七話㉕
「具体的に、何をどう努力したら、人探しで一番になれるんだ。他の奴が真剣にやってないならともかく……」
「運が良かった、というのもあるけれど、他の人より二つ、余分に探した。一つは、トロイマンがどう動いているかを観察していたし、もう一つは……、逃げる側の気持ちみたいなものかしら。それもよく考えた。元はといえば私は研究所から探索場所を指定されていなかったし、他の大勢よりは自由で有利に動けた。ただ、後付けでなんとでも言えてしまうから、健介君が信じる材料にはならないわね」
「それにも、納得したとしよう……。だが、それより何よりおかしいのは……、そっちのメリットはなんだ?これは前にも聞いた。研究所を裏切って、俺たちに協力をして、一体お前にどんな得がある?お前が俺に良い方法とやらを教えてくれた時、もしもそれが本当に良い方法だったなら、お前がどんな嫌な奴だったとして俺はそれに飛びつくしかなくなる。お前の振る舞いはまるで、……俺がそれを渋った時の保険のために情を植えつけようとしているみたいだ。仮にだ、お前側のメリットがないのに俺に協力しようというのなら、お前はもっと高圧的に俺を脅しているはずで、結果に対して熱心であるはずがないのに……、お友達だの信頼だのと俺を煙に巻いて誤魔化している」
「煙に巻いて誤魔化している……。メリットは、そうね。ないことないわ。チャンスだと思ってる」
「メリットは、ある?チャンス?」
「ねぇ、健介君?私にメリットがあるかどうか、得をするかどうか、それが分かれば健介君は私を信用してくれるの?けれどね、話しても分からないと思うし、いいえ、話して余計に嫌われると思うわ。第一、私がどれほど嫌な奴だったとしても飛びつくしかなくなるのなら、結局私と健介君との間柄は私が伝える方法と無関係ということでしょう?なら、少しくらいは好意を持っていてくれて構わないのではない?そうしてから他愛ない話をして、私がどういう人間かを知っていた方が良くはない?私が心配しているのは私からの誘いであるからという理由であなたが優先度を下げたり、私からの質問や要望に意地悪を返したりしないかということよ?根拠もなく私を悪者だと決めつけて、ミーシーちゃんに私のことを知らせてしまわないかというのも心配している」
「結局のところ、お前のメリットすら、話せない理由があるってことだろう……。話すと都合が悪いから、隠している。そしてそれはおそらく、俺からの信頼を損ねる話題だ」
「えぇ……、そう、かしら?だって、最初から全て本当のことを言っても健介君には分からないし、健介君に得がない話をしても興味を持ってはくれないでしょう?少なくとも私は、嘘をついているつもりはない。ただ健介君とこうして話すためには、不都合な部分は言葉を言い換える必要があるでしょうし、前提がない段階で不用意に知らせるべきではないこともある。あなたがどうすれば私の思うように動いてくれるかをちゃんと観察しなくてはならないし、……なんて言って欲しいの?健介君は。私はせめて、私の本心が伝わらなくても……、」
俺は、いざ実際に女の言葉から不信の欠片を見つけて、ちょっとわけが分からなくなった。
『本当のことを言っても分からないし、得がない話では興味を持たないから、不都合なことは言い換えて、あるいは知らせず、俺を思い通りに動かす』と、間違いなく言った。
「待て、待て……。だ、騙そうとしているのか?何がしたいんだ、お前は」
「なんて言って欲しいの?健介君は」
「言って欲しい?俺が聞きたいのは事実だ。俺が気に入るようなデタラメを聞きたいわけじゃない。どういうことだ?要するに俺がお前を信用していないから、都合が悪そうな部分は誤魔化してると言いたいのか?」
「私がいくら言葉を言い換えてもあなたが受け取るのは、あなたの中の私が使う言葉に過ぎない。私がいくらそう振る舞ってもあなたは偽物が伝えようとする想いに心を感じることなんてできたりしない。ねぇ、あなたがそもそも私を信じていないから、私のことを偽物だと決めているから、私が例えばあなたを幸せにしてあげたいと言ってたとしても、正しく伝わらないのでしょう?だから、程度はともあれまずは信じてくれるための下地を作るためにもお友達らしい振る舞いをしても良いでしょう、と言っているのよ。あなたは私の伝える方法が信じられないの?私のことが信じられないの?そうじゃないと思うわ。そういう問題じゃない。私の言葉とあなたの言葉の隔たりを測りかねている。たとえ遠回りだと思えても、私があなたと同じ人間であることをまず理解して貰わなくてはならない。ものを眺める時どの程度目線が違うのかをはっきりとさせた上でなら、私の言葉に板をかませて私が何を伝えたいのかあなたが調整して受け取ることもできるでしょう。私が仮に、嘘を言ったとして、どんな時に嘘を言うのか、何故嘘を言うのか、あなたが何も知らないままでは運任せな決断しかできない。今まだ話すべきでないことは当然あるし、話したくないことだってある。健介君に都合が悪いかどうかではなくて、健介君自身が、都合の悪い話だと受け取って決めつけてしまうから、私は極力、余計なことを言わないように気をつけてはいる」
