七話⑫
結局この時、アンミと、ミーシーと、仲良くできるかという質問が、全ての問題を解決してくれたようには思った。アンミの緊張も徐々に溶け笑顔も生まれ、もうそれ以外には聞くこともなさそうに見える。
それからちらほら店や店長の話題も出てきて、その内いくつかはアンミを安心させる答えになったろう。アンミの質問は主に陽太の話、店長の話。
そしてミーシーの質問はおそらく店の中で必要になる調理器具や料理メニューの話と、アンミから出た質問の補足だった。
ミーシーは、基本的にはアンミが聞きたがるであろうことをここで聞いて解決しておくつもりなんだろう。加えて、店への要望を陽太経由で店長に伝えて貰うようだ。
しばらくすると、特に順番もなく話したいことがあれば話して、陽太も普通に返事をして答えるようになった。まあただ、ここにきて俺にも一定の役割が生まれた。
陽太の適当な回答を訂正したり、代わりに質問に答えたりしなくてはならなかったし、アンミの質問が陽太に上手く伝わっていないであろう時にはかみ砕いてこういうことだろうと解説をした。
まあ陽太は際立った奇行には走らなかったし、アンミからの第一印象も悪くはないはずだ。そこまで心配することでもなかったか。陽太は年下の女の子に対して優しく接するように努めている。
アンミはナチュラルにスルースキルが高かった。ミーシーも感情的な面を見せなかったし、会話が続くよう誘導役を十分にこなしている。俺が困るような場面というのはなかった。
「まあそういう空気も想像できるわ。空気がそこを中心に切なさを広げて地球を覆う様が目に浮かぶわ」
「健介がスベった年の冬は格別に冷えるからな」
「俺がスベってなくても、冬は勝手に訪れるんだ。俺のせいにするな。質問は仕事の割り振りについてだろう。多分だがアンミは料理をしてくれたら良い。客が来てない時は店長と俺と陽太で料理してメニュー考えたりしながら飯を食ってた。皿洗いとかの片づけと、店内の掃除でテーブル拭いたりキッチン拭いたり、模様替えしたり、草むしりしたり、そういう色々は今まで俺と陽太でやってた。こっちに関しては誰でもできる仕事だから暇な人間が暇な時暇つぶしでやってれば良い」
「何かお店で仕事するのに用意した方が良いのはある?」
「まあ……。特にはないな。パンツさえ履いててくれたら良いんじゃないのか。あんまりパンツ履いてない奴とは一緒に仕事したくないしな。アンミちゃんはちゃんとパンツ履いてるか?」
「履いてる。うん」
「さあ、健介、アンミがセクハラを受けているわ。ほら、守ってやりなさい。あなたがどの程度頼れるか見てるわ。いきなりズボンを下ろしてこれで満足かと陽太に迫りなさい。きっとそれで解決するでしょう。陽太?それでどう?ダメでしょう?」
「それは俺がセクハラしてるだろうが。そういうことだ、陽太。女の子が嫌がりそうな話題は自重してくれ。パンツは誰でも履いている。証拠を見たいか?そうなると俺が率先してその役割をこなすことになるぞ?どうだ?嫌だろう。俺も嫌だ」
「嫌がりそう?これ、健介が買ってくれた下着。ねぇ、ミーシー?」
ん……、と思った。話が脱線し掛けたところをなんとか食い止めたのに、アンミが余計な情報が付け加えてしまう。
「まあ、でも陽太。ほら、サスペンスドラマの犯人ネタバレされたらつまらないでしょう?あれはむしろ途中で見るのやめて推理するのが楽しいはずだわ。前半三十分くらいだけ見て、直感だけで犯人決めつける遊びするでしょう。それと同じよ」
俺は、無言のまま、ちらりと一度陽太の方に目線だけ向けた。ミーシーが少し話題を逸らしてくれたし、パンツの話題はこれで終わるだろうか。
「ん……?なんかちょっと気になったのだが、アンミちゃんのパンツ健介が買ったのか?健介は白じゃないと気に入らないとかそういうことなのか?いや、今日は白の気分じゃない黒を履けとかそういうことか?」
「…………。ちょっと世話になったから、買い物でもしてくれというお小遣いを渡しただけだ」
「それは……、ちょっと、引くな。世話に?それは健介がアンミちゃんの下着破ったり汚したりしたという話なのか?なんというか、健介、下ネタはちょっとなあ、やめた方が良いと思うのだ」
「飯を……、あれダメなのか?都合上、これは言い訳にできないことだったか?」
「別に問題ないけど、人の振り見て我が振り直せというでしょう。健介に引いてる以上、陽太もセクハラしないでしょう。ちょっと悪者になってあげるくらいしなさい。そして、陽太。アンミはとても良い子なのよ。健介のことを許してあげているでしょう?」
「それは……、天使だな。だが、健介は、これは許して貰えなかったら警察沙汰だぞ?金払えば済むとか思ってるとしたらヤバイと思うのだが……」
