七話⑳
「ハジメお姉ちゃん、お兄ちゃんはでも、ナナが風邪引くとダメだからお家に来たら?って言ってくれたから、ナナは良い人?と思う」
二、三度首を左右に傾げ、ハジメを見上げ俺を見上げ、ナナはおそらく俺を気遣ってそんなことを言ってくれた。主語がごちゃごちゃしていて意味は通りづらいが、見た目の年齢よりは随分としっかり、心配りができるようだ。
「ナナ、ダメだって。知らない人でしょ。知らない人についてって、で、見た目良い人ぶってても何考えてるか分かんないんだから……。もし悪い人が嘘ついてたらナナバラバラにされちゃって食べられて骨だけになっちゃうでしょ?」
「ナナバラバラはやだな……」
「ぁっ……、ナナ。なんで下がるんだ?この、ハジメ……。根拠のないデマで人を貶めてその子を遠ざけようとするな」
「ひっ、な、あ、あくまで可能性のこと言ってるでしょ。嫌なら早くスイラおじさん出しなさいよ。てか、あんたが仮に良い人だったとしても、ナナが今度変な人についてっちゃったらどうすんのよ。だからここはあたしが見てやんの。だ、大体今、見た目、とかから考えて……、五十%とかそんなぐらいよ。何怒ってんの、だってそんなの分かんないじゃん。たまたまアンミのこと調べて知ってる奴かも知んないでしょ?」
「あ、いや、後だ後にしよう。分かってる。用心するに越したことはないな。お前の言う通りだ……」
坂を下って左に折れて、すぐに俺の家まで到着する。靴を脱いだら逃げられないと思ってなのか、ハジメは玄関で待ってると言い出した。
だが、すぐにアンミがこちらへ気づいて、胸の前で手を合わせぱぁと目を輝かせながら駆け寄ってくれた。これで俺の無実が確定する。意外と難儀したな……。
「ハジメ、ナナ……。良かった。スイラお父さんがね、急に来たから私びっくりしてて……」
棒立ちしていたハジメもアンミの登場で肩の力を抜いたようで、「いや、アンミが」と言い掛けた。続けざま、唇をへの字に一旦曲げて、ちらちらこっちを気にして「……てか、ふ、ふん。まあアンミが裏切るわけないからあんたのことも信じるしかもうないけど、……ごめんねっ、ごめん、……謝ってるけど、えっとあたしが、……あたしが」と言葉を濁しながら、
多分、かなり不本意なんだろうが、俺にも一応謝罪した。むしろ何も言わない方がマシなくらいの謝罪加減だが、『ごめん』とのことだ。
「ふん、とか……、そういうこと言う漫画のキャラクター、いるにはいるが、それは現実世界での、お前のような希少種がモデルだったか。なんでその、ちらちら……、見るんだ。謝らなくても良い。逆にお前、俺も困るだろう。お前はもう俺が怪しいのが悪いとか言っててくれたら良い。確かに怪しかったろうな、そんな気はする。そしてお前はお前で折角の機会だから、人を見る目を養うと良い。こういう顔立ちをしてる人間はな、大抵良い奴だ、分かったか」
「ナナも。バラバラはやだなって思ったけどそんなことなかった。今ナナも信じてる」
「ナナ、お前は、ほら……。よくハジメお姉ちゃんの言いつけを守ったな。すごく良い子だ」
ぐしぐしと頭を撫でて誉めてやると、ナナは両手を頭の上に上げ、俺の袖に指を引っ掛けた。ああ、嫌がるのかと思って少し腕を浮かそうとすると、僅かに引っ張られるような感覚があった。
ずぅぃぃと俺の手のひらの位置をナナが両手で引っ張って調整し、そこで引っ張られる力が消えた。「よしよし」と再び撫でてやる。この行為の意味はよく分からないが、お気に入りの、頭のポイントがあるのかも知れない。
俺が靴を脱いで家に入ると、ナナもはっと何かに気づいたように首を持ち上げてきょろきょろ玄関を見回して靴を脱ぎ、俺の腕にぶら下がる。
ナナは全く無言のままでその一連の動きをこなして、更に俺の袖を引っ張ってからはじーっとじーっと、特に表情もなく凍りついたかのように俺の目を見ていた。
ここまで見つめられると目を逸らしてしまいたいし、変に身動きもできない。
そして、俺と同じように身動きせずに立ち尽くしている人間がもう一人いた。
「あ……、あたし、あたしも上がって……」
「…………?ハジメも靴脱いで上がったら?それとなんかハジメ寒そうな格好してる」
「そりゃ、……アンミの家ならそうだけど、アンミの家じゃないでしょ、ここ」
「俺の家だが、……もう誤解は解けただろう。俺がまだ変質者な可能性があるか?」
「そういう……、そういうことじゃなくて、あんたの家で、あたし、まだその、あんたに許して貰って……、なぃし」