「じゃあ、俺が例えば、お前を理解していると言えば、お前は、自分のメリットを明かしてくれるのか?」
「そうかも知れないわね。別に信用されていない中で話しても良いわ。ただ、話す意味がない。健介君はまた邪推をするだろうし、信じられないと言われて、私は言葉に詰まることになる。それ以上に用意をしようとすれば、嘘をつくことになる」
「邪推……?いや、分かった。お前を信頼できるかどうかの材料にする。それを信じるかどうかも今後判断していく。それなら別に構わない、だろう」
「…………。ない、と言っても、嘘だと返さない?私のメリットが」
「分かった。例えば、全く何もないという回答だったとして、……お前がもしかして俺たちのためだけにボランティアで動いている人間かどうかという判断は保留する。今後話していて食い違いがあればお前は信用を失うかも知れないが、一貫してその通りに行動してたなら、連鎖的にお前の言葉も行動も信じられることにはなる」
「……そう。他人から見たら、……何もない。健介君は納得しないわ、きっと。これはあくまで、私の自己満足にしかならないことだから……。少し話したでしょう?アンミちゃんを助けられなかった人間がいる。その男に一つだけ勝ちたい。私はアンミちゃんが望むようにしてあげたいのよ。もしかして、それができるかも知れないと思った。例えば……、健介君は……、誰かの幸せの尻馬に乗りたいと思ったことはない?さっき健介君はボランティアと言ったけど」
「ある、かも知れない。ボランティアをそう表現するのは適切だとは思わないが」
「別に、ものを恵んであげたいとかそういうことではないけれど……、もし、募金箱に入れたお金が誰に手渡って、どう役に立ったのか詳しくお話を聞けたら、もっとたくさんの人が少しくらいはお金を出す気にならないかしら。アンミちゃんとミーシーちゃんは、お互いのことをよく考えているでしょう?……私は、美しいなと思った」
「美しい?仲が良いからか?」
「そうね、仲が良いとも言えるのかも。でも、このままだと、二人はこれまで以上に不幸になるかも知れない。アンミちゃんも、ミーシーちゃんも。自分がまるきりその二人になれるわけではないにしろ、そこに混ざって何かほんの少し手助けしただけで、……私は価値ある美や善の一部になれる。ドラマチックな物語の一部になれる。……そうなりたい。これが本心かどうか、健介君に分かる?というよりも、そもそも、そうなりたい気持ちが理解できる?」
「…………。理解、できない。本心かどうかも分からない」
「あら、正直ね。うふふ、もしかしてずぅっと正直だったかも知れないし、そしたら美人というのも真に受けて良いのかしら」
「だが、理解できなくても、……想像はできるかも知れない」
では、俺がそもそもの話、どういう理屈であれば納得することができたのか、そんな疑問も生まれた。
同情心?実益?俺自身が何故今こう立ち回っているのかという理屈を、よくよく考え始めてみれば、他人に十分に説明できたりしない。
むしろこの女の方がよほど目的らしきものを持っているようにさえ思えた。そして、俺はここで……、黒い女から聞き返されるのが怖くなる。聞き返されて、信じて貰えないことが怖くなった。
俺が話す内容を否定された時、確かに俺は言葉に詰まって、信じられないことのもどかしさを感じることにはなるだろう。俺のメリットは一体なんだろう。助けてあげたいと思うのが当然だと俺は答える。
結局、それを問うことそのものが、最初からの否定に他ならない。助けられる立場にいる、だから助けたいと思った。それは大抵の場合破綻のない自然な組み上がりであって、……黒い女が、研究所を裏切る理由がなければ、俺たちに協力するはずがない、というのは、俺の邪推に過ぎないのかも知れない。
「そうなら……、その通りなら、俺は謝るべきだな。何かしら具体的な実益がなければ、こうまでしてくれないと思ってた」
「じゃあ、別のメリットも用意してくれる?」