「一旦、引いたよな?我が振り直すチャンスは与えてやったはずだ。誤解を解くぞ?」
「まあ。どうぞ?そしてもう連絡先とか面倒くさいし、陽太なら大丈夫でしょう。遠い親戚の私たちは今一緒に住んでて家の仕事をアンミがしてくれてるわ。料理もできるから今回のお店のアルバイト募集にはぴったりでしょう。アンミはやる気だし、天使だし、申し分ないわ、面接も十分でしょう」
俺は、ミーシーによる面接終了の合図とともに立ち上がって陽太に近づく。一応、解くべき誤解は解いておかなくてはならない。
「陽太、あのだな……。そういうことだ。親戚の……、子を、一時的に俺の家で預かってる。で、世話になったというのは何故そんな解釈になるのか逆に俺からすればお前の頭の方が心配だが、お前の想像するような下品な話ではなく、飯を作って貰ったり掃除をして貰ったり、そういうのがあって、そのお礼に買い物でもしてくれとお小遣いを渡したということだ。別に俺が買ったわけじゃなく、アンミが自分で選んで自分の生活用品を買ったわけだ。分かるか?」
「えぇ……。いや、アンミちゃんは健介がパンツ買ってくれたと言ってたのだが?普通に考えたらまずパンツ買ってやる状況にならないだろ?服とかアクセサリーとかならともかく。パンツ買ってやるなんて、……勝手に人のパンツ履いて女装した上お漏らしした時くらいにしか発生しなくないか?まあそれなら弁償するのが妥当だと思うのだが」
「……俺がそんな阿呆なことしてると思うか。俺も、服を買ってくれとお小遣いをあげたんだ。だが実際買ったのが下着だったという、それだけの話だ。分かったか?」
「一応分かったのだが……、一旦想像したのを消し去るのは難しいな。夢とかに出てきたらもう訴訟なのだが?勝手に人のパンツ使って富士山エレクトしながら迫ってくるのだぞ?」
「そうか。ほらな、下ネタを言うなと言ったろう?時に下ネタというのは人を傷つけてしまう。それに気づいたか?二人の印象はどうだ?」
「料理できるかは健介の言い分を信じるしかないのだが」
「それは信じてくれたら良い。実際目にすれば分かることだ。まあ仲良くしてやってくれ」
「仲良くというのは既に約束したのだが、……健介。俺の個人的な誓いというのを聞いてくれるか?俺はもう下ネタ言わないことにするのだ。周りからどう見えるのかということを考えたらもう言えないよな、そういう……、いや、健介のことじゃないのだが。健介が、どうこうという話じゃないのだが」
「お前なあ……。俺もお前を見てハラハラしてる時だってあったんだ。ちゃんと守れよ、その誓いとやら」
ソファにいた二人は夕飯の献立をどうしようかと相談中で、アンミは折角ならお店で出ている料理に近いものを作りたいと言った。そして、陽太と健介に教えて貰えたら助かると、こちらへと提案が振られた。
何か適当な例を出してアンミのお手並みを見せる機会としては悪くないと思ったが、ミーシーは特にそれを勧めることもなく、陽太もこれをやんわりとお断りした。
「ちょっとやらなきゃならないことがあるのだ……。店の開店までにと思ったのだが、まあそうじゃなくてもちょっと急ぎでやり遂げないとならないのだ。というわけで、誘って貰って悪いのだが、今日はこれでな。じゃあ、また、今度は店で」
「うん。よろしく。お店で」
アンミは窓拭きのように肘から上を左右に振り、ぽふぽふと背をソファに当て何度か反動を付けて立ち上がる。陽太もヘルメットを抱えて立ち上がり玄関へと歩き始めた。俺とアンミで見送りがてら外までついていく。
「陽太、今日はありがと。すごく安心した。店長も陽太も良い人そう」
「こっちこそ助かるのだ。店長も喜ぶだろうし、店の雰囲気とかも明るくなるとは思うのだ。じゃあな、アンミちゃん。そして、健介一つお願いがあるのだ」
「お願い?そんななんかわざわざお願いがあるとか前置きをしてから言うような内容か?」
「いや、大したことじゃないのだが……。健介も峰岸バイトに勧誘してみて欲しいのだ。ちなみに俺が誘っても全くやだとしか言わなかった」
「なら、やなんだろう……。言っとくが、俺も誘ってみたことはある。やれ、客商売は苦手だ、料理は自分で勉強するだの、こっちが一言言う度に三倍くらいの断り文句が返ってきた。あいつがいたらというのは俺も同じだが、忙しくない頃ですらそうだったから、もう今回は忙しいという理由だけで押し通されるだろう。募集内容も料理できるのが条件だったし……」
「そうだと思ってたのだが、今回気が変わるかも知れないだろ。あと、峰岸が忙しいというのがバイトだというなら……、給料とかそんな高いわけじゃないけどな、こっちに混ざってゆっくりやったらどうかとか、そういう話してくれたら良いと思うのだ。そしたら、健介が月に一回しか会えないなんて寂しがることもなくなるわけだろ?」