話を聞かないだけじゃなくて、許しを得ずには他人の家に上がれないという、変なこだわりまであるようだった。俺を変質者と誤解した上に、更に器量まで過小評価している。
俺はどうやら変質者扱いされたことに怒って、その腹いせに女の子を玄関に立たせて放置する男に見えるらしい。
「まあ、とにかく上がってくれ。許す許さないとかいうレベルのことじゃなかったろう。全然気にしてないから……」
「えぇ……。でも、全然あたしが反省してるのとか伝わってないでしょ……。あたしそんな人に謝ったこととかないし、あんただって内心じゃあたしのこと反省してないとか、でも、ごめんって言ってるのに……。……そりゃ悪かったけど、あんまりだってさあ、そもそも普通の人の家とかに」
「逆に俺がどうしてやったら良いのか分かんないだろう。ほら、ハジメ、……仲良しー、仲良しだから細かいこと気にせず上がれ」
「……?……?仲良し、とかではないんだけど」
「まあ、そうだな。反省してるんだろう。家に上がるのを躊躇するくらいには。そんなふうにされたら俺が悪者みたいだ。許すからさっさと上がってくれ」
「はあ、うん……。うん、ごめん。えっと、お邪魔、します」
やっと靴を脱いで、家の中へ入ってくる。ナナ以上にきょろきょろを繰り返し、お化け屋敷探索中かのように腰を曲げそろりそろり一歩ずつ歩いた。
アンミ、ハジメ、ナナの三人を引き連れて居間まで行くと、丁度階段からも足音がいくつか聞こえて、親子一組も居間に登場する。ミーシーは明らかに疲れた様子だったが、それとは対照的にスイラお父さんは満面の笑みを浮かべていた。
「おう、二人とも無事か?全く心配させやがって……。ナナ、このお兄ちゃんのこと好きか?」
「ナナ?えーとナナねー、うん、好き」
「……ほら、な?良かったな、健介。モテたな」
「良かったなじゃなくてさあ……。もう、スイラおじさんなんで急に走ってくのよ。先行くなら先行くで言ってくんないと、あたしら迷子になってたじゃん」
「……ハジメは、……阿呆でしょう。もうこれを信用してどうこうという時点で阿呆でしょう。首にちゃんとヒモつけてあるでしょう。散歩するならちゃんと持ってなさい……、私が迷惑するでしょうが」
「はあ?元はと言えば寄り道しなきゃなんなかったのあんたのせいでしょ。あたしが来るの予知ってお茶用意しときなさいよ」
「健介が豹変するハジメに引いてるわ。猫被って、ハジメちゃんですニャンとか言ってなさい。もうどうせさっきまでなんかそんなんだったでしょう。健介、この子は人見知りするわ。でも、寂しがり屋なのよ。……雑巾、雑巾ないかしら。健介、雑巾をこの子にプレゼントしてあげなさい。寂しい時はこれを俺だと思って掃除をしてくれと、雑巾をプレゼントしなさい。きったないやつでいいわ。一石二鳥でしょう。ああ、でもダメだったわ。ハジメは掃除してるつもりでもの壊すでしょう。どうするのよ、もう……、どうしようもないわ」
「…………。いらないかんね。あたしそんなもの壊すとかいうのも、あれ嘘つきだから」
まあ、玄関上がるまでのことを考えると人見知りするタイプとはいえるのかも知れない。
俺に対して猫を被っていたとは思わないが、ミーシーとはどうやらこういうやり取りにはなるらしい。内気で大人しい子、ではないんだろうな。俺を挟んで会話して欲しくない。
「まあまあ。どうだ健介は?通報されそうな切ない気持ちもよく分かっただろう。それにナナ?声掛けて貰って嬉しかったよな?あと、ハジメはちょっと大人しいくらいがかわいいからなあ」
「ハジメはすぐ調子に乗るから結局同じよ」
「あのねえ……、何?あたしが大人しくしてた方が良いから罪悪感植えつけようとか思ってたわけ?」
不服そうではある。果たして普段がどんな子なのかは知らないながら、俺とハジメで、初対面の印象はどちらも悪化しかしていないように思う。
おっさんの余計な行動がそれを生み出したのはまず間違いないが、俺がおっさんに対して加害者で、ハジメからの被害者であるとすると、もう黙っておく方が省力化できそうではあった。
「じゃあ全員揃ったしまずは自己紹介やろうぜ。じゃあ、まずはナナ、お兄ちゃんに自己紹介してやってくれ?ナナは何歳だ?ちなみに、健介は二十歳で大学生だよな」
「ナナは、ナナは、七歳です。実は、六歳です」
「もうほぼ七歳だろ。四捨五入で七歳だな。ナナだしな」
「……おっさん。俺の自己紹介がちなまれて終わってしまったんだが。それ以上特に自己紹介もないな。ああ、……ナナ、よろしくな」
