのか、そういうものが私も欲しくはなった。そして最後。……あなたのことが知りたい。トロイマンと、あなたのことを。結局のところ、私が気になっているのはそういう部分よ。人それぞれ考え方は違うから、あなたが何を差し出して何を求めるのか知りたい。簡単な引き算のお話で、二つから一つを引いて、残ったのがあなたの心。お話を聞けば、あなたの中でどんな数字でどんな計算が成り立っているのかきっと分かる。あなたがどうしてプラスなのか分かれば、私も同じようにできるかも知れない。そして、私は……、アンミちゃんを救ってあげられる。健介君もミーシーちゃんも幸せにしてあげられる。たまたまそういう立場にいた。私は最後まで直接その場に出向くことはできないけれど、アンミちゃんとミーシーちゃんとを間近に見て、あなたが一体どう思うのか、また、健介君はどの程度それを察してあげられて、その尊さを理解するのか。利害の天秤に掛けた時、あなたは何を比べて嘆いて喜ぶのか。良いサンプルになってくれるのではない?健介君は心が綺麗そうだから……」


「サンプル……?」


「いいえお友達というのかしら。あなたの心が知りたい。あなたの心がどういった言葉で表されるのか、そういうものに興味がある。あなたをお手本にしたい。あなたとお話しているととても楽しく思える。心が豊かになっていく気がする。あなたとの関係を深めたい。そう、お友達に、なりたい。相容れない価値観も、互いに譲れない道理もあるでしょう。そうであっても、本心を包み隠さず誤魔化さず語らう仲でありたい」


 黒い女は語り続けているようで、その途中途中、俺の反応が気掛かりなのか言葉を切って間を開けた。


 俺はほぼ無言のままそれに耳を傾けていたわけだが、なるほど、確かに……、良い悪いではなく、俺とこの女とで同じものを眺めた時の感想はかけ離れているようには思う。


 打算的で現実主義かと思えば博愛を求める理想家で、媚びるようでありながら意見は一方的だ。お友達観や家族観など、万人が同じ答えを用意しておかしくないと思っていたが、それすら何やら違和感が強くあって、どうやら言われた通り、俺と黒い女との重なりはかなり希薄なようだった。


 おそらく生きてきた経過が全く違う。元々の頭の構造なども違うんだろう。……ただし、嘘を言う必要がない会話であるからか、どうしても何かを偽っているようには感じなかった。


「そうか……。アンミは純粋に、お父さんやおじいちゃんのために料理を始めた。あるいはミーシーのためにな。今では誰も文句のつけられない美味いご飯を作れる。アンミは役に立ちたがっただろうが、そうして家族の喜ぶ顔が見たかったからに違いない。きっとミーシーもアンミも助けてやってる。アンミの喜ぶ顔が見たいからだ。それはなにも、好かれるためのパフォーマンスだったりしない。……で、こんなやり取りをして俺の心が何か知れるか?」


「ええ、今はともかくきっと。健介君が何を思ってお友達を作るのかは私は知らないわ。だから私の気持ちが一方通行になっているのかも知れない。普通、けれど……、好意を向けられたら、それを返したくなるものだとも思っている。私はあなたに、直接あなた本人にではないにしろ分かりやすいメリットを用意しているし、いくらか不利な条件を提示されたとしても妥協点を探るつもりでいる。どうしようもない部分を挙げられたら困るのだけど、私と健介君がお友達になれない理由はある?」


「…………。俺は嘘つきが嫌いだ。だから、嘘をつく人間とはお友達になれない」


「ええ、問題ないわ。健介君には嘘をつかないようにする。今までもそうしていた」


「…………。俺は他人を不幸にする人間が嫌いだ。だから、誰かが不幸になるような方法を提案する人間とはお友達になれない」


「ええ、心配ないわ。私もハッピーエンドを望んでいる。あなたたちが誰一人損をしない方法を持っている。あなたたちが幸せになれる方法を持っている」


「だが……、俺は最低な人間だ。そう言われてもまだ信じられないかも知れない。それを許せないのなら、俺となんかお友達になるべきじゃない」


「…………。まあ、最後には信じて貰える。私はそれで構わないと思っている、というより、健介君が出すべき条件は……。いいえ、それも少しずつ確認していきましょう。今の時点で無理に答えを貰うとかえって困ったことになるかも知れない。お友達らしい振る舞いはして欲しいわ。いくらでも無駄話をしましょう。そして、最後、お友達であったかどうか、あなたが決めてくれたら良い。私のことを信じていて良かったと、そのたった一言でそれだけで私は報われる」


「ああ、分かった。……すまん、最後になる。もう二十分経った。そろそろ電話を切らなきゃマズイ気がしてるから、最後に少し仮にこうなったらという質問をさせてくれ」


「どうぞ?」


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