「そうだな……。まあ、また聞いてみることにはする。だが、多分断るだろう。一応聞くだけは聞く」
歯切れの悪い返事にはなってしまったが、陽太はそれで満足したように手を掲げてヘルメットを被り、歩いて去っていった。
俺と陽太が会話していた最中、当然ミナコのことを知らないアンミは唐突なその話題に何度か首を傾げて、こちらをじぃと見つめていた。陽太が去ると、アンミは先程の会話の中に出てきた謎の人物についての解説を求める。
「峰岸さんって人がいる?健介と陽太と店長さんだけって聞いてた。峰岸、さんて男の人でおじいちゃん?」
「俺と陽太と店長の三人だ。おそらくその質問は店長の名前が峰岸さんなのかということだと思うんだが、満田店長だ。おじいちゃんという歳でもない。満田……、あれ出てこんな。下の名前は言われたら思い出すが、満田店長も何も店長はもうその店に一人しかいないからただ店長とだけ呼んでれば良い」
「店長とは別に、その峰岸さんていうおじいちゃんが入るってこと?」
「何故おじいちゃんだ。もしかして峰岸徹のことを言ってたりするか?」
「さあ?私、下の名前は知らない」
「……まあ、気持ちは分かるけどな。妻夫木さんがバイトに入ると言われたら、なんかイケメンだろうという先入観にはなるだろう。今回一応誘ってみるのは、峰岸は峰岸だけどな、峰岸ミナコという一般人の女の子だ」
「ふぅん……。そっか。健介はお店の料理、どういう作り方か知ってる?」
「それなんだがな。店に本がある。全然内容は覚えてない。店行ってから手順確認で間に合うだろうし、今日はとりあえず自由に作ってくれ」
俺とアンミが陽太の見送りをしている間にミーシーは居間から台所へ移動していたようだった。
俺も自室へと戻ることにした。でだ、俺は陽太との別れ際に『ミナコのバイト加入交渉』について要求を受けている。これについてどういう、方策があるだろうかと考えてみた。
陽太が誘ってみて『やだ』としか言わないのだから、俺が誘ってみてもやはり『やだ』としか言わないだろう。
変な話、この件に限ってのみ、ミナコは頑なに意見を変えようとしなかった。皿の片づけくらいはやろうとするのに、料理自体は絶対にやりたがらない。俺などミナコが上手に料理できるなんて期待していたりしないのだから、せめて挑戦してみるくらいは良いだろうに、
……こと料理に限っては、極端なほどに失敗を恐れているようだった。
前回電話して誘ってみた時などはあっという間に撃沈している。とにもかくにも、何はどうあれ、嫌だ無理だと、まるで聞く耳を持たなかった覚えがある。
あれが苦手でこれが苦手で料理などはまるでできない。まるでできない上にそれを学ぶためにはかなり複雑な条件を整えなくてはならないのだと説明された。
簡単にいうと一流のシェフに教えて貰わない限り勉強するつもりはないと、そういうことだった。当然一流シェフがもしいるなら、店の料理担当にわざわざミナコをあてがう理由などない。
そんなちょっとトンチの利いたというか、こっちが困っていることをまるで察していない断り文句だった覚えがある。一流のシェフじゃなくて、なんかちょっと違う表現だったようにも思うがまあ大体そういう感じのことを言われた。
接客も料理も苦手だと言った。その時けれど、せめて料理は、みんなで一緒にどうすれば上手くできるかを考えようと、苦手なことは俺も陽太もフォローしてやれると、そんなことをちゃんと伝えたはずだった。
それでも、ダメだった。
今日陽太が言ったことには確かに一理ある。俺は、ミナコはそもそも『アルバイトが嫌』なんだと思っていた。だが、本当かどうかは知らんが、今アルバイトをしているらしい。それで忙しいらしい。
なら、気が変わってアルバイトする気になったのかも知れない。店長の店でアルバイトをする分にはそう忙しくはならない。
それが実現すれば俺は嬉しいはずなのに、どうも積極的にそれを目指して動こうと思えないままだった。一度遊びにきてくれるだけで良い。味見を手伝ってくれるだけで良い。余った食材を貰える。俺と陽太がいる。店長も良い人だ。
提示できる範囲でどんな好条件を挙げようとミナコは頑として譲ることがなかった。アルバイトが嫌、じゃなかったのなら、もうそれこそ何がどうダメだったのか分からないまま今回リトライすることになる。
そして、その結果はまたしても、失敗に終わることが、半ば、いや、九割九分、分かっている。
「まあ、……陽太と約束した手前、聞くだけは聞かなきゃならんが。……聞いたか聞いたか言われるのもなんだし、電話ぐらいは大した手間じゃないか」
こうして携帯電話の発信画面を眺めて、ため息を吐き終わると同時にコールを開始した。そして、呼出し音は瞬きする間もなく通話状態へ変化する。