「いや、……ないと困ると言ってるわけじゃない。そりゃまあ、俺にできる範囲なら、何かしら礼ぐらい用意した方が良いとは思うが、大したことはできない」
「おまけでご褒美が欲しくなった。見ていれば分かるかと思っていたけど、やっぱり健介君から話を聞かないと何をどう考えているのか私には理解できないから、しばらくして、私の質問に何個か答えてくれたりはしない?その約束をしてくれると嬉しいわ。私の想像しているだけのものより、あなたの言葉でそれを聞いてみたくなった」
「どういう約束だ、それは。何についてかの質問による。……悪いが、まだ完全に信用したわけじゃない。だから、こっちがいつ手薄かとかそういう怪しげな質問だったら答える約束はできない……」
「その時、答えたくなければ答えなくても良いけど、単に私が質問をする場を作って欲しいというお願いよ?まあそれまでにも、質問をすることはあるでしょうけど、それとは別に、最後にお話をしたい」
「なら、……善処しよう」
はっきりいって、こんな口約束が拘束力を持つようには思えなかった。どういう種類の質問なのかも定かじゃないし、俺も警戒すべきところは警戒するつもりでいる。
「ええ、ありがとう。お礼と言ってはなんだけれど、そういえば健介君、朝、早川のことを聞きたがっていたでしょう?まだ聞きたいと思っている?」
「聞いておくべき、なのか。お前がその……、早川のことを話すのを嫌がっているみたいだったが。何でだ?気にはなってる。聞くべきかどうかということは分からない」
「…………嫌がってるようだった、私は?じゃあ、ついさっき、気が変わった。健介君が私のことを知りたいと思っているのなら、むしろそれに関しても少しは話しておきたい。私の気持ちだけを話したところで、どうしてそう行き着くのか想像しづらいはずだから、折角だから、もっと詳しく話しておこうと思う」
早川という人物がアンミの件と関係があるから、要するに都合が悪いから、話すのを嫌がったんじゃないのか、という意味で理由を尋ねた。
だがどうやら、黒い女は何故嫌がったのかという理由をメインに話すつもりでいるらしい。つまりはおそらく、まあ、今回の件にその男が深く関わっているわけではない、ということにはなりそうだ。
早川がこんな人間だったから、自分は彼を疎ましく思っていた、なんていう恨みがましい話が出るのかと俺は身構えていたが、黒い女がぽつりぽつりと呟く中に、一つも、ネガティブな要素は見つけられない。
『七年前まで早川忠道は多くを期待され、全てに応える、天才だった。』そして、その声に少しばかり静かなノイズに染まっていく。
「七年前に彼が逃げ出したのは、アンミちゃんをどうしても助けられないと決めてしまったからなのよ」
「…………?決めた?助けないと、決めた?」
「助けられないと、決めた。アンミちゃんから助けてくれと言われてどうしようもなく困り果てた早川忠道は、研究所を去った。所外の人はこんな感覚は理解できないと思うけど、早川の才能や人となりを知っている人は全員同じ結論に辿り着いたことでしょうね。彼はアンミちゃんを幸せにしたかったけれど、それはどうしても不可能なことだったんだ、って。であるから、当然私たちにも不可能なことなんだと、全員が諦めた。それまで解けない問題が一つもなかった彼が解答なしというなら、きっと問題が悪かったに違いないというふうにね。まあ、ただ単にアンミちゃんの件が彼の限界だっただけなのかも知れない。彼がいたお蔭で世界から争いや貧困がなくなったというわけではないし、彼の周りにいた者全てが等しく幸福を享受していたわけでもない。……アンミちゃんの件は他よりもっと簡単に見えたのに、早川が答えを見つけられなかったせいで、その答えはもう存在しないことになってしまった」
「早川は助けようとしていた……、のか?一体何をどうやって?七年前、アンミはどこで何をしてたんだ?」
「アンミちゃんは当時、研究所の大きなお部屋で特に不自由のない暮らしを与えられていて、いくらか……、早川が世話をしにいったらしいわ。どういうことを話していたのかは知らないし、不自由のないといって衣食住に限ったことであるから実際アンミちゃんが何を不満に思っていたか分からないけれど、とにかく早川はアンミちゃんを幸せにしてあげたいと思った、はずなのよ。その人にとって何が幸せなのか、答えを用意するはずだった。冗談のように聞こえると思うけど、実際に冗談のような人間だったから」
「アンミは研究所から逃げたいと言ったんじゃないのか?実際それは叶えられてた、今までは」