「じゃあ、次ハジメの番な」
「名前だけで良いならもう終わりでしょ。よろしく」
「ああ、ハジメもよろしく」
「ただ、よろしくっても、いや、よろしくはよろしくなんだけど、もうでもこの後会うことないしさ、そんな自己紹介とかやる必要あんの?」
ああ、そうなるのか。そうなると……、と考え始めたところだった。
ハジメがその意見を向けた相手は、一拍おいて、瞬きをして目を細め、両方の手のひらを上に向けてこれ見よがしにやれやれポーズを作った。
「まさかここまで来てハジメ……、帰るわけないだろう。だから……、健介の方が年上だな。健介お兄ちゃんに媚び売って食べ物貰わんとならんぞ」
「え……?」
おっさんの台詞の意味するところを、俺は割とすんなり理解することができた。大体の想像がついてしまう。
ハジメは声を上げてこちらとおっさんをきょろきょろしてるわけだが、どうやらこの先のことについては何も知らない、何も聞かされてないということだろう。
俺もつい先程までは、ハジメが発言した時点では半強制的なアンミ、ミーシーのお迎えだろうかと思っていたりもした。しかしどうやら、おっさんの台詞から察するに……、逆に、増えるということだな。……居候人口が六分の五まで増える。
「え?え?どうゆうこと?」
「どういうことかというとだ。言葉通りだが、俺たちの居候生活が始まる」
予知パパがどういう流れでどういう結末を見越してそう決定したのか不明だが、俺のような一般人にそれをどうこうしてくれと交渉できるスキルはない。というよりも、今回はかなり複雑な事情が絡んできている。
黒い女の話しぶりを思い返してみると、少なくともアンミは家に帰れない。当然ミーシーはアンミと一緒にいる選択をするだろうし、ミーシーとおっさんの予知が同じ仕様なら、おっさんも当然アンミの身の安全を最優先に行動する。
であれば、俺がその案に反対するようなことはできない。
ただ、……プラスに評価できるような材料なのかは分からなかった。問題解決のためのスマートな方法がないから、アンミとミーシーがこの家で避難生活を余儀なくされているわけで、実際のところここを拠点とする意義などは薄いようにも思う。
この家は一応安全地域としての保証はされているが……、保証しているのが黒い女で、しかも、それがいつまでかは定かじゃない。ここにいるからどうにかなるという利点はないだろうし、新しく女の子二人連れてきて状況が変わることもない。
とりあえず今この時点ではお父さんレールに乗ることにして、思考停止の了承で構わないか。
「とはいえ、まずは健介にお世話になって良いですか、ということを聞かなきゃな。こっちはあくまでお願いして、それで良いと言って貰ってから決まることだ。で、まあ、後でハジメとナナにもどうしたいかってのは聞く。アンミとミーシーにも聞く。……反対しそうな奴がちょっといたが、そいつはもう説得した」
「それ、ミーシーのことだろう。もう、おっさんは全て段取りした上で俺にお願いとやらをするつもりなわけだよな?なら、それは俺が決めることじゃない。どうしてかそういう理由があるからここに来たわけだろう。で、そうしなきゃならないってことだ。俺は一応、おっさんが予知能力者なのは知ってる」
「まあそうかもな。単に俺がわがままを通したいだけだったら、こんな確認をわざわざしたりしないだろう。いつの間にか増えてたということにもできなくもないしな?」
「……増えてたら気づくが」
「だがな、俺は確認をした方が良いと思ってる。断ってくれても良いし、受け入れてくれると嬉しい」
「そもそも断らない。事情があることは察してる」
「ああ……。先に言っておくべきだったかも知れんが、俺は保護者としてここに来たわけだ。健介は俺が来て居座るというのを、何か理由があってそうすると思ってるんだろうが、そういうことはとりあえず置いといて、な?お前はただ単に、この子らと一緒にいて良いかどうかを考えてやってくれ。例えばな、仮にお前が断った場合に世界が滅びるとしても、そんなことは気にすることじゃない。なんかあった時に、どうにかするのは保護者である俺の仕事で、そのためにいるわけだからな。俺のことはおまけだとでも思っててくれて良いし、事情がありそうだなんてことは考えなくて良い」
見誤った……、か。なるほど、そういう、段取りになるのかも知れない。
邪推かも知れないが……、なるほど、こうして進められると俺はおっさんに、その事情を尋ねる権利を失いかねない。